67、始原の森探検12
シンと静寂がたち戻った森の中で、ロイズはハンカチを引き裂き、それで足らずに自らのシャツに歯をたてて引きちぎる。
エイルの肩はほんの少し爪で掛けられただけだというのに、激しくずたずたに裂かれ、そこから血が溢れていた。
「エイルっ、おまえ治癒系の魔道は?」
「それが必要か? 他人にならともかく、自らの治療に成功したためしはないな」
一方的に攻撃を繰り出すのが専門のエイルだ。
つまらなそうに鼻で笑われ、ロイズは「馬鹿かっ」と悪態をつく。
流れる血が多い。
それに舌打ちし、エイルはゆっくりとあえぎながら自分達の周りに結界を張った。
これ以上の魔物を引き寄せては確実に終わる。
――自分達が。
「クソっ」
ロイズは止血を試みようと肩口をしばろうとするが、角度がわるく困難だ。
見ればエイルの息は上がり、顔が白くなっていく。力任せに傷口を押さえ込めば、エイルの口から苦痛の呻きが漏れた。
「っくしょうっ」
自分の役立たずぶりに憤る声と同時、
「どきなさい!」
激しい声に弾かれた。
ザッと降り立った獣の四肢と同時、ブランマージュの姿が地面に降り立った。
***
激しい心臓の音をねじ伏せ、あたしは馬面の背からどさりと落ちる。
肩口に張り付いているロイズの姿に、ほんの少しだけ安堵する。一般人が怪我を負った訳ではない。けれど魔道師だから良いなどとは決して思わない。
「エイル、聞こえる?」
「聞こえている」
呆れる程冷静に返される。
「今治すから。平気よ――大丈夫」
言いながら傷口を改める。
鋭い爪でえぐられた傷は、ずたずたに肩口を崩壊させている。血と肉が足りない。
魔女といえど容易く治せる段階になく、膨大な魔力は自らに無い。
舌打ちがもれて、ちらりとロイズを見る。
心配気に見ているロイズを、
「ロイズ」
「なんだ。オレに何かできる――」
肩膝をついて身を寄せる男の上着に手を掛け、あたしは躊躇無くその唇に触れた。
「眠りなさい」
言葉と魔力とでロイズの意思をねじ伏せて落とし、あたしは馬面に言った。
「ロイズを寝かせておいて」
それからエイルの肩口に集中する。
――まずは痛み。
痛みを取り除き、体の細胞を再生させる。
エイルの顔が白く、忌々しいというようにあたしを見ている。
ああ、毒だ。
毒がこの身を苛んでいる。
それと同時にあたしは傷口に唇を押し当てた。
――吸い出すのではなく、中和する。魔女の加護と大気の慈愛を。
大丈夫、大丈夫。
心の中をその言葉で充たしていく。
「ブラン……」
「黙って。大丈夫だから――」
焦るな、あたし!
あたしは魔女だ。あたしは――
ゆっくりと、確実に、決して間違うことのないように!
魔法は魔女の強い意思と構成。
できる。
そして大丈夫。
決して、死の禍縁にこの男を連れ去ることなど許さない。
「魔力が足らないっ」
泣きたいような絶望に奥歯をかみ締める。
自らが無様な子猫へと変化してしまう感覚に絶望の声をあげた時、背後から肩に掛けられたのは大きな手だ。
馬面の低い声が背後から言う。
「やれ――魔力ならば流してやる」
その言葉の通り、とろとろとレイリッシュの魔力がその手から流れるのを感じる。それと同時に一旦猫へと変化した体が人の形に立ち戻る。
足元に衣類が滑り落ちる感覚と、自らの素肌に上着が掛けられるのが同時。
肩口から流される魔力。
その力強さにあたしは安堵し、治療に専念した。
毒を除き、体をゆっくりと再生する。
傷なんて残してやらない――綺麗に、注意を払って。肉を、細胞を、血管を。
普段であってもこんなに強い治癒魔法を使ったことがない。時間を掛けてゆっくりとけれど確実に、治す。
体全体が魔力を通すだけの管のように使われる。
きしむように体に負担がかかる。
けれど構わない。
大丈夫、大丈夫。
考えることは一つだけでいい。
治す――決して傷の一つも残してなどやらない。
皮膚が再生され、薄いピンクの新しい肌が見える。
血管も間違いなく繋がっている。
血は――多少足りないけれど、そこはもう自分でなんとかして。
朦朧とする意識の中で、それでもあたしは最後に自らの唇に歯を立てて切りつけた。
滲む血が、この紛い物の体から流れるものが、どれだけの力を持つのかは判らない。
けれどできることは全て。
エイルの頬に手を当てて口唇と口唇を重ね合わせる。
一瞬エイルの瞳が確かにあたしを見たけれど、かまってなどいられない。
魔女の慈悲と加護と……ああもうなんだっていいわ。
たしかそう呟いた気がする。
言葉と同時に、ずるりと自分の体がエイルの上にのしかかる。極度の緊張と疲労とがピークに達して体の自由を奪い、意識すらからめとる。
「ブランマージュ」
エイルの腕があたしを抱き、
「よくやった」
馬面の酷く偉そうな言葉が最後だった。