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人の少ない電車で悠々と座るのは気分が良いものだ。本来だったら和気藹藹と話しをしている学生やら、半分眠ったサラリーマンやら、何故そんなに焦っているのか分からないおっさんやら誰かしらで一杯なこの電車内も、今はがらんどうだ。
それもそのはずだ、理由は誰だって簡単に思いつく。そもそも電車と言う交通機関は、ある一定の時間帯だけこむもので、その時間帯さえ避けてしまえば、このようにほぼ無人の電車にだって乗ることが出来る。だからその時間帯を避けるだけでこんなにゆったり座ることが出来るのだ。
さて、そこでだ。普通の人なら満員電車は嫌だろう。俺だっていやだ。そうだから俺はゆっくり電車に乗ったんだ。
そこまで考えた所で俺は大きくため息をつく。
もちろんこんなアホみたいないいわけしても教師に通じる筈がない。俺がしたのはただの寝坊だ。柿原も言っている通り現実はやっぱり結果がすべてなのだ。だから遅刻は遅刻。納得しよう。だけど遅刻だけならまぁいい、それ以上に面倒なことがある。
問題は夏休みの課題だ。もちろん一教科も手をつけていない。昨日の夜は何かが俺にまいおりてきて開き直ることができたものの、今の今になってようやく『やっちまった』という後悔が溢れ出てきた。出てこなくてよいものを。
結果そのせいで俺は内申点を下げられるのだろうか、もしくは残って補習みたいなのをやらされるのだろうか。どちらにしても勘弁してもらいたいが、ペナルティを受けるのは確実だろう。
しかし、内申点を下げられるだけだったら対応する方法が無くもない。それは『内申点下げられるなら、テストで点を取ればいいじゃない』という作戦だ。
とは言っても、今月末にある考査で点数を取れるかと問われればそうではない。絶対に無理だ。なぜなら俺の休みボケは半端ではないからだ。そこらへんの学生は長くてもブランクは2ヵ月だろうが、俺なんか3年だぞ3年。月にすると36カ月、他の生徒の18倍だぞ18倍。休み過ぎだ。まぁ休んでいたのではなくて働いていたか、修行していたか、死にかけていたんだけど。
じゃぁどうする? マリーアントワネットはパンが無い時『パンが無ければケーキを食べれば良いじゃない』とか言ったらしい。確かにその通りだ。パンが無ければ別の物を食えばいいんだよ、もちろん小麦粉を使うケーキじゃあなくて大根とか。
そう、発想の転換をしようじゃないか。ならばどうする――!
(うん、思いついた『内申点が下げられるなら、教師にお金を積んで内申点を上げてもらえばいいじゃない!』作戦だ)
はぁ、と大きなため息をつく。
ナズナ(アホ)みたいなことを考えるのはよそう。そういえばアイツは元気しているだろうか。
そんなこんなで学校に付いた俺は、余りの静かさに多少不安になりながら敷地をまたぐ。誰もいないんじゃないかと一瞬錯覚したが、よくよく考えてみれば朝一で始業式と言う日程だった筈だから、みんな体育館にでも行っているのだろう。
俺は3年ぶりだと言うのに奇跡的に覚えていた自分の教室、自分の席に座り持ってきた教科書類を全て机につっこむ。
「さて、参加する気も起きないし、待つか。でもいつまで待たなきゃいけないのかね」
式をそんな長時間やるわけでもないだろう。何かしていればすぐに皆が戻ってきて以前となんら変わらない日常が展開される筈だ。変わるのは学校が終わった後。放課後は昨日行った場所とはまた違う魔法ギルドに連れて行ってもらうから、多分何らかの形で先輩が接触してくるんじゃないだろうか。
俺は机にしまった課題を取り出し机の上に広げる。見事に真っ白なそれに向かって、俺はペンを立てた。
生徒達が戻ってきたのはそれから20分程度経過した後だった。そのたったとも言っても良い20分でわかったことは、俺は相当なリハビリが必要であると言う悲しい現実だった。
(やばい……全然覚えてない。このままだとテストは死んだな……)
と、俺が机の上で突っ伏していると、不意に肩を叩かれた。
「やあ、おはよう。朝だよ?」
「もう昼も近いがな……」
俺の肩を叩いたのは柿原だった。俺からしたら3年ぶりに見る彼は、あの時と変わっていないように見えた。その眼鏡も、その直毛も。ただすこし顔が焼けているか?
彼は神妙な顔で俺の前の席(柿原の席では無い)に座ると小さく咳払いをする。
「色々聞きたい事があるんだけど……そうだね。まずはなんで僕のメッセージを全無視したのか、からかな?」
その理由は簡単だ。
「あー。それはぶっ壊れたと言うのが一番正しいか。今日か明日にでも買いに行くよ」
「なるほどね。だから電話をしてもずっと『電波の入らない場所か電源が入っていない』と言われるわけだ」
それはすまなかった。あのスマホはもう2度と電波も電源もはいらないだろう。
「じゃぁ次だ。なんで君は此処に居たんだい? 単なる遅刻かな?」
「ああ、目が覚めたらもうアウトだった。初めてあんなに広々とした電車の座席を見たよ」
「良かったね……さて」
そう言うと彼は小さく咳払いし、じっと俺を見つめる。
「本題といこうか」
「ああ、なんだよそんなに改まって?」
「いや、この話はとてもシビアだから気を付けてほしい」
そう言って彼は目だけで周りを見渡す。俺は釣られて周りを見て気が付いた。
(? なんで俺が注目されているんだ?)
確かに遅刻はしたことで、何してんだコイツと言った具合に見られることはあるだろう。だけどそんなのはすぐに飽きられて終わる。精々目の前のこいつが俺を少しからかうぐらいのそんな行為なはずだ。
(もしかして俺が捜索願出されてたのをきいたのか?)
実を言えば俺が家に帰って真っ先にした事は捜索願の解除である。それも致し方ない。1ヵ月も音信不通になれば、子供を残し出張にいった親も、さすがに心配になるだろう。家に帰って妹が涙をためていたのを見て、すこしだけ罪悪感が生まれたが、あれは事故みたいなもので俺のせいでは無い。心配かけたのは……悪かった。
その後すぐに捜索願を解除するために警察へ連絡しようかとも思ったが、貰ったばかりの細流先輩の連絡先に電話した。それは功をなしたようで、すぐに捜索願が解除され、今後どう振る舞えばいいかを先輩に教えてもらえた。
今思えば家が大変になっていることぐらい簡単に想像できたはずだが、なんでその話を魔法ギルドで細流先輩がしなかったのかは謎だ(俺も忘れていたから強く言えないが)。
「……話を聞いているかい?」
「ああ、すまん。聞いていなかった。なんて言ったんだ?」
「君が休みの間に何があったかを聞いたんだよ?」
あたりまえの事であるが、『魔法』や『ヴォーア』に関しては一般人には秘密だ。口に出す事は出来ない。
「何も無かったぞ、スマホは壊れてしまったけど」
「ダウトだね。まず君が君じゃなく感じる。大人の階段でも登ったのかい?」
「ずいぶんネタが古いな……。大人の階段なんて登りたくなくても勝手に登っているもんだろう?」
「まぁ、そうだけどね。あまりにも君が君らしく無く見えたから。それに…………生徒かい――」
と、そんなこんなをしているうちに教師が教室に入ってくる。先生の顔を見るに最初は数学のようだ。
「あとで詳しく聞かせてもらうからね?」
だから、何の話だよ、そう思っていたけど授業終了後にそれは分かった。