109、からだ探し
あたしは何か釈然としないものを感じながら唇をへの字に曲げた。
あたしがいったいいつロイズを虐めたというのだろう。いや、まぁ、嫌がらせなら一杯してるのだけれど、今は別にしてないじゃないか。
納得いかん。
あたしはむっとしつつも、ロイズが中断してしまったティラハールの餌付け――ご飯やりを続けてやらねばならんかと皿と手に手を伸ばしたのだが、ティラハールはふっとその姿を消してしまった。
「……」
拒絶!?
なにそれっ。そりゃ確かに食事は必要がないようなことを言っていたけれど、じゃあなんであんたは食べてるんだっ。
あたしは更にむっと機嫌を悪くし、乱暴に口の中にサラダを放り込んだ。
もういい。
なんか知らないけど気分悪い。
あたしは一人で自分の体を捜す。だってこのままだと自分が猫になってしまうもの。猫になっちゃったら諦めるけど、今はまだ諦めるわけにはいかんのですよ!
よし、がんばれあたし。負けるなあたし。
「おじさんっ、ご馳走様っ」
たった一人残された食堂で乱暴に言うと、厨房にいた店主がどこか薄寒い笑みを貼り付けて珈琲をもって現れた。
「飲むかね」
「……」
「珈琲は嫌いか?」
そういう言葉にはわずかな動揺があるし、指先は奇妙に震えている。
あたしはじっとその手元を見つめ、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう!」
何入りですかー? 毒? 睡眠薬?
いやん、こんな判りやすい罠にはまる程のおばかさんじゃありませんよー?
あたしは無邪気さを装って両手でカップを受け取った。
に、したって使い魔に薬もってどうする気かねぇ。
ふーふーっと息をふきかけながら珈琲の成分を考える。
色々と薬草が入れられているが、多分に含まれているのは睡眠薬だ。魔物にもよく使われる薬草と、ついであたしが猫系だと思うからかわずかにまたたびなんかも入れられている。
殺す気ではないようだけれど、なにかしらね、コレ。
あたしはさっさと不必要な成分を抽出して排除し、幾度も息を吹きかけてゆっくりと珈琲を飲んだ。
「あっ」
短く言えば、びくりと面前男が震える。
「な、なんだ? どうした?」
「ちょっと熱かっただけ。ほら、あたしって猫舌だから」
なんたって猫だからーん。
ぷぷっ、びくびくしてる。
面白い。
気は弱そうなんだけどなぁ。いったいぜんたいなんでこんな真似してるのかしらね。あたしがすでに主持ちの使い魔だとは思っているはずだから、使い魔を欲しがる魔導師とかに売り飛ばすっていうのは無理だと思うんだけれど。
あ、もしかしてアレ?
あたしがあんまり愛らしいからっ? イケナイ悪戯しちゃおうとか?
って、いやいや、今のあたしはちょっと体も大きいしねぇ。子供の頭に猫耳猫尻尾は可愛いと思うが、十六・七の娘の頭に猫耳って、ちょっと「いろいろ大丈夫ですかー?」と心配になる外見だろう。
あれ、アリか?
もしかして全然アリですか?
まぁ、世の中の趣味趣向って判らないから……なんといってもエイル・ベイザッハみたいなイキモノも世の中にはいる訳だし。意外に変態っていうのは多いわよね。ギャンツだってドMだし、ロイズだって結局猫フェチでしょ。猫フェチだってある意味立派な変態よね。
あたしはゆっくりと珈琲を味わいながら、目の前の男の体温が上がり、喉元がこくりと動くのを感じていた。
緊張している。
あたしはわざとらしくあふりと欠伸をこぼし、目元をぬぐった。
「おなかいっぱーい。なんだか眠くなっちゃった」
「外で日向ぼっこでもすればいい。今日の太陽は柔らかくて気持ちがいい。こんないい陽気ははじめてだ――猫ってやつは日向ぼっこが好きだろ」
「そうねー」
あたしは言われるままに外に出て、丁度よさそうな物置の屋根の上で転がった。
――あれ、なんか変じゃない?
あたしは屋根の上でもう一度欠伸をこぼし、目を閉ざして太陽の穏やかさを感じながら眉を潜めた。
男はあたしが寝入ったと思ったのかほっと息をついて店の中に戻っていく。
「……なんだこれ」
あの男は明らかに薬を使ってあたしを寝かそうとしていた。
だというのに、屋根の上で寝ちゃったあたしは無視。目障りだからどかしたかっただけ?
んんん?
まぁいいや。
あたしは目を閉ざしたまま自分の思念を飛ばし、この大陸の中で不穏なものはないかと探り始めた。
お仕事ももちろんだけれど、あたしにはやらねばならぬものがある。
「何をしている?」
穏やかな声に問われ、目を閉ざしたままの状態で応えた。
「体探し」
微笑がこぼれ落ちる。
その気配に、あたしは顔をしかめた。
「あんたに抱かれたいからじゃないからね」
ちらりと視線を向ければ、宿の二階の廊下窓からこちらを見下ろしているエイルが、違うといっているのにも関わらずに機嫌よさそうに瞳を細める。あたしは唇をへの字にまげてあお向けにしていた体をごろりとうつぶせにしエイルを見上げてにんまりと笑って見せた。
「いやぁん、ダーリンってば欲求不満?」
「――」
眉をひそめた男の顔にとりあえずは溜飲が下がる。
ふふんっ、だ。
にんまりしているあたしに対し、しかしエイルはふっと鼻先で笑った。
「人形遊びは趣味では無いと言ったが、できぬと言った覚えはないと覚えておくのだな」
エイルは口角を引き上げるようにして笑ってみせる。
なんというか陰湿に。
「私の作り出した人形がどれだけ人と似通っているのか、確かめるのも楽しいやもしれぬ」
……あたしはべっと舌を出してごろりとまた体の向きを変えた。
くそっ、なんか負けた。これ以上続けるのはやめ! なんか追い詰められる気がするっ。
そんなことよりも体探しですよ!
仰向けに転がって意識を大気に溶かすように感覚を伸ばしていく。
体を捜すのは断じておまえの為じゃないからなっ。このむっつりエロ魔導師!
「何かわかるか?」
あたしのそんな様子を静かに眺めていた男がゆっくりと問いかけてくる。
あたしは浮遊するような気持ちを覚えながら感じるものを言葉に変換させた。
「……この大陸、地下に幾つか道がある。地下道……ま、レイリッシュのいる宮殿地下にもあるんだけど、それって魔女でさえ把握しづらいようになってるのよ。結局抜け道だから、たとえ魔女であっても理解されちゃまずいのね。目くらましがかかってて――この大陸にも幾つかそんなものがあって……それと何かしら、ここからそう遠くない場所。東のほうに、白くてぼんやりと輝く何かがあって、それも判りづらい。城、城跡……古い石造りの建物」
あたしは目を閉ざしたまま、思念に触れるものをゆっくりと言葉にしていく。
もっと深い場所を探るようにいっそう気を配る。
「崩れた城壁、いくつもの墓標。赤い、血……血の、イメージ。誰かが……」
ふっ、と何かがあたしの気に触れた。
びくりとあたしは体をはねさせる。
それに驚いたようにエイルは窓に手を掛け、そのまま物置へと勢いをのせて飛び降りた。その勢いに石造りの物置の端がぱらぱらと壊れたがこの男は気にもかけなかった。
「どうした?」
「……」
あたしは身を起こして自分の口元に手を当てながらゆるりと首を振った。小刻みに震えてくるのは不思議なざわめきが体をなぞるからだ。
「ブラン?」
あたしはゆるゆると首を振る。
魔女の気配がある。不確かだけれど、でもそれは確かに魔女を思わせるものだ。ただし、魔女特有の強い生命力を感じない。まるで空虚にふわりとなぞるように、風のようにほんの少しだけ漂う。
「なにかしら……これ」
言葉にしながらあたしは身を震わせた。
とても、奇妙な居心地の悪さを感じてしまう。
もっとその気配を探ろうとしたのだけれど、それはかなわなかった。
更に近い場所で男の悲鳴が響いたのだ。