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107、まがいもの

 お腹の中心部がすかすかするような恐怖にあたしはふるりと身を震わせる。

それから慌てて冷たくこちらを見ているエイルを確認し、ついで背後からシーツごと自分に張り付いているシュオンの腕を叩いた。

「シュオン、下がって」

 短く命じる。主として強い意志をのせて。

たった今、エイルの怒りを理解したばかりだ。


 自分の目の前で自分の姿を持つものが他人にはりつくというのは尋常でなく腹立たしい。というか恥ずかしいというか、もういてもたってもいられない。

 シュオンがきゅっと一度だけ強くあたしに(すが)るように力を込めて、だけれど主の命令を利き入れて姿を変える。更にその身の安全を考えてあたしはもう一度「出てなさい」と告げた。

 シュオンがキィと鳴いて部屋を出て行く。

それに大きく息をついて、あたしはきゅっと眉間に皴を刻み込んだ。


「ダーリン、嘘はなしで頼みたいんだけど」

「なんだ」

「今日みたいなこと、実ははじめてじゃないんじゃない? あたしが猫になってちょろちょろしているのって、実は幾度かない?」


――あたしの記憶がないだけで。


 だってそもそも、あたしは過去に経験がある。

一度だけ。たった一度だけだけれど。

でも……あの時は短時間でわりとすぐに体の自由を取り戻した。極力……気に掛けないようにしていただけだ。いつだったかシュオンに弱音を吐いてしまったけれど。あえて忘れようと勤めていた。


 あたしはひたりとエイルの瞳を見た。

「ない――今宵がはじめてだ」

その瞳の動きに嘘を見つけることができずに息をつく。

「そう……ならいいわ。でも、この先はちょっと保障ができないってコトね」

 うーっ、あたしは頭を抱えてしまった。

では今回のことで実質二度目――どちらにしてもあんまり笑えない。


「参ったぁ。これはもういっそあたしが白猫だとばらしちゃったほうがいいってコト? ロイズがあたしの飼い主だって? あの子猫があたしだって?」

 独り言でぶつぶついいながら、あたしは一人でのたうちまわった。


一緒に寝てることも? 一緒にお風呂入ってたことも?


 いーやーだぁぁぁ。

嫁に行けないっ。てか、あたし猫になったらどうすんのよ? 猫になったらロイズの家で暮らす覚悟はできてるのよ? ネコフェチから猫を取り上げたくないってあたし思ってるんだもの。

 で、それってさ――ロイズは猫があたしだと理解して飼うって?


むーりぃぃぃっっっ。


 あああ、猫になるの前提なら嫁になんかいけないよね! 

今までさんざ嫁にいけないと叫んできたけれど、いやだ、あたしってば本当に嫁にいけん!

「ブラン」

「いやいやいやいや、色々ムリだって。あああっ」

「ブランマージュ」

「うわっ、もしかしてアレがあたしだと知った途端に捨てられるかもっ」

 言いながら、それはないなぁ。とも思う。

だってロイズってなんていうか損な生き物なのよ。んで人がいいから、自分が抱え込んでしまったものを捨てるなんてできない。

 どれだけ人がいいんだよって、本気で心配になるくらいいいやつなのよ。


 絶対に人生損するタイプ!

なんといってもエイルが病に倒れれば看病できちゃう人の良さ。

一言で言えば、バカなのよ!


「ブランマージュ」

苛立つように言われ、ぐいっと顎下を持ち上げられた。

うおっ、なんだよ?

「落ち着け」

「……うっ」

「大丈夫だ――おまえは魔女のブランマージュだ」


 いや、それは理解してますよ。あたしは悪い魔女のブランマージュですよ。

そうちゃかしてやりたいと思うのだが、エイルがやけに優しい瞳で見つめてくるものだから、あたしはうろたえてしまった。

「猫になったりなどせぬ」

 うそだ。

「猫になどならぬ」

――うそだ。

その言葉に何の根拠もない。

なんの保障もない……だというのにただ真摯に落される言葉に、あたしのお腹の中でざわりとざわめいて、感情がはじけた。


指先が咄嗟にエイルのシャツを掴むように(すが)り、その胸に顔を押し付けていた。

「っっっ」

悲しい、つらい、こわい。

 身が震えて悲鳴をほとばらして歯を食いしばって。あたしは泣いたりなんてしないけれど、でも必死に何かを堪えた。

 空虚な闇のような腹の中をぐるぐると何かが駆け巡る。

「おまえは、猫になどならぬ」

――それがたとえ、自分の罪悪感から来る言葉であったとしても、エイルが言うことばとしては上等の部類だろう。

「声を殺さなくともよい」

 かすれるようなエイルの言葉にも首を振って、ただあたしは歯を食いしばって腕やこめかみに力をこめていた。

 やがて自らの体内を駆け巡る嵐を、ただひたすらエイルに縋ることでやりすごしたあたしは、虚脱するように深く息をついた。

体内の力が、抜ける。


 耳の奥が痛い程の沈黙をやぶったのはエイルだった。

その手が、あたしの髪をすきあげる。シュオンがそうするように優しく。

「もう、よいか?」

 静かな問いかけにあたしはやっと小さくうなずくことができた。


 うー、醜態をさらしてしまった!

あのエイル・ベイザッハに弱味を見せるとは何事か。弱りすぎだろうあたし。あたしは多少照れくさい思いをしながらエイルの胸に手を当てて体を起こし、ごまかすように笑って

「いやぁんごめんね、ダーリン。夜中につき合わせちゃって悪いわね」はははっ、とバカっぽく笑ってみせようとしたのだが、エイルときたら口元に緩い笑みを刻み付けて瞳を細め、あたしを見下ろした。


「やはりその姿は駄目だな」


 その手があたしの首筋をなぞる。

駄目だというくせに、まるきりその口調は甘やかさにぬられ居心地の悪さを孕んでいた。

あたしはひくりと引きつり、乾いた笑いを返した。

「えっと……」

そうですねぇ。今のあたしときたらほら、重ねがけの魔道を施されてますから、いつもより年齢も体のサイズもあがってる。それってつまりさ、エイルの許容範囲外ってことよね。

 ダーリンてばほら、変態幼女趣味だからさ。

だから、だから、身の危険を感じる必要はないわけで……


 エイルは身を伏せてあたしの鎖骨の辺りを指の背でなぞり上げ、あたしがそのぞくりと背筋まで這い登るような奇妙な痺れにふるりと小さく震えると、喉の奥をならし微笑を落した。


「紛い物の体でも感じるものらしい」

 なっ――

かっとなるあたしに畳み掛けるようにエイルが言った。


「だが、私は人形遊びなど趣味ではない。

自ら作った紛い物の体を抱く気はせぬ。早く己の体を取り戻せ――ブランマージュ」

 エイルの唇があたしの耳の付け根を、そうほんの軽くかすめて身を翻した。


 魔力を奪うこともできない、ただ単純な口付け。

「まだ夜は深い、そのナリは色々と不愉快だが――チビよりも体は楽だろう。ゆっくりと休め」

あたしは呆然と瞳を見開き、部屋の扉がぱたりと閉ざされるのをただ間抜けに見つめ続けた。


 まて、まて、ちょっとまて……

え、なにそれ。どういう意味?

エイルは幼女趣味で、幼女趣味は幼女に欲情する変態で、だからエイルは変態で。

でも紛い物の体に欲情はしなくて、本来の体なら抱く……つもり?

でも本来の体って、あたし21歳の立派なオトナなんですが!


今の台詞だと、抱く気があるって解釈でいいのよね?

抱く? あれ、なんだこれ?

オトナも平気? こういうのって何ていうんだ?


両方平気……両刀?――両刀っそういう意味だっけか? あれ、あれれ?


「悪魔語、わかんないんですが……――」

 あああああ、エイル・ベイザッハが理解できない。

今のあたしの頭はちょっと煮えきってて正常な判断能力がないかもだよ。

誰か、通訳! 通訳してちょうだいっ。


くそ、あのむっつりエロ魔導師め。

エイル・ベイザッハの節操なしの変態幼女趣味の両刀野郎!?

眠れったって眠れるものかっ。

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