113、家族
場面が違和感と共に変化した。
足がもつれるようにたたらをふんで、あたしは冷ややかな視線で自分を掴む少年をねめつけた。
「あんたにいいことを教えてあげる」
ゆっくりとあたしは告げた。
まったく意味が判らないけれど、本能がコレは敵だと告げるから、あたしは宣戦布告の意味を込めてその事実を突きつけてやろうと思ったのだ。
「あたしはね、魔女なの」
残念でした。使い魔ではないのよ?
ナメテルトイタイメみせますわよ?
せせら笑うように言ってやったというのに、ギディオンはけろりと言った。
「知ってるさ。ブランマージュ。愚かで哀れで未熟な魔女――おまえのことは、おまえ以上に知ってるさ」
相手の言葉にあたしは掴まれていた手を振り払った。
「おまえはぼくのものだからね」
咄嗟に攻撃魔法を仕掛けようと手をかざす。
脳裏で杖を呼ぶけれど、しかし、杖の気配はおろか魔力のうねりすら感じられずにあたしは唖然とした。
杖を召喚できずに瞳を見開けば、こちらのすることなどお見通しだというように、肩をすくめた笑顔が入り込む。
子供らしからぬ底意地の悪い微笑。
「だから馬鹿なんだよ、ブランマージュ。
ぼくの一族は幾人もの魔女を殺して来たんだ――地下道の更に最下層、この場でね?
魔女と対じするのに魔力が使えるような場を選ぶ訳ないだろ」
魔力が使えない?
どうして? なんで!?
それをかみ締めた時、あたしは自分の中に暗闇が広がるのを感じた。それまで当然のようにできたことができない。あったものがない。
ざらざらとあたしの足場が崩れていく。
そして――面前にいるものは、確実に敵だった。
***
ばさりと巨大な羽音が耳に入り込み、うつらうつらと机の上で転寝をしていた白いオオムは不愉快そうに自らも羽根を動かした。
「主――」
「珍しい客だね」
薬瓶の点検をしていた細い眼鏡を掛けた魔女は棚の上に瓶を戻しながら、部屋の結界をといて来客を迎え入れる為、玄関口ではなく木枠の窓を押し開く。
「誰だい」
巨大な鷹が窓から飛来し、着地と同時にその姿を人形へと変化させた。
どこにでもいそうな凡庸な黒髪の女の姿となったソレは、片膝をついて礼をとりながら、緊張した面持ちで頭を更に深く下げた。
「初めてお目にかかります。私は魔女アンニーナの使い魔のシディ――白き魔女エリィフィア様にお願いしたき儀がございまして恥をしのんでまいりました」
「大仰だね。アンニーナとは幾度か会ったことがある。単純なことならば手を貸さないこともないが、生憎と今の私の魔力は二つの大陸の為に使われている。たいしたことはできない」
あまり期待をもたせたくなく早々にそう伝えれば、シディはゆるりと首を振った。
「魔力は必要がありません。どうぞ――漆黒の魔女レイリッシュ様の愛弟子としての貴女様にお力添えをお願いしたいのです」
レイリッシュの名を出され、エリィフィアは眼鏡の奥の瞳を更に細くした。
「あの人が何かしたかい?」
「……我が主があの方に面会に行かれたまま拘束されました。強い結界の為に私には何もすることができません」
感情をみせない言葉であったが、そのわずかなふるえを感じ取るとエリィフィアは自分の耳に掛かる髪を指先でかきあげて深く息をついた。
「まったく……使い魔は難儀なのが多いもんだね」
どこの使い魔も主の心配で死ぬのではないかと呆れ果て、自らの使い魔の首の辺りを軽くかいてやった。
白いオウムは嬉しそうに喉の奥を鳴らし、更に多くを要求するがエリィフィアはすぐに手を離した。
「ルゥ、お前は留守番をしておいで」
「ミイラ取りがミイラということもある」
オウムが不満そうに言うが、エリィフィアは肩をすくめた。
「レイリッシュを諫めるのは昔も今も、そしてこの先も私の仕事だ。それに、あの人のことだからたいした理由じゃないさ。私はね、あの人程魔女を愛している魔女を知らない」そのレイリッシュが魔女を捕らえたというのであれば、何か理由があるのだろう。そう続けようとしたが、言葉は淀みに落ちた。
――まったく理由なく遊ぶのもまたレイリッシュであることを、彼女の弟子であるエリィフィアは熟知していた。
嘆息しながら手を伸ばし、膝をついたままの使い魔に手を差し出す。
「おいで。転移する」
畏れるようにおずおずと手を伸ばすシディの手を掴むと同時、エリィフィアは意識を一息に王宮にあるレイリッシュの塔へと向けた。
他の誰にも許されていない最短のルート。エリィフィアにだけに許された完全なプライベート空間へと一瞬後には直接おりたち、エリィフィアは息をついた。
「ここは……」
まさか転移した先が部屋の一室だと思わず、シディは思わず小さな声を漏らしてしまった。
王宮に直接出入りできる魔女はレイリッシュのみだと思われていたからだ。
彼女の主がそうであるのと同じように、王宮へと続く広場辺りに転移するものと思っていた。
しかし彼等が現れたのは、広さばかりは広いというのに、質素な寝台と棚とが置かれた随分と不似合いな部屋だった。
「以前は私の部屋だった。おいで、隣にレイリッシュが――ああ、来た」
エリィフィアの気配をいち早く感じ取った漆黒の魔女は、悪戯を見つけられた子供のようにそっと扉を開いて顔の半分を出し、ぺろりと舌を出した。
まるで自らのほうが弟子であるかのように。
「エリィ、おかえりなさい」
「戻りました――ところで、アンニーナに会いたいのですが」
「好きになさいな。白の間にいるわ」
「捕らえていると聞きました」
「捕らえていたわよ。だってあの子ってば余計なことばかりするのですもの。まぁ、捕らえているといってもちゃんと最高級の待遇で持て成しているのよ? っていうか、むしろそろそろ帰って欲しいのだけれど」
レイリッシュは形の良い眉宇を寄せながら肩をすくめた。
「篭絡させてやろうと思えば、放り込んだ馬鹿と賭けポーカーよ。白の間は魔力が完全に遮断されるから丁度いいとか言って三日三晩! 賭け事に熱中して今朝から鍵が掛かってないのも気付いてないのよっ」
その言葉に、ちらりとエリィフィアは自分の一歩後ろでおびえたようにいるシディへと視線を向け、シディはかしこまるように小さく「申し訳ありません……」と謝罪した。
「白の間、わざわざそんなところにいるのですか?」
「魔女を捕らえるならば魔力の使えない場にするのは当然でしょう?」
白の間、魔女裁判が開かれる場は魔力を完全に押さえ込むように作られている。魔女裁判は神聖なものだ。どんな邪魔も受けない場を求められる。
だが、実際は魔女にとってそれほど居心地の良い場ではない――魔力に触れることができないということは魔女にとって苦痛ともいえるのだ。
エリィフィアはシディへと視線を向け、顎先で行くようにと示した。
完全にとらわれていないのであれば、あとは自分に出番はない。そのまま帰ろうかとさえ思ったのだが、レイリッシュの声がそれを押し留めた。
「丁度良かった。頼んでいた薬はできていて?」
レイリッシュは小首をかしげ、自分よりも年上のようにすら見える愛弟子の肩に手をそえて首をかしげた。
「できております」
「では使えるようにしておいてちょうだいな。もうそろそろ次の段階にうつらないと」
楽しそうな師匠の言葉に、エリィフィアは瞳を細めた。
「願わくば」
「ん?」
「願わくば、あまり非道なことをして欲しくはありません。言わなくともご理解してくださっていると思っておりましたが」
弟子としての言葉遣いで、エリィフィアは真摯にゆっくりと言葉を落とした。
「あの子は私の愛弟子であり愛しい娘なのです」
真剣なエリィフィアの言葉に、レイリッシュはゆっくりと紅の口唇を歪めた。
「あたくしの可愛い娘。時は戻せない。償いは受けなければいけない。例えそれがどれだけの代償を必要することとしても。してしまったことの罰は自らが担うのよ」
レイリッシュの手が軽くエリィフィアを抱きしめる。
「おまえを悲しませたい訳ではなくてよ。ただ、これは必要なことなの」
エリィフィアは沈着冷静な彼女らしからぬ程に身を震わせ、きつく言い放った。
「どのような言葉で飾ろうと、私には貴女の身勝手に私の娘を使っているように見えますが!」
その激昂にレイリッシュは目を見張り、くすくすと肩を揺らした。
「ただ見続けるのは辛いでしょう? 手を出せないことは辛いでしょう? ただ傍観者でいることは身を切るように切ないでしょう?」
「……」
「あたくしはそれを自らにずっと課して来たわ。いつかこの感情が消えうせるのではと思っていた。でも無理よ。あたくしの深い場所でずっと、ずっと辛さが消えないの。ブランマージュは石よ。泉に落とされた一つの石。けれどその石がなければ淀みは動きはしなかった」
レイリッシュは口唇をゆがめて笑いながら、自らを冷たく見つめるエリィフィアの頬に触れた。
「怒らないでちょうだいな」
反応の無い様子に、レイリッシュは耐え難いというように吐息を落とし、エリィフィアを抱きしめる。それでも反応を示してくれない愛娘に、レイリッシュは瞳を伏せてしばらく考えるようにしたがやがてゆっくりと囁いた。
「枝豆の冷製ポタージュにライ麦のパンを作ってくれたら、もうちょっと手を抜いてあげてもよくてよ」
冗談っぽく言いながら、それでも必死にエリィフィアをなだめようとするレイリッシュの様子に、エリィフィアは諦めた様子で吐息を落とした。
「カエルのから揚げもつけましょう」
「……カエルは要らない」
***
心臓がばくばくと鼓動を早める。
――知らなかったよ、ファルカス。
昨日、ギディオンは冷ややかな笑みで言っていた。
――おまえの姉が魔女だったなんて。知っていたらまどろっこしいことなんてしなくて良かった。お前の姉貴を捕まえるのなんて簡単だもの。
何故ギディオンがアンニーナのことを知ったのか判らない。アンニーナはこの大陸に近寄ろうとはしないし、家族の誰もそれを望んではいない。アンニーナのことは秘密だったのだ。
覚えがあるとすれば、船の上でアンニーナと自分とが接触した時のことだが、ギディオンが船にいたとは思え――
「猫……か」
白い猫がいた。
ざぁっと血の気が下がる。喉の奥がいがらっぽくからむ。
ギディオンは白い猫を使い魔として持っていた筈だ。
自分の視界にも幾度かちらちらと入っていた、アレか? アレが……見ていたのだ。自分は監視されていた?
「オレを監視してどうしようっていうんだよ」
頭がぐちゃぐちゃで、がしがしと赤毛をかきあげてしまう。
アンニーナのことを気付かれていた?
いいや違う。アンニーナのことを知られたのはただの偶然だ。自分がヘマをして船の上に姉を呼び込んだ。それに、アンニーナなど興味はないと笑っていた。
「……あの猫チビかよ」
その場でしゃがみこんで物事を整理していたファルカスは面前が白く濁るような気すらした。
ギディオンは魔女肯定派だ。
この地で魔女は必要無いといわれるのが一般的な思想。だがそれは旧王宮の人間が吹聴したことに由来する。
――曰く、この大地が穏やかさを失ったのは魔女の呪いだと。
魔女など必要無いと。魔女は災いだと吹聴する。
その一方で、新たな魔女をこの地に招こうと躍起になるのもまた、旧王宮の人間達だった。
自分達のしてしまったことを過ちだと後悔しているのではない。彼等にとってもまた魔女は忌々しいものではあったが、魔女を再度利用すべきだという思想がある。
この乾ききった大地に恩恵を。
旧王宮の生き残り――二十年前だかに最後の魔女を殺したおりに、王宮の人間は魔女の使い魔によってあらかた滅ぼされたという。その時に生き残ったものの、ギディオンは子なのだ。果てしなく血の薄い王族の生き残り。
魔女への恨みばかりを吹聴されて育った偏った思想の子供。魔女を憎む子供。
魔女はココに来てはいけないのだ。決して訪れてはいけない。ブランマージュも、そして当然アンニーナも近づくべきではなかった。
他の大陸の魔女達が決して省みないのは彼女等には自らの地に責任があるからだ。
魔女は管理されている。
一人として失わぬように。見えない鎖で繋がれた哀れな……どこまでいっても哀れな道具でしかない。
「駄目だオレ死んだ」
アンニーナが囚われたのではないかと焦るあまり、代わりにブランマージュを差し出した。
ギディオンにアンニーナのことを知られた動揺に、アンニーナが応えてくれない焦燥に、かわりの生贄を差し出したのだ。
だがギディオンはアンニーナのことなど知らないと言いながら、差し出された羊を容易くさらっていってしまった。
おそらくきっとギディオンの一族が魔女を殺す為に作ったというあの地下室へ。
ギディオンは未だにあの旧王宮の残滓に囚われているのだ。
「くそったれ!」
姉貴っ、姉貴っ、応えろよっ!




