美術部室の君⑧ 頼れ
小佐治は口調が優しく滅多に怒らない、かと言って、ヘラヘラしているわけでもない。飄々としている。
モテるが彼女はおらず、男女問わず、友人、知人が多い。
「彼女いないのか」と聞くと「友達の方がいい」で終わる。
そして「彼氏にするにはちょっと、友人関係がいい」と周囲は言っている。
特別扱いはせず、誰にでも平等に接するからだと思う。
二年生の冬、美術準備室に運んだ二脚のソファーセットに小佐治が座ってデッサンをしているのを見た。
猫背になりながらも、スケッチブックに描かれる手の動き、視線、グッとくちびるを噛んでるのだろうか。
放課後の生徒会の見回りで、声をかけていいものか随分迷った。
それほどまでに小佐治が真剣に取り組んでいたのだ。
いつも飄々としている姿ではなく、真剣に、ひたむきに。
小佐治が私の視線に気づくと、「お疲れぇー、見回り?こっちのソファーに座ってお茶しない?」
と、手をあげて、いつもの小佐治に戻る。
「お茶?」
「後輩がティーセットを持って来てくれた。寒いから膝掛け使って」
すぐにお湯が沸くからと、ブランケットを渡してお茶の準備をしてくれた。
美術室は絵の具の匂いもあり、たいてい窓やドアを開けている。冬でも開けて絵を描いている。
ブランケットは暖かく一人掛けのソファーに座って待つ。
小佐治の顔は整っていると思う。
背が高く、薄い茶色の髪は地毛だそうで、髪は背中まであり、時折無造作に一つに束ねていた。
お茶を準備している小佐治の後姿は日の光で薄い茶色がキラキラと金髪に見える。
髪が長い男子は初めて見た。
初対面でそう思った。
華奢でもなく筋肉質でもないが、以前見せてくれた美術部員の上半身デッサンでは、しなやかな筋肉がついていた。
美術部員のひとりは、隠れマッチョと言っていたが、その通りだと思う。
「今日は一人で見回り?」
お茶の準備をしながら小佐治が尋ねる。
「育が一緒だったんだけど、パソコン部で捕まった。見回りは美術室と音楽室で終わりだったから、ここで最後」
「そっかー。一人で見回りになった時は美術室に来て。俺もついてくるから」
こういうさりげない気遣いができるやつだ。
「ありがとう、次からそうする」
「そうして」
断ると、なんで??大事なことでしょう?一人で解決しないで?と口酸っぱく言われた頃が懐かしい。
大会前の練習と、生徒会の仕事。
どれも手は抜きたくない。
一年生の時、陸上と生徒会、大会前でいっぱいいっぱいな時に、そう言われた。
できる時にできる者が。
できない時にできる者が。
「頼れ」
小佐治が言ったその一言は忘れない、忘れたくない。
それはメンバーとしての信頼か。
小佐治は誰にでも平等で特別は作らない。
だから私たちの間には恋愛はないと思う。
小佐治に対しての好きは、生徒会のメンバーとしての好きだと思う。
だけど、小佐治が誰かの特別になるとは思いたくない。
小佐治の特別ができる。
そう思うと一気に体が冷えてしまった。
なぜ。
「おまたせー」とお盆にティーカップとクッキーを載せて持って来た。
「はいどうぞ、紅茶です。熱いから気をつけて。クッキーもあるよ」
「ありがとう」
両手に包まれたカップが暖かい。
暖かい紅茶が、手のひらを、指先を、体を温めてくれた。
今思えばそれは贅沢な時間だった。
3月、小佐治が美術部を辞めた。
指先が痺れることがあるらしい。
思いのままに、筆を、道具を握れない。
怪我をする前に、他の部員を巻き込む前に、辞めるという。
「思いっきり描いたし、作ったし、あんまり思い残すことはない」
それでもたまに小さいスケッチブックに15分間だけ模写をしたりしている。
表情は辛そうではない。
手が震えて、線が、色が、思う通りにならなくても、描くことは続けていた。
ずっと好きだったものを、諦めたくない、嫌いになりたくない。
そう言っていた小佐治。
私は4月に事故にあい、片足を怪我して、陸上が二度とできなくなって。
それでも諦めたくなくて。嫌いになりたくなくて。
思うように前に進まない、進めない。
なんで小佐治は進めるの?
どうして嫌いにならないの?
なんで好きでいられるの?
どうして前を向いていられるの?
葛藤の中、毎日が少しずつ進んでいる中で、小佐治は、足を挙上する小さな椅子を、座る時は椅子を引いてくれて、松葉杖を持ってくれて。
そして女装までさせてしまった。
「小佐治いいの?」
「別に嫌じゃないよ。女装は美術部の時に何度かしてるし。それよりも周世は、転んで怪我しないようにな。登下校は一人になるな。誰かについてもらおう」
それでも頼れという。
小佐治がいたからなんとかここまで来れたと思う。
図書室で、模写をしたり、メモを取ったり、図鑑みたり。
こっそりと見る姿はどれも真剣だ。
特別なんて、今はいらない。
見るだけで満足だから。




