親心
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「昨日は災難でしたね。」
今朝の会長は目に見えるほどに不機嫌だった。
首領に呼び出されるのは偶にあること。
生き死にの掛かるやり取りなんかは無い。
何かあったんです?と護衛に訊ねると、会合の内容を聞いて納得した。
会長が殴りかからなくてよかったと心底ほっとした。
ただあの高級ステーキ店に行くなら私と家内も誘うべきだったと胸の内で述べるに留めた。
「取り急ぎ、少年の職場と部屋を確認したい。」
この発言の意味も理解します。
「職場は首領でも手を出せないところですから安心かと。それと部屋も通いを考えて職場のすぐそばの清潔なところですよ。」
「今日行けるか。」
もちろんです、いつでもどうぞと伝え、午後の系列店巡りの道中で立ち寄ることにした。
出掛ける前に会長は一度厨房に立ち寄り、料理長と何やら話していた。
恐らく近日中に雑用が居なくなることで人員補充が必要かどうかの確認でもしたのだろう。
系列店での見回りもいつも通り。
従業員たちに見せる顔もいつも通り。
ただふたりきりの車内では、腹の底から冷えるような冷気を絶えず放っているだけ。
首領が怒らせたりするから私が今寒い思いをしているのだ。
首領には反省して欲しい。
そして有能な秘書たる私が都合を付けた、会長が納得し得る厳しい条件を満たす少年の新しい職場へ向かう。
部屋の場所は職場とは目と鼻の先。
「邪魔するぞ。」
居酒屋に入るような軽快さで立ち入ったのは街の診療所。
患者の合間に割り込み、院長と面会させて貰う。
午後立ち寄ることは伝えてあったので対応も迅速だった。
「急な頼みを聞いてくれて助かった。少年は骨があるし、学もある。少年は、貴族だ。その手の立ち回りが必要な時には頼ればいい。」
よろしく頼むと着座のままだが深く頭を下げる会長。
「そんな良い人材貰っちゃっていいのかい?」
好々爺然とした院長が確認する。
「構わん。首領に目を付けられたからには、こちらで預かって貰えた方が安心だ。もし組のやつらがここに押し入る……ことは無いとは思うが、何かに巻き込んだらすまない。」
「いいさ、うちには戦闘看護師しかいないから、返り討ちにするだけだし、今後一切面倒は見ないって言えば済む話さ。」
あははと何でもないように笑う。
「なんなら少年にも稽古付けるよ。」
それは本人が望んだ時には是非頼む、と再度頭を下げる。
「たまには顔出してやんなよ?」
院長が優しく微笑みを向ける。
それには苦笑いで返すだけだった。
明後日、診療所に引き渡しに来ると告げ、診察室を出る。
待合室で待っていた患者に待たせてすまないと声を掛けうちの商会とは別の、街にある商店街で使える割引券を皆に配ってから診療所を出る。
次はこちらです、と部屋に案内する。
診療所との間に建物を2つ挟んだだけの近距離。
建物は三階建。少し不便だが三階の日当たりと風通しの良い部屋にした。
1LDK、風呂トイレ別。まだ家具は入れていない。
清潔であり適度な広さ。会長も満足したようだ。
また向かいには街の警邏隊の詰め所もある。
防犯の点でも会長の眼鏡に適いそうだ。
部屋を出て今度は近場の商店街を確認する。
きな臭い店は無く、昔からあるような地元に馴染んだ店ばかりという印象。
そちらも合格点を貰えたらしい。
次は家具だなと程近いところで目星を付けていた店へ向かう。
そこでは躊躇うことなく、ベッド、テーブル、椅子、ソファ、サイドテーブル、食器棚、冷蔵庫の他にシーツやタオル等のリネン類もと次々と即決し、明日中に搬入するよう依頼した。
これでひと段落、と系列店巡りに戻る。
少年には帰りの馬車で伝えるそうだ。
素晴らしすぎる私の職業斡旋能力に少年は泣いて喜ぶだろう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「帰るぞ。」
迎えに来た俺を認め、仕事を片付け始める少年。
それを横目に料理長から箱を受け取る。
「悪いな。」
いいってことよ!声がデカすぎて内緒にしてるのに既にバレそうだ。
乗り込んだ馬車では護衛たちが今か今かとそわそわしている。
それを訝しむ少年にしっかりと向き合う。
たったひと月一緒に暮らしていただけ。
「就職おめでとう。」
「………え?」
「少年の学も活かせる安全で真っ当な職場だ。ここからもそう遠くない。明後日引っ越しと職場への挨拶に行くぞ。」
もちろんお前たちもな、と護衛ふたりにも目配せをすると喜びはしゃいだ。
「……ありがとうございます。」
少年は静かに笑った。
その後は大体の場所と、診療所であること、優しい院長が居て、めちゃくちゃ怖い看護師たちが居ること、そこであればマフィアの影に怯える必要もないこと、すぐ近くの部屋は綺麗だったこと、最寄りの商店街はいつも立ち寄るところとは違い静かだが堅実で年季を感じる温かい雰囲気であること、などなどたくさん良いところをアピールする。
それを少年は素直に頷きながら聞いていた。
今日は、家に帰ったら少年が作り方を覚えたいと言っていたオムライスを教える日だ。
デザートには料理長に頼んで作ってもらったケーキを食べようと、大人気なく俺まではしゃいでしまった。
それを護衛たちに揶揄われながら帰宅した。
たったひと月で、厨房のみんなと、護衛ふたりに御者、秘書とも馴染んだ。
たったひと月だけの仲間。
そいつがより良い生活を手に入れる。
祝う以外あり得ない。
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