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第一幕「ラン ワイルド」

 ぱたぱたぱた、と裸足で走り回る少女の姿があった。

 長い髪を、耳の少し上のあたりで纏めれば、二つの房が動く度に揺れた。

 小さな手で、目の前のドアを二度ノックする。

「おはよーございます! もうじき朝ごはんですよー」

 ドアには『ユリ』とカタカナで刻まれたプレートが貼り付けてある。彼女で――一番心臓にやさしい彼女で、間違いない。

 ややあってから、ドアの向こうで人の動く気配があった。

 がちゃ、と鍵が空き、ドアが開く。

「んぅ……おはよ。今行くから、先に行ってて……」

 透き通るようなプラチナブロンドは短く揃えられているが、柔らかさそのままにボサボサのまま固まっていた。

 頭の上に生えそろう耳も、今ではぐったりと倒れていた。

「わ、わかりました……二度寝、しないでくださいね?」

「わーってるわよー」

 たわわに実る胸を揺らして、彼女は部屋の中に引き返していく。

 美しい彫像のように引き締まったくびれ――の下は、馬の肢体。眠そうに揺れる馬の尾を、閉まったドアの向こう側に見たまま、彼女は暫く動きを止める。

 ユリ・フォウリナーはケンタウロスだ。

 人じゃない姿。

 でも普通の人より優れた容姿を持っている。

 異人種――このモン・ステア第3女子寮の利用者は、そんな人達ばかりだった。

 桜田琴乃さくらだことのは、正直言って異人種が苦手である。なぜ苦手なのか、と問われても、彼女は困る。

 ゴキブリやゲジゲジ、カマドウマを間近で見て平然としていられる人の方が少ないだろう。そういうことなのだ。

「……ふぅ」

 彼女は次に向かった。


 隣の部屋には、『カナ』のプレート。

「えげつない……」

 思わず本心が漏れた。プレートの横には、デフォルメされたタコがキュートにウインクしている絵が貼り付けられている。

 彼女は”そう“なのだ。

 琴乃は震える手を押さえつけて、ドアをノックする――瞬間に、見た。

 床とドアの隙間から、桜色の何かが顔を覗かせていた。

 ぎょろっと動く大きな眼球。黒以外の色を持たない瞳は狡猾に琴乃を捕らえ、そして捕食者よろしくニタリと笑った。

「ぎぃっ!」

 そんな悲鳴を上げて、少女は勢い良く後退る。背中はすぐに手すりの柵に打ち付けられて、彼女は吹き抜けの階下を垣間見た。

 鍵も開けずにドアから出てきた軟体生物は、苦笑しながら頭を掻く。

「ごめぇん琴乃ちゃん。いやマジ。驚いた?」

「お、おおお、おっ……驚いてないように、見えました?」

「だよねー」

 吸盤のついた大振りの房が四本頭から後ろへと流れる。図らずともオールバックな髪型となっているカナは、その身を真っ黒のワンピースに包んでいた。いつでもしっとりと湿っているが、もはやそれを気にする人間は琴乃以外には居ない。

「あ、朝ごはんです。ニージマさんが用意してます」

「オッケー。顔洗ったらいくねー」

「はい……。あ、カナさん。前から聞きたかったんですけど……」

 そもそも施錠などされていなかったらしい。普通にドアを開けて、彼女は部屋の中に戻ろうとしていた。

 声を掛けられて、カナは振り向く。

「なーに?」

「骨とか無いのに、どうやってこう……姿勢とか維持してるんですか?」

「筋肉だよ」

「え?」

「その気になれば素手で人の頭引きちぎれるよ」

「……」

 失禁してもしょうがない。

 彼女はそう思った。

 じょろ、と出たような気もしたが、しかし気にしないことが最善であるような気もした。

「あははっ、冗談だよ?」

 笑いながら言うカナを尻目に、琴乃は自室に戻って、ひとまず下着を交換することにした。


 それが最後にして一番心臓に悪い部屋である。

 心臓がショックで停止した時用にペースメーカーでもつけようと、毎度の事思う。それか心停止と共にブザーが鳴るようにしようか。

 その扉には『あーにぇ』とひらがなのプレートがあった。まるで開かずの間のように、扉にはクモの巣状の柄が描かれている。

 賃貸なのに。

 いっそのこと、本当に開かずの間にしてやろうか。手芸用ボンドしか持ってないけど。

 そんなことを考えながら、ドアをノックした。

「コトノちゃん、おはよ」

 後ろから、鈴が鳴るような声がした。

 薄々そんな感じはしていたのだ。

「お、起きてたんですか……アーニェさん」

 何事も無感である。そう心に決めて振り向いた。

 天井から糸を垂らし、その先端にぶら下がる大蜘蛛が居た。

「……っ」

 琴乃は泡を噴いてひっくり返る。

 アーニェは慌てて糸を切り、琴乃の居る廊下へと飛び降りた。ケンタウロスと同じく下半身を異形の肉体にする女性。

 彼女は艶やかなワンレンの黒髪を乱しながら少女を抱き上げた。ざっくりと開いた豊満な胸元に頭が沈み、蜘蛛を象った銀細工のネックレスが頬に当たる。

「ご、ごめんねコトノちゃん! ちょっとからかうつもりだったのだけれど……」

「う、うぅ……もう少しだけもってくれ、私の身体……」

「やめて! そんなセリフじゃ死んじゃうよ!」

「この戦争が終わったら……」

「コトノちゃーん!」


     ❖❖❖


 なにやら楽しそうだ、と彼は思った。

 手ぶらで来るのもなんだからお玉を片手に引っさげて階段を上ってくれば、新米の管理人見習いの少女と蜘蛛の人が抱き合ってはしゃいでいる。

(なんだ、いつの間にか仲良くなってるじゃないか)

 新島夕貴は苦笑しながら声をかけた。

「おはようございます、アーニェさん」

「あら?」

 そこで初めて気がついたように、上半身を捻って彼女は振り向いた。

 少し鋭い吊りがちの目。笑えば見える吸血鬼のように鋭い犬歯。華奢な身体。細い線には、見合わぬバスト。

 どうにも異人種の方々の発育には目覚ましいものがある。

 そんな視線に気がついたのか、彼女はわざとらしく胸を隠すように身を抱いた。

「目ざといですわ」

「恐縮です」

 にこやかに笑む彼女に、新島も笑い返した。

「そろそろ朝食ができるんで、降りてきてください」

「わかりました。……っと、はい」

 アーニェはそう言ってから、胸に抱いていた琴乃を立たせて、新島へと返してきた。

「それじゃ、失礼しますわ」

 ぺこり、と軽く頭を下げてから彼女は部屋へと戻っていく。

 新島はそれを見送ってから、息を一つ吐いて踵を返した。

 なんだか釈然としない感じで琴乃もそれに続く。頭の半分以上を包んでいたあの柔らかさについては、深く考えないことにした。


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