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縄の跡はクラヴァットに隠して  作者: アフタヌーン朝寝坊
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月と太陽



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



呼び鈴が鳴り響く。


メイドと庭師が到着したのだろう。


玄関まで出迎えに行く。


「坊ちゃん、お変わりないですか?」


母親よりも少し年嵩の女性はオールワークスメイド。


「いい加減、坊ちゃんはやめろよ。」


いつも通りのやり取り。


「おや、そちらは?」


メイドの後ろに控えていた庭師が、俺の後ろを覗き込む。


「少し前から預かってる少年だ。」


それはなんと珍しいと庭師とメイドに揉みくちゃにされる少年。


どこから来たの?お名前は?あらあらまぁまぁ。可愛いお顔。


少年は気圧されているが、面白いから放っておく。


そしてずいずいと怒涛の質問に押されリビングまで後退りで戻ってしまった。


「あまりいじめるなよ。」


一応伝えておく。


いじめるだなんて、そんなことしませんよ?仲良くしましょうね?とメイドに押され続ける。


「いつも通りで頼む。」


仕事の指示を出し、キッチンへ向かう。


「昼は適当に準備するから、いい時に食べに来いよ。」


それを合図に、ふたりの闖入者は仕事に取り掛かり始めた。


やっとで解放された少年は紅茶で労ってやろう。


「悪かったな。」


苦笑いで紅茶を出してやる。


さっきまでたじたじだった少年は眉を下げ首を振った。


「とても温かい方たちですね。」


柔らかく微笑みそう言った。


そうだろ、と首肯しておく。


それからしばらくふたりでソファでゆったり過ごした。


そして今日の昼ご飯はおにぎりと卵焼きと唐揚げだぞと少年に予告しキッチンへ向かう。


すると少年も着いてきた。


作り方を知らないものだったらしく、手伝って貰いながら教えることにした。


「あのふたり、夫婦なんだ。似てるだろ?」


少年は頷いた。


勢いがありすぎるところがそっくりなのだ。


普段よりも少しだけ手の込んだ卵料理に、揚げ物、米を手で握ること、全部に少年は驚いていた。


そしてそれらがちょうど出来上がったところにふたりが一緒にキッチンへ入ってくる。


豪快に大皿を並べたテーブルを4人で囲み昼食を摂る。


初めての味も美味しくいただけたらしい少年は目を輝かせながら食べていた。


「坊ちゃんは、旦那様向きではない殿方ですが、父親には向いていそうですね。」


メイドに染み染みと言われる。


「放っとけ。」


いつもの軽口で返す。


昼食の後には紅茶を淹れ、もう少し休んでもらう。


そしてまたティータイムには来るようにと伝える。


了解、と立ち上がるふたりを追いかけるように、少年も立ち上がる。


そしてふたりの仕事を手伝いたいと言い出した。


ふたりが良ければ、と応える。


そして先に庭師、ティータイムを挟んでメイドの手伝いをすることになった。


リビングから3人を見送り、食事の片付けを済ませる。


するとそこで呼び鈴が鳴った。


訪ねて来たのは先日訪れた楽器店の老紳士。


今日、ピアノが搬入される。


「演奏用の部屋じゃなくて悪いな。」


「弾いてくれる誰かと聴いてくれる誰かがいれば、きっとピアノは幸せですよ。」


玄関からは搬入することができず、ゲストルームのテラスの窓を外し、運び入れる。


ゲストルームは元より殆ど使われていない。


そこをピアノルームにと応接セットやベッドなどの家具を全て片付けておいた。


リビング以外でテラスの付いている唯一の部屋。


開放感のある部屋で、外の庭を眺めることもできる。


ピアノを置くのにぴったりだと思えた。


据えつけらるたピアノに差し込む日差し。


老紳士自ら調律をしてくれるらしい。


搬入してくれた男たちにも部屋に上がってもらい、冷たい紅茶をとキッチンへ向かう。


戻った時に老紳士はすでに調律を終えていた。


サイドテーブルにお茶と焼き菓子を置き、彼らに勧めた。


「今後のメンテナンスもご依頼があれば伺いますので、お申し付けください。」


老紳士が優しく微笑む。


もちろん、そのつもりだと伝えておく。


彼らが帰ると今度はティータイムに3人が戻ってくる。


そちらへも紅茶と焼き菓子を用意する。


少年は庭師の手伝いを楽しんだらしく、彼らと笑って話している。


さっきはメイドに父親だと揶揄われたが、こうして見ると孫を可愛がる老夫婦にしか見えないな、と胸の内で呟き頬を緩めた。


次はメイドの手伝いに同行する少年を見送り、夕飯の準備を始める。


スープにサラダ、魚にパスタでいいか。


適当な料理だが、あのふたりもそれに慣れているから気負いはない。


夕飯を食べたら少年にピアノを弾いてもらおう。


あのふたりにも一緒に聴いてもらってもいいだろう。


それを思うだけで夕飯を作るのがさらに楽しく感じられた。


夕飯を食べ終わったところへふたりの迎えの馬車が到着してしまい、演奏会はお預けとなった。


ふたりを見送ると、途端に静かになる家の中。


静けさに感じるのは寂しさではなくて安堵や親密さに近いもの。


そしてゲストルームへと少年を連れて行く。


「何か弾いてくれないか?」


少年が鍵盤の蓋を開き椅子に掛ける。


椅子を調整する指先。


部屋の壁に凭れ、腕を組む。


慣らすように指を走らせた鍵盤からは、深みと切なさが混ざり合う繰り返すようなメロディが紡がれる。


そして途中で止める。


改めて指を鍵盤に乗せる。


一拍の静寂に鼓動が高鳴る。


静寂に染み渡ったのは、淡く澄明な高い音の泡。


透き通るような音が鮮やかに色づいてゆく。


音の泡に差し掛かったのは月夜の光だろうか。


泡は月の光を受け艶やかに表情を変えてゆく。


ゆったりと、力強さを増してゆく。


月の光に淡く照らされたのは大きな樹。


満開の花びらがちらりちらりと降る夜。


襲う強い日差しに風が荒れる。


強い風に攫われるのは舞い散る花びら。


その花びらが湖へ落ち、積もる。


枝から葉が落ちてゆく侘しい季節が訪れる。


そして迎える厳しい冬。


耐え忍ぶ大きな樹に寄り添う影はなく。


静かに降り積もる雪。


その後に訪れる春を待つ。


雪解けと共に差し込む光が枝葉に反射する。


美しき月の夜に咲き誇る日を夢見て待ち侘びるのは、小さな蕾。


一本の大きな樹が季節を、生きる強さを美しく逞しく伝えてくる。


そんな曲だった。


あの日の少年に見た美しさのような憧憬。


自然が生み出す芸術と生命力。


息を忘れるほどに深く清らかな音だった。


最後の音が尾を引き、静寂へと浸透してゆく。


そして転調。


かと思ったら違う曲らしい。


力強さのなかにどこか寂しさを滲ませる。


喜びと共に切実さを訴えて来る。


時に楽しげに、時に憎らしげに。


切に真摯に、明日を願うような。


淡く切ない願いを乗せたメロディだった。


そして音が消えた。


堪らずに手を叩き称賛を伝える。


「上手いな。一曲目は有名な曲だったからわかったが、二曲目は知らない曲だった。綺麗な音だった。なんていう曲なんだ?」


「タイトルはありません。即興のようなものでしたから。……それでもあなたに綺麗に聴こえたのなら、よかったです。」


少年は照れ隠しなのか、顔を背けて鍵盤の蓋を閉めながら答える。


眠りに着くまで、ピアノの音が耳を離れなかった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「何を手伝いましょうか?」


勢い勇んで庭師に着いて来たが、植物の手入れの経験はない。


「じゃあ私が枝を剪定している側で、坊ちゃんの話を聞かせてくれますか?」


それでは手伝いにならないと言えば、梯子を押さえる大役も任せますと言い出した。


笑って快諾することにした。


そして自分が知る限りのあの人の話をしてやった。


面倒見が良いことや、料理が好きなこと、いつも周りに温かい人が集まることなど。


すでに庭師が知っているであろうことしか話せなかった。


それでも庭師は喜び、嬉しいに聞いてくれた。


そして剪定して落とした枝をふたりで拾い集める。


「家が喜んでるからかねぇ、前に来た時より元気になったねぇ。きっと可愛い坊やのおかげなんだろうねぇ。」


あまりにも小さい声だったので聞き逃しそうになった。


庭師が優しく微笑み樹の幹を撫でる。


樹に話しかけていたようだ。


聞き耳を立てていたと思われないよう、顔を背け緩んだ頬もついでに隠した。


殆ど何もしていないのでお腹は空いていなかったが、ティータイムに出してくれた焼き菓子はあの人が作ったクッキーだったので、たくさん食べてしまった。


その後のメイドの手伝いでお腹を空かせるだけ働かせてもらおうと意気込む。


そしてメイドと共に干していた毛布を取り込む。


それには自分のものも含まれていた。


ならば見知らぬどれかにあの人のものもあるのだろう。


そう思うと気恥ずかしくなった。


「これは可愛い坊やのものでしょう?それとこれが坊ちゃんのやつね。それぞれ部屋に届けてきてくれる?」


そう言ったメイドに腕に毛布を押し込まれる。


「残りは私がリネンルームに仕舞って来るから、次は窓拭きをしますから、2階の廊下で合流しましょう。」


そう言って裏口を入ったところで別れる。


腕に乗る毛布にどぎまぎしてしまう。


上に載っているのがあの人の毛布だ。


落とさないよう部屋へ向かう。


場所は教えて貰っているが、一度もあの人の部屋には入ったことがない。


上がる心拍数。


ノックをしてから開けた扉。


部屋は自分が使っている部屋よりも少しだけ広いようだが、必要最低限の家具しか置いていないらしい。


そして毛布を置くためベッドへ近寄る。


皺ひとつないシーツはきっとメイドが取り替えたからだろう。


そっと戸口を伺い、誰もいないことを改めて確かめる。


そして毛布に顔を埋める。


太陽の匂い。


それとほんの少しだけシダーウッドのような香りが鼻腔を擽る。


胸がドキドキと音を立てる。


あの人の匂いだ。


もう一度毛布越しに深く息を吸い、急いで毛布を離し一心不乱にベッドにセットする。


意識してしまうと血液が集まり始めてしまう予感を得る。


メイドのところに戻れなくなってしまうため、自分の毛布の匂いも吸い込み、記憶を上書きする。


思い出すのは夜にひとりになってから。


そう考えるだけでまたも期待で胸がドキドキと音を立てる。


自分の部屋に毛布を置き廊下へ出ると、ちょうどメイドも来たところだった。


まだ吹いていない窓は廊下だけとのことで、メイドに拭き方を教えてもらい、脚立に登る。


「坊ちゃんとの生活で困っていることはないですか?」


メイドが笑いながら訊ねてくる。


「扉をきちんと閉めないとか、ゴミをゴミ箱に捨てないとか、野菜を食べないとか。」


昔から知っているメイドならば、そんなことは絶対にないことを知っているはずなので冗談を言って笑わせてくれようとしたのだろう。


「どれも無いですね。私が野菜が好きだって言ってからは色んな野菜を使った料理を作ってくれますし、作り方も教えてくれますし、洗い物だって任せてくれてもいいのにいつも洗うのを手伝ってくれますよ。」


「あらあら、やっぱりいい父親をやってるみたいねぇ。」


メイドはそう言って笑う。


「父親とは思ってませんけど、尊敬してますし、慕っていますよ。」


ほんの小さな柔らかな産毛のような棘が刺さった。


笑って返すだけでも良かったのに、そのままにしておけなかった。


「それは褒めすぎじゃないですか?」


これには笑って返せた。


むしろ足りないくらいだ。


「坊ちゃんが生き生きしているのは、可愛い坊やのおかげですねぇ。家も大層喜んでおりますよ。」


さっきの庭師の言葉に似ている。


「面倒しか掛けていないんですが、少しでも何かのお役に立てていたら嬉しいです。」


事実だ。


わざわざ引き取ってくれて、ひとりで生きて行くために必要な知識や平民の常識なんかを教えてくれている。


娼館で働くよりも良い生活をさせてもらっている。


恩を仇で返すことがないよう、これ以上面倒を掛けないことに気をつけている。


でなければとっくに寝込みを襲っていただろう。


「坊ちゃんは、ひとりがとってもお上手でねぇ、悪いことではないんだけれど。それが私たちからしたら少しだけ心配でねぇ。だから坊やと一緒にうまく生活できているのが、今日家を見てわかってねぇ、安心したんですよ。」


あんな気の抜けた顔をしてるだけでも充分にわかりましたけどね、と笑って続けた。


この家に居てもいいと許されているのだと思えば心が温かくなった。


それもいつまでも続くことではなく、いつかは独り立ちしなければいけないことだとわかっている。


それでもその日が訪れなければいいと思ってしまう。


その想いが、ピアノの音に乗ってしまった。


再会してからあの人に抱く感情は性欲だけではなくなったと思う。


それがどんなものなのか自分でもよくわからない。


けれど、一緒に居たいという願いであることだけは確か。


先程のメイドとの会話で思い出してしまった、いつか訪れる別れの日。


そんなものに構わずにいられるなら。


もっと、ずっと、あなたのそばに。


あの人の匂いを思い出しながら、毛布を抱きしめる夜だった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



お読みくださりありがとうございます。

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