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51、猫大慌て

――あたしがあたしの体から離れたのは、もう四ヶ月も前。

 あたしは自分の魂の疲弊を治すのに、一月以上小さな小さな子猫の中で眠り続けた。


目覚めたのはあの日。

ちょっと間抜けな白猫が、どんなアホでか排水溝に落ちたあの日。


「今日は、要らない」


あたしはテーブルの上に並べられた食事を前に、ふるりと首を振った。

いつもどおり、魔方陣と増幅器、詠唱によって人の姿を取り戻し、極悪大魔女の依頼をこなし、エイルの研究所兼邸宅で食事を並べられたのを前に。


「悪いものでも食べたか?」

エイルが片眉を上げる。

「……今日はうちに帰って、食べるから」



随分とロイズが心配している。

侍女だって心配している。


あたしは猫の餌を食べるのがイヤでそれを無視していたけれど、ロイズの翠の瞳を見ていると、なんだかお腹の辺りがむずむずしていやな感じになってしまう。


先日、魔女の森まで行ったというロイズ。

けれどもちろんそこに魔女ブランマージュはいない。ロイズは随分と落ち込んだ。焦っているようにもみえるほど。

食事が下げられ、かわりにお茶が出される。

エイルが持っていた本をとさりと机に置き、珍しくあたしのほうへとよってくる。


無遠慮にあたしの頬に手を当てて、眉間に皺を刻んだ。

「具合が悪いのか?」

「……違うわ」

言葉にして、苦笑がもれる。

「ううん、そうなのかも……」

「魔力の負荷か?」

「――違う、ううん、判らない。そうなのかな?」

食欲が沸かなくて、なんだか切なくて、ガラにもなく泣きたい気持ちになる。


「体は探しているのか?」

その言葉に身がすくんだ。

苛立つようにエイルが声を荒げる。

「探していないのだな」

「――きっと、もう無いのよ」

「馬鹿を言うな」

「――きっと、あたしの魔法の失敗で消滅してしまったのよ」

 とろとろと口から出る言葉が、どこか空虚だ。空々しい。

まるきり乾いた笑いが漏れて、自然とぽろりと片方の瞳から涙がこぼれた。


エイルが舌打ちする。

苛立ちのままにあたしを睨みつけてくる。

「あたしの体が見つからないと、あんたにも何かあるの?

あんたも、魔女から何か――ああ、アンのことなら、アンニーナのことなら心配しないで。

ちゃんと報復なんてしないでって……」

「そんなことをっ」

普段なら低く恫喝する男が、声を荒げた。


「おまえはっ、死にたいのか」

苛立ちや怒りが直接向けられる。

激しい言葉と同時、あたしの二の腕を掴んで引き寄せる。

「このっ――」

吐き出されない言葉が、エイルの珍しい激しさが、あたしを混乱させる。

「ブランっ」


言葉はそのまま宙に浮き、引き寄せた腕をぱっと放してエイルが身を翻す。

あたしが大きく息をついた頃、エイルの部屋の扉がノックされた。


「旦那様、警備隊第二隊長のロイズ・ロックさまがお見えです」


あたしはびくりと身構えた。


「通せ」

って、ちょっ―――


あたしの内心などおかまいなしに、エイルはそう家人に命じた。

それまでの空気など全て捨て去り、あたしは慌てる。


あたしはひぃっと喉の奥が音をさせるのを感じた。

どこかどこかっ、隠れる場所!

そう思ったのに、扉は無常にも開かれた。


ガチャリ、と重厚な扉が音をさせて開かれる。あたしは引きつり、ロイズはほんの少し目を見開くようにして一歩部屋へと踏み込み、思案するように眉を潜めた。


「すまない、来客中だったか」

「かまわん。来客というほど上等なものでもなければ、

おまえに遠慮せねばならぬ相手でなし」

エイルは冷ややかな口調で言い、それでも自らの執務用の椅子へとゆっくりと立ち戻る。

ロイズは気まずそうにしていたが、ふいにこちらを見て、


「――ブラン?」

小さく呟いた。


ば、ばれた!? 今のあたしは猫じゃないのに!


「魔女、ブランマージュか?」

あああ、ややこしい!

「随分と縮んでいるが――ブランマージュ?」


 余計な世話だ。

ロイズは驚愕した様子であたしを見ている。


ううう、なんだかいたたまれん。クソっ、エイルめ!

「おまえ――」

「私に用があったのではないのか?」

 エイルが冷ややかに言えば、はっとした様子でエイルをみる。


「え、ああ……いや、魔女ブランマージュがいるのであれば、用は足りる」

「ほぉ?」

「うちの猫――おまえにも一度見せただろう?

あの猫が、最近食事を取らなくなってな。体の調子が悪いのかもしれないから、魔女殿に診てもらおうと思ったんだが、魔女殿の居場所がわからなくて……」


 ロイズの視線がちらちらとこちらにくるのを感じる。

なんだか焦っているようにも、苛立っているようにも見えた。

手の先が小さく震えているのは、力がこもっているからだろう。

もう片方の手で、それを宥めるように掴む。


なに?

「それで何故私のところに?」

「いや、魔女殿がいないから――おまえでも多少は判るかと」

「無礼だな」

 ふんと鼻を鳴らすエイルに、ロイズは「すまん」と短く非礼を詫びたが、すぐにその言葉はあたしへと向けられる。


「おまえ、どうしたんだ、その格好?」

「……ちょっとした、事故よ」


あたしはつんっと横をむいた。


「事故にあうと縮むのか?」


噛み付いてやろうか?


 十歳児に縮む事故って、どんな事故だよ!

ま、はじめに事故って言ったのはあたしですがね。

「愚かなブランマージュは魔力が足りない為現在その格好だ。あまり突っ込むな、チビで愚かであろうとも、偉大なる魔女の末だ」


 エイル、あんたそれはフォローなの?

ここぞとばかりのイヤガラセなの?

偉大なるって、思いっきりイヤミだろ。


「その格好だから最近は姿を見せていないのか?

何か、何か他に理由が?」

 やけに真剣に尋ねてくるロイズ。

あたしは眉を潜めながら、

「わぁるかったわね、チビで!

仕方ないでしょ、今のとこ、こんな姿にしかなれないのよ!

こんな姿でうろつくなんて恥ずかしくてできないわよ」


 怒鳴ると、ロイズは一旦驚いたように目をみはったが、すぐに薄い笑みを浮かべた。

どこかほっとしたように、腹に溜めた空気をゆっくりと吐き出した。


「いや、最近見ないものだから、心配した」

「……」

「嵐などの前は静けさが広がるというからな」


……どういう意味だ。


「とにかく、無事でよかった」

「――ありがと」


あたしはそっぽを向いたまま言った。


 まったくね!

あんたは道端の猫も悪さばかりする魔女も変わらず心配するのね!

だから禿げるのよっ(まだそういう事実はないが)


「用があるのではないのか」

低いエイルの声が割り、あたしとロイズははっとした。


「ああ、そうだ。ブランマージュ、うちの猫が――」

「その猫なら、ブランが面白がって餌をあげていた猫だろう」

 エイルが低い声で言った。


は?


「食わないというなら、ただたんに腹が一杯だということだろうよ。

痩せてきている訳ではあるまい?」

「って、もしかしてあの使い魔はおまえのか、ブランマージュ!」


 え、えええ?

「人の家の猫にちょっかいをだすな!

病気になったら困るだろうが」


え、なに?

なに、この展開。


「まさかうちの猫を生贄にしようというんじゃないだろうな?」

「ちょっ、誰がそんなことするのよ!

しないわよっ」


なに、その疑わしそうな視線は!!


 じろじろと見ないでよ。

と、その視線が一層潜められる。ロイズがどんどんと眉間の皺を深めていく。

その視線があたしの首へと向けられた気がして、あたしは血の気がひくような気がして体をぐりんっと捻ってしまった。


うぎゃあ、首輪っ!


「おまえ――」

「ブラン、ブランマージュ」

 ロイズが何事かを口にしようとするのを遮り、エイルが声をあげ、あたしは反射で背筋を伸ばした。


「そろそろ時間になる。下がっていろ」

「え、ああ……うん」

 出て行けと示され、あたしはロイズが呼び止めようとするのを振り切り、いつも着替えの為につかっている続き部屋の書庫に入った。


胸が、どきどきする。


ううう、こんな恥ずかしい格好をロイズに見られた!

見られた、見られた、みぃらぁれぇぇた。

ってか、エイルの莫迦!


それに、猫のブランの食欲がないのをあたしのせいにした!!

まあ、あながち間違ってはいないけれど。


 ぽんっと、隠れていた使い魔が姿を現す。

エイルがいないためか、人の形。

身を震わせるあたしを抱きしめて、

「マスター?」

と顔を覗き込んでくる。


あたしは震えている。

羞恥、怒り?


ちがう……判らない。

判らない。

あたしは――なにをそんなに怖がっているのだろう。


 ぎゅっと使い魔に縋る。

「いやだ、いやだ」

何がいやなのかも判らない。


ただ、腹の奥がむずむずとしてあたしはどうしていいのか判らない。


いやよ――とにかくイヤなの。

あたしをかき回すのは辞めて。


 ぎゅっと使い魔があたしを抱きしめて頭を撫でてくる。

下唇を噛んで縋るあたしの顔を覗き込んで、優しく唇に触れてくる。

「噛んでは駄目ですよ。血が出てしまう」

「――」


所詮この体だってニセモノなのに?



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