94、楽しい遠足・船の旅2
魔道師の外套を着ないで外にいるエイル、というのは実は見慣れない物体だった。
まあ、やつの仕事場でもあるいつもの執務室――というのだろうか、書斎の隣の陰気な研究室では外套は着ていないが、青空の下でそれを見るとなんだかちょっと、微妙。
普通のヒトみたいでね。
甲板を出るまでの間に二度壁にぶつかりそうになったあたしに痺れを切らしたように、エイルはあたしをひょいと抱き上げて自分の腕に座らせるようにして甲板に連れ出すと、置かれている大きな木箱の上に座らせ、自分は船の柵にもたれるようにして前髪を払った。
「何故、アレがいる」
低く言われた意味が、一瞬理解できなかった。ほんの一瞬だけだったけれど。
アレ……
「蝙蝠?」
「ロイズ・ロック隊長殿、だ」
忌々しいという様子で吐き出された言葉に、あたしは耳を伏せてへたりながら空笑いを浮かべてしまった。
ん、まぁ、ちょっとぼけてみただけです。
使い魔は行くと宣言しておりましたしね。あんたが不機嫌になる原因がロイズだとは言われずともわかってる。
あたしは潮風を心地よく感じながら、尻尾をはたはたと動かした。
「うちの使い魔を人形のままにさせてくれていたら、ロイズを呼んだりしなかったわ」
「――」
「いい? はたから見て幼女二人つれたあんたは相当胡散臭いのよ。人買いとか、幼女趣味の変態とか、まぁ、そういうあやしい部類よ」
……いや、実際幼女趣味の変態だけどね?
我ながらずばりと言うのはもうちょっと難しい。だって今まではただ疑いで、イヤガラセで言っていたけれど、事実だとまた意味が違う。
変態に対して変態と告げるのは勇気が必要だと思う。
「それにロイズは人間のうちではまあまあまっとうな感性を持ってるわ」
猫フェチだけどね?
「魔女のあたしや魔道師のあんたってどうしたって人間付き合いとかちょっと難しいし、これから行くような場所では不得手だわ。
ロイズがいて助かると思う」
う、なにその胡散臭いものを見るような目は。
確かに嘘を言ってますよ。
本当は「あんたがティラハールに手ぇ出さないようによ!」と突きつけたい。言い切ってやりたい。その性根を叩きなおして差し上げたい!
でもさすがに言えないデス。
小心者なあたしを許せっ。
エイルの手が伸びて、あたしの耳を引いた。
「言っておく」
「なによ」
引っ張んないでよ。
「私はアレが嫌いだ」
いや、あの――宣言されなくとも知ってますから。
もう本当にわかりやすいくらい知ってますよ? ってか、あんたそもそも嫌いな人間のほうが多いだろ? 好きな人間がいるのか?
あたしは乾いた笑いを浮かべてしまった。
「あたしは?」
「――は?」
「あんたはあたしも嫌いなの?」
単純な問いかけに、エイルは瞳を眇めた。
「まぁいいけどね。あたしはあんた嫌いじゃないわよ?」
色々と問題があると思うけどね?
あたしのことを半殺しにするし、結構酷いこと色々されてるし、幼女趣味だし――それでも嫌いにはなってないわ。
まったく感情っておかしなもんね?
以前だったらこんな風には思わなかったと思うんだけど。
あたしは――人間はどうせ魔女とは相容れないものだと見ていたからね。あたしの世界は魔女達とシュオンだけ。子供達と適当に遊び、人をからかい驚かせて笑っていればシアワセだと思ってた。
って何感傷的になってんのよ、あたし!
あたしは悪い魔女ブランマージュだというのに。ああやだやだ。
最近あたしの悪い魔女への道のりは結構険しい気がするのよ、もしかしてあたしって善良?
……ないな。
「――ブランマージュ」
エイルがじっとあたしを見る。うっとあたしは呻いた。
うっかりエイルを忘れていた。
近い距離でエイルの灰黒の眼差しがあたしを射る。
この雰囲気はなんかまずい。
エイルの指先があたしの頬を撫でるようにすべり、唇に触れる。
親指の腹が唇の端を軽く押す感覚に、あたしはぞわりと背筋に何かを感じた。
悪寒! 悪い予感! 危険信号!!!
あたしはそれをいち早く察知し、引きつるのを押し隠して身を引いた。
「ダーリン、そんなアツイ眼差しでみちゃいやん。人がみたらなにかと思うわよ?」
ここは甲板ですよ!
真面目にヘタなまねすると捕まるからね! あんたはオトナであたしはヨウジョ。どうみてもハンザイシャですよダーリン!
一瞬苦いものを口にしたようにエイルがぴくりと怯む。
あたしはとんっと木箱の上に立ち上がり、エイルの肩を押すようにして床板の上ににおりた。
「そろそろ時間よね。一足先にティラハールのトコ行ってくる!」
「ブランマージュ」
「……なに?」
「あの使い魔は、どんな魔物だ?」
背中に投げられた言葉にあたしは呻いた。
やっぱり気になりますか?
興味シンシンというわけですか?
あなたの好みドストライクですか?
あたしは引きつりながら応えた。
「あたしにも判らないわ。でも……」
「でも?」
「―― 一角獣なんかメじゃないくらい強い力を持ってる」
あたしは念を押すように言った。
ねぇ、だからダーリン。
お願いだから手を出さないでよね?
あたしの心の中の忠告は、エイルにちゃんと届いただろうか?
……可愛らしい顔をして、言葉すらあやつらないあの御人形さんのような娘は、きっと一瞬であんたを滅ぼすことができる。
何の感慨も持たずに。
アレに比べれば一角獣は聖なる獣。
魔力値は高くとも他者を滅ぼすようなことは好んでしないだろう。
だが、ティラハールはできる。
さすが偉大なる大魔女レイリッシュ――あたしは驚嘆せずにはいられない。
ティラハールは、まさにバケモノだ。
あたしは少しだけ元気になった身軽さでエイルを置き去りにして船内の廊下を歩き、ふと視界の端に何かが過ぎったのを感じた。
「……幻?」
眉を潜めて小首をかしげた。
一瞬ちらりと過ぎったそれは猫に見えた。白い猫――こんな船の中で?
「どうかしたのか?」
首をかしげたあたしに声が掛けられる。
慌てて顔をあげれば、そこには一人の青年が立っていた。
まだ二十歳前だと思わしき赤毛の青年――少年?
きつくなりそうな強い眼差しを、何故か楽しそうに興味深そうにしてあたしを見下ろしている。
あたしは自分の姿を思い出し、まるきり子供にになりきって応えた。
「猫がいた気がしたの」
「猫なら乗ってるさ」
「船なのに?」
「知らないのか? こういった客船にはネズミ避けの為に猫を何匹か乗せてるのさ。大抵は船倉や最下層あたりでうろうろしているもんだが、でてきたのかもな」
腕を組んでいた青年は自分の言葉に何故か口元をニヤニヤと緩めた。
赤毛に日に焼けた体。
瞳の色は蒼――意思の強さを隠さずに示す。
「そうなんだ……」
一瞬、自分かと思った。それから幻かと思ったのだ。
白い猫なんて珍しくも無いのにね。
それに、自分はココにいる。
白い猫はあたしの中に。
「俺はファルカス。おまえは?」
「ブランマージュ」
名乗られた為にあたしも名乗った。
ファルカスと名乗った赤毛の青年は、口の端を持ち上げるように笑い、軽く手をあげた。
「ブラン……」
ファルカスは何事かを言おうとしたのだが、それを被せるようにあたしの背後のほうから厳しい口調がその言葉を遮った。
「ブランマージュ」
言葉とほぼ同時にひょいっと後ろから持ち上げられていた。