アルの新しい生活
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌朝、少年は何もなかったかのように普段通りだった。
勝手に家に連れて来た時と同じ包みしか抱えていなかった。
迎えに来た護衛たちと馬車に乗り診療所へと向かう。
車内では護衛たちが賭場と診療所を繋ぐ道を少年に教えてやっている。
こいつらも随分と少年に馴染んだな。
なんなら俺よりも仲が良いくらいだ。
3人の会話を目深に被った帽子の下で聞く。
貴族ってやつは感情を表に出さないことがマナーだと小さい頃から身に付けると聞いた。
今日の少年は一段と貴族らしく見えた。
今日の診療は午前で終了する日だったため、終わる頃合いを見計らって来た。
ちょうど患者たちは退けており、院長と看護師が出迎えてくれた。
そこからは少年に主導権を渡し、仕事の事など聞きたいようにさせた。
出勤は明後日からでいいよと言う院長に対し、少年が明日から来ますと返した。
そして近所でおすすめの食事処を院長に教えてもらい、遅めのランチを済ませてから部屋の片付けへと向かう。
そこで御者には帰るまで休憩を取らせる。
3階だから足腰を鍛えるには物足りないが仕方ないと護衛たちに慰められながら階段を登ってゆく。
そして少年は渡してあった部屋の鍵を取り出し、扉を開く。
あがった感嘆の声はもちろん護衛たちから。
ふたりが揃って両手を頬に添える。
昨日頼んでおいたものはそれなりに配置されていた。
「何か動かすものがあれば言えよ。こいつらに。」
腑甲斐無い男は肉体派だが肉体労働は好まないのだ。
持って来た小さな包みは片付けるまでも無いとベッドに投げ置かれた。
予め配置された場所のままでいいと言う少年。
次は近所の商店街を散策しつつ足りないものの買い足しと、食材の買い出しをすることにして皆で街へと繰り出す。
ここにも少ないが買い食いができる屋台はぽつぽつと出ている。
それに昼に行った食事処のような家庭的で手頃な値段の店も多そうだ。
これなら料理が出来なくても困らないだろう。
身の回りの物は全部持って来たから特に不足はないと言う少年。
ネコ柄のクッションを勧める護衛に、レース編みのテーブルクロスを勧める護衛。
安定の少女趣味だ。だが物はいいぞと便乗して勧める。
それを笑って断る少年。
カーテンが無かったことを思い出し急ぎ探す。
何色がいい?と聞くと、暫く考え込み、榛色と言った。
それを聞き取るや否や脅威の瞬発力で店内を探し回る護衛ふたり。
それに追いつけない一般人種は笑いながら眺め、届けられるのを待つ。
護衛の帰りを待つふたりに会話は無い。
そしてふたりが持ち寄ったのは生地が厚いものとレースのものを一点ずつ。
生地が厚いものは、榛色に近い物から遠いものまであらゆる糸を使い、離れて見ると深く複雑な色合いになるものだった。
レースのものは薄い榛色。少しだけ黄色味掛かっている。
そのどちらもいい品だと思えば、少年も気に入ったようでそれを窓の数だけ買ってやる。
それから陶器を扱う店でマグカップ、スープマグ、皿2枚、カトラリーを最低限だけ買ってやる。
「こういうものは気に入ったものだけでいいんだ。そうやって少しずつ増やしていけばいい。」
あまりの品の少なさを弁解するために伝えたが、それを聞いた少年の顔が一瞬だけ泣き出しそうな顔に見えた気がしたが、たぶん気のせいだ。
今日の夕飯と明日の朝食にと、パン屋でパンを買い込み、屋台で串焼きを買ってやる。
部屋に戻ってから護衛ふたりはカーテン取り付け作業。
三階立てだけど見晴らしがいいんですよ!と絶賛していた男を思い出し、街に沈む夕陽を眺める。
そうしないと腹の底のザラザラが、腑を手で掻き分けられるようなぞわぞわが治まりそうになかった。
漸く護衛ふたりが無事カーテンを着け終わる。
じゃあそろそろ帰るぞと少年に張り付いて離れない護衛たちを嗜める。
「会おうと思えば会えるだろうが。ったく。下で煙草吸って待っててやる。吸い終わるまでに来いよ。」
一昨日来た時にはいい部屋だと思ったのに、今は1秒でも早く離れたいと思っている自分に苛つく。
外に出て煙草を取り出し思い出す。
少年が来てから殆ど煙草を吸っていなかった。
「……くそっ、湿気ってやがる。」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
お読みくださりありがとうございます。