34、熊隊長の休日
「おや、隊長さん」
休暇といわれても何をすることもない。
できれば自宅でのんびりと本を読み、一人でチェスの布陣でも楽しみ、ついでに猫をかまってやりたかったところだが、ロイズ・ロックは外に追い出された。
「若様!
出会いは外にあるのです! 旦那様や奥様方がせっつかないからといって結婚を無視してはいけません!
率先して外に出て女性をひっかけていらっしゃい」
無茶だろう。
ロイズは内心で嘆息した。
「林檎もっていきな!」
市場を歩いていると、ひょいっと林檎が投げられる。
それを一旦受け取り、ロイズは生真面目な調子で、
「ワイロは受け取らない主義だ」
と返す。
果物売りは一瞬奇妙な顔をして、がははと笑い出した。
「んじゃ、こっちならいいだろ。傷んで売り物にならないヤツだ。傷むったってちょっとぶつけた程度だからさ、味は格別だ」
もう一度林檎が投げられる。
確かにわずかに傷がある。
眉間にくっきりと皺を刻み、けれどその林檎を返すことはなく、ロイズはがぶりと噛み付いた。
「何かかわったことはないか?」
「あんた非番だろうに」
店主が笑う。
「かわったことねぇ」
「最近は平和なもんさ」
「そうそ、うるさいのがいないからね」
近くの店の人間が会話に混じる。
がははと笑っていたものの、小物を売っていた中年女が心配そうに声を潜めた。
「ブランマージュはいったいどうしたんだろうねぇ?」
「あの人一倍うるさいのが静かだと調子がくるうよ」
「子供達がかわいそうでね」
かしゅりと林檎をかじる。
「収穫の時期には顔を出すんじゃないか?」
ロイズはとりあえず口を挟んでいた。
魔女は作物の収穫に現れ、全て刈り取ったあげくにそれを隠して皆が慌てるのをケタケタ笑ってみていたりするのだ。
―――ただし、この莫迦魔女ときたらその数日後にはきちんと収穫したものを倉庫に戻してしまう。
他人が慌てるのを見て喜ぶだけで、むしろ収穫の手伝いに便利だと思われていることなど知らないのだろう。
「まあ、あんまりあてにしないことだが」
「そりゃあね。わかっちゃいるが、あの一騒ぎがないとなんとも味気ないもんだよ」
「あの子の悪戯なんて、あんまり実害は無いからね」
市場のものは豪快に笑いあう。
そう、実害をこうむっているのは、警備中に道端に壁を出現させられたり馬房の柵を外されたり、隊舎の出入り口に巨大落とし穴を作られたりする警備隊くらいのものだろう。
―――思い出しても腹立たしい。
町の人間にとってみれば、一夜にして家の壁がピンクになろうが子供達を率いて暴れていようが実害などないのだ。
と、魚屋の出している棚の上に、とんっと子猫が乗った。
「みゃうっ」
「おや、おかえり」
魚屋が手を伸ばしてキジトラの猫の頭を撫でる。
それに見覚えがあって、ロイズはしばらく考えて口を開いた。
「たしか、隊舎の裏手の野良猫か」
先日里親を探していた猫の片割れだ。
「ええ、おたくんトコの副隊長さんがね、見回りの間ずっとぶらぶらぶらさげながら里親を探していたものだから、一匹もらったんだよ。
うちはほら、猫の餌ならことかかないからさ」
ロイズはその猫の頭を撫でた。
「聞いた話だと、この子らの母猫が育児放棄しちまってね、だから貰い手を捜してたんだってよ」
「猫の世界も世知辛いもんだね」
「なんでも元々は三匹の猫だったらしいんだけどさ、一匹いなくなっちまったとかで、その猫を捜し歩いているうちに他の猫をかまわなくなっちまったとか」
「なんともいえないねぇ」
ロイズは眉間に皺を刻んで子猫を撫でていたが、やがて身を起こした。
「もう一匹の猫は貰われたか知ってるか?」
「白い子猫は町の外れの宿屋にいるよ。今じゃちゃあんと店番してるってよ」
「それは良かった」
しばらくの間ロイズは考えるふうだったが、やがて大きく息をついて首を振った。
「元気でな」
―――親猫は白いんだろうか。
ちらりと考えたが首をふる。
これ以上考える必要はない。