第二幕「ドライブ」
「また増えた」
桜田琴乃は辟易した。
帰宅したら、隣の部屋から生活音が聞こえ始めている。つい朝までは、静まり返っていた実質上の空き部屋だったはずだ。
確かにネームプレートは『エルク・ニュー・ランド』というのがあったが、新島によれば当分帰ってこないとの事だった。
帰ってきているではないか。
入寮して、一週間後に。
「多いほうが良くない?」
「うわっ!」
ゆっくりとベッドに腰掛けた瞬間に、横から声がかかった。
慌てて飛び退くとカナの姿があった。淡い桜色の、頭髪を触腕にして吸盤さえもつけている『化け物』だ。
「か、勝手に入らないでくださいよ!」
「だって、ニイジマが早く慣れるように優しくしてやれって」
「心臓に優しくお願いします」
「わがままだなあ」
どっちが――言いかけて、琴乃は短く息を吸い込む。ここで怒り心頭しても、意味が無い。関係が今以上に悪くなるだけだ。
彼女らに悪気はない――ベッドがカナのせいでベトベトになっているが、悪気はないのだろう。多分。
「コトちゃんは、それで友達いるの?」
「よっ、余計なお世話ですよ。人の友達なら、ちゃんと居ますから」
「ならいいんだけどね……あ、ニイジマにお手伝い頼まれてたの忘れてた。ちょっと行ってくるね」
「ええ、ごゆっくり」
カナは告げると歩き出し、そのままドアの隙間から身体を平たく潰して出て行った。なんだかファンタスティックな映画に出てきそうなシーンである。
「今日はお夕飯いいや……」
琴乃は制服をハンガーにかけて部屋着に着替えると、そのままベッドにうつ伏せのまま倒れこんだ。スプリングが良く効いて幾度か弾んでから、身体が沈んでいく。その感覚だけに意識を落として、意識を闇の中に引きずり込んでいった。
だというのに、気がついたら椅子に座っていた。
桜田琴乃の処理能力を明らかに越えた現象だった。
眠っていたはずなのに、食堂の椅子、しかもお誕生日席に座らされている。
右手には手前からユリ、カナ。左手にはアーニェ、そして。
「君には初めまして、だよね。あたしはエルク。この寮の最古参だから、もし他の連中にわからないことがあったら訊いてね」
いかにもお姉さん、といった風貌の女性。耳が横に長く尖っている点を除けば、極めて人に近い姿。
豊満なバストはユリほどに至り、さらにその身体は良く引き締まっている。身体に張り付くようなスタイルを浮き立たせるノースリーブのシャツ姿は、ただそれだけで隠微だった。
褐色の肌に、銀髪が良く映える。
涼し気な目元に、穏やかに笑む口元が優雅さを際立たせる。
まともな人だ、と彼女は思った。
憧れのお姉さんだ。
「よ、よろしくお願いします!」
がた! と椅子から立ち上がって頭を下げる。長い黒髪がテーブルの料理に掛かりそうになったところを、すかさずカナの触腕が皿を掠めとって回避した。
「ナイス」
新島が賛美の拍手を送り、にへら、とカナが笑う。
琴乃が座るのに合わせて皿が戻る。彼女はそこでようやく気がついた。
夕食のメニューが、いつもより豪華なのだ。
彼女の好きなエビチリ、エビピラフ、エビフライを始めとして、中華料理、洋食を中心にさまざまな料理が木製の広く長いテーブルいっぱいに広がっている。
「ユリさんはご飯も食べるんですか?」
「菜食主義とか草食じゃなくて、ただの好物だからね」
自分の取り皿にステーキやオムライスを取り分けているユリ。その正面の大蜘蛛が、割って入ってきた。
「コトノちゃん、あたしもダイジョーブなのよ。だってエビって知ってる? 尾の食感ってゴ――」
ごす! と鈍い音が響く。アーニェの頭頂部に肘が叩きこまれて、その勢いでアーニェは額をテーブルにぶつけていた。
「やめなさい」
エルクがたしなめると、まるで痛みを感じないようにアーニェが顔を上げた。
「てへ」
紫色の舌をのぞかせる。琴乃はそっと視線だけを逸らした。
そんな騒々しい場を締めるのは一発の銃声。
「……やば」
煙が上がる銃口を見て、琴乃は単純に徒競走などで使われるピストルなのだと認識する。また新島は空砲だと思い込んでいたのだが――弾丸は入っていた。天井に空いた小さな穴を一瞥してから、大きくため息を吐く。
「アーニェさん、あとでお願い出来ますか」
「いいよ!」
「あざーす」
改めて拳銃を収め、手をたたく。
「みなさん、本日はようやく寮生が全員揃ったということで、新入りである桜田琴乃の歓迎会を催したいと思います。この寮では基本的に雑務の全てを僕が引き受けているので、こういった催し事には諸々の事情を除いて強制参加とさせて頂きます」
いえーい、とカナのアーニェが乗り気の返事とともに、腕を突き上げる。エルクは微笑みながら、ユリは真顔で拍手をする。
当人である琴乃は、わけがわからないと言った様子で、隣に立った新島を、そしてこの席に参加した(させられた)面々を見て、さらに料理を眺めた。
なんてことだ。
あんな悪態を心のなかでついていたというのに。
ここまでしてくれるなんて。一ヶ月くらいして、他の所に行こうと思っていたのに。
それに、
「わ、私……」
ここまで優しく、自分を受け入れてもらえたのなんて、初めての事だ。
「と、とっても……あの、すごく」
顔が赤くなるのがわかる。ひどく頬がほてって、いっそのこと涙も出てしまえばいいのに、と思う。
「嬉しいです」
琴乃の言葉に、一同が表情を緩める。
「ありがとうございます。これから、もっと、管理人助手としても、頑張ります……ので、あの。よろしくおねがいします!」
琴乃の挨拶の余韻を飲み込むように、彼女らは歓迎を表す拍手の豪雨で空間を飲み込んでいった。
その盛大な拍手を皮切りにしておしゃべりが始まり、久しぶりの全寮生揃った食事会が開始した。