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人間讃歌

作者: 月並

―この腐敗した世の中に落としてくれた母に感謝します―



一人の少年は、汚れたライターを何度もつけようとしている。ライターは拾った物なのか所々に泥がついていて金属部分は錆び付いている。少年の容姿はとても美しかった。髪の色は綺麗な栗色で髪型はぼさぼさである。瞳は、吸い込まれるような真っ黒な瞳である。しかし、肌が真っ白で一度も日光を浴びたことのないような肌である。服は上下とも白の作業服のような不思議な服を着ていた。服は、所々破れていたり泥がついて茶色となってる箇所が多くあった。その廃墟の周りには錆び付いた茶色い変色した鉄製の塀がある。ある一つの塀の下にはかがめば入れる位の穴がある。その穴が彼にとっての玄関である。そう、この廃墟が彼の家なのである。彼は何度もライターをつけようとしていた。


カチッ。カチッ。カチッ。ボッ。


「あ、ついた。ラッキー」


 そういって少年は、ある物を探していた。それはよく地面に捨て置かれている物だ。ようやく彼はそれを見つけた。タバコの吸い殻である。空腹を紛らわすのには、タバコを吸うのが一番いいのだと彼は最近知った。タバコを吸うとみるみると食欲が減退していくのであった。その折り曲がってくしゃくしゃとなった吸い殻をまっすぐに戻し、口にくわえてその吸い殻に火をつけようとしたその時―・・・。


「だめだよ!それ、毒だから吸ったらだめなの」


 少年は驚き、声がした方へと顔を向けるとそこには自分と同じような作業服を着た少女が立っていた。少女は、綺麗な黒髪を肩まで伸ばし、瞳も黒かった。見た目からして彼女は容姿端麗の18歳に見えた。どうやら彼女は玄関から忍び込んできたみたいだ。


「お前、誰?」


タバコをくわえながら彼女に聞いた。


「あのね。私、ホモーサーピエンスなの」


少年は、彼女のしゃべり方に違和感を覚えた。

「それを言うなら、ホモサピエンスな。つうか、俺はお前の名前を聞いたんだけど?」


すると彼女は少年に向かって走り出した。少年はいきなり走って来る少女に見構えた。


「私ね。ノンノンって言うの。あなたは?」


 すると、彼女の首の後ろから名札がひらりと前へ現れた。どうやら首にかける名札をずっと後ろに付けていたようだ。その名札を見て少年は驚いた。その名札は、少年が抜けだし来た施設の名札だった。その名札には、「ノウェル」という名前と、「mental deficiency」と書いてある。それは、「知的障害者」という意味だ。


「(なるほど―・・・こいつも抜け出して来たのだろう・・・。)」


施設というのは、普通の施設ではない。特殊な能力を持つ人間を集め研究する施設。きっとこのノウェルという少女も何らかの能力を持っているのだろう。自分も特殊な能力を持っているらしいのだから―・・・。


「お前。何で抜け出したんだ?」


「ノンノンね。トオトオを探すために出たの」


「・・・トオトオ?何それ・・・人?」


「うん!トオトオはね、ノンノンより頭がいいの。ノンノンをいじめる奴らから助けてくれるの」


「・・・・トオトオってのは弟ってことか?」

そう言ってタバコを吸おうとした。


「だからそれは毒なの!」


そう言ってノウェルは、タバコを取ろうとした。


「はい!はい!分かったから」

 そう言ってタバコを足で踏みにじった。


「で、トオトオってのは弟の事か?」


「あ。そうそう!トオトオなの」


 少年は、少し頭を抱えた。


「あ~・・・俺は、ユタだ。よろしく。弟はどこに住んでるの?」


「・・・分かんない。でも、きっとどこかに居る・・・」


「いや、どこかには居るのだろうけどさ・・・つうか、母親と父親もどこに居るのか分かんねぇ?」

すると、ノウェルの表情は曇っていった。


「ノンノンね・・・。一度見た景色や人の表情とか描くのが得意なの。でもね、学校でね。宿題が出たの。ママとパパの絵を描いてって。そしたらね・・・。そしたら・・・。ママは、いつもノンノンに言うの。『本当に頭が悪い子。産まなきゃよかった』って、パパはね、ノンノンを叩くの。『足りない子は叩かないといけない』って・・・。パパとママの顔がね・・・怖いの・・・鬼みたいに怖いの。その時のパパとママの顔を描こうとすると手が震えるの・・・だから・・・だから・・・」

そう言ってノウェルはその場にうずくまり、静かに泣き始めた。嗚咽が漏れないように必死に手で口を抑えている。きっと大声で泣くことを禁じられていたのだろう。すると、ユタはすくっと立ち上がり歌を歌い始めた。


「・・・?なぁにその歌?初めて聞く歌」


「俺もなんていう歌かは知らねぇけどさ。多分、テレビに流れてた歌を小さい頃から覚えていたんだと思う。この歌を歌うと不思議と元気になるんだよな」


「うん・・・すごくいい歌。落ち着く」


「お前の弟。俺が捜してやるよ。俺は、すっごい能力を持ってる。お前の弟を捜す事なんて朝飯前だ!」

そう言って、ユタはまた歌を歌いはじめた―・・・。すると、ユタは昔の事を思い出してしまった―・・・。



「ねぇ、お母さん。どこに行くの?」

幼い頃のユタと、ユタの母親が手をつなぎながら施設へ向かう道を歩いていた。

 ユタは、母と二人で小さな村に住んでいた。父は、生まれてすぐに死んでしまったのだがよく母に父親ゆずりに綺麗な顔立ちは、生き写しだとよく言われた。

 母は、朝から晩まで活版所で働いており少ない給料で何とかユタを育てていた。ユタは、母の仕事が終わるまで近所のおばちゃんに預けられ、その孫たちと鬼ごっこをしたり、棒切れを持って剣士ごっこなどをしたりと活発に外で遊んでいた。しかし、ある日突然母は施設に行くと言い出したのであった。おそらく、生活が厳しくなったのであろうか、なぜだか分からないが、施設に行けば安定した生活を送れるのだとおばちゃんに別れの挨拶をするときに母は少し寂しそうに話していた。



「もうすぐで着くよ」


「そこはどんな場所?きれい?」


「うん。すごく綺麗な場所」


「お母さんと一緒に寝たいな・・・。寝れる?」


「うーん・・・お母さんやっぱり寝言がうるさいだろうから一緒には寝れないなぁ・・・。ごめんね。」


「うん・・・。わかった」



 施設内はとにかく清潔感があふれている。まさに無菌室のような閉塞的な所だった。施設内にいる人はみんな白い服を着ていた。入ってすぐにユタと母親は、白い作業服のような服を着せられた。作業服のようなものを着てすぐにユタは、一人の男性に右手を引っ張られた。左手は、すぐさま母の手を掴んだ。


「嫌だ!お母さんも一緒に来て!」

すると母は、ユタの手を無理矢理離した。


「また、すぐに会えるからね」


ユタは、そのまま引っ張られある部屋へと入れられ、鍵を閉められた。その部屋は、真っ白な部屋で、家具はベットしかなかった。幼いながらユタはこの部屋に居続けたら狂ってしまう。そう感じたユタは、そこら中の壁を叩き叫んだ。


「お母さん!嫌だ!!ここから出して!!お母さん!お母さん!!」

すると、ベット横の壁から小さくコンコンと二回壁を叩く音が聞こえた。ユタはおそるおそるベットに乗り、そこへと近づいてみた。すると、もう一度コンコンと壁を叩く音がした。


「お母さん?」

するともう一度コンコンと叩く音が。


「お母さん!!」

 ユタは、二回壁を叩き返した。すると、またコンコンと返ってきた。お母さんが隣にいると分かりユタはそのままベットの上で寝てしまった。布団もかけずに寝てしまったのに母が添い寝しているように感じ、暖かかった。次の日、白い作業服を着た男に何度も同じような質問をされた。他にも脳波・心電図を計られた。そして、最後にはこう言われた。


「お前は特別なんだ」

そう聞いてユタは、疑問をぶつけた。

 

「どうして僕が特別なの?」


「お前の母親は、すばらしい能力を持っているんだ。その血を受け継いでいるお前は、もっとすばらしい能力をもっているんだ」

その日も隣からコンコンと二回壁を叩く音がした。けど、ユタは返事をしなかった。

次の日も次の日も、同じ事の繰り返し。しかし、一つ変わった事は壁を叩く音が途絶えてしまった。ユタは、不安に感じ自分から壁を叩いてみた。しかし、返事はなかった。不安に耐えられずユタは激しく壁を叩き始めた。


「うるさいぞ!!」

白い作業服を着ている男数人がユタの部屋の中へ入ってきた。


「お母さん!?お母さんはどこ!!」

ユタは、男にしがみつき叫んだ。


「うるさい!!」

そう言われてユタは地面へと放り投げられた。激しく地面に肩をぶつけユタはもがいた。


「お前の母親は出て行った。お前と引き替えに。残念だったな。お前は捨てられたんだ」



―・・・この人は何を言ってるんだろう。


お母さんが何を引き替えにしたって?


僕を引き替えに出て行ったの?


僕を置いて出て行ったの?


 ユタは、ふらりと立ち上がり一人ぶつぶつとつぶやき始めた。その様子をみて男達は恐怖を感じた。ユタは、ゆっくりと扉へ向かって歩いた。それを制しようと男が一人手をのばした時だった。


「僕は捨てられてなんかない!!」


そう言った時には男の手は変な方向に折り曲がっていた。男達は悲鳴をあげ腰を抜かし、手を折られた男は泣き叫んでいる。ユタは、ゆっくりと部屋を出て行き、隣の部屋の扉を勢いよく開けた。そして、静かにユタは地面に膝をついた。その部屋は、真っ暗で何も見えなかった。



母は自分を捨てたのだ。



―・・・その後自分がどうやって抜け出したのか分からないが、気づいたら今のこの廃墟にいた。


「ユタ?どうしたの・・・どこか痛いの?」

ノウェルが心配そうにユタの顔をのぞき見た。


「あ。あぁ。別に・・・これからお前はここを寝床にしろ」

 そう言ってユタは、歌を歌い始めた。この歌を歌うと落ち着く。嫌な事を忘れられるのだ。本当は、この歌は母に教えてもらったのだが、そんな記憶を奥に押し込んで・・・。


「ノンノン!食べ物買ってくる!」

そう言うとノウェルは走って行ってしまった。


「え。おい!!どこに行くんだよ!?」

ノウェルは、ユタの言葉を無視して行ってしまった。

「あいつ・・・金持ってるのか?っていうかここにまた戻って来れるのか・・・?」

 案の定、ノウェルは道に迷った。市街へ向かう道もユタの居たあの廃墟への道も忘れてしまった。


「どこかなぁここ。何だかこの道、さっきも通った気がする~」

 狭い路地裏へとノウェルは進んで行く。すると、杖をつく老婆がこちらへと向かってくる。もしかしたらあっちは止まっているのか、自分が動いているだけなのか・・・。何だか不思議な老婆が目の前に居る。そうしてぼんやり考えていた時だ。いつの間にか老婆は目の前にいた。


「あんた。ここをまっすぐ行って左に行けば戻れるよ」

老婆の声はかすれて聞こえにくかった。顔がしわだらけで、目はあるのかないのかもわからない状態である。しかし、不思議と体格がよくしっかりとしている。身長はノウェルの方が高いが、何だか大きく見える。


「あ、ありがとう。どうしてノンノンの行きたい所がわかったの?」


「顔にそう書いてあったからだよ」


「え!?ノンノンの顔にかいてあるの?」


ノウェルは近くにあった水溜まりで自分の顔を確認した。顔には何もかいてなかった。


「私にしか見えないんだよ」


「へ~すごいね」

ノウェルは老婆の足元へと目をうつした。


「おばあちゃん。足が悪いの?」


「ううん。悪くないよ。どうしてそう思ったんだい?」


「だって杖をついてるから」


「これはただの飾り。好きで持ってるんだよ。人間ってのはね。簡単に思い込んじゃうんだよ」


「ノウェル!!」

心配になったユタは必死になって路地裏という路地裏を走った。そうして、やっとノウェルの後ろ姿を見つけた。


「あ!!ユタ!迷子になっちゃったよ」


「なるとは思ったんだけどな・・・。で、この婆さんは?知り合い?」


老婆は、大きく目を見開いた。そこで老婆にはちゃんと目があるのだと確認できた。


「あんた・・・母親が自分を捨てたのだとまだ思っているのかい?」


いきなりの質問にユタは、びっくりした。


こいつは、誰なんだ?


「目に見える事だけが真実ではないよ。人の目程見えにくいものはないよ」


ユタは急に息苦しく感じた。うまく呼吸が出来ない。喉がからからに乾いてしまっている。なぜだか、脂汗もでてきた。母の事は聞きたく無い。


そうした状態で出た声は怒声だった。


「なんなんだお前は!!お前は、あの施設に居たやつなのか?!俺を捕まえにきたのか!?」

老婆は、冷静にそして鋭い声で言った。


「あんたの持っている能力はすさまじく恐ろしいものだ。だから、あんたの母親に頼まれて歌に能力を封じ込める呪いをかけた。あんたはまだ赤ん坊だったから知らないだろうけどね。会うのはこれで二回目なんだよユタ」

ユタは一気に全身の体の力が抜けていくのを感じた。


この老婆に俺はまじないをかけられたのか?そういえば、うっすらと記憶があるように思える。


「歌って・・・・ユタの好きなあの歌?」

ノウェルはおそるおそる聞いてみた。しかし、ユタからの返事が返ってこなかった。


「ユタ。よく思い出してごらん。施設に入ったあの時の事を。」

そう言って老婆は杖をつかず、歩いて去って行ってしまった。ノウェルとユタはその後ろ姿を見えなくなるまで見ていた。


「あの婆さん・・・足が悪いんじゃあ・・・」


「?足は悪くないらしいよ!好きで持ってるんだって。あの杖!」


それを聞いて、ユタは老婆に言われたことを思い出した。


「(目に見える事だけが真実ではないよ。人の目程見えにくいものはないよ)」



母さんは、夜。俺と一緒に寝るのを嫌がった。電気を消しては寝れないからだ。そして、独り言が多いからと・・・。母は、何か特別な能力があったのだろう。そうに違いない。


あの時、あの隣の扉を開いた時明かりはついていただろうか?いや、ついていなかった。真っ暗だった。だから俺は母は居ないのだと思ったのだ・・・・。だが、きっとそうではなかった。


「そうか・・・・そうだったのか?!」

突然ユタは、怒声を混ぜたような大声を出した。


「ど、どうしたの・・・?ユタ」


「俺は・・・大きな勘違いをしてたんだ・・・」

そうしてユタは膝から崩れ落ちるように地面に座りこんでしまった。ノウェルは、ユタの背中を支えようとしたが力足りず一緒に座りこんだ。


ユタは、全てをノウェルに話した。所々どういう意味なのかわからないというような顔をしたが、ユタは気にせず話始めた。



あの時、母は隣の部屋にいたのだ。真っ暗で気づかなかっただけなのだ。母の能力はおそらく予知夢だったのだ。母は真っ暗な部屋だとその能力を発揮してしまうのだ。だから、一緒に寝る時に電気を消すのを嫌がっていたのだ。

母は、あの施設の部屋で真っ暗な中。実験動物のように観察されていたのだ。

何度も見る恐ろしい、楽しい予知夢を何度も何度も見て。母は、神経、心をすり減らされる中、俺の為に壁を叩き続けたのだ。壁を叩く音が途絶えたとききっと母は・・・。


「数えきれない予知夢を見て、母は、廃人のようになってしまっていたんだ・・・きっと。あの部屋に、母は居たんだ!」

ユタは、振り絞るように小さな声を出した。


「・・・でも、お母さん生きてるんだよね?」


「・・・ああ・・・」


「だったら探そう!!トオトオとユタのお母さんを。ね?」

そう言ってノウェルは、ユタの手をとって立ち上がらせた。その時。


「あ・・・。何か今、映像が・・・」


「映像?どこに?」


ユタは少し頭を抱え考えた。すると、ユタは目を見開きノウェルに言った。


「お前の弟がいる場所が映像と文字として脳裏に浮かんだんだ!!」

ユタは、ノウェルの両肩を強く掴んだ。


「あの歌を歌わなければ俺の能力が発揮されるんだ!いったいどんな能力なのか分からないが・・・とにかく行こう!!」

そう言ってノウェルの右手を取り、引っ張り走り始めた。


「ど、何処に行くの?」


「海岸沿いにあるオレンジ色の施設だ!そこにお前の弟が居る!母さんは、俺らが居たあの施設に居るに違いないから、お前の弟を見つけてから行こう!」

ユタは、興奮した。今まで自分を捨てたと思っていた母さんは、こんなにも近くにも居るのだと気付いたからだ。しかし、自分の母に会う事よりもノウェルの弟に会うのが先決だと思い、オレンジ色の施設のある街へと歩いていく事に決めた。


楽しみは、とっておきたい。




そうして、海岸沿いへと向かって歩いて行った。あまり遠いところではないからすぐに着くと思ったが・・・。


「ねぇ・・・!もう疲れたよ・・・休もう・・・」


「休もうって言っても・・・もう夕暮れ時だし泊まる所をさがさないと・・・。つうか、金が無いし・・・」


「ノンノン!お金持ってるよ。少しだけ」


「それを早く言ってくれ」


 その日の夜は、なかなか寝付けなかった。もう少しだ。もう少しで母に会える。ノウェルには悪いが、ユタは楽しみは後にとっておくかのように胸をドキドキしてさせながら眠った。泊まった宿屋のベットは、堅くて布団はうすっぺらかったが廃墟の寝床よりかは暖かく感じた。



 海岸沿いのオレンジ色の施設は、とても目立っていてすぐに分かった。その施設の前に立ってみるととても大きく立派な施設なのだと分かった。施設は二階建てであるが、大きな噴水があり、子供達が遊ぶためのバスケットゴールがあり、人工的に作られたのであろう芝生は地面全てに生えていた。施設の部屋には一部屋一部屋ずつベランダがあった。ベランダには、多くの洗濯物が干されていた。


「どなたですか?何かご用でも・・・?」

後ろから施設の関係者と思われる女性がいた。その女性は、白髪交じりの髪の毛を後ろにぐいっとくくりあげていた。見た目では、三十半ばだと思える。黄色い太陽の絵が描かれているエプロンを着ていた。


「あ・・・あの、こいつの弟を・・・」と言い切る前に。


「トオトオを探しに来たの!!」

と、ノウェルは、活き活きとした声で答えた。


「トオトオ・・・?」

女性は、怪訝そうな顔をした。


「あの、こいつの弟のことなんですが・・・」

その時、ノウェルはバスケットゴールの一つへと走って行った。


「トオトオ!!」

すると、バスケットゴールの後ろに隠れていたのか黒い影が施設へと逃げ込んでいった。

それを見てユタも同じ方向へと走り始めた。


「勝手に入られては困ります!!」

そう言いながら女性も追いかけて来た。


 施設には裏扉から入ってすぐに階段を昇って行った。そうしてまっすぐ走って左に曲がってすぐにある部屋へと辿りついた。

そこでは、ノウェルが扉を必死に閉めさせまいとドアノブを握っていた。扉の内側には、一人の少年が必死に扉を閉めようとしていた。


「トオトオ!!入れてよ!!ノンノンだよ!!」


「何をしているのですか!?」

女性は、息を切らせながら言った。


「本人が・・・この部屋の少年が自分の弟だと・・・」

ユタは、そう言ってノウェルを落ち着かせようと肩に手を置き制した。


「落ち着けよノウェル。本当にこの子が弟かわからないだろう?」


「絶対トオトオだもん!絶対そうだもん!」

そう言って更にドアノブに力を加えて引き始めた。


「そうなのか!」

ノウェルの背中越しから部屋の少年にユタは尋ねた。


「~・・・!人違いです!!僕に姉などいません!!」

そう言うと、一気にドアを閉めようとしたその時、ノウェルの右手の指が挟まってしまった。


「痛いっ!!」


「ごめん!!お姉ちゃん!?」

少年は、扉を開きノウェルの顔を見た。

はっきりと少年は、ノウェルの事を『お姉ちゃん』と、言ったのだ。


「トオトオ!!どうして嘘付くの!?」

ノウェルの頬に涙が流れた。指は、徐々に青く腫れ上がってきている。


「・・・・」

ノウェルの弟で思われる少年は黙り込んでしまった。しかし、沈黙を破ったのは少年だった。


「あの・・・あなたと二人きりでお話させて頂きませんか?」

あなたとは一体誰のことだとみんな首を傾げたがしばらくしてユタは言った。


「俺か・・・?」




少年は、部屋の中にユタを招き入れた。ノウェルは、指を怪我をしたのであの白髪交じりの職員に処置室へと連れて行かれた。

少年の部屋は殺風景なものだった。必要な物しか置いていない。なんだかあの施設のような環境でユタは少し吐き気がした。


「すいません。ここに座ってもらえれば・・・」


そう言ってベットの上を指さした。どっさりと座り込んでみたが以外とベットは、ふかふかして居心地がよかった。隣に少年も座るのかと思ったら、少年はユタの前の地べたに正座した。


「僕は、あの人の弟でトゥエルと言います・・・」


「トゥエル。単刀直入で聞くが、なぜノウェルに弟ではないと嘘をつくんだ?」


「・・・あの人としばらくいたのでしょう?えっと・・・」


「ユタだ」


「あ。ユタさんは・・・」


「あぁ。ここまであいつと二人でいた。ついでに俺も一緒の施設にいた」


「ならば気づいていると思いますがあの人は、知能が他の人より劣っています。そのせいであの人は、父と母から疎まれていました。でも、僕はあの人をかばい続けてきました。でも、もう限界でした。姉が施設に行くと聞いてとても安堵しました。僕はそういう人間なのです。お願いですからこのままあの人には僕は全くの他人と伝えて下さい」

トゥエルは、淡々と無表情でそう言った。


「・・・さっきからノウェルのことをあの人と言っているが・・・血のつながったたった一人の人だろ?」


「あの人と・・・!兄弟であるということで僕がどれだけ辛い目にあったのかあなたは知らないでしょう!!それでも僕は、頑張って耐えました・・・。もう、嫌なのです。あの人と顔を合わせるたび辛い思いを思い出してしまうのです。もう・・・死んだ方が楽なんだとも思いました」


「わかった。ノウェルには、お前は他人だったと伝える。だけど一言言わせてもらってもいいか?」


「はい・・・」


「そんなに自分がかわいいのか?」





 ユタは、ノウェルを迎えに処置室へと向かった。処置室には、ノウェルが一人丸椅子に座っていて、表情は暗く俯いていた。


「ノウェル。指は大丈夫か?」

ユタは、優しく語りかけた。


「うん・・・大丈夫。トオトオは何て?」


「人違いだノウェル。あいつは全くの他人だ」


「違うよ!!だってあの時ノンノンのこと・・・お姉ちゃんって・・・」


「それでもあいつは他人だ」

ユタは、強めな口調で言った。そうしなければノウェルは納得しない。


「わかった・・・。でも、お願いがあるのユタ」



ユタとノウェルは、再びトゥエルの部屋の前に立った。ノックを二回すると彼は現れた。隣にいたノウェルの顔をみて少し体を硬直させた。


「あなたの顔を描いてもいいですか?」


 トゥエルは、小さく頷いた。そして、二人を部屋へと招き入れた。トゥエルはベットの上に座り、ノウェルは地べたに座り処置室にいた人から借りたスケッチブックを持ち、えんぴつで顔の輪郭を描き始めた。ユタは、立ちながらノウェルが描くトゥエルを見ていた。

するとノウェルは小さくつぶやくように言った。


「ごめんね。本当にごめんね。いっぱいごめんね」

ノウェルは黙々と描き続けた。

トゥエルは、息を殺して泣いた。その内に声を押さえきれずに声が乾いた空気へと漏れていった。

しばらくしてトゥエルが口を開いた。


「会って欲しい人がいるんです・・・」


 トゥエルの後ろをノウェルとユタは、黙って付いていった。どんどん日の当たらない棟へと向かっているようだった。一番奥の部屋へとたどり着くとトゥエルは、二回ノックをした。ドアの向こう側から少しながめの金髪の綺麗な少年が現れた。しかし、瞳はなんだか光がないように見えた。


「紹介するよリズ。ユタさんと、ノウェルさん。あの施設に居たらしい」

その言葉を聞いて突如リズは、身体が震え始めた。それを見てユタとノウェルは、驚いた。トゥエルは、優しくリズの背中をさすった。


「ヤ・・・ヤンという少年を知りませんか・・・?」

か細く小さな声でリズは言った。


「ヤン・・・いや、俺は知らない」

ノウェルも首を横に振った。


「そう・・・ですか・・・」

リズは、静かに語り始めた。


「きっとヤンという少年は亡くなられていると思います。だってあんなに・・・たくさんの血が、僕の手に・・・」

リズは、顔を歪ませ苦しそうに言った。


「僕もあの恐ろしい施設に居ました・・・。壁に小さな穴があったんです。そこからヤンと言う少年が鍵を僕に渡してくれたんです。確認にきた施設内の人から鍵を盗んだらしいのです。でもその鍵は自分の部屋ではなく、僕の部屋の鍵だったのです。それで・・・そしたら彼は・・・もう、自分はだめだから。って。よくよく自分の手の中にある鍵を見たら血で真っ赤で・・・!!」

そして、リズは、大声で泣き始めた。


「もうそのときは頭が真っ白になって・・・とにかく必死に走って逃げました・・・。今でも手のひらの彼の血がとれないのです」

そう言って手のひらを見せてくれた。

その手には全く血など付いてなどいなかった。ただ手のひらの皮はめくれてしまい痛々しく見えた。


「何度も洗っても洗っても・・・とれないんです」

トゥエルは、ユタの顔を見てユタの言葉を待った。


「なんにも付いてない。血なんてどこにも付いていない。いいかリズ。それはお前の思いこみだ」


「そんな馬鹿な!?だってこんなにはっきりと・・・こんなに血がついているのに!!僕は、見えるんだ・・・だって僕の目だ。僕の手だ・・・感触だってこんなにはっきりと・・・」


「思いこみだ。お前の手のひらは、洗いすぎて皮がむけてしまっている。」


「そんな・・・そんなはず・・・ねぇ!トゥエル!トゥエルは、僕の手に血が付いているって・・・言ったよね!?」

リズは、激しくトゥエルの両肩を揺らした。


「ごめん・・・。リズ。ユタさんの言う事は正しいよ。血なんかどこにも付いていないよ」

それを聞くとリズは座り込んでしまった。


「死んでなくなりたい・・・」


 ユタはそんな精神状態になっても仕方がないと思った。隣にいるだろう知らない誰かの痛みを感じ、そうしてその人は死んでしまったのだから。

すると、ノウェルはリズの方へとゆっくり歩みよった。そして、リズの両方の手のひらを両手でさすり始めた。


「綺麗な手。すごく優しい手」

そう言ってさすり続けた。


「でも・・・もったいない。こんなに手さんは、洗われる以外に使って欲しい事があるのに、あなたは知らないふりをするなんて・・・もったいない」

それを聞いてリズはゆっくりと自分の手のひらに耳を押しつけ始めた。一体何をしはじめるのかとトゥエルとユタは驚いた。


「ほら?聞こえてくるでしょ?」

ノウェルはそういって彼の手を強く握り締めた。リズは、すくっと立ち上がりユタの方へと顔を向けて言った。


「僕は、ヤンに会いに行きます。きっと・・・もう姿形は変わってると思います・・・でも!彼の亡骸でも何でもとにかく会いに行きます」


「俺とノウェルは、この後あの施設に行くつもりだ」

すると、リズは顔をすこし明るくなった。しかし・・・


「俺とノウェル。二人で行く。これ以上人が増えると面倒だ」


「そんな!!僕も・・・僕も一緒に!!」

「必ず。必ずヤンをここに連れに戻ってくる。必ずだ!」

ユタは、力強い声で言った。その声を聞いたらリズはあきらめるしかないと感じた。


「・・・お願いします。僕のところに必ず彼を連れてきてください」

そう言ってリズは深く頭を下げた。


「ノウェル。行くぞ」

ユタは、扉を開けて施設内の玄関へと向かって歩いて行った。ノウェルは、後を急いで追いかけていった。


「ま、待ってください!!」

トゥエルは、ユタを呼び止めた。ユタは、ノウェルに先に行くように言ってトゥエルと面と向かい合った。


「あの・・・姉さんに僕は弟だと伝えて下さい。そして・・・一緒にこの施設で暮らそうと、そう伝えて下さい」


「嫌だ」

思いがけない返事にトゥエルは困惑した。


「俺は、お前とは全くの他人だ。そういうことは本人に直接言え」

そう言ってトゥエルの頭をくしゃくしゃに撫でまわして走って行ってしまった。トゥエルはただ呆然としてくしゃくしゃにされた頭を右手でそっと触れた。


「ありがとう」

その声に驚いて後ろを振り返ってみるとリズが笑顔で立っていた。彼の笑顔を見るのは初めてであった。そうしてトゥエルも微笑んだ。









 どれだけ歩いたのか忘れる位にとにかく歩いた。あの施設は遠くの山近くの丘に立てられていた。周りは多くの鉄格子に囲まれていてなかなか簡単には入れなくなっている。だけどそこには一箇所だけ鉄格子が壊れ、なんとか身をよじれば入れる箇所がある。ユタはそこから脱走した。きっとみんなもそこから抜け出たのだろう。一言も喋らずに黙々と歩いていたらいつの間にか街は遠くに見え、丘にさしかかろうとしている所まできた。この丘を越えればあの恐ろしい施設に辿り着く。あの時の環境を思い出すだけで少し胸が悪くなった。だけど、リズの約束の為にそして、母を廃人のようにさせられた施設の研究者への復讐がユタの足取りをすこし軽くさせた。すると、一人の少女が歌って踊っているのが先に見えた。こんな人が居ない所で何をしているのだろうかと少しユタは警戒した。しかし、ノウェルは全く気にせずに彼女に向かって走って行ってしまった。


「おいおい・・・」

少し呆れてユタもノウェルの後を追いかけて行った。しかし彼女の歌を聴いてユタはすぐに立ち止まってしまった。


「この歌・・・母さんに呪文をかけてもらった歌だ」

いきなり近づいて来た二人に少女はとても困惑した。彼女は綺麗とは言えないような灰色に黒ずんだドレスを着ていた。ドレスの所々は破けてしまっていた。足元をよくみると彼女は裸足で踊っていた。


「あなた達・・・その服。もしかして施設の人?」


「そうだよ。そんな事より今歌っていた名前は何ていうの?」

ノウェルは少しわくわくしながら彼女からの言葉を待った。


「・・・嫌よ。あんた達みたいに恵まれてる奴らなんかに名前なんて教えない」

そう言って彼女は近くにあった大きな石にどっかりと座った。


「恵まれてる・・・?」


「そうよ!あの施設に入る子達はかならず毎朝毎晩豪華な料理がでてとても暖かい布団で眠るのだと聞いたわ!私なんて・・・お母さんが作ってくれたこの服を着て歌って踊って通りすがる人達にお金を少しもらう。そうやって生計を立てているのよ!もう嫌よこんな生活・・・靴も欲しい。おいしいご飯も食べたい・・・死んだ方がずっと楽だわ!!」

そう言って彼女は顔を腕の中にうずめた。ノウェルは何も言えなかった。

「あんた達に私の気持ちなんて分からないでしょうけどね」


「あぁ。さっぱりわからないな。」

ノウェルの後ろからユタは言った。


「だったらお前は俺たちの気持ちはわかるのか?」

少女は、うずめていた顔をさっと上げた。


「わかるわよ!!どうせ苦労もしないで裕福な生活を送ってるんでしょ!!」


「何言ってるんだよ・・・それはお前がなにも分かってないからだろうが!!」

二人は今にも掴みあいの喧嘩になりそうだった。


「ユタ!!やめなよ!もう行こう!」

そう言ってノウェルはユタの手をひっぱって行った。少女の姿が少しずつ見えなくなっていったその時。


「人間讃歌よ!!あなた達にとってはとてもめでたい歌よ!!」

遠くから彼女は罵声をあびせるかのように大きな声で言った。


「人間讃歌・・・」

ユタは、苦笑いをした。


「人間讃歌ってなに?」

ノウェルはユタに尋ねた。


「簡単に言えば人間ってすばらしいなって言う歌だよ」


「へぇ~・・・おもしろいね!」

ノウェルは、笑顔でユタに言った。


「おもしろいっていうか・・・皮肉だな」


 二人の前にはすでに大きな施設が見えていた。真っ白い大きな建物。その建物には、人間ではない多くの化け物がいるのだ。

鉄格子が壊れている箇所から二人は入りこみ玄関と思われる場所に二人は立った。ユタは動悸が止まらなかった。もしかしたら捕まってしまう恐れがあるからだ。ふいに隣にいるノウェルの顔を見た。ユタに気づいたノウェルは、えへへと笑みをこぼした。そして、ユタは大きく深呼吸をした。


「いいかノウェル。俺の後ろにずっといるんだぞ」


「うん!」


「ノウェル。俺はな、すっごい能力をもってるんだ」


「うん!知ってる!」


「絶対に守ってやるから!」

そう言ってユタは、玄関ドアを蹴りとばし侵入した。驚いた施設内の職員が一気にユタとノウェルに襲い掛かってきた。ユタは前から来た男一人を一本もふれずにふっとばした。ユタの瞳は、真っ黒な瞳から真っ赤な瞳になっていた。どうやら能力を使うと瞳が赤くなるようだった。その色はとても綺麗な動脈からあふれでる血液のようだった。


「怪我はさせずに捕獲しろ!!」

職員の数は増えていった。その手にはスタンガンがあった。きっと気絶させまたあの部屋に閉じ込めて実験をするのだろう。


「そこをどけぇぇぇぇ!!」

 ユタが怒声をあげたその時、職員全員の身体は動かなくなってしまった。まさにこれだけの能力をもっていたのかと職員はみんな恐怖に震えだした。そうしてユタは、ゆっくりと歩き出した。職員は動きたくても動けずただただ見ていることしかできない状態であった。ノウェルはそんなユタの背中にべったりとくっついて歩いた。ユタの頭には既にこの施設の最高責任者の部屋が分かっていた。この虫唾がはしるように続く真っ白な廊下を突き進み、無駄に大きな扉を見つければそこが奴の部屋だ。その大きな部屋の前に立ち、扉を押してみたが開かなかった。そこには、ロックがかかっていた。しかし、そんなものは今のユタを止める事など無理であった。ユタは、蹴り飛ばしロックもろともドアを壊して入った。そこには、白髪交じりの初老の男が座っていた。服装はとてもフォーマルな茶色の背広を着ていた。その右手には銃があった。


「まさか君がそんなすばらしい能力をもっているとは思わなかった。どうだい?もう一度この施設に戻ってこないかい?」

男は、少し震えた声でユタに話しかけた。


「ふざけるな。この人殺しが・・・」

ユタはゆっくりと男に歩みよった。それに驚いた男は銃をつきつけた。しかし、ユタの瞳がそれをとらえた瞬間銃は手からはじかれてしまった。


「っひ!す、すばらしいよ・・・すばらしいよ君!!君のその力があればわが国はどの国にも屈しない!!金ならいくらでもあげよう!」


「いらない。そんなことよりヤンと言う少年を知っているか?」


「ヤ、ヤン・・・?あ、あぁ!知っているともあの子は施設内職員に暴力をはたらいたためちょっと罰を与えたんだ」


「罰・・・?」


「そうしたら簡単に死んでしまったよ!なんらかの能力を発するかと思ったのだがただの凡人だったみたいだね」


「・・・・ヤンは何処にいる?」


「何を言ってるんだい?彼はもう・・・」


「何処にいるんだよ!!」

ユタは、男が言い終わる前に大きな声で遮った。


「か、彼の亡骸は・・・施設の裏に埋めた。何処に埋めたのかはわからない・・・」

ユタはゆっくりと男に近づいて行った。彼の瞳は更に赤みを増していた。


「俺の母さんは・・・何処にいる?」


「君のお母さん・・・あ、あぁ・・・・あの予知夢をみる彼女か。彼女は実に残念だったよ。彼女は、自殺してしまったよ。でも、君の能力はもっとすばらしい!だから・・・うっ!!」


すると男の首に赤く絞めつけられているような跡が浮かんだ。ユタは、徐々に男の首を手も触れずに絞めつけ始めた。


「殺してやるよ・・・この人殺しが・・・!!」

そう言うと更に強く絞めつけた。あまりの苦しさに男は喉に手をやり苦しそうな顔をした。口元からは唾液があふれだしていた。目は、みるみるに充血していった。


「だめ!!」

ユタは、後ろからノウェルに押さえつけられた。しかし、ユタはノウェルの力には全く屈せずに男の首を更に絞めつけた。ノウェルは、涙で前が見えなくなってきた。



━もう、だめだ・・・ユタは、あの人を殺してしまう・・・━


そう思ったときあの時の歌を思い出した。人間讃歌だ。

ノウェルは、鼻歌で人間讃歌を歌った。するとユタの瞳は黒色に戻っていった。男の首を締め付ける力も弱まっていった。


「やめろ!!ノウェル!!邪魔するな!!」


「ユタは間違ってる!!今まで会ってきた人の言葉を思い出してよ!!」

ノウェルは、涙ながら必死にユタを後ろから押さえ続けた。




今まで会ってきた人・・・・?何か大事なことなど言っていただろうか・・・。


━死んだ方が楽なんだとも思いました━


━死んでなくなりたい・・・━


━死んだ方がずっと楽だわ!!━

あぁ・・・そうだった。忘れていた。



 ユタは、男の首を絞めるのをやめた。男は強く咳き込んだ。ユタは、倒れこんだ男の傍に行き耳元でささやくように言った。


「お前は、殺さない。死んで楽になどしてたまるか。お前のような屑は死んでも屑だ。だから・・・」

ユタの目からはたくさんの涙が溢れこぼれていった。


「お前は、生きて一生償うんだ!!」

そう言うとユタは、崩れるように座り込んだ。それを見てノウェルはユタの傍に行き、やさしく抱きしめた。

二人は、施設裏へと向かった。そこには広大な地が広がっていた。ユタの能力でもヤンと母親の骨が一体どこにあるのかわからなかった。とにかく必死に土を掘り続けて出てきた骨をユタは、左ポケットには母親の骨。右ポケットにはヤンの骨として入れた。




 丘の上の大きな石に座り彼女は施設に向かった二人の心配をしていた。


「あの二人・・・よく考えたら私と同じくらいぼろぼろの服を着てたわ・・・」

通り過ぎる人はたくさんいたけど仕事をする気は全くなかった。すると、向こうから二人と思われる姿が見えた。


「あ・・・!よかった!!おーい!大丈夫―?!」

彼女は、石の上に乗り大きな声で叫んだ。



「あ!あの時の踊り子さん!」

ノウェルは、彼女に負けない位の大きな声で答えた。


「大丈夫だよー!!」

そして大きく手を振った。


「あの施設は、政府公認の施設だ・・・根底から変えなければ何も変わらないな・・・」

ユタは、静かに言った。


「大丈夫だよ。だって、ユタはすっごい能力を持っているんだから!」

そう言ってノウェルは、彼女がいる丘へと向かって走り始めた。


「ねぇ!!にんげんさんさ歌ってー!!」

それを聞いてユタは、笑った。


「人間讃歌だっつーの」

そう言ってユタも走り始めた。



新しい春の風が彼らをとりまいていった。



(完)


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