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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

銀髪人狼娘とハラキリ男

作者: 孔明
掲載日:2026/09/12

 その日は文化祭前日、最後の準備期間だった。

 入学してからただの一人の友達もいない辰巳義臣だったが、その日は他の生徒と同じように駆り出され明日の文化祭の準備を手伝った。義臣のクラスの出し物は焼きそば屋であったので、男手として買い出しにも同行したが、他の男子たちがまったく知らないゲームや服や彼女の話題で盛り上がる中、義臣は完全に荷物を持つ機能がついている土偶状態である。

 そして最終下校時刻の八時まであと十分というところで、やっと準備が終了した。担任の先生に記念写真をとるぞ、と言われたので適当に隅っこにちょこんと立った義臣は、皆が笑顔やポーズをとる中でぼんやりと無表情のまま写真に写ると、そのまま帰路についた。

 他のクラスメイトたちは明日の文化祭の話題に花を咲かせたり、準備がかったるかったなどと愚痴を吐いたりしていたが、義臣にはそんな事を話す人間は誰もいない。明日の文化祭でも焼きそば屋のウェイターの当番を終えたら、きっと手持無沙汰になり一日中図書室と食堂を往復することになるだろう。

 そして電車を乗り継ぎ、義臣が最寄り駅に着いたのは既に十時過ぎになった頃だった。

 義臣の住む町は各駅停車しか止まらないような場所なので、十時を過ぎれば人っ子一人いない。唯一駅の近くにあるコンビニだけは人が集まっていたが、そこから外れれば完全に無人である。

 そして義臣は近道のため人気のない路地裏に入った。この路地裏を進むだけで、帰宅時間を三分は短縮できるのである。三分なんて微々たる時間のように思えるが、徒歩での帰宅の三分というのは体感的には非常に大きかったので、義臣は毎回このルートを使っていた。

 しかし、その日はいつもと違っていた。


(…………鉄臭い)


 鼻につく臭いに、義臣は怪訝な顔になる。それになにやらバキバキッだのバリボリだのという咀嚼音まで響いてきた。

 まさか熊か、とテレビを騒がせている害獣が脳裏を過ぎる。しかし直ぐにいくら都心から離れているとはいえ、こんな所に熊がいるはずないことに気付いた。

 暫し悩み、置いてあった鉄パイプを拾い上げると、咀嚼音のする方へ音をたてないよう近づいて行った。

 そして曲がり角。この向こうから音がする。

 義臣は頭だけを出して、曲がり角を覗き込んだ。


「――――!」


 もし義臣が生来のコミュ障の口下手で喋り慣れていない男でなければ、悲鳴をあげていたことだろう。

 そこには女がいた。月光を受けて輝く美しい銀色の髪をウルフカットにしたタンクトップの女だった。顔は後ろを向いていて見えない。だがそれより目を引くのは女の足元に広がる血の海と、女が貪るものであった。太い棒のようなそれは、見間違うはずもない。人間の腕だった。それがボリボリという骨を砕く咀嚼音と共に女の口へと消えていく。


(――――――――)


 現実離れした事態に理解が追い付かない義臣だが、取り合えずここは三十六計逃げるに如かずであることは直感的に判断できた。

 物音をたてぬよう後ずさりをする。だが、


「あはっ。ネズミの臭いがする」


 女がその場で跳躍すると、建物の壁を足場にあっさりと義臣の背後に回り込んだ。いや回り跳んできた。

 その時、初めて義臣は女の顔を見る。

 血をべっとりとつけたノコギリのようにギザギザした歯に、血のように真っ赤な瞳。


(美しい)


 ふと、場違いにそんなことを思った。

 女は残っていた人間の腕をボリボリと凄まじい速度で口の中に噛み込んでしまうと、ぺろりと舌で自分の唇を嘗めとると最後に腕で拭った。


「俺はネズミじゃない、人間だ」


「あはっ! 知ってるよ、そんなこと。比喩だよひーゆー!」


 赤い目を爛々と輝かせながら女が近づいてくる。

 女の顔には喜びの色があった。まるでレストランでご馳走を前にした子供のような。

 今だ、と死んだ祖父に剣術を叩き込まれた本能が義臣の体を動かした。

 女の頭に渾身の力を込めて鉄パイプを叩き込む。


「あはは、痛いじゃん」


 嘘つきめ、と義臣は心中で吐き捨てた。

 鉄パイプが頭に直撃した女は、倒れるどころか血一つ流していなかった。舌を出しながら嗜虐心たっぷりに義臣を見ている。

 躱されるなら、まだ良かった。当てることさえできれば、どうにかなるかもしれないという希望が抱けたから。けれど本気で殴って、それでもまったく通用しないというのであれば、もはやどうしようもない。そして壁を足場に跳んできた動きの機敏さだ。逃げることもできないだろう。

 辰巳義臣は静かに、自分が俎板の鯉であることを確認した。


「正直さ、あたしって別に大食いってわけじゃないし、お腹はそこそこ膨れてるんだけど、たまにはお腹が痛くなるほど沢山食べちゃってもいいよね。アンタって結構顔の作りは整ってて美味しそうだしさ」


「俺を食べるのか? そもそもお前はなんだ? 人間じゃないだろう?」


「人狼だよ。聞いたことない? 狼人間ってさ」


「…………」


 義臣は頭上を見上げる。月は寝待月だった。


「満月じゃない」


「は?」


「狼人間は満月に変身して人を襲うんじゃないのか?」


「変身するのは満月だけだよ。だ・け・ど…………食欲は毎日なの。人間だって毎日喰わなけりゃ死ぬでしょ。あたしも同じ」


「そうか」


 言われてみればその通りかもしれない、と妙に納得してしまった。


「じゃあ食べるよぉ。さあ逃げな逃げな! 泣いて許しを請ってアタシを楽しませたら、殺してから食べてあげるかもよ!」


 女が涎を滴り落としながら、じりじりと恐怖をあおるように近づいてくる。

 それに義臣は表情を変えぬまま、


「少し待て」


 と、手で待ったをかけた。


「なぁに? 遺書でも残す?」


 ケラケラと笑いながら女が言うと、


「ああ、そうだ」


 そう答えて鞄の中から、このような時のために用意してあった巻物と筆を取り出すと、硯に墨を磨り始めた。


「は?」


 いきなりのことに女はポカンと口を開けたまま硬直する。正座して墨を磨る義臣の仕草は異様なほど落ち着いていた。


「ちょ、え、マジで書いてんの?  ここで? あたしの前で?」


「ああ、遺書を書き終えるまで慈悲をかけて貰いたい」


 そっけなく義臣が言うと、女は笑った。


「あはっ、面白すぎない? あたしに食われかけてるのに、その場で呑気に遺書を書き始めようとする奴は初めてだよ。普通泣くか逃げるか抵抗するかだよ」


「逃げてもお前の速さでは意味がないだろうし、抵抗はさっきして無駄と悟った。つまり俺に勝ち目はなく、助かる道はない。なら考えるべきは死後だ」


 だがそこまで言って義臣は大事なことを思い出した。


「なあ」


「なによ?」


「俺は祖父が死んでから天涯孤独なのだが、誰に向けて遺書を残せばいいんだ?」


「知らないわよ!!」


 うがー、と女は怒ったように怒鳴る。そして女は肩で息をしながら呆れたように言った。


「アンタさぁ。あたしみたいな化け物前にして食い殺されようとしてるのに、呑気に遺書なんか書き出してさあ。頭おかしいの? それとも死にたいの?」


「別に、死にたくはない。だが死ぬなら遺書くらい残したい」


「でも天涯孤独なんでしょ? そうだ! なら友達とかに残せばいいじゃん! あとあとガールフレンドとか!」


「生まれてこの方、一人も友達ができたことがない」


「あ、そう。なんかごめんね」


 謝られた。人食いの人狼に。

 すると女は面白いことを思いついた、という顔をしながら提案してきた。


「それじゃあさ、あたしに残すってのはどうよ?」


「お前に?」


「うん! だってアンタを食べたらアンタってあたしの血肉になるわけじゃない? もうこれって身内みたいなもんじゃない? 身の内に入るんだしさ」


「……そうか、身内か。良かった。俺は既婚者でなくて」


「は? 既婚者?」


 女は暫く思考停止していたが、数秒してようやく理解が追いついたのかポンっと顔が真っ赤になった。


「はあああ!? 何言ってんのアンタ! 全然そういう意味じゃないから! ってか恋人すらできたことないのに結婚って……それにあたしは、プロポーズはされる方が……って何言わせんだよ馬鹿!」


「…………そうか」


「アンタさ、もしかしてあたしのこと舐めてない? 食い殺すなんて脅しで、自分は殺されないとか思ってるでしょ」


「いや、目の前で人間が食われているのを見て、そう思うのはあまりにも楽観的過ぎるのではないか?」


「だったらもうちょっとビビれよ!」


「…………すまん。感情を表に出すのが苦手なのだ。ところで」


「なによ?」


「お前の名前はなんと言うんだ? お前あてに遺書を残そうにも、名前が分からないのであれば書きようがない」


「本当にあたしに遺書残す気なのかよ」


「嫌か? ならやめよう」


「は? だ、誰も嫌なんて言ってないし。そ・れ・にぃ……あはっ! あはははははははははは! 食い殺す相手から遺書(ラブレター)貰うなんて初めて♡ どんな手紙書くか見せてよ」


「駄目だ。遺書なのだから俺が死んだ後に読め」


「ふーん、それもそうね。じゃああたしの名前を教えてあげる、代わりにお前の名前も教えてよ。あたしに初めて手紙をくれる男の名前なんだから憶えておきたいもん」


「辰巳義臣だ」


「ヨシオミね。あたしはユラ・カーネイジ、覚えておいてね」


「ああ、死ぬまで忘れん」


「あはっ♡ それじゃ遺書の続きどうぞ。楽しみに待っててあげる」


 女は――――ユラはその辺においていたビールケースに腰を下ろすと頬杖をつきながら義臣が遺書を書き終わるのを待った。

 義臣もたまにユラを眺めたりしながら遺書を淡々と書いていく。体は全部食べてもいいが首級だけは残してくれると嬉しいことや、自分のこれまでの生涯をさらっと説明しつつ、ユラと初めて出会った時の衝撃などを書きつつ、辞世の句も考えて綴っておく。

 暫く義臣が遺書を書く音だけが路地裏に響いた。

 そして、


「書き終わったぞ」


「そ、じゃあ食い殺すね」


 ユラが立ち上がる。そうしてどこか恍惚とした顔で義臣に近づき、


「待て」


「なに? いざ死ぬとなってやっぱり怖くなった? いいよ、命乞いしなよ。アンタが泣き喚いて、跪いて命乞いするところ見たいから」


「終わったから、腹を切ろう」


「は?」


 キョトンとするユラを置き去りにして、義臣はこんな時のために常に準備している短刀を取り出した。満月でないのが惜しいが、月もよく見えるので絶好の腹切り日和である。

 その場で正座すると義臣は学ランのボタンを外して脱ぎ去ると、ワイシャツを捲り上げた。


「待て待て待て! なんで短刀持ってるの!? なんで切腹セット完備なの!? おかしいでしょ!」


「日本男子たる者、いざという時に腹を切るために常に切腹用の刀を携帯しておくものだ」


「んなわけないでしょ! いつの時代よ!! もう令和! 江戸時代は百五十年以上前! 刀携帯する奴なんているはずないでしょ! 銃刀法違反ってやつよ!」


「……そうなのか?」


「そうに決まってんでしょ!」


 何故か人食いの人狼が、人間の義臣に人間の常識を説教するというあべこべの状況が起きていた。


「とにかくこれは没収! 没収ね! アンタさあ! あたしが殺す前に死ぬとか許されないから! 順序ってものがあるでしょ!」


 そう言ってユラは義臣の手から強引に刀を奪うと、地面に放り捨てる。

 人狼の圧倒的膂力の前では抵抗する術などはなかった。


「いい? アンタはあたしが食べるの。つまりアンタの死に方はあたしが決めるの! 分かった?」


「しかしどうせ死ぬなら侍として名誉ある死に方をしたい」


「さ、侍?」


 ユラは義臣のことをじろじろと見てきた。


「もしかして……アンタってさあ、本物? ガチ? ガチの人なわけ? コスプレとかファッションとかオタクじゃなくて、頭のねじが吹っ飛んだガチのヤバい人?」


 奇異の視線を向けていたユラだったが、どんどんその表情が嗜虐の愉悦に染まっていく。


「くひ、ひひはははははは! いいよハラキリ! ハラキリで死なせてあげるよ!」


「本当か。では」


「でも条件がある」


 転がっている短刀を拾おうとした義臣をユラが掴んで止めた。そして吐息がかかるほど顔を近づけると囁くように言った。


「あたしがやる。アンタじゃない。あたしの手で、アンタの腹を切ってあげる」


「…………」


「面白いじゃん。ガチな侍があたしみたいな小娘の手でハラキリさせられるんだよ。最高に絵になるじゃん。ねえ決まりでしょ?」


「お前は切腹をなにも分かっていない」


 人間を容易く殺せる人狼を前に、義臣は溜息をつきながら冷然と言い放つ。自分の生存を諦めた人間は無敵だった。


「は? なにが?」


「斬首などの処刑は他人に殺されるという恥辱だが、切腹は自らの意志をもって自らを終わらせる武士にとって名誉ある死に方。腹を切られて殺されるのは切腹とは言わんのだ」


「ふーん、名誉ねえ」


 ユラはスマートフォンを取り出してどうやら切腹について調べているようだ。「名誉、許す、死に様」などと呟くのが聞こえる。

 義臣は少し感心する。人狼という人でなしの化け物までスマートフォンを携帯するとは凄まじい時代になったものだと。


「よく分かんない」


「そうか」


「あ、勘違いしないでよね。あたしが分かんないっていうのは、切腹そのものじゃなくて、アンタが切腹しようとすることそのものよ」


 ユラは探るような眼で義臣を見た。


「さっきも言ったけどさあ。今って令和なのよ。れ・い・わ! このご時世になんで切腹とかしようって発想になるわけ? 学校のカバンに短刀持ってるところなんかもう意味不明だし。まさか自分は江戸時代からタイムスリップしてきた侍とか言わないわよね?」


 心臓を鷲掴みにされたかと思った。

 もちろん義臣の心臓はまだ動いているが、ユラの言葉が脳に届いた瞬間、比喩ではなく心臓が止まった。

 義臣は脂汗を流しながら、ユラを見る。

 ユラ・カーネイジ、人喰いの人狼、人ならざる怪異。

 生唾を呑みこんだ。震えを止める。

 義臣は決断した。


「短刀を持っているのは祖父に日本男子たる者、いざという時は常に切腹する覚悟で生きろと教えを受けたからだ」


「うわっ、なにその祖父。頭ン中、戦前かよ。つまりその祖父のせいでアンタはこうなったってわけ?」


「違う。それは短刀を携帯している理由でしかない」


「じゃあなに?」


「信じて貰えるか……分からんが……」


「信じるかどうかは聞いてから決めるからちゃっちゃと言いなよ」


「俺には、前世の記憶がある」


 傍から見ればあっさりと、だが内実には渾身の覚悟で義臣は言った。


「ぜ、ぜんせぇ!?」


「ああ、前世の俺は武士で江戸町奉行所の同心をしていた」


「いや、そんなこと言われてもあたしは江戸時代の役職とか知らないし」


「必殺仕事人は見たことがあるか? 主役の中村主水と同じ職業だ」


 義臣は有名な時代劇の名前を出す。

 自分の前世の時代を舞台にした時代劇や時代小説は、義臣にとって最も愛する娯楽であった。問題はいくらトップクラスに有名な時代劇とはいえ、令和からすればかなり昔の作品をユラが知っているかだが、


「え、ああ必殺仕事人なら聞いたことあるよ! てってれてーってBGMで金貰って殺すやつでしょ?」


「間違っていないが……」


 幸いユラは必殺仕事人の存在くらいは知っている様子だった。その覚えようについては物申したいところではあるが。


「つーかマジ? 嘘ついてたら殺すよ?」


「どうせ喰い殺すつもりでいる状況で”殺す”というのは脅しにならないのではないか?」


「うっさい! じゃあ嘘ついたら殺す前に爪剥がす! あれ、すごく痛いのよ? 指が切断されるよりも痛みだけなら上だわ」


 他人にやったのか、自分がやられたのか、或いはその両方か。ユラは物騒な脅しをしてきたが義臣の表情は変わらない。


「そうか。だが嘘は付いていない。全て事実だ」


「証拠は?」


「物的なものはなにも。だが証言ならできる。先ず俺の前世の名前は永井惣兵衛義盛といって――――」


 久々に前世のことを話せるので、珍しく多弁になった義臣が立て板を流れる水のようにスラスラと語りだす。自分を生んだ両親のこと、幼い頃を共に過ごした友人たちのこと、同心として勤め始めてからのことなど。


「だー! 分かった分かった! 信じるわよ!」


 だが二十分以上一方的に話していると、ユラが強引に話を中断させてきた。


「……まだ語り足りないのだが。せめて俺が結婚を前にして、俺を逆恨みした暴漢に背後から刺された無念の記憶を」


「だからもういいっての! ったくいきなり饒舌になりやがって」


「前世の話などしたら、狂人と扱われるからな。この話をして、信じてくれたのはお前だけだ。感謝する」


 それは嘘偽りのない心からのものだった。


「感謝ってねえ! アンタを殺そうとしてる人狼相手に感謝っておかしいんじゃないの!?」


 驚いたユラが耳を赤くさせながら言った。


「そうかもしれん。だが俺には嬉しかった」


 義臣は己の前世のことを、二人の人間に話した。

 一人は育ての親である祖父。もう一人は小学生時代の親友だった者だ。

 育ての親である祖父は古流剣術の師範をしていた時代錯誤な人間で、義臣よりも江戸時代の侍らしい男だった。それだけに気が合い前世の話をしたのだが、返答は木刀の一撃だった。昔気質で時代錯誤な人間だからこそ、生まれ変わりという怪談話を『くだらない』と頭から信じようとしなかったのだ。

 もう一人の親友だった者。彼は前世のせいで周囲に馴染めず孤立しがちだった義臣に、唯一親身にしてくれた人物だった。だから義臣は前世のことを話したのだが、返ってきたのは『えーと、なにかのアニメの内容?』であった。

 親友だった者は悪くない。普通の人間として普通のリアクションをしただけだ。しかしそれ以来、義臣はその親友を親友と思えなくなり、距離を置くようになって、クラス替えで関係は自然消滅した。

 だからこそ、だろう。

 たとえそれが人狼だろうと、人喰いの怪物だろうと、人ならざる怪異であろうと。

 信じてくれたことが、たまらなく嬉しかったのだ。


「……ふーん、そっかぁ嬉しかったんだぁ。へぇ」


「なぜお前まで嬉しそうな顔をする?」


「だってあたしも初めてだったから――――他人を嬉しくさせるのって」


「………………寂しい人生を送ってきたのだな」


「は? お前にだけは言われたくねーし! あんまり舐めるなよ、あたしの餌の自覚あんの?」


 同情の視線を向けたら、ユラに激怒された。目が据わっていて、目が細まっている。

 しかし義臣はそんなことで止まらない。


「だが人間はお前にとって餌だから仕方ないにしても、同じ人狼相手に真っ当にコミュニケーションをとることはなかったのか?」


「父親は物心ついた時からいなかったわ。母親はあたしが三歳くらいの頃、人間相手に不覚をとって死んじゃった」


 ピクリと義臣の肩が動く。


「不覚? 人狼が人間相手に不覚をとり死んだだと? どういう風に死んだのだ? 冥途の土産に是非教えて欲しい」


「ふっ、冥途の土産ってなら教えてやるよ。あれは――――」


 義臣の目に淡い希望が宿り、ユラの答えを待つ。だがユラが義臣の目の色に寸でのところで気づいてしまった。


「って教えねえよ! 教えたらあたしで実践する気でしょ!?」


「ばれたか」


「はぁ、もういいや。アンタと話してると調子狂うわ。そろそろ殺すわね」


「!」


 そう言ってユラがぐぐっと伸びをした瞬間だった。

 一瞬の隙をついて義臣は縮地法を用いて走り出し、ユラに奪われ転がされた短刀を拾い上げる。

 ユラが「は?」と気づいて止めようとした時、既に義臣は短刀を鞘から抜いた後だった。そして、


「動くな!! これより俺は腹を切る!!」


「ふっざけんな! アンタの命はあたしのものだって言ってんでしょ! 勝手にハラキリして死ぬとか許さないし!」


「許しがあろうとなかろうと、お前が止めるより俺が腹に刀を突き刺すほうが速い」


 構わず近づいてこようとするユラを制するように義臣が睨みつける。


「あのね、あたしがどれだけ人間食べてきたと思うのよ? 人間はお腹に刀が刺さった程度で即死しないわ。お腹を刺した後にでも止めてやれば――――」


「なんの問題もない。腹に刀を突き立ててさえしまえば、その後にお前が俺を殺そうと切腹の”介錯”だ。俺の切腹は完遂される」


「は?」


 当たり前のことだが人間は腹部を切るだけでは即死しない。そのため切腹には腹を切った直後、速やかに首を切り落とす介錯人がいた。

 逆に言えば義臣が腹を切った時点で、ユラが義臣を殴り殺そうが、爪で切り殺そうがそれは自決の介錯ということになるのだ。

 滅茶苦茶な理屈ではあるが義臣は本気でそう信じていた。


「さらばだ。願わくば一瞬で殺してくれ」


 勝ち誇った顔でそう一方的に告げた義臣は、なんの躊躇いもなく腹に短刀を突き立てた。

 しかしユラが義臣のアレっぷりを侮っていた一方、義臣の方もユラという人狼の力を侮っていた。


「っざけんな!!」


 ユラは無理やり義臣から短刀を抜くと、足で踏みつけて粉々に砕く。そして腹から血を流す義臣を押し倒した。


「ころ……せ……」


 口から血を吐きながら義臣が声を絞り出す。しかし互いの吐息が触れるほど顔を近づけたユラは怒鳴った。


「嫌だ! アンタの命はあたしのものなんだ! 介錯? それってアンタの自殺をあたしが手助けするってことでしょ! そんなのは許さない!」


 そう言いながらユラが義臣の傷口を舐める。すると人狼の唾液に効果があったのか、嘗めるという行為が大事だったのか。義臣の切腹の傷がたちまちのうちに治っていった。


「なにをやっているんだお前は?」


「あはははは! 傷口がなくなったってことは、アンタの切腹もノーカウント! 残念だったね!」


「なぜそこまで執拗に自分で殺すことに拘る? お前は俺を食えればそれでいいはずだろう?」


 人狼であるユラにとって、義臣は人間にとっての川魚のようなものだ。スーパーで魚を買う主婦も、その魚がどのようにして死んだかなどについて一々思いを馳せたりはしないだろう。

 ユラは肯定するように頷いた。


「うん、他の餌ならそれでいい。あたしが人間殺して食べるのは、食欲満たすの九割で、いたぶったり命乞いさせたりして遊ぶのは趣味だからさ」


「悪趣味だな。俺にも、そうさせたいのか?」


 流石に眉を潜めた義臣だったが、ユラは意外にも躊躇するような顔をした。


「…………違う。アンタは違うわ」


「どこが違うというのだ? 同じ人間のはずだ」


「だってアンタ、あたしと同じじゃない」


 時間が、止まった。

 心臓が裏返った心地がした。


「……俺は狼人間じゃない」


 再起動した義臣が、震えるように言った。


「そういうことじゃないわよ! アンタ江戸時代の侍の生まれ変わりなんでしょ? 他にお仲間はいた?」


 それが人間として、生物学上の同類としての『お仲間』を意味しないことは流石に読み取れた。

 生まれ変わり、より正しくは前世の記憶を持つ生まれ変わり。

 それは確かに人狼と同じく、人ならざる超常の怪異に相違なかった。


「いや……前世の記憶がある人間というのはポピュラーな怪談だ。きっと同じ人間がいるはずと思い調べた」


 そう、調べたのだ。最初の切っ掛けはテレビの番組だっただろうか。前世の記憶を持つと主張した過去の人物を、解説役の教授が紹介してコメンテーターの芸能人たちがわいわいとしていたのを覚えている。

 祖父も、親友であった者にも信じて貰えなかった前世の記憶を、自分と同じ境遇なら信じて貰えるかもしれない。そう希望を持って、当然のように裏切られたのだ。


「……ネットで『前世 記憶』と調べて同じ境遇の人間がいないか調べて、いれば接触を試みたこともある。前世が織田信長公であると主張する宗教家にも会いに行った。だが、どれも偽物だった」


 ちなみにその宗教家は詐欺罪で警察に逮捕され、現在は服役中である。

 義臣の話を聞いていたユラはなにが面白いのか、くすくすと微笑んだ。


「あたしもよ。母さんが死んでから、あたしは一人の同族に会ったことがない。吸血鬼とか妖狐とか幽霊とか、他の怪異には出くわしたけど、そいつらも人狼はあたしが初めてだってさ。きっと人狼ってのは絶滅危惧種なんだろうねえ」


「そうなのか」


 怪異の事情なんて知らないので適当に相槌を返した。


「うん――――今なら分かる。あたしがお前と話しててなんとなく楽しい気分になったのって、あたしと同じ”一人ぼっち”だったからなんだって」


 一人ぼっち。義臣が小学生の頃、よく言われてきた言葉である。


「よく分からんが、同じ一人ぼっちだと、俺を食うだけではなく直接殺したくなるのか?」


「うん。アンタを食べるだけじゃない。アンタを殺すのもあたしがいい。アンタの全てが欲しいの」


 ユラのとろんとした瞳からは、絶対に逃してなるものかという執着をありありと感じた。不覚にも、その顔が綺麗だと思ったので、義臣は切腹を諦めることにした。


「……条件がある。俺の頼みを一つ聞け」


 だがただで諦めるほど義臣は往生際が良くはなかった。


「条件が出せる立場だと思ってるの?」


「俺とお前は”同じ”なのだろう。だったら条件の一つくらい聞いてくれてもいいではないか。もしこの条件を呑むのなら、お前に殺されてやる。切腹もしない」


「へぇ……いいよ、言ってみな。あたしにできることならしてやるよ」


 なんでも、その言質をとれたことに義臣は目を見開いた。


「――――結婚してくれ」


 そして義臣は途轍もない条件を、人狼相手に突きつけた。


「うんうん、結婚ね? ――――――――って、はあああああああああああああああああああ!? どういうことよ結婚って!!」


「どうもこうも、前世の俺は結婚前に殺されて死んだ。今世でもお前に食い殺されようとしている。二度も人生を得ながら、二度とも結婚できずに終わるのは、あまりにも無念だ。だから死ぬ前に結婚したい」


 前世で結婚直前に不慮の死を遂げたこともあって、義臣の結婚に対する執着は強かった。ともすれば武士の名誉と同じほどに。

 だからこそ武士の名誉を捨てるなら、そちらは果たしたかった。


「結婚って……でも、ほらあたしって人狼だし、そういう書類提出とか無理よ? そもそもアンタだってちゃんと成人してんの?」


「法的なことは、この際いい。そうだ、廃教会があったはずだからそこで二人で挙式をあげよう。そこで嘘でも『愛してる』と言ってさえくれれば、俺は…………お前に食い殺されることを受け入れる。命乞いはしてやらないがな」


「それ本気? 適当なこと言って誤魔化して逃げようとしてるとかじゃなく?」


「疑うなら起請文を書くし、金打もしよう。どちらも武士にとっての絶対の誓いだ。破れば俺はもはや武士ではなくなる」


「……いらない、そんなのいらない。あたしと同じ一人ぼっちのアンタが言うことなんだもん。無条件で信じてあげる」


「それは、重いな」


 無条件の信用。それをどこまで重く受け止めるかで男の価値は決まると義臣は思っていた。だからこそ義臣はそれに最大の高値をつけている。


「夫婦ってそういうものでしょ」


「ああ、そうだな」


「けどだったらあたしも一つだけ条件を変更させて。アンタのこと――――食べるのやめるから」


「え?」


 ユラが提示してきた条件が、あまりにも滅茶苦茶……というより問題をちゃぶ台返ししていたので、思わず義臣は口を半開きにしてしまった。


「何故だ? これはお前が俺を殺して食うための条件交渉だったはずだ」


「なによ。食べられたいの?」


「食べられたくはない。俺とて死なずに済むなら、命は惜しい」


「ならいいでしょ。あたしはアンタを食べない。だって――――結婚するってことは、あたしたち夫婦になるんだよ? ずっと一緒ってことなんだよ! だったらさ、そんな相手を直ぐに食べるなんて勿体ないじゃん」


 恐ろしい人狼であるはずの女は、まるで夢見る少女のように笑いながら言った。その姿にまたしても義臣は不覚をとる。可愛いと、そう思ってしまったのだ。


「……本気か? 口だけの結婚ではなく、本気で俺と夫婦になるつもりか?」


「馬鹿にしないで。あたしが好きでもない奴と口だけでも結婚するかよ。お……お前はどうなの? あたしのことちょっとでも意識してたから、結婚してくれって言ったんじゃないの?」


「お前という”女”に対して意識したことか」


「そうよ! 嘘ついても分かんだから正直に言えよ!」


 そこまで言われたならやむを得ない。義臣は恥を覚悟で、自分の心の中を曝け出すことを決めた。


「嘘偽りなくお前を女として見た場合の所感を述べるなら――――」


 義臣の視線がユラの足から、太ももへ移り、そして尻に移る。


「ムラムラします」


「は?」


 空気が、凍った。


「俺は女体の部位では尻と足が特に好きだ。そして――――俺の見立てでは、お前はそのどちらも極上とみた」


「ふっざけんなお前!」


「ぶほぉあ!?」


 引っぱたかれた義臣が、三回転半しながら吹っ飛ばされる。


「なんなの!? あたしロマンチックなセリフくるのかなーってワクワクしてたのよ! それがムラムラ? 尻と足が極上? 馬鹿!! アホ!! 鴻上博士!!」


「嘘を吐けば分かると、そう言ったのはお前ではないか。だから赤裸々に正直に……」


 顔を真っ赤にして憤激するユラに、義臣は不服を露わにした。

 別に義臣とて自分の欲望を語って聞かせて興奮する特殊な性癖の持ち主ではない。相手が結婚するかもしれない相手なら猶更だ。しかし正直に言えと言うから、その通りにしたのだ。


「オブラートに包むとかあるだろうが! あたしのこと魅力的に思うとかそういう風にさぁ!」


「分かった、やり直そう。異性としてとても魅力的で、惹かれるものを感じている。これでどうだ?」


「遅ぇーよ! 一度言った言葉は取り消せないの!」


「そうか……では、お前と夫婦になることはなく、俺はここで死ぬのか。残念だ」


「え!?」


 不合格なら当然そうなるはずと思っていた義臣は、ユラの意外なリアクションに怪訝な目を向けた。


「どうした?」


「やだ」


 短い、けどはっきりとした意志でユラが言う。


「なに?」


「不合格にするのやだ。だからチャンスやるから、もう一回言えよ」


「なんと言えばいい?」


「プロポーズの言葉、もう一回。今度はちゃんと心を込めて」


「なら俺からも一つ要求する」


「な、なによ」


「俺の名は辰巳義臣だ。名前で呼べ――――ユラ・カーネイジ」


「よし、おみ」


「ああ」


「ヨシオミ、ヨシオミ……ヨシオミ、ヨシオミ、ヨシオミヨシオミ……ヨシオミ♡」


「ああ」


 愛おし気に義臣の名前を呟く。僅かにあった結婚への躊躇いも、これで全て消し飛んだ。


「はい、それじゃあヨシオミの番よ」


「俺と夫婦になってくれ、ユラ」


「あはっ! ずぅっと逃がさないからね、旦那様♡」


 そうして義臣はユラと手を重ね合わせる。

 掌を通して互いの体温が伝わった。生きた生き物の、温もりだった。




 そうして一週間後。義臣はユラを連れて廃墟となった教会に来ていた。

 しかも義臣はタキシードで、ユラの方はウェディングドレス姿である。どうせ二人だけとはいえ式をあげるならウェディングドレス姿が見たいと義臣が譲らずレンタルすることになり、義臣は自分の服装はどうでもいいと言ったのだが、今度はユラの方がタキシードが良いと譲らず、結局両方ともレンタルすることになったのだ。

 レンタル代は義臣持ちである。

 なるべく使わずにとっておこうと思った祖父の遺産であったが、生涯一度の晴れ舞台ならばやむを得ない義臣は使うことを決断した。

 後悔はなかった。何故ならウェディングドレス姿のユラが、たまらなく美しかったからだ。


「へえ、ここが言っていた廃教会?」


 ユラと腕を組みながら、義臣は廃教会に入る。

 既に誰も立ち寄らなくなって久しいせいで、中まで草木が生えてボロボロだった。それでも神の祝福というやつなのか、十字架は原型を留めている。


「ちゃんとしたところが良かったか?」


「いいよ、神様とか好きじゃないし。それにここはここで雰囲気あっていいじゃん。人狼と人間なんて、冒涜的二人の結婚にはピッタリじゃない?」


「冒涜的、か」


「なに? 今更あたしみたいな化け物と結婚することにビビった?」


 義臣の腕を組む力が強くなる。ユラの瞳が不安そうに揺れていた。


「恐怖が皆無と言えば、嘘になるだろう。ああ、俺はどうかしているのかもしれん。人間として誤っているのかもしれん。だが、だとしても――――俺は、初めて俺を見つけてくれた、お前と夫婦になりたい。最初にプロポーズしたのは適当なものだったが、今は心から、そう思う。お前でいいのではなく、お前がいいのだ」


「~~~~~~~~~~~! 一つ! 一つだけ訂正! 名前! お前じゃなくて名前!」


「ユラと、結婚したい」


 長い本心を極限にまで圧縮して放った。するとユラは華のように笑った。


「正解。それじゃさ! それじゃあさ! 写真撮ろうよ! あたし! 今この瞬間を写真に残したい!」


「え? 誓いのキスは?」


「あとでいくらでもしてやるよ! だから写真!」


「分かった、約束だぞ」


 ユラが義臣の隣で、二人がちゃんと映るように手を伸ばしてスマホを掲げる。ユラがぎゅっと義臣の首にしがみついてきた。

 ユラがにへっと笑う。


「笑って。アンタいっつも仏頂面だから。ほら、笑って」


 あまり笑顔を作るのが得意ではない義臣の口元が、自然と緩む。

 ユラの横顔を覗けば、ボロボロの泣き笑いだった。


「せーので撮るよ。あたしらの結婚式」


 人喰いの人狼と夫婦になるなど、狂っていると余人は言うだろう。

 けれど今は、この狂気こそが愛おしい。

 そしてカシャッという音で、世界で一番幸せな夫婦の記念写真が出来上がった。


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