11
玉響 花香 (たまゆら かこう) 語り手。日本刀を持つ長身の女性。
細流 瑛華 (せせらぎ えいか) 湊の学校の生徒会長。
柳原 皐 (やなぎはら さつき) ○学生にしか見えない少女。
その男性は10代後半の日本人だろう。黒い髪、黒い瞳。服装以外はどこにでもいる普通の学生のように見えた。
「着地するぞっ!」
彼がそう言った瞬間に、私に地面に向かって圧力がかかる。落ちるのか? と一瞬思うほどの圧力だったが、私は地面にぶつかることは無かった。
圧力が消えて少しして彼は大きくため息をつく。そして私の前に手をかかざすと、見覚えのない魔法陣を手の前に作りだした。
「蝕むその呪いを払いたまえ、解呪!」
すると私の周りに私の体から淡い光の粒が浮かび上がる。私は温かなその光に包まれていくにつれ、だんだんと意識が覚醒していくことが分かった。
(温かい。ああ体中に力が満ち溢れてくる! あれ、ちょっとまって、わたしは…………!?)
そして意識が覚醒して分かった事がある。私はその男性に抱えられていてそして、私の腕はその男性の背中にしっかり回していたことだ。
つまり私は彼に所謂お姫様だっこをされていた。
「え!? あ……!? きゃぁ!」
思わず柄にもない悲鳴をあげて彼の体をつき飛ばす。顔が燃えるように熱くて、思考がまとまらない。
「あ、す、すまん。何か失礼してしまったか?」
そう言われて私は両手で自分の体を抱きしめ、ぼうっと地面を見つめる。
(わ、わわわ私はいま……な、なななナニをささ、されていた? おおおおおおおおおおお姫様だっこ? うううう、うそだ、ああああ、私がお姫様だっこだなんて)
「だ、大丈夫か? それよりも土蜘蛛はまだ健在だから、倒すのを手伝ってほしいのだが」
私は彼の土蜘蛛と言う言葉を聞きハッと意識が戻る。視線を蜘蛛に向けるとそこには細流先輩といつの間にか合流していた皐先輩が蜘蛛に魔法を発動しているところだった。
私は大きく深呼吸する。
「す、すまない。助けてくれて、その、かかかか、感謝している」
「いや、気にするな。それよりも行けるか? あの蜘蛛を倒すには君の居合切りがぜひとも欲しい」
「あ、ああ」
「……本当に大丈夫か? なんなら休んでいても大丈夫だが」
「い、いや、大丈夫だ。それよりも私はさっきまで何が起こっていたのだ?」
(まるで地面と空が回転しているかのような感覚だった。思考はまとまらず、立つこともままならず、吐き気がこみ上げた)
「ああ、アレは土蜘蛛の呪いだよ。アイツは自らの血をわざと相手にかけて呪いをかけるんだ。気持ち悪かったはずだが」
どうやら私の予想した通りあの蜘蛛の血が原因で意識がもうろうとしていたらしい。
「防ぐ手立ては、その血を浴びないことか?」
だとすればとても戦いずらい。血を浴びずにどうやって斬り飛ばせばよいのだ?
「そうだ。だが、前に出て戦う剣士には、どうしても浴びてしまうこともあるだろう。だからこれを」
彼は自分の胸元から藍色の宝石を取り出す。それは彼が首からかけていたもののようで、彼はそれを自らの首から外し私に投げる。
「それを付けろ。俺の使っていたやつで申し訳ないが、その、我慢してくれ。簡易的な呪いは跳ね返してくれる。でも強い呪いは跳ね返せないからそのつもりで。大量に血を浴びたらアウトだ」
私はキャッチしたそれをじっと見つめる。その藍色の石には何やら文字が刻まれていたけれど、あいにく私には読めない文字だった。
「貴方は無くても大丈夫なのか?」
「ああ、俺には仲間からもらった奴があるから気にするな。それよりも早くつけろ。彼女達の援護に行くぞ」
私はすぐにその宝石を首からかけると、彼も首にネックレスを付ける。それはやけに華やかな装飾の付いたネックレスだった。
「それで土蜘蛛に関してだが、あいつの体は何度切っても再生する。戦ってて気付いたと思うがな。で、狙うのは首だ。頭を落とせ」
「しかし、頭を落とせと言ってもそんな隙が見当たらない……」
「ソレは俺が作る。っとヤバいな。あの土蜘蛛、二人の足元に魔力を送ってやがる。なぁ君はあの小さい女性の方に行ってくれないか? そして彼女とすぐさま東に逃げてくれ、さっきの針が来る。俺は会長、じゃ伝わらないよな……あの銀髪のエルフの方に行く」
(小さい方? それは皐先輩の事だろうか? だがそうなるとエルフとは誰だ? そっちに居るのは細流先輩しか居ない)
私はぶんぶん首を振り、皐先輩を見つめる。
(いやまて、私は何を考えている。そんなことは後だ。今は皐先輩の元へ行こう!)
私は駆けだした彼を見てすぐに行動を開始した。
私が皐先輩の所へ行くと、先輩はちょうど魔法を放ち終わったようで小さく息をついていた。彼女は私に振り向くと目を丸くする。
「花香ぉ! あんた無事!?」
「はい、先輩、それよりも急いで此処から離れましょう!」
私は先輩の手を引き、彼を信じてそこから東へ駆けだす。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ!?」
「針が来ます!」
私たちがかけだした3秒後だった。皐先輩の足元から針が出現し、その針が電信柱を貫通したのは。
「……」
皐先輩は言葉を失って、顔は蒼白になった。移動しなかったらひとたまりもなかっただろう。私は視線を男性の方へ向ける。
その動きはまるで忍者だった。荒れた地面を意にも返さずように縦横無尽に駆け回り、山のように積まれたがれきを楽々跳躍し、細流先輩の元へ向かう。
「そこのエルフ! お前の右手側に全力でとべぇぇぇー!」
彼の声を来た細流先輩は驚いた表情を浮かべながらも、その場から飛びずさる。するといくばくもせずに細流先輩の足元に針が出現した。
(エルフ? 細流先輩はエルフと言う言葉に反応した?)
「あ、アイツ何ものなのよ?」
「分かりませんが、とりあえず味方なのは確実でしょう。私も助けられました」
そう言うと先輩は小さく笑った。
「はっ、お姫様だっこされてたものね!」
失敗したなと、私は思った。彼女は一つ弱みを握ると嫌になるぐらい弄ってくるのだ。とりあえず今は話をそらしておくが、後で色々と言われるだろう。後が有ればの話ではあるが。
「ん、先輩。蜘蛛の様子が」
私は蜘蛛に話を変える。すると先輩はそっちを向いて小さく舌打ちをした。
「チッ。またあの糸ね。瑛華は大丈夫かしら」
「……大丈夫でしょう。彼がいますし」
おっ、と言いたげな表情で皐先輩は私を見つめる。私は先輩の表情に気が付かないふりをしながら、その男性と先輩を見つめた。
細流先輩は魔法を詠唱しているようだった。だけど蜘蛛はその魔法が発動する前に糸を吐きだす。先輩は魔法を一旦キャンセルし避けようとしていたが、男性の声を聞いて詠唱を続けた。
その男性は何かを投げたようだった。私は目に魔力を集め視力を強化すると、彼が投げたそれを見つめる。
強化した視力で見えたのは、忍者が使ったとされる武器『クナイ』であった。彼はそのクナイは細流先輩の前方に投げる。それはありえないことにコンクリートに突き刺さると、その場所に大きな魔法陣が浮かび上がった。
(クナイの所に魔法陣!?)
「――――切り裂け、風陣!」
彼が叫ぶとその魔法陣はすぐさま発動し、その蜘蛛の吐き出した糸を吹き飛ばす。そして彼の魔法が消えたと思った瞬間、細流先輩の魔法が発動した。
「ヅォルツヴェイグ!」
私は生み出された氷の刃を見ながら、ある事に気が付いて一人小さくうなづく。
(今のうちに近づいてしまおう)
蜘蛛は二人に夢中だ。私は簡単に近づくことが出来るだろう。このチャンスは生かさないともったいない。
(そうときまれば早速行動、か)
「皐先輩」
「なによ?」
「援護をお願いします」
「……仕方ないわねぇ」
そう言うと皐先輩はにっと笑うと私の背中を叩いた。先輩はすぐに魔法陣の構築をはじめる。私はソレを見て駆けだした。
細流先輩の氷の刃は蜘蛛の足を一つ吹き飛ばしたようだけど、それはほぼ無意味だった。それは瞬時に回復したからだ。だけど分かった事もある。それはあの蜘蛛は傷の大きさによって回復する時間に差がある事だ。私の『居合 ― 瞬 ―』で与えた大きな傷のときは何秒もかかったのに対し、足を一本しか飛ばせなかたった先輩の攻撃や、私の最初の攻撃は一瞬で回復だ。
(ならば、より多くの傷をつけることで相手の動きを止めることが出来る)
そう考えながら、刀の鞘に魔力を込めていると男性から大声が飛んでくる。
「剣士ぃ、そのまま魔力を貯めてろ! 時間を稼ぐ!」
「ああ、トドメは任せてくれ!」
私がそう言うとその男性は蜘蛛の前に飛びだす。そしてクナイを逆手に持ち、迫りくる蜘蛛の足を切り捨てた。
私は思わず彼に目を奪われる。彼の動きは完璧と言って良かった。足で引っ掻こうとすれば彼は身をかがめたり、体を左右に振って最低限の動きでかわす。そしてすぐさま反撃をする。蜘蛛が糸を吐こうとすれば後退し、クナイを投げ風の魔法をとなえる。不意に彼がその場から大きく跳躍すれば、彼の足元に針が飛びだす。
彼はあの蜘蛛を文字通り圧倒していた。危なげは全く感じない。もはや彼一人で勝てるのではないかと錯覚してしまうほどに。
蜘蛛は自分が不利と見たのかお尻から糸を出し、マンションにその糸を巻きつけると大きく跳躍しマンションへ飛んで行く。その蜘蛛の行動は私にとって驚愕だった。信じられないことに彼はあの化け物蜘蛛を後退させたのだ。
「させない! ヅォルツヴェイグ・エヴェリヴァイツ!」
逃げ出す蜘蛛を止めたのは細流先輩の魔法だった。先輩は斬ることに特化された氷の刃をその蜘蛛の糸に向かって飛ばす。光を反射するその美しい刃はその蜘蛛の糸に向かって一直線に飛び、あの硬い糸を切り裂いた。
それと同時に私の体の魔力が活性化し、体中から力が溢れだすのが感じられた。どうやら皐先輩の支援魔法が私にかかったようだった。
地面にドスンと落ちる蜘蛛。男性はそれに向かって幾つかのクナイを投げつける。
蜘蛛の四方にそのクナイは突き刺さると、その4つのクナイを通過するように一つの大きな円が描かれる。そしてクナイを結んだ線が大きく光り輝くと、その円を中心に大きな魔法陣が浮かび上がった。
「――――――――斬り裂け! 疾風迅雷!」
彼が魔法を発動すると同時に幾重もの風の刃がその魔法陣の中で発生する。
その刃の力は規格外だった。切り裂く竜巻とでも表現するのが正しいだろうか。風に囚われ身動きが出来ないのに、白く発光する光の刃が蜘蛛の体を削っていく。私の知っているどんな魔法にもあれほど殺傷力があるものは知らない。
「――――!」
その蜘蛛はたまらず声を漏らした。致し方ないだろう。彼の刃で足は何度も引き裂かれ、体の肉は抉られているのだ。あの異常とも言える超再生が、まったく追いつかないほどの速さで。
「剣士ぃぃ!!」
私はその男性の声を聞きつつ魔力を鞘に集める。そして彼の魔法が消えた瞬間、蜘蛛に向かって大きく一歩踏み出す。そのとき蜘蛛と私の目がしっかりと合った。でもそれは一瞬だ。
居合 ― 瞬 ―
その目にもとまらぬ刃は、既にボロボロだった蜘蛛の頭を吹き飛ばす。私の腕には重たい肉を断つ感触が残った。
私が振りかえるのとほぼ同時に、ごとりと蜘蛛の頭が地面に落ちる。するとあろうことか、その斬られた首の部分の肉がぐにゃぐにゃと動きだした。
(まさかまだ再生するのか!? そんなの聞いてないぞ!?)
余りの気持ち悪さに私は吐き気を催しながらも刀を鞘に戻し、次の居合に備える。だけどそれは不要だった。むしろ早くその場から逃げ出すべきだった。
プシュ、と何かから空気が漏れる音がする。それは蜘蛛の首からだった。
瞬間、紫色の液体が首から溢れだし、私の体中を紫色に染めた。
「ううっぅ!」
体液を浴びた私は、体中から香るその腐食臭に吐き気がこみ上げる。それだけじゃない。先ほどみたいに天地がくるくると……。
私は手を口に当てて堪えようとしたけれど、それは逆効果だった。手にはその蜘蛛の体液が大量に付いていたせいで、より多くのその毒を吸い取ってしまったからだ。
不意にふわりと体が軽くなる。どうしたのだと思って顔を上げて分かったが、どうやら私はまた彼に抱えられたみたいであった。
(だめだ……吐く)
おろしてくれ、と口を閉じたまま彼の体をゆする。
「もう少し頑張れ」
彼はそう言って少しすると、どこかに私を下ろし背中をさすってくれる。どうやら彼は水路の所まで私を連れて来たらしい。私はすぐさま手を離し、胃袋の中にあったものを吐きだした。
手にはあの気色悪い感触が未だ残っていて、それを意識した瞬間に今度はあの刺激臭が私を襲う。
体が震える。頭の中にはあの気色悪い蜘蛛の顔が浮かびあがり、その黒と黄色の目が私をじっと見つめる。それだけじゃない。空と地面が目まぐるしく入れ替わるような感覚が私を襲う。
彼は汚物を巻きちらす私に対して嫌な顔せず、何も言わずさなかをさすってくれた。そして何らかの魔法も私にかけてくれたようだった。多分さっきもしてくれた『解呪』の魔法だと思う。
私が落ち着いたころ、彼は灰色の手ぬぐいと、竹で出来た水筒のようなものを私に差し出す。私は水筒で口と手を洗い、手ぬぐいで顔を拭う。
「みっともない所を見せてしまった。それにこの手ぬぐいだって汚してしまって。すまない」
もう泣きたかった。あんな人として最低な姿を男性に見せてしまったのだ。もう嫁にも行けないほどだ。
「いや、気にするな。むしろそのぐらいで済んで羨ましいぐらいだ。俺が初めて魔物と対峙した時は、即気絶してナズナ、えと14歳の女におんぶされて村まで戻ったんだぜ?」
「そう、なのか?」
「しばらく村の笑い物だったさ。お前はあんな魔物と戦うのは初めてなんだろ? なら仕方ないさ、むしろ良くやったと思う。それにあの居合は見事だった。おかげで被害が少なくて済んだ」
「そう、言ってくれると助かる」
私はなぜだか彼の顔をじっと見ることができず、顔をそらす。そして視線をそらした先、彼の服を見て私は驚いた。私の汚物で汚したのか、私の体に付いていた蜘蛛の体液で汚したのか、出来たばかりの汚れがついていたのだ。私は思わず『あっ』と声を漏らしてしまう。
「どうした?」
「本当に申し訳ない。お前の服を私が汚してしまった……」
穴があるなら入りたかった。私は彼にどれだけ恥ずかしくて最低な姿を見せ続けなければならないのだろう。
「ははっ。なぁに、気にするな」
そう言って彼は笑いながら魔法で水を作りだすとその汚れを洗い流す。彼にとってはついていたほこりを払う程度とでも考えているのか、気にしているようすは全く無い。
「お前も軽く土蜘蛛の体液を流しておいたほうがいいぞ。それと……残念だがその服は捨てるしかないだろう。匂いは完全には取れないから」
私は全体的に紫色になった服を見つめる。多分今もなお私は腐食臭のような匂いを放っているのではないだろうか。それも鼻が曲がりそうなほどの。
私の鼻はマヒしてしまっていて、正しく匂いを感じ取れていない。しかし確実ににおう筈なのだ。だけど彼はそんなことはおくびにも出さない、それどころかにっこり笑っているではないか。
(この人は、凄いな。強さも、人間としても)
私の率直な感想だった。心の奥底で何か熱いモノが溢れ出てくるような気分になった。それは明らかに魔力では無い。別の何かだった。
(なんだ、この感覚?)
今までに感じたことのないこの不思議な状態。彼の顔を見ていると、体が温かい何かに包まれるような……強いて言えば幸せのようなものにだろうか。私は自分の体に起きている異変に動揺していた。
「さて、皆が来るみたいだな」
彼は立ち上がると私に向かって手を差し伸べる。私はその手をつかむと彼は私の手を引いて立たせてくれた。そして立ち上がった後、彼はなぜか困った顔をし私を見つめる。
(彼はどうしたのだろうか? そんな困り顔で)
「花香。あんた、見せつけてくれるわね」
出会い頭に皐先輩から言われたのはそんな言葉だった。私は何を言いたいのか分からずしばらくぼうっとしていたが、細流先輩が教えてくれた。
「花香、手。そちらの方も困っているようだが……?」
(手って、私の手はいま彼の………彼の!?)
ハッ、として私は手を離す。そして顔を三人からそむけ俯いた。
私は立ち上がってからずっと彼の手を握ったままだった。それだけではない。皐先輩が声をかけるまで、私は彼の顔をずっと凝視していた。私の顔がまたまた上気していくのがわかる。
「珍しい姿が見れたな……私はこんな花香を初めて見たぞ」
「あたしもよ。学園では生っっ真面目なお嬢様にしか見られてないしぃ」
と私を見つめながら先輩達は口々に何かを言う。だけど私は顔を伏せていることしかできなかった。
「えと、そろそろ本題に入っていいだろうか? 色々と聞かせてほしいんだけど」
「ふふっ……ああ、すまない。いいぞ。まず何から始めようか?」
笑っていた細流先輩は彼の言葉に頷く。私も彼について色々聞きたい事がある。もちろん彼について大体のことは推測できるが、どれが正しいか分からない。それも彼の話で全て分かるだろう。
「俺としては情報のすり合わせがしたい」
「情報のすり合わせ?」
細流先輩が首をかしげながらそう言う。
「ああ、皆が学生な時点で最悪には至っていないと思うんだけど」
「どう言う事でしょうか?」
私は火照った顔を仰ぎながらそう言う。
(私たちが学生な時点で? 確かに私たちが今着ているのは制服で、学生だと分かる。だからなんだというのだ?)
「説明……はもちろんする。だけどとりあえず教えてほしい、俺にとってはとてつもなく重要な事なんだ」
彼は真剣な顔でそう言うと、私たちもその緊張が伝わり、皆の表情がひきしまる。
「今は西暦何年何月何日だ?」
……。
彼から出された言葉は不思議なものだった。なにか凄いことを聞かれるのかと身構えていた私たちの肩ががくりと落ちる。
「え、ええ……2030年8月31日よ?」
気を取り直しながら細流先輩はそう言うと彼は口元に手を当て何かを考え始める。
『まさか……?』やら『たった1か月ほど?』やら『まぁ時間の流れが違うのだしありえるか』と呟く。そして彼は何かに思い当たったようで、悲痛な声で『ああー』と叫んだ。
魔物と対峙しているときには見せなかった苦痛に満ちた表情を浮かべ、頭を抑えながらその場に崩れ落ちる。
「てことは明日から学校じゃないか! 夏休みの宿題真っ白だよ!」
あまりに斜め上すぎる言葉に、私と先輩達はほうけた表情で彼を見つめてしまった。