※閲覧注意 捕まらない悪から命を守る(※お詫びあり)
※お詫び:この作品の投稿当初、犯罪を正当化するような表現が含まれていました。AIの誤りの見落としが原因でした。訂正しておきました。
心よりお詫び申し上げます。
※本作は自殺や迷惑行為をテーマに扱っています。
直接的な描写はありませんが、心が疲れている方はご注意ください。
第一章 増え続ける「理由なし」
「理由はありません。ただ、限界でした」
遺書の写しを前に、秋山漣は目を閉じた。
最近、同じ言葉が続いている。
いじめでもない。
借金でもない。
はっきりした暴力の跡もない。
だが、心が少しずつ削られている。
医療連携の現場でも、似た報告が上がっていた。
“はっきりしない精神的な圧迫”
言葉にすると弱い。
けれど、現場では確かに重い。
同じ時期、別の相談も増えていた。
「はっきり触られたわけじゃない。でも、怖いんです」
証拠はない。
警察に行っても、事件にするのは難しいと言われるかもしれない。
それでも、恐怖は本物だ。
感じた側の身体は、嘘をつかない。
秋山は考える。
これは偶然が重なったのか。
それとも、何か共通する流れがあるのか。
すぐに答えは出さない。
だが、違和感は消えなかった。
第二章 前向きさの影
ネットでは、強い言葉が人気を集めていた。
「苦しいのは考え方の問題だ」
「意識を変えれば、世界は変わる」
希望のようにも聞こえる。
実際に救われた人もいるだろう。
だが秋山の相談室では、別の声があった。
「前向きになれない自分が悪い」
「頑張れない自分は価値がない」
回復の途中にいる人にとって、
強い前向きさはプレッシャーになることがある。
プラス思考は、力を使う。
力が残っていない人には、重い。
秋山は断定しない。
言葉が直接命を奪うとは言えない。
だが、追い詰められた心に、
さらに重りをのせることはある。
前向きさが悪いのではない。
使う場面と、相手の状態を間違えると、
刃物のようになることがある。
第三章 境界を踏む男
数週間後、四十代半ばの男が相談室を訪れた。
痩せ型で、落ち着かない目をしている。
最初は仕事の愚痴だった。
やがて、彼は言った。
「自分は、誰かを不快にしているかもしれません」
秋山は姿勢を正した。
「ここは言い逃れの場所ではありません。必要があれば、専門機関につなぎます」
男はうなずいた。
彼は長い間、“問題にならない範囲”を選んできたという。
大きな暴力ではない。
だが、相手が嫌だと感じるかもしれない距離の取り方。
相手の沈黙を、同意だと解釈してしまう癖。
「はっきり拒絶されたことはない」と男は言った。
秋山は静かに返す。
「拒絶されなかったことと、安心させていたことは同じではありません」
沈黙が落ちる。
男は続けた。
「犯罪はしていないと思います」
秋山は視線を外さなかった。
「法律に触れていないことと、相手を傷つけていないことは、同じではありません。
怖いと感じたなら、それは無視してはいけない事実です」
責める口調ではない。
だが、線は引かれている。
「やめたいですか」
男はすぐには答えなかった。
やがて、小さく言った。
「やめたい。でも、やめきれる自信がない」
長く続いた行動は、癖よりも深い。
考える前に体が動くこともある。
秋山はうなずいた。
「意志だけでは足りません。仕組みを作ります」
彼は具体的な支援を提示した。
・衝動が起きる前の体の変化を記録する
・相手の立場や恐怖反応について学ぶ
・一人になりやすい状況を減らす生活設計を作る
・第三者が定期的に確認する仕組みを入れる
「本気でやめるなら、方法はあります。
ただし、正当化はしないことです」
男は、初めてまっすぐ目を合わせた。
第四章 倫理の線
秋山は悩んでいた。
もし、はっきりした被害があれば、通報の義務がある。
だが今は、証拠も特定の被害も確認できない。
怒りだけで動くことはできない。
倫理は、感情よりも先にある。
秋山は記録を整理し、匿名で専門家チームに相談した。
一人で判断しない。
自分の正義を絶対にしない。
強い正義感は、ときに別の加害を生む。
目的は罰することではない。
これ以上の被害を出さないことだ。
秋山は自分に言い聞かせる。
敵を作るのは簡単だ。
だが、構造を変える方が難しい。
そして、必要なのは後者だ。
第五章 揺らぐ因果
同じ時期、地域の自殺統計に小さな変化が出ていた。
わずかに減少。
理由は特定できない。
相談窓口の増加。
学校での心の授業。
メディアの報道の変化。
医療の連携強化。
いくつもの歯車が、少しずつ動いている。
秋山は思う。
あの男の変化も、
ほんのわずかでも、どこかに影響しているのだろうか。
だが、断定はしない。
一人の更生が、
誰かの苦しみを帳消しにすることはない。
「自分が救った」と思い込むことは、
別の危うさを生む。
人の命は、
一人の力で増えたり減ったりするほど単純ではない。
それでも――
何もしないより、何かをするほうがいい。
小さくても。
守る側に立とうとする人が、
一人増えるだけでも。
第六章 崩れないための仕組み
治療は順調とは言えなかった。
男は何度も言った。
「自分がどれほど無神経だったのか、正直まだ実感しきれません」
そこが難しかった。
大きな暴力ではない。
だが、
相手が凍りつく可能性を想像せず、
自分の欲求を優先する。
それを長年続ければ、
感覚は鈍くなる。
治療ではまず、
相手の視点を学ぶことから始めた。
・嫌だと言えない状況とは何か
・体が固まる反応とは何か
・「大したことない」と言ってしまう心理とは何か
男は最初、目をそらしていた。
「自分はそこまでではない」と、何度も言いかけた。
だが三か月後、彼は言った。
「自分は、“問題にならなければいい”を基準にしていました」
秋山はうなずく。
重要なのは自己嫌悪ではない。
再発を止める仕組みだ。
男は生活を見直した。
・一人で夜間に出歩かない
・衝動が高まる状況を書き出す
・支援グループに定期参加する
・違和感を感じた相手からは即座に距離を取る
「やめよう」と思うだけでは弱い。
「できない形」に変える。
それが現実的な対策だった。
更生とは、許されることではない。
同じことを繰り返さないための、
継続的な責任だ。
第七章 正義の誘惑
だが、秋山の心にも揺れがあった。
もし、この男のような人が
あちこちにいるとしたら。
もし、強い言葉で人を追い込む発信が、
知らないうちに誰かを傷つけているとしたら。
はっきりした証拠はない。
だが、可能性はある。
ある夜、秋山は自分に問いかけた。
自分は本当に、
構造を見ようとしているのか。
それとも、
分かりやすい「悪者」を探したいだけなのか。
犯人を決めれば、物語は簡単になる。
だが現実は違う。
捕まらない悪の多くは、
制度の隙間と、
人の弱さと、
無関心が重なって生まれる。
特別な怪物がいるわけではない。
だからこそ、
対処は難しい。
怒りは必要な感情だ。
だが、怒りだけでは続かない。
秋山は深く息を吐いた。
冷静に進む。
守る側に立ち続ける。
第八章 揺らぐ街
半年後。
相談室の予約は増えていた。
だが、内容が少し変わっていた。
「通報しました」
「学校に相談できました」
「自分の違和感を無視しなくていいと知りました」
声が、言葉になり始めている。
統計も、わずかに動く。
自殺率はゆるやかに減少。
迷惑行為の相談件数は増加。
一見、矛盾している。
だが秋山は理解していた。
被害が増えたのではない。
見えなかったものが、
見えるようになっただけだ。
沈黙が破られることは、
悪いことではない。
むしろ、始まりだ。
第九章 選ぶということ
ある日、男が言った。
「自分は、人をコントロールできる側に立ちたいと思っていたのかもしれません」
過去に、強い自己啓発の言葉に影響を受けていたとも話した。
「影響力がある人間になりたかった。
でもそれは、相手の気持ちを置き去りにしていました」
秋山は静かに答える。
「人の心は、操作するものではありません」
沈黙のあと、男は言った。
「でも、自分は変わりたい。
誰かを不安にさせる側ではなく、
安心できる側に立ちたい」
更生は、罰を受けることだけではない。
責任を持ち続けることだ。
男は再発防止の契約に署名し、
支援活動にも参加し始めた。
完璧ではない。
だが、選んだ。
加害の可能性から、
距離を取る側を。
終章 守る側に立つ
秋山は夜の街を歩く。
ネオンの下、
人々はそれぞれの人生を抱えてすれ違う。
完全な安全はない。
完全な正義もない。
それでも、
違和感を無視しないことはできる。
声を拾うことはできる。
仕組みを作ることはできる。
自分は救世主ではない。
ただの一人だ。
だが、一人が動けば、
隣の一人も動くかもしれない。
捕まらない悪は、
今日もどこかにある。
けれど――
守る側に立つ人が増えれば、
命は守られる。
相談室の灯りが見える。
秋山は扉を開ける。
新しい相談者が、椅子に座っている。
物語は終わらない。
だが、沈黙は確実に減っている。
それだけで、
進む理由になる。




