3.問題と対策
「お、新島さーん?」
寮の近くの公園で、ちょうど声を掛けられた。少女のような高い声に振り向くと、それとは対照的なカサカサとした足音が聞こえてくる。
「アーニェさん」
黒と黄色の縞模様の蜘蛛部分を器用に動かしながら、常人の数倍ともあろう移動速度で迫ってくる。ニ、三十年前のホラー映画にありそうな一場面だった。
「今お帰りですかぁ?」
「お帰りなんですよ。アーニェさんも早いですね、まだ昼前ですよ?」
散歩に出かける彼女は、いつも昼下がりに帰ってくる。近くの喫茶店を行きつけにしていて、そこで昼食をとっているらしいのだ。
「だって聞いてよニィージマさん!」
ちょっと興奮した様子で、彼女は鼻息荒く身を乗り出した。
「どうしたんです」
「原付が突然突っ込んできたんです! 電柱に! ひとりでに!」
ほう、と新島が唸った。
適当に何も考えないで応対していた彼女の言葉が、不穏なものに感じて仕方がない。
「どこにです?」
「三ブロックくらい離れた、住宅街で。街の奥様方が、ひどく怯えていましたよ」
彼女はさらに続けた。
原付の特徴は、ベージュ色でナンバーが2140となっているのだ、と。
2140……当て字でニイジマ、とも読めるソレは、まごうことなき新島のスーパーカブだった。少なくともこの話だけでも、あまりにも特徴が似通っている。
加えて、『突然突っ込んできた』という事故。
佐戸から聞かされていた、共通の事件である。
盗難車が暴走し、事故を起こしている。そのことごとくが追突であり、運転手の姿は最初から無かったように確認されない。
「アーニェさん的には、どう見ます?」
この世界に比べれば恐ろしいほど物騒で奇っ怪な世界で生まれ育った少女だ。とはいえ、新島より遥かに年上なのだが。
彼女の意見は貴重である。犯人が異人種であると断定する限り、判断材料は同じ異人種由来のものの方がいい。
「そうですわね」
指で唇を押し上げるようにして考える。
「相手の身体能力は尋常じゃない、と見るに人間じゃない」
「小耳に挟んだ情報ですが、似たような『暴走車』による事故は、最近多いらしいですよ」
二人はゆっくりと寮へと向かう。やがて、館のような真っ白い建物が見えてきた。
アメリカのホームドラマに出てくるような広い庭。侵入者を断固として拒む鉄柵はゆうに三メートル以上はあり、その先は鋭く尖っている。
「私は回避できたけど、あれは間違いなく人を狙った犯行ですわね」
「はい」
その鉄門を抜けて、玄関へ到着する。筒状の先に複雑な長方形の歯が付いたスケルトンキーを取り出し、鍵穴に押しこむ。同時に電子制御にアクセスし、鍵を捻る前に解錠した。
「そこに何らかの意味があるのか。私は聞いたことがない。愉快犯か、何らかの儀礼的な意味があるのか……どちらにしろ、放っておくわけにはいきませんわ」
玄関から中に入れば、広い玄関ホール。リノリウムの床はベージュで暖かな印象を与え、正面には幅広の階段。吹き抜けの二階は回廊になっており、総数八部屋の個室がそこにある。
「新島さんも手伝ってね?」
「なぜです」
「管理局でしょう?」
「……百歩譲って、何をするつもりですか」
食堂へとアーニェを勧め、冷蔵庫からオレンジジュースを出してコップに注ぐ。
テーブルの前に座り込む彼女に渡すと、それを一気に飲み干した。
「ぷっはぁー。おいしーですわぁ」
「そいつは良かったです」
「一つ、妙案が思いつきましたのよ、新島さん」
「それは、どんな?」
荷物をしまうのもそこそこに、新島はコーヒーを片手に正面の椅子に腰掛けた。
蜘蛛女は悪戯っぽい、故に捕食者特有の怪しげな笑みを浮かべて、言った。
「首なしライダーってご存知?」
唇から覗くあまりにも長く、あまりにも尖すぎる犬歯が、一段と危なげに輝いた……ように見えた。