君の名前を呼ぶ時③ さおりさんとしおりさん
「根野葉先輩のお姉さんと、育先輩のお兄さんがお知り合いなんだって。
写真を見せてもらったけど、育先輩のお兄さん、ムキムキじゃなかった」
昼休みに、妹からメッセージが届いた。
育君にお兄さんがいたのか。
根野葉にお姉さんがいるって、何かの話で聞いたけど2人が知り合いだったとは。
世間は狭いな。
「丘、明日は暇?」
隣の席の男子が声をかけてきた。
「バイトは休みだけど、何?」
隣の席の男子は細身で顔が整っていて、かっこいい部類に入る。
でも、私はなんとも思わない。
「明日、一緒に出かけない?」
「どこに行くの?」
スマホを操作しながら妹に返信する。
「店?」
「なんの?」
「花屋。明日、母親の誕生日だから、できれば付き合って欲しいんだけど」
申し訳なさそうな顔で頼んでくる。
こういう所もあって、顔も性格もタイプじゃない。
顔がよくて、世界の中心は俺という態度は、本当に嫌だ。
「花屋ぐらいひとりで行きなさいよ。
私の男友達は1人で花屋に行ったり、生理用品を買ってきてくれるし、ついでに鎮痛剤も、貧血きついからって鉄剤のドリンクまで買ってくるわよ」
小佐治はそんなやつ。頼まれたら、女装してもしなくても、周世でも周世以外でも買ってくる。
「えっ、そんな男がいるの?」
「いる」
キッパリと言うと唖然としていた。
なんなのこいつ。
それから声はかけられなかった。
小佐治みたいなタイプは貴重かもしれないけど、根野葉の「人間として好き、好きな人のために一生懸命なところが好き」は、こういうところだ。
「ただいまー」
帰宅すると、まだ誰もいなかった。
夕飯を作るか。
「ただいまー、なんだ、さおりだけか。しおりは?」
父が帰宅した。
「まだみたい。ご飯は何がいい?」
冷蔵庫を開けて聞いてみる。
「なんでもいいや」
「はいはーい」
母は今日は残業とメッセージが来ていた。
「何か手伝うか?」
着替えをすませた父が聞いてくる。
「お米研ぎお願いしまーす、3合ね」
「はーい」
私は野菜を切っていく。
「学校どうだ?」
「楽しいよ、そのうち私の実験台になってもらうからね」
「それは楽しみだ」
去年の夏すぎ、私は大学進学を諦めた。
あの事件があってからなんだか疲れたのと、
美容師になりたいなと思っていたのと。
父も、母も、妹も悪くない。
父も母も、一生懸命、私たちを育ててくれたのだ。
私の大学進学の費用を取り崩して引っ越ししてもらった。
もう、あの男はいないとわかっているけれど、それでも私が気持ち悪かったのだ。
父はしおりを、母は私を連れて途方にくれていたらしい。
しおりの母はしおりの出産が元で亡くなったと聞いている。
位牌も写真も仏壇に置いてある。
何のきっかけでわからないけれど、
父と母と私たちは一緒に暮らしている。
私は朧げに覚えている。
大人の男の癇癪や暴力。
幼い男の子が何か文句を言いながら、おばあさんに連れて行かれていて。
それは遺伝上の父が母に暴力を振るっていたこと、
遺伝上の8歳年上の兄が父方の母に連れて行かれたこと。
その兄が私の高校三年生の時の担任であったこと。
その兄が母と私に気付いた時は、兄は自分の存在を消したこと。
母も私もあとから知らされたのだ。
妹だけは知らない、知らせない。
悲しいよりも、気持ち悪いと思った私に父は、
「それでいい」
と言った。
母は泣いていたが、あの家庭だからどうしようもなかったと言っていた。
幼い頃に迎えに行ったとしても、断られた、もしくは本人が断っていただろう、よくも悪くも父親に似ていたと言う。
父の態度に増長して、幼いのに言葉の暴力か何か母に向けられたのだろう。
耐えられないと思う。
生姜焼きと、味噌汁。ご飯が炊き上がったところで、母と妹が帰宅した。
「ただいまー、うわぁいい匂い!」
「おかえり、しおり。今日は生姜焼きです」
やったぁ、と、配膳を手伝ってくれる。
「さおり、夕飯の支度ありがとう」
「お父さんも手伝ってくれたよ。先に食べて今、お風呂に入ってる」
「あら、あら」
普通の日常。
これでいい。
「お姉ちゃん、めっちゃ美味しいんだけど!」
「そりゃよかった」
翌日、学校に着くと、隣の席の男子が声をかけて来た。
「丘、昨日、1人で花屋に行って母親に渡して来た」
あら、母親は本当に誕生日だったんだ。
「すげえ緊張したけど、喜んでもらってくれた」
「よかったねー」
わざわざ報告しなくても。
この顔なら、花屋でもなんでも1人でサッサッと入ってそうだけどね。
「ケーキ屋さん、どこかおすすめある?」
なるほど、そう来たか。
しばらく考えて、
「去年はどこで買ったの?」
「去年は妹が買ってきた」
「妹さんと、選んだら?」
「そうする」
うん、そうしてくれ。




