90、新たなる旅
「聞いておるか、末の」
言われた言葉にハっと息を飲み込んだ。
うおっ、あたしってばいつまでエイルの膝の上?
ぎゃあっと慌ててその膝から抜け出し、自分の胸元を押さえ込んだ。
エイルの手が一瞬あたしを抱きこもうとしたが、それを軽い魔法でもって振りほどく。
冷静ささえ取り戻せばそれくらいは簡単だった。
うおっ、そうだよ。なんだってあたしもおとなしくされるがままだった? 抵抗しろ。莫迦め。
いやいや、抵抗しちゃいけないと自分に言い聞かせていたから行動が遅れただけだ。だって今日は謝る為に来たのだもの。
……決して、口付けが気持ちよかったからとかじゃなくて。
だぁぁぁ、何考えているんだあたしの阿呆。
変態反対。
あーんダーリンの莫迦!
馬面。良くぞ来た。
今ならばおまえの存在を感謝してもいい。
どくどくする心臓を宥めるようにさすっていると、どこから戻ったのか蝙蝠がはたはたとはためいてあたしの目の前を過ぎる。
あたしは何故かその姿にほっとして蝙蝠をつかむと、ぎゅっと握りこんだ。
キィっとかいっているけど無視。もしかしてちょっと強くつかみすぎてしまったかもしれないけれど無視。
蝙蝠だけれど今は毛のあるイキモノとしてあたしの癒しになるがいい。
体毛短いですが。
そうこうしている間も馬面が何か言っていたのだが、あたしはもう完全に耳にいれていなかった。
幾度も蝙蝠をさすり、その暖かさと小さな生き物特有の早い心音にゆっくりと自分が落ち着いてくる。ああ、シュオン。あんたが人形だったらどんなに良かったか。
この時程あのほやんとした癒し系を求めたことはない。
「それで、何をしろっていうのよ」
あたしはやっと冷静さを取り戻し、馬面に問いかけた。
「聞いておらぬな」
馬面は嘆息し、どこからか取り出したのか羊皮紙の命令書を取り出した。
あああ、覚えてるわよ。
ソレ――なんか本当にイヤなかんじ。
普段の雑用では無い命令を伝えるべく現れた馬面――顔を見た時からいやんな予感はひしひしと感じていた。
馬面に突きつけられた命令書を開き、あたしは顔をしかめた。
「……は?」
思わず間抜けな声が出てしまう。
――南東、シャリテ大陸視察。
「視察……?」
しかもよその大陸? なんだそれ。
あたしが眉根をひそめるのに対し、エイルは文面を覗き込んで低い声をあげた。
「本気なのか?」
「我が主が酔狂でそんなことを命じるとでも?」
「魔女狩り大陸ではないか」
エイルの冷たい言葉に、あたしはびしりと固まった。
「魔女狩り大陸って、え、えええ? 嘘っ」
ざぁっと体内の血が一気に引いた。
だいたい他所の大陸のことなんて知ったこっちゃないけれど、その単語だけはあたしだって知っている。
――そう、南東に存在する大陸。
大陸というには規模の小さなそこは、百年近い昔、もう少し細かくいえば、八十年くらい前に魔女を全て滅ぼした。
魔女狩りが行われたのだ。
今は魔女の加護を失ってしまった大陸……砂漠化が進み、人口も大幅に減ってしまった。
月と太陽の加護だけの場所。
「愚かな末の魔女ブランマージュよ、おまえは魔女の失われた大陸を視察し、その現状を我が主に報告せよ――こたびは距離もあるが、定期便も出ている大陸だ。半月の間に行って戻れ」
「じょっ、冗談っ!」
なんでそんな怖いトコにいかなくちゃなんないのっ。
しかも期間が長いしっ。
「そもそも他所の大陸のことに口出しするもんじゃないでしょ! 協定とか色々あるわけだしっ」
「ほぅ、少しは学んでいるようだな」
くっと喉の奥を鳴らす馬面だが、莫迦にされたからといって一々噛み付く余裕がない。
そうですよ、ええそうです。
魔女の理の書だってきちんと今は読んでいるんですよ。ちゃんと使い魔にもってこさせたしね。魔道書だってエイルの邸宅でたまには目を通しているの!
あたし偉い!!!
「シャリテは幾度か他の大陸に打診し、魔女の派遣を要請している」
「は?」
あたしは間抜けな声をあげた。
「つまり、なに?
自分達で魔女を滅ぼしたくせに、今更魔女が欲しいとかぬかしているわけ?」
「その通り。魔女は絶対的な加護であり守護だ。いるだけで大気や大地が落ち着く。魔女は楔なのだ。大気中の精霊や魔力の安寧の為には魔女が不可欠。散らばるそれらが魔女という楔を受けて、その場に留まり場に安寧を与える」
馬面は腕を組み説明し、にやりと笑った。
「間抜けなやつらはそれに気づかずに魔女を葬り去った挙句に、その重大さに慌てて魔女を求めた」
「うわー……」
あたしの声に、エイルが低く言葉を続けた。
「だが、二十年程前に魔女がおりたったはずだ」
「そう、乞われた魔女が一人――女王としてたったが、これが傲慢な魔女だった。好き勝手を繰り返し、結局人々はこの魔女も殺した」
「……」
「いらい魔女達はこの大陸に対しては無言を決めている」
そりゃ、まぁ……そうよね。
あたしはふるりと身を震わせ、つかんだままの蝙蝠をさらに胸元に抱きしめた。
蝙蝠がそっとあたしの指先を舐める。
あたしの怯えを宥めるように。
――魔女は絶対の力だ。だがそれは最強ではあるけれど、負けない、殺されないということではない。
どんな力ある魔女と言えど、力のない人間の手によって殺されてしまう。
何故なら、魔女だって人間だから。
眠るし、食べる。
基本的に一人で過ごす――これは大地の均衡を保つ為で、魔女の理の書の中にも記されている――魔女を本気で殺す気になれば、人間の人海戦術の前で脆くも葬り去られてしまうのだ。
だが一般的な大陸では魔女は敬われる。
魔女は絶対の守護であり加護。
たとえあたしみたいな未熟な魔女であっても。
「今まで無言を決めていたというのに、何故今更こんな場に用がある?」
エイルが問えば、馬面はニッと口元をゆがめた。
「大気が不安定だ」
「もともと安定などしていないだろう。魔女がいないというのはそういう場だ」
「そういう意味ではない。今までの不安定さをかき混ぜるような、あの地に何か今までとは違う変化がある。魔女が派生したのか。それとも、何か魔女にかわるものがあるのか……気にならぬか?」
ゆっくりと問われ、あたしはがばりと顔をあげた。
「まさか!」
「仔細は知らぬ――我が主からの伝言だ。末の魔女ブランマージュよ」
あたしは自分の胸がとくとくと早鐘を打つのを感じた。
もし、もし……かして?
そこにあたしの――
「愉しい遠足となると良いな?」
あたしの体があるとか?




