現実
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
家に帰った途端に鳴り出した電話。
それは受付の男からだった。
「どうした。」
こういうことは無いことも無い。
トラブルだろう。
「首領が顔出せと仰せだそうです。」
「今からだな?」
慌てる様子から、構成員が目の前に居るだろうことを察する。
「わかった。馬車が戻り次第すぐ取って返すよう伝えろ。」
振り返ると少年が不安そうにこちらを見る。
「お前も置いていかない方がいいな。出掛けるから支度しろ。そのままでいいか。ネクタイを貸す。馬車が戻ったらすぐ出掛けるから少し休んでおけ。」
自室へ戻り少年に似合いそうな一本を選びリビングへ向かう。
そしてソファに掛けた彼の隣に座り、ネクタイを締めてやる。
「これから会うのはマフィアの首領だ。悪いようにはされないから安心しろ。」
それから暫く待つと呼び鈴が鳴った。
護衛たちを乗せたままの馬車が戻ってきた。
そして呼び出された場所は本部。
俺を適当に呼び出している間に家にガサ入れに入るつもりかも知らん、と少年を連れてきたが賭場にでも預けてくれば良かったと後悔した。
護衛のふたりに少年から離れるなと釘を刺す。
少年にも護衛から離れるな、誰とも口を利くなと釘を刺す。
そうして招き入れられた本部内、首領の部屋。
首領の掛けるソファの向かいに座る。
他の3人は後ろに控えさせる。
やっぱりガサ入れ目的かと思わせる、どうでもいい話ばかりをだらだらと続ける。
そんな時間が小一時間も続けばさすがに苛立っても来る。
あとは夕飯を食べて寝るだけだったってのに、このクソジジイと胸の内で悪態を吐いている時だった。
首領の目線が俺の肩越しを見据える。
そしてにやりと笑うクソジジイ。
「可愛いのを連れてるじゃないか。」
下品な笑顔だ。
少年を舐め回すように値踏みする目付き。
「これは商品じゃない。」
笑えない。
「じゃあ賭けで俺が勝ったら寄越しな」
「断る。」
クソジジイにくれてやるものなんて一欠片もない。
「おぉ、怖い怖い。お前、困ったらうちにおいで。」
誰が困らせるか。
粘着質な笑顔を少年に向けるな。
怒りで臓腑が沸滾る。
「帰るぞ。」
有無を言わさず退室する。
グラグラと腑が煮えている。
少年に目をつけられた。
今日の目的はもしかすると少年だったのかもしれない。
連れ回した俺が悪い。
帰っても料理をする気が起きない。
それに護衛のふたりもこんなくだらない残業に付き合わせてさせてしまった。
「みんなで飯食って帰るぞ。」
高級ステーキ店に御者も連れて5人で入った。
ガタイの良い男ふたりに、細身の男ふたり。
彼らにたらふく食べさせてやることで少しだけ怒りの温度は下がったが、ひとり飲んでいる赤ワインは全く美味しくなかった。
ただ今日首領に会って良かった。
俺らの手から少年を攫うような真似をされていたら商会にも大打撃だった。
少年を独り立ちさせるための理由ができた。
すでに少年の素性は掴んでいるんだろう。
興味を持たれることもないだろうと平民たちの前では共に行動することを厭わなかった俺の落ち度だ。
奴らの目的は恐らく商会の信用に傷を付けること。
うちみたいな商会は簡単に信用を落とせる。それを回復するのは至難の業。経営に打撃を受けるのはすぐだ。
餌は貴族の少年。
少年と商会に害が及ぶ前に早く。
少年を手札にはさせない。
新しい職場への挨拶と、部屋と近隣の確認を済ませなければ。
ピアノが届いてからというもの、夕飯後にいつもリビングで過ごしていた時間がゲストルームで過ごす時間へと取って変わろうとしていた近頃。
今日はどうしてもピアノを弾いて貰う気分になれず、帰宅後すぐ自室へあがった。
少年に気遣わしげに見つめられていることに気付いていたが無視をした。
少年の新しい職場も部屋もとっくに見つけていた。
少年がひとりでも暮らしていけそうだというのもものの1週間程で気付いていた。
このまま誰にも、何にも、咎められなければ。
少年が貴族で無ければ。
少年が成人していれば。
このままでいられたらいいのに。
そんな甘い考えになっていた自分。
それを首領に気付かされて初めて知る。
少年を守ると決めたのは手に入れるためじゃない。
少年に安全できれいな場所で幸せになって貰うためだ。
それが立場ある大人の振る舞いであり、俺の願いだ。
間違えるな。
慣れ始めた夜の演奏会が無くなったためか、その夜はピアノの音が恋しく思えた。
少年が即興で弾いたタイトルのない曲。
あのメロディが思い出されて仕方なかった。
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