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117、咆哮

イヤダ、イヤダ。こんなのは、イヤダっ。

イヤダ!!

こんなのは許されないっ。

誰かっ。誰かっ。


動揺して頭の中で叫ぶしかないあたしの思いに応えるかのように、何の前触れもなく、意味もまったく判らない――ちっぽけで無力な猫の目の前で、突然大地が砕け散った。

激しい落雷のような音と共に室内の真ん中に突然ソレは現れたのだ。


真っ白いドレスの黒緑のふわふわの髪の少女は、嵐のように現れ、そして忘れ去られた魔女の遺骸をまるで愛しむように撫で、ついで潰れた声で囁いた。


「こんな場におられたか……」


 甲高いだみ声を響かせた愛らしいティラハールは、ついでその眼差しをロイズへと向け、その無機質な眼差しをきつく煌かせ地底すらふるわせるような咆哮と共にその姿を一変させた。地下道を無意味なほどに破壊する膨れ上がった巨大な生物は、その場を震撼し内部から弾けるように壁を突き破り太陽の光すら出現させる。

緑色の鱗、強大な獅子、長き尾――皮膜に覆われた巨大な羽を持つ獰猛な化け物は、ドラゴンとも獅子とも、蛇とも似通った奇怪な形相で腹の底から咆哮を放ち、激しい力を放出する。咆哮と共に大気に放たれた青白い炎の熱風。


あたしは呆然とそれを見上げた。


……激しい怒りに辺りを破壊する巨大な獣。


突然、まったく意味が判らぬ程突然に現れたソレを呆然と見上げ、あたしは首を振った。


ティラハール。

ティラ・ハール……?


 呆れる程に大きなその体躯が身を震わせ、叫び、地下を破壊する。その驚きよりも、あたしは恐怖に声を張り上げた。

 その獣が存在する、それだけで派生する地響きが、熱風が、瓦礫が。

止めて、止めて、全部埋まってしまう。

あたしは必死に喉を枯らして叫ぶのだけれど、あたしの声は届くことがない。


あたしは猫――ちっぽけな、無力な、愚かな……猫だった。


 巨大な獣が咆哮する。

大地を震わせ、熱を放出し、その魔力を四方へと叩きつける。


「は、はははははっ」

 ギディオンは両の目を見開いて悲鳴のような声で笑った。甲高い声で、嘘だ、嘘だっと叫び「合成獣(キメラ)! 魔女ルイゼの使い魔!? そんな馬鹿なっ」とゆるゆると首を振った。

「ヤツは滅びていなかったのかっ」

その目は血走り、もう他の何もギディオンを捕らえてはいなかった。

「嘘だっ!」

 あたしが猫であることも、その場が破壊しつくされることも――ギディオンはもう何も理解していない。

あたしは呆然としてしまった自分を叱責し、慌てて小さな四肢を動かしてエイルやロイズの体を捜す為に駆けた。


「にゃぁっ」


 喋ることもできない猫。

ちっぽけな猫。

あたしはそれでも走って、そうして気付いた。瓦礫が自分の上に降り注がないことに。熱が自分を焼かないことに。そしてそれは、瓦礫に転がるエイルやロイズに対しても。


――ティラハール。


 狂ったように叫び破壊行動をする巨大な獣は、それでも未だに理性を保っているのだ。

あたしは少しだけほっとし、まずはじめに壁際に追いやられていたエイルの元へと駆けた。


「みゃーっ」

ダーリンっ、ダーリンっ。

必死に鳴いて、その手を齧る。見えている場に大きな怪我は見られない。いや、足が瓦礫の下にはまり込み、その苦痛に小さくエイルが呻いた。


「にゃぁっ」

がぶりともう一度強く噛めば、エイルの灰黒の眼差しがうつろにあたしを捉え、ちいさく息をつく。

「無事か?」


 無事?

これって無事って言うのかしら?

あたしは言葉を喋れないことがもどかしかったが、エイルの指先を舐めることで応えた。だが、喋られないあたしに眉間に皺を刻みつけ、エイルは「ブラン、まだお前はブランマージュなのだろうな?」と問いかけてくる。

 あたしはそれに応える為にぶんぶんっと頭を縦に振った。


エイルの眼差しがふっとやわらかく和み、ついで苦しげに呻いた。


「私は、平気だ――お前は、安全な場に行け」


 切れ切れの言葉に、あたしはエイルの指先に頭をすりつけ、エイルの傷は大きなものたがそれが致命傷では無いと感じるとぱっとその場を離れた。


 とんっと瓦礫の上を駆けて、かろうじて足が見えているロイズへと近づく。

たんたんっと軽快に近づくあたしが見たのは、うなだれるように倒れ――だらりと方向の違う腕を持ち、唇から血を流した熊だった。

 その向こうにはファルカスが呻いている。

この馬鹿熊ときたら、こんな時にもとっさに年下の馬鹿カスを突き飛ばしてかばっていたのをあたしは見ていた。

 本当に、本当に、馬鹿なんだから!


「にゃーっっ」


ロイズ、ロイズっ、馬鹿熊っ。

おきろっ、目をあけろっ。あたしの必死の声に、ぴくりと指先が動き、そろりそろりとその瞳が開く。

 あたしはほっと息をついた。

ロイズの瞳がうつろにあたしを見て、そして、小さく笑みを刻んだ。


「ブラン……無事か?」


ロイズには何が見えたのだろう。

魔女のブランマージュが見えていたのだろうか、それとも白猫のブランが?


あたしは必死に「にゃーっ」と呼びかけた。

うつろな瞳がゆっくりと震えて、口元の笑みが吐息を落とす。

「なくなよ……なくな」


 伸ばされた手が、あたしに触れることは無かった。

苦痛を耐えるように震えて、下がる。

あたしはいっそう高く声を張り上げて鳴いた。


――駄目だ。駄目だ。絶対にこんなのは駄目だ。

考えろっ、考えるんだブランマージュ。お前は魔女じゃないかっ。

だけれど今のあたしに何ができる!?

魔力もない、喋ることもできない、無力な白猫にいったい何ができるっていうの!


あたしはロイズの小さな、小さな、それでもまだ確かな鼓動を必死につなぎとめようと躍起になった。


 そうして気付いた。

魔力なら、ある。

今、あたしは白猫の中で魔女のブランマージュとして意識を保っている。ならば魔力はあるはずだ。あたしをあたしたりえる微々しい魔力といえど。


あたしはそっとロイズのその指に頭をこすりつけた。


――いいよね?

聞こえないであろう言葉で囁く。


――いいよね?

あんた、猫、好きだもの……猫フェチだもん。残りの人生、猫でも、いいでしょ?

メス猫で悪いけどさ。


猫も、そんなに悪くないよ。

大丈夫。あんたは人間だから……魔女みたいに裁かれたり、しないよ。


――魂を抜き取り、入れ替える。

それは簡単な魔法だから。

大丈夫。できる。


だって二度目だもの。


 あたしの最期の全てを掛けて、あたしの魂と、そしてロイズの魂を入れ替える。

大丈夫。あんたはただの人間だから。猫の体と折り合いをつけて、きっと猫として寿命まで生きていける。あんたがこんな場で命を落とすことは無い。

あたしは所詮……紛い物のイキモノだもの。


 あたしはちらりとエイルを見た。

振り返ればエイルはぐったりと壁にもたれてこちらを見ている。灰黒の眼差しが、何かを訴えるようにただじっとこちらを見つめている。

その表情は苦痛にゆがみ、あの男も相当体に負担があるのだと不安にさせた。

かすれるようにあたしを呼び、行けと必死に訴える。

痛みを取り除いてあげられない自分がとても歯がゆい。

 とても辛い。とても、とても、痛い。


あたしは「にゃーっ」と一度だけ鳴いた。


 ダーリン。ごめんね――あんたは傷ついたり悲しんだりしないわよね? あんたは悪いトコもあるけど、色々問題もあるけどさ、でも……心をあげる。

 ロイズにはこの体をあげるから、あんたには心をあげる。


 そんな不確かなモノいらないって、あんたは言うかもしれないけどね。きちんと言葉で伝えられないもどかしさをねじ伏せて、あたしは自分の気持ちに笑った。

 

 あんた達のためならあたしはあたしを捨ててあげられる。

この感情が何なのか、あんまり深く考えたくはないけれど……まぁ、もう考える必要もないしね?


あたしは深く息を吸い込み、自分の魂を白猫の体から引き離そうとした。


背後では獣が咆哮する。悲しみ、憤り、怒り、全ての感情を乗せた咆哮に時折言葉が混じる。

大地さえ揺るがすその咆哮は、まるで泣いているようにさえ感じた。


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