1.平時のもつれ
食事も終わって、琴乃を含む三人はいよいよ外出の支度が完了した。
時刻は午前七時五○分。
モン・ステア学園まで徒歩十分程度の距離だから、この時間に出ても早いくらいだった。
「いってらっしゃい。今日も頑張ってくださいね」
エプロン姿の新島は、玄関先に並んだ三人を見た。
春先の穏やかな空気の中で、その身体の線を浮き彫りにするセーター姿のユリ。彼女は上に紺色のジャケットを羽織り、様々な書類や教材の入ったトートバッグを肩から提げていた。
彼女は一応、教員ということで学園に通っている。教科は体育で、生徒からの人気は高いようだ。
「行ってくるねー」
カナは淡い赤の身体を白のシャツと黒のブレザーを着用している。胸元には大きめのリボンがふわふわしており、スカートの下には境界を見せないほど深く履いたニーソックスがしなやかな足の線を見せた。
カナは高等部の一年。彼女の性格から見て、交友関係もそう悪くはないようだ。
問題なのは、
「い、行ってきます……」
元気なく答える琴乃である。
カナと同じ背格好の少女は、それでも高等部の二年生。
つい一週間ほど前から厄介になっている彼女はただの人間である。モン・ステア学園寮としての異例は、家出少女というワケありから例外的に認められていた。
「ああ、いってらっしゃい」
三人は軽く手を振りながら外へ出た。
琴乃の事が心配だが――寮長として手を出すには、まだ早い。殆ど彼女については知らないのだ。
一週間ほど前に保護して、水曜日からアラスカ――あの悪夢の大戦が行われた土地にて模擬戦を行い、ようやく日曜日に帰ってきた。その間はお手伝いさんも呼んで手伝わせたが、問題はあまり無かったらしい。
「ま、それは別として……」
まだ疲れは残るが、寮長としてもやることは少しある。
下着類などは各自が自室で洗濯しているが、洋服はどうしても溜まりがちになってしまう。それを新島が委託という形で引き受けて、洗濯を行なっているのだ。
食料の買い出しにもいかなければならない。
広い寮内の掃除も必要だ。これについては清掃業者を頼みたいが、どうにも不安が残る。
なにせ日中は問題児が一人、残るのだ。
「新島さーん?」
少女のような声を上げて、アーニェが彼を呼ぶ。
天井を見あげれば、ピンポイントで彼の居る地点へと降り注ぐ何かがあった。
反射的に身を翻して回避する。数コンマ秒後に、それは床に叩きつけられた。
八本の足がバネのように衝撃を吸収して、流れるような動きで決して止まる事無く動いた。閃く一本の足が、新島目掛けて飛び出してくる。
脳裏で、腿のホルスターに意識が行く。それを抑えつけて、新島は手を振り上げる。顔を背けるようにして攻撃を回避。頬の横を過ぎていく足を、手で掴みあげた。
「アーニェさん!」
成人しているわけではないし、モン・ステア学園高等部三年に籍を置いても居る。そんな彼女、アーニェ・アレイ・ハイムは保健室登校の問題児だった。
モン・ステア学園と言っても、異人種と人間で基本的に分けられている。だから異人種だけのクラス、人間だけのクラスとしてそれぞれが勉学に励むのだ。
分けられている理由として、主に学習能力の問題や、身体能力の差異などで大きく差が生まれてしまうことがある。学生間の差別問題は、無い……とは言いがたいものの、極限にまで抑えられている理想的な形といっても過言ではない。
ただ同じ敷地内にそれぞれの棟があるだけなのであるが、基本的に特別教室などの施設は共有しているし、普通に学園で生活していればすれ違うこともある。理系と文系のクラスが違う、そんなイメージである。
「そんな元気なら学園に、なんで行かないんですか」
「だって」
足を離して新島が言う。
「危ないとこじゃないですよ。いざって時に、ユリさんだっているじゃないですか」
アーニェは『巨扉』の向う側にある某国よりの留学生だ。しかも、ただの留学生ではない。
貴族様である。
新島が寮長になってから、ここの門を叩いた。その殆どの理由が、新島が管理局の人間だから、なのだろう。
もっとも、カナもあれで意外に新入生だ。そういった意味でも、この寮内でアーニェへプレッシャーになることは無いはずなのだが……。
「でも……」
「何か不安なことでもあるんですか?」
「うぅん……」
「アーニェさんなら大学からでも良かったんですけどね」
大学は、生徒が学校側に能力を合わせるということから、異人種も人間も同じ教室で同じ学習を受けている。
そういった学校は、世界でここただ一つだけなのだ。
「そ、それは……勘弁、して欲しい、かな」
「まあ、僕もあまり無理には勧めません。まだ五月ですから、ゆっくりいきましょう」
「新島がそう言ってくれると、安心しますわ!」
元気リンリンと答える彼女に、憂いの影一つもない。
少し頭も抱えたくなるものだ。
琴乃と同じようなもので、人間が苦手なのだろう――それと、新しい環境で、遊びまわりたいということもある。だけど人間が苦手だから、結局は寮に篭りきりの生活。
不憫なのか、どうなのか。
「それじゃあ、お散歩でもしてこようかしらン!」
どこから出したのか、小さなショルダーバッグを振り回しながら外へ出て行く。
新島は腰に手をやり嘆息しながら、その後姿を見送った。
洗濯物を星終わると、ちょうど業務用の携帯電話の液晶画面が光る。ディスプレイには『管理局』の文字。
呼び出し音が鳴るよりも早く、新島は通話ボタンをプッシュした。
「この電話番号は――」
『新島夕貴、俺だ』
「うっ」
てっきりいつもの担当者による定時報告の催促とばかりに思っていたが――聞こえてきた渋い男の声に、全身の細胞が戦慄した。
総毛立ち、ざわざわと髪の毛すら逆立っていく。
「も、もしもし! こちら新島夕貴、職員番号D36352――」
『知っている。だからお前の番号に電話したんだ』
この男は、彼が管理局に身を固め日本に戻ってきてから、あれこれと仕事を斡旋してくれた人間だ。担当者は、この寮を管理している民間の人間。彼は、管理局直属の人間。その違いだ。
悪ふざけは怒られる。ガキでもわかることだ。
『少し落ち着け。真面目な話だし、結果的にこうなってしまったが、俺は別にお前を左遷したわけでもない。追い打ちなどかけない……これでも感謝しているんだ。なあ、新島』
「佐戸さん……」
様々な込み入った事情が脳裏を駆け巡る。どうやらこの寮に来る前までの管理局の不手際に怒り心頭し、未だ溜飲が下がっていないと判断されたらしい。
都合が良い。新島は頬肉を釣り上げる。
佐戸はしばらく沈黙してから、ようやく口を開いた。
『本題に入る』
彼は言った。
『現在、その上下市の南部に、とある共通した事件が起こっているらしい』