61、始原の森探検6
――まったくもって意味が判らない。
ロイズは驚愕していた。
自分の腕の中にブランマージュが寝ている。
幸せそうにぬくぬくと。
――これはなにかの罠なのか? それとも拷問の一種であろうか?
なぜこの魔女は熟睡しているのであろうか。こちらは寝れないというのに。
それはもちろんブランマージュにとってロイズと眠ることは毎日の日課の為慣れている。だが、当然そんなことはロイズ・ロックは気づかない。
――男として意識されてないのか。
鈍器で殴られるような衝撃だ。
いや、意識されたい訳じゃない。
そうだ、そう。冷静になれ自分。
――相手は魔女。悪戯ばかりする小生意気な小娘だ。
謎の焦りに心のうちで数字を数えていると、こちらに背を向けて寝ていたエイルが身をおこし、ロイズは意味不明なほど狼狽した。
「いや、これは」
「――それはただの猫だ」
つまらなそうに言い、前髪をかきあげる。
猫、といわれてふいに納得した。
――そう。ブランマージュは猫のようだ。
身を縮めて幸せそうに寝ている、猫。
そういわれるとなんとなく胸の内が温かくなる。
ふっと口元が緩み、ブランマージュの髪を指先でかきあげた。
柔らかな髪。温かな体温。
心のうちが穏やかになる。
――やっと飼い猫が手元にもどったような安堵感。
可愛い、猫。
そう思った途端、カッと体温が上がり慌てた。
いや、だから――違う。うん、これは違う。
焦るロイズとは対照的に、エイルは顔をしかめて身を起こした。
こちらに近づき、無遠慮にブランマージュの腕を掴み上げて引く。
「なにを」
安らかな眠りを邪魔する行為に、ロイズが声をあげかけたが、エイルは言葉を重ねた。
「ブラン、魔物が来る」
「んー」
緊張感のない口調でエイルは淡々と言う。だがその言葉にロイズも身をこわばらせた。
「起きろ、ブランマージュ」
「んん、あとちょっと」
「寝ぼけるな、来るぞ」
言葉と同時、闇に包まれた森から一気に獣の群れが砂地に駆け出して来た。
それは巨大な犬のような姿をしていた。
重みのある足が砂地を蹴ると一息にこちらへと駆けてくる。だが次々とそれらは見えない壁によってこちらへと来るのを阻まれ、はじかれた。
ギャンっ、と声をあげて弾かれては着地する。
四対の赤い目を爛々と輝かせる魔獣は、口元からだらだらと涎を垂れ流して身を低くしてこちらをうかがっている。
その尾は三つに裂け、その手足の先は爬虫類のように固い鱗に覆いつくされていた。
ロイズは自らの銃に手を伸ばしたが、ブランマージュの声がそれを遮った。
「手はださないで」
「ブランマージュ」
「うん、もう目ぇ冴えた。大丈夫――ダーリン、まかせられる?」
「当然だ」
「了解――1、2、3でお願い」
***
言葉を続けながらあたしは手の中に杖を閃かせた。
獣の数は……少なくとも七頭。森の中に気配は感じないが、分散して出てくるような知能は持っていないだろう。
大きく息を吸い込み、ちらりとエイルへと視線を送る。
――1、2、と数字を口にすれば、3のタイミングでエイルが一旦結界を解く。
それに合わせてあたしは地面を蹴って宙を飛んだ。
「ブランマージュっ」
悲壮なロイズの声。
まったく、黙ってなさい。これはあたしの領域だ!
「闇の獣よ、魔女の雷にひれ伏せっ」
言葉と同時に杖が一閃される。放たれる雷の閃光に獣が弾かれたように飛び退りキャンキャンっと子犬のような声をあげる。それで手を休めることは無く、三発の雷を立て続けにうちつけた。
怪我を負った魔獣をそのまま緊縛し、のこり四匹に視線を転じて風の魔法で砂を巻き上げる。
無数の砂が巻き上がり、獣の体を勢いよく打ち付けはしたが、しかし獣は動じていない。
う、ダメージ少な!
そりゃあそうだ、相手は獣。その体は幾重にも毛で覆われているのだ。
舌打ちしてそのまま炎を生み出す。
手のひらに現れた炎の球を風に任せて獣へと投げはなつ。
「蒼き炎の龍、全ての不浄を焼き払え」
獣がよけるのを執拗に追いかけ、二匹の獣を炎が飲み込む。
詠唱など必要とはしない――それでも、言葉にすることで強い意思を貫く。
「ましろき疾風――」
更に風をあやつろうとした途端、あたしの体がかくりとかしいだ。
「うぎゃぁっ」
大技使い過ぎました!
バランスを崩した体に、獣が地面を蹴って襲い掛かる。
しかしそれは突然現れた魔道の光によって緊縛され、もう一匹が拳銃の発砲音とともに静寂に消えた。
円形の魔方陣がそのまま直接獣を飲み込む。危うく巻き込まれそうになったのを辛うじてよけて、あたしは引きつった笑いを浮かべた。
「ナイス・フォロー、ダーリンズ」
はい、体が縮んでしまいましたよ!
ぶかぶかのエイルのシャツを着て着地したあたしは、そのままエイルに礼を言い、顔をしかめつつロイズを見た。
「手はださないでって言ったのに」
ロイズの扱う短銃の弾丸は魔を払う。魔女が張ったのではない魔道師の作った結界ならば、その弾丸が貫いただけで結界が解かれてしまうだろう。
それは危険だ。
「役にたっただろう?」
ロイズは不愉快そうに言う。
あたしは笑いを押し殺した。
子供じゃあるまいし。
「役にたったわ。ありがとう――でもロイズ、昼間も言ったでしょう? 魔獣はあたしの管轄よ。あんたはおとなしく守られていなさい」
「役にたったのだからいいだろう」
――聞く気ない?
あたしは半ば諦め、ふとエイルを見た。
エイルは砂地に落ちた毛布を無造作に拾い上げてさくさくと砂を踏んでロイズの許まで行くと、おもむろにロイズの前で指輪を閃かせた。
すっとロイズが力を失って倒れこむのを、エイルが支えてそのまま横にする。
「エイル?」
「朝まで目覚めない――おまえが寝ている間に猫に変化したら困るからな」
「……そうね、ありがとうダーリン」
エイルはそのまま結界を張りなおし、岩の近くで転がる。あたしはロイズの体に毛布をかけ、自分の毛布をつまみあげてにんまりと笑った。
ふふーん。
「ダーァリィン、腕枕して」
ふふふぅ。
語尾にはしっかりハートもつけてさしあげますよ?
灰黒の瞳がぎろりと睨みつけてくる。
殺人光線垂れ流し。
だがやがて、ふいにその毛布を軽く持ち上げられたことに――不覚にもあたしのほうが固まった。
「えっと……」
「もう休め」
「――え、あ……うん?」
あれ?
絶対無視すると思ったんですけどね?
あれ? あたしってばこれに入らないといけないのかしら?
えええ? 結構動揺してますよ?
――ロイズなら平気なのにっ!
やばい、なんだか地雷踏んだ?
え、えええええ?