52、猫と魔女っ子と魔女
とくとくと聞こえる使い魔の心音か、優しい手か、ゆっくりとあたしのぐちゃぐちゃの感情が落ち着いてくる。
それと同時に、あたしはふっと自分の体から力が抜けた。
猫に戻ったあたしを手に抱いて、使い魔は大事そうに頬を摺り寄せた。
「マスター、可愛い」
「………」
「マスター大好き」
すりすりすり。
にこにことあたしを見つめる使い魔。
あたしは弱々しく「にゃー」と鳴いた。
使い魔は自分の胸にあたしを抱きながら、もう片方の手であたしの抜け殻、ばさりと落ちた洋服を手早くまとめあげて、書庫にいつの間にか置かれている籠の中に放り込んだ。
「子供のマスターも猫のマスターも可愛いですけど、早く本当のマスターにあいたいですねぇ。ぼくね、マスターの為に今、一杯洋服を作ってるんですよー。マスターの好きな黒い服。
でも、ちょっとだけ違う色のも。きっとマスターに似合うと思うんですよぉ」
あたしを胸に抱き、窓からとんっと外に出る。
「あんたさ」
あたしは小さく呟いた。
「なんですか?」
「……あたしが魔女ブランマージュに戻ったら、猫もチビもいなくなるよ」
猫もチビも、好きなんでしょ?
あたしがうつむき加減で言うと、使い魔は不思議そうに首をかしげた。
「でも、マスターはマスターでしょ?」
「――」
「ぼく、マスターがいればそれでいいです。
このまずぅっと猫でもいいけど、猫だとマスターの心がなくなっちゃうんですって。だったら、やっぱりマスターには人の姿に戻ってもらわないと、ぼく困るなぁ」
あたしは使い魔の胸に抱かれて、
「みゅー」
と鳴いた。
お腹の中がなんだかすかすかする。
穴があいているのか、突然何かを抜かれたのか、判らないけれど、なんだかちっとも落ち着かない。
――体を捜していないんだな
エイルの言葉が頭の中で響く。
探しているわ。
探しているけれど、でも、あたしはもしかして色々な人を不幸にするのかもしれないわ。
猫を不幸にして、ロイズを不幸にして、侍女を不幸にして。
こんなこと考えるなんて馬鹿みたいだわ。
あたしは魔女ブランマージュ。
悪い魔女ブランマージュだというのに!
「うわっ、なんでかじるんですかぁっ」
思わず使い魔の手を力一杯かじっていた。
けれど――それでも、あんたは幸せそうに笑うのね。
「マスター?
歯がかゆいんですか? お腹すきました?」
……いいわよね、あんたは悩みがなくて。
***
「あれは魔女殿だよな?」
退出したブランマージュを目でおい、ロイズは眉を潜めて口にした。
エイルは魔道書を開きつつ、
「おまえの言う魔女がブランマージュであるなら、そうであろうな」
と淡々と言う。
「――猫耳ついてたようだけど」
「趣味なのだろう」
「そうか……趣味か。知らなかった」
尻尾には気づかなかったようだ。
「おまえの猫の話しは解決した。帰れ」
「え、ああ……そうなんだが」
ロイズは顔をしかめつつ、
「おまえとブランマージュが親密だとは知らなかった」
「私と魔女が親密だと何か?」
「いや……」
「とにかく、私は忙しい」
冷ややかな眼差しを向けられ、ロイズは「ああ……」と小さく応え、ふと思い出すように言った。
「ブランマージュに伝えてくれ」
「なんだ?」
「どんな姿であれ、町の人間が心配している。
せめて子供達の前にぐらい出て来い、と」
「伝えはするが、あれは出て行かぬだろう」
エイルは目元にかかる髪をかきあげ、口角をあげるように笑んだ。
「あれにもやることがある」
「――ブランが?」
「おまえの知らぬ領域だ。帰るがいい。警備隊長殿」
一旦席をたち、扉へと足を向けながら――ロイズは振り返った。
「おまえ、まさか……魔導師の禁忌を犯している訳じゃないよな?」
それは意外な言葉で、エイルは一瞬その灰黒の瞳を見開き、くっと口元をゆがめた。
「魔道書で調べていたのはそんなことか?」
「応えろ」
「いくら私でも魔女共を敵に回したりしない」
「なら……いいが」
「安堵したなら帰るがいい。
私は忙しいのだから」
エイルの低い言葉に、「すまん」とロイズは応えて扉を開けた。
や がて訪れた平穏に、エイルは細く息をついた。
失敗した。苛立ちのままにこの男の入室など認めるべきでは無かったはずだ。
涙など、見せるからだ。
――これも全て魔女の呪いに違いない。
大魔女の赤い口唇と、高笑いがエイルの耳をよぎる気がした。