104、大陸視察2
「ケっ」
ファルカスはあからさまに馬鹿にするように舌を打ち鳴らした。
「いちゃいちゃしちゃってやだねー」
「誰もんなことしてないわよ!」
しかもファルカスがそんなことを言い出したのはエイルが店を出てからだ。絶対にエイルを意識しまくっている。
あたしはファルカスを睨みつけ、
「あいつはただの――」
「幼女趣味だ!」
とロイズは低く唸るようにあたしの言葉をさらった。
いや、うん……そうなんだけどね?
「病気もちかぁ。エイル・ベイザッハが幼女趣味。うわー、意外すぎて一回りしてなんか納得」
その意味がわからんが。
「絶対あいつ頭おかしいもんな」
「そこまで言うつもりはないが、幼女趣味な点はフォローしきれない。いいか、おまえもブランやティラハールにあいつを必要以上近づけるな。危ないから」
真剣に言うロイズがちょっとおかしい。
あたしは複雑な気持ちで眉をひそめつつ、ちらりとティラハールを見た。
相変わらずの無表情――けどなんだか楽しそうな気がする。
あたしははたはたと戻ってきた蝙蝠の頭を撫でてやりながら、何故か意気投合した様子でぶつぶつと会話をしている男二人を無視し、ティラハールの胸にブローチよろしく蝙蝠を引っ付けた。
「あたしも外を見てくるから、シュオンはティラハールといなさい」
「ぼくも行きますよーっ」
「あのさ、あんたペットとして可愛くないのよ」
連れ歩きたい生き物になって出直せ。
あたしの言葉に蝙蝠が切なそうにキィキィと鳴いていたが、勿論あたしは無視した。
***
――そもそも、視察って言葉は曖昧すぎて意味が判らないのよねぇ。
とぼやくあたしに、ロイズがその胡乱な眼差しを向けてくる。胡乱、そう胡乱。なんだかその瞳に生気がちょっと欠けている。
疲れてる。というか憑かれてるんじゃないですかーっていう感じ。
あたしが外に出ようとすると、結局ロイズも一緒に出てきた。ティラハールから目を離すなと睨むあたしに、ロイズはファルカスと蝙蝠がいれば十分だろうと言ったのだが、なんだかちょっと不機嫌そう。
「あんたは視察とかって仕事でなかったの?」
「そうだな、他の部署とか地区とかで視察というものがあるけれど、だいたいはお膳立てが整っていて、ここを見てあそこを見てと決められているから」
バイタルは低下しているようだが、それでも返答してくれる。
あたしはてこてこと歩きながら、ますます顔をしかめた。
「まったくレイリッシュの不親切さったらないわよね? 見て来いって言われても……」
あたしは足を止めて空を見上げた。
ふるりと身が自然と震える。
「何か違うものなのか?」
ロイズの言葉ももっともだろう。
あたしはゆっくりと辺りの気配をさぐりながら眉をひそめた。
「――違い? 違いで言うのであれば随分と違うわよ? なんていうか……穏やかさが無いっていうか」
挑発的、挑戦的?
どういう言葉で表すのが適当なのか判らないが、あたしは自然と自分の唇を舐めた。
自分の大陸のことしか知らないけれど、こんなにとげとげしい気持ちはあまりない。何がどうしてこうなったと思わずにはいられない。
「どう表現したらいいかしら……あたし達の町は、円形の枠がはめられている感じなの」
「は?」
「見えないシールドが上からはめ込まれて、大地や大気の優しさとかが満ちている感じ。でもここは……魔力が妙に充満していて息苦しくて、居心地が悪い」
丸く覆われたシールドの端がぴったりと大地を覆うことができなくて反り返り、何もかもが出入り自由でとどまらない。
よいものもわるいものもいったりきたりできる。
目を瞑って気配をさぐれば、確かに魔物の気配を感じることができる。エイルみたいな魔物好きにはいいかもしれないけれど、普通の一般人には随分と住みづらい町だろう。
「こんな場所に観光かね」
ふいの声に、ぴたりとあたし達は足を止めた。
赤毛の中年男が胡乱な眼差しを向けてくる。
「ああ、あんた達も魔物を捕まえようってハラか。ご苦労なこったな」
男の視線があたしの頭の耳にとまる。
……あたし今、確実に使い魔扱いされてますよね。
あたしはひくりと引きつり、その考えを訂正してやろうかと思ったがそれを留めるようにロイズがあたしの頭にぽんって手を置いた。
「魔物は多いのか?」
「減ることは無いな――人間の死体は増えるけどな」
冗談のつもりなのか薄い笑いを貼り付ける。
「あんたは魔導師に見えないが」
「オレは雇われ護衛だ。魔導師と共に来た」
「そうか。せいぜい気をつけな。夜になれば魔物がでるって話じゃない。町から出れば確実に一匹は出くわす。ここはそういう場だからな」
男が肩をすくめる。
ロイズはちらりとあたしを伺う。あたしは魔女であることを口止めされているのだと理解しながら子供っぽく口を開いた。
「おじさんはここ長いの?」
「生まれて死ぬさ」
「魔女がいないのは不便じゃない?」
ずばりというと男は笑った。
「魔女なんて要らないね。あんなのは災いしか呼ばない――見てみろよこの町を。この衰退と荒廃を。この大陸は魔女に呪われたのさ。魔女のせいでこうなったんだ」
吐き出された言葉に、あたしはいっそうきつく眉をひそめた。
――荒廃や衰退は魔女がいないからだ。
魔女を殺したのはあんた達じゃないの。
その思いを留めるようにロイズが手を伸ばしてあたしをだきあげる。
「それじゃあ」
そそくさとその場を離れるロイズに、あたしは腹がたってその頬をむにりと引っ張った。
「痛い」
「痛くしてるのよ」
「――言いたいことはわかる。よく怒鳴らなかった。えらいぞ」
まるきり子供をあやす風だ。
「魔女は恩恵だ。少なくともオレの常識では魔女が大地や大気に呪いを掛けて荒廃させるなんてものは無い。魔女がいないから恩恵が得られない――それだけだ」
淡々とロイズが言う。
あたしは少しだけ打ちのめされていたのかもしれない。ロイズの首に手を回して抱きつきながら、
「魔女を殺しておいてよく言うわよ」
と低く唸った。
「別にあの人が殺したわけじゃないだろうさ。それに、これは戦争と一緒だ」
「なに?」
「戦争は勝ったほうの言い分が通る。この大陸では魔女が殺されて残ったのは荒廃と衰退。魔女を殺したことを悔いるよりも、魔女の責任だというほうが簡単だろう。勝ったほうが好きにでっちあげるのはよくある話だ」
「……あたしは、何があってもそんなくだらない呪いなんて残して死なないわよ」
他の魔女だって絶対にそうだ。
あたしは魔女達の墓を見た。
聖域のようなあの場で、穏やかに眠っている魔女達。優しくて温かな力に満ちたあの場で、誰も他者を呪って死んだなど考えられない。
ふと、あたしは身を起こした。
「ここで死んだ魔女の亡骸はどうなったのかしら?」
少なくとも二十年前にも魔女がこの地を訪れている。そして人間達によって殺されているのだ。彼女の亡骸はいったいどうなったのだろうか? 他の魔女同様に始原の森で眠っているのだろうか。他の魔女達に回収されて?
あたしがむぅっと唸りながら考えていると、その考えを邪魔するように突然ばたばたという足音が聞こえた。
「うわっ、可愛いっ」
駆け出してきた足音がびたりと面前でとまる。
見れば、そこに立つのはまだ十二・三と思わしき少年だった。ファルカス同様の赤毛の少年。ただし、その赤みはファルカスよりもずっと強くて、一瞬びっくりとさせられてしまう。まるで炎のように鮮烈な色。
「それ、おじさんの使い魔?」
子供は無邪気にあたしを抱きあげているロイズに言った。
「――いや?」
ロイズ引きつる。
おじさんと直球で言われたのがものすごく響いたようだ。熊のくせにわりと繊細なのであまり虐めないでやってくれ。
あたしは虐めるがな!
「おじさんのじゃないの? ならぼくにちょうだいよ。ぼく使い魔が欲しいんだけど、まだ魔物狩りには出たら駄目だって言われてるんだ」
「駄目だ」
「売り物なの? ああ、そういう商売の人か。魔物を捕まえて売る人なんだろ?
――いくら? ぼくあんまりお金ないけれど……」
少年が眉根をひそめて言葉を続ける。ロイズがどうしたものかと思案するのに対し、また反対から声をかけられた。
「それは私の使い魔だ。すでに主を持っているのだから諦めるのだな」
つかつかと歩いてきたエイルの言葉に、ロイズは眉間に皴を刻みつけたがその場で反論はしなかった。
おまえ達、あたしが文句を言わないのをいいことにさっきからなんだって使い魔扱い!
あたしは魔女! 悪い魔女ブランマージュをあんまりコケにすると痛い目みせるわよ?
あたしはね、とにかく根に持つ性分なんだからね。
しつこいよ!
「ああ、こっちのおじさんが魔導師か」
少年は無邪気に言った。
あくまでも無邪気に。
……エイル・ベイザッハをおじさんと言ったはじめての人間として讃えあげていいですか?
あたしはロイズの肩口をぎゅっと握りこんで必死に笑いを押さえ込み、そしてロイズは同じく小刻みに震えていた。
駄目だ! エイルの顔が直視できない!!