4.事案発生
「なにこれ」
気怠げに大あくびをしながら、ユリ・フォウリナーは住宅街を歩いていた。
授業は午前で全てが終了。特に担任を受け持っているわけではないから、これにて帰宅だ。これで給与がニ六万円も頂けるのだからこれほど旨い話は無い。
うち五万が異人種手当として充てがわれている。
儲けものだ。こんな簡単な仕事で――いっそ軍時代と同じスパルタな訓練をしていてもいいくらいのものなのだが。
「……事故? 物騒ねえ」
電柱の土手っ腹が黒ずんで、僅かに傾いている。ブレーキ痕すらないのはちょっと妙だが、居眠りでもしていたのだろう。
飛び散った破片や形跡から見て、けが人はゼロ。運転手は本当に居たのかどうかすら気になるくらい、血痕がない。
そして電柱には、妙な張り紙がしてあった。文字が小さいため、それを覗きこむようにユリは電柱へと近づいて、
「……っ?」
背後からけたたましいクラクションが鳴り響いた。
振り返った先には、路地のように狭い往来いっぱいに広がる大型のトラック。ライトをハイビームを焚いる。
目が潰れた。視界が消え、急遽肌に触れる圧迫、緊迫感だけが膨張した。
瞬時に『術式』を展開――脳内で描いた円陣が外界に触れるが、距離も、座標も、確認できない。設置できない。回避できない。
「ユウ――」
刹那に、胴体に何かが巻き付いた。ウインチが作動したかのように肉体が急激に引き上げられ、大地から剥がされていく。
馬蹄スレスレ位置でトラックが通り過ぎた。そこから少し過ぎた曲がり角で塀に衝突し、轟音があたりの全てを引き裂いた。
粉々になったコンクリートが付近に撒き散らされ、幾つかの民家の窓が割れる。
一戸建ての狭い庭で停まったトラックは、そのまま動かなくなる。
「一安心、ですね」
近くで青年の声がした。
見あげれば、宙吊りになるユリを見下ろす新島。彼は電柱のてっぺんで、腕を組んで立っていた。
「……なにしてんの、あんたらは?」
電線の上で器用に立つアーニェ。ユリを彼女の糸で捕まえているから、電線は今にも引きちぎれそうな勢いでたわんでいた。
「お助け屋アーニェここに創立! 結構いいんじゃないですの? 上下市限定で依頼方式でやってみれば」
しゅるしゅる、とユリを地面に下ろす。彼女はその隣に着地した。
「いいんじゃないの」
まだ泡立つ肌を擦りながらユリは答えた。気のない返事だが、アーニェは目を輝かせて空を仰ぐ。
目線の先には電柱に投げ縄の先についてそうな鉤爪を立てて降りてくる新島。あまり勢いは殺しきれず、電柱を蹴り飛ばして路上に着地。そのままでんぐり返しで完全に衝撃を受け流して、大きく息を吐いた。
「目的は分からないが手段が見えた」
男は、くいっとメガネを押し上げる。
「過激派テロだ。敵は単独。手段は交通事故に見せかけた殺人。対象は無差別、だが異人種限定」
佐戸からの情報は合っている。これまで二度ほど起きた事故だが、二度目はあまりにも短絡的すぎる。まるで、新島の身内から狙い始めたかのようだ。
そいつを確認できるのは……。
「――私が糸で、振動から不審な動きの車両を特定したのよー」
アーニェが自慢気に、嬉しそうな笑顔で告げてくる。後ろ手を組んで上目遣いで見上げてくる少女を見て、ユリは「あ、そ」とだけ返した。
愛らしいものだが、この箱入り娘のオツムはどうにかならないものだろうか。新島よりいくつ歳が上だと思っているのだろう。
「それで? 犯人は?」
ユリはやや乱れた身なりを整えてから訊いた。
新島は彼女を一瞥してから答える。ニヤリ、と頬が緩んでいた。
そのニヤけ面が妙に安心できる。こいつならやってくれる、そんな気が――
「僕がやるよ」
「どうやって?」
「今日でちょうど一週間――琴乃以前の、四人目の入居者が帰ってくる日だ」
「他力本願じゃないのよ」
しなかった。脆くも儚く、蹴り砕かれた。
呆れたように言って肩をすくめ、ユリは帰路へとつく。
アーニェはその後に続き、新島は警察に事故のことを連絡してからその場を後にした。