屋台と熊
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「こいつを借りていいか?」
昼休憩を終えた頃合いの厨房に顔を出し、料理長に少年を指して訊ねる。
「それはちと寂しいが、相手が会長なら仕方ねぇなぁ。」
わざとらしく肩を竦めて見せる熊男。
帰る準備をして来いと促す。
「どこに連れて行くんです?」
料理長が興味を持ったようだ。
買い食いを伝授してやるんだよ、と笑って答えた。
「それなら今日おすすめの店が出てるはずですぜ!いつもの市場ですかい?」
首肯する。
「公園の近くに出してるドーナツ屋があったら寄ってみてくださいな!あとは串揚げと、ローストビーフ屋だな!」
了解だと頷く。
料理長が勧めるくらいだから間違いないだろう。
準備を整え戻った少年と護衛ふたりと馬車へ向かう。
少年に買い食いに行くことを伝えると、やはり見たことはあっても買ったことはないとのことだった。
そしてまず向かうのは市場ではなく貴族街にある楽器店。
護衛ふたりには馬車で待ってて貰い、ふたりだけで店へと入る。
からんころん。
上品な老紳士が出迎える。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」
促され着いて行くと待っていたのは3台のピアノ。
そして後ろを着いて歩く少年を振り返る。
「どれがいい。」
驚き目を丸くする少年を、ピアノの方へと押してやる。
そしてざっと3台の製造元を確認し、1台のピアノの鍵盤に触れる。
ぽーん。
同じように他2台には触れることなく、その1台を選んだ。
「これを。自宅まで配送も頼む。」
小切手で支払う。
そして店内を眺めている少年の視線の先にヴァイオリンが並べられていることに気付く。
「あと、ヴァイオリンもだな。」
微笑んだ老紳士と小さい声で囁き合う。
「どれがいい。」
少年の背中に問いかける。
製作者に拘りがあったのか、何十挺とある中から即決した。
「これも頼む。」
さらに小切手で支払う。
後日自宅まで併せて送ってもらうように頼み店を出た。
少年はほくほくとした笑顔を見せた。
少年の演奏が聴ける日を待ち遠しく思いながら市場へと向かった。
普段野菜なんかを買う通りとは別の通りに屋台は出ている。
毎日出ている店もあれば、不定期な店もある。
護衛たちに買ってやるために立ち寄ることも多い。
ただ料理が趣味のようなものでもあるため、自分のために買うことは滅多にない。
それでも少年に経験をさせるというなら話は別だ。
昼飯時、夕飯前を避けて混まない時間帯も選んだ。
そして串揚げとローストビーフとドーナツ以外で食べたい物があったら言うようにと伝え、護衛ひとりに隣を歩かせる。
少年がキョロキョロしながら店を眺め、どんなものか護衛に聞いたりしているのを、少しだけ後ろを歩きながら眺める。
そしてまず串揚げの店を見つけた。
少年が食べてみたいものを主に、あとは厨房と秘書への差し入れにも少し追加する。
トマト、卵、アスパラ、エリンギ、豚肉、エビ、帆立、鮭。
揚がるのを待っている間に他の店を見ておけと少年と護衛ひとりを送り出す。
一店目から結構な荷物になってしまう。
そして追いついた少年たちが立ち止まっている屋台は、たこ焼き。
試食を勧められているようだ。
店員の男が少年に身体を寄せその肩に手を置く。
それに少年は気付いていないのか、気に掛けることなくたこ焼きに息を吹きかけ冷ますことに専念している。
何か話しかけたらしき男に、たこ焼きを冷ますのを止め、目を向けている。
その男とは反対側から少年のそばへ寄る。
少年は気付いていないが男がこちらを見た。
少年のたこ焼きを持つ手を握り、冷ましていたたこ焼きをかがみ込み横取りする。
そこでこちらに目を向けた少年。
至近距離にある少年の顔。
しっかりと少年の目を見据える。
少年の視線が、口元に向いていることを意識しながら、口の端に付いたソースをゆっくりと舌先で舐めとった。
それから店の男へと視線を移す。
「5人前だ。」
未だ少年から手を離さない男の手を取り上げ、金を渡す。
呆気に取られていた男が屋台の中へと急いで戻る。
なんのための護衛だよ。
少年に付けた護衛はすぐそばに居たが、あの肩に置かれた手には危機感を感知できなかったらしい。
また同じことがあったら困る。
店の営業の邪魔になりそうだったが構わず男4人で屋台の前を占拠した。
ローストビーフ串の屋台でもタレ味と塩味をお土産を含め大量に買い込む。
護衛ふたりが突然発狂した人形焼きという熊の形をした甘い焼き菓子も大量に買い込む。
「料理長がこれを食べるところが見たい……」
そう呟いた少年の頭を笑いながらがしがしと撫でる。
「店に寄ってから帰ろうな。」
俺もそれは見てみたいと賛同するのを忘れない。
そして最後のお目当てのドーナツの屋台。
売っているのは棒に巻き付けられており、手が油と砂糖で汚さずに食べられる親切設計。
シュガー、ハニー、シナモン、チョコ。
それらも大量に買い込む。
そして公園のベンチに掛けて食べてから帰ることにする。
男4人で横並びになるのもなんだかなぁと思い、ベンチには少年を真ん中に挟むように護衛たちを座らせた。
そして少年の前に立つ。
ただ単にシナモンの粉が服に落ちそうで嫌だっただけとも言えるのだが、それが少年を取り囲む大男たちというあまり健全でない光景だったとは気付いていなかった。
揚げたてのあつあつのドーナツは優しい甘さで美味しかった。
食べ終わり手持ち無沙汰になったため、まだ食べている少年を眺める。
両手で串を持ち、小さい口で懸命に食べている。
口の端と頬にまで及ぶ粉砂糖。
それが微笑ましい。
親指で粉砂糖を拭い、粉砂糖の付いた親指を口に差し入れる。
そんなことはせず、ハンカチを出す。
食べ終わった少年にそれを渡してやる。
護衛ふたりも例に漏れず口の端をチョコで汚しているが、そちらには口頭注意のみに留める。
ふたりは顔を赤らめ自身のハンカチを取り出し拭う。
そして3人でもう付いてない?大丈夫?とお互いに確認し合っている。
少年に渡したハンカチはそのまま譲ることにした。
手元に戻ることで碌なことにならないことを危惧したわけではない。
そうして大量なお土産と共に店へ戻る。
御者を連れて厨房へ。
秘書にも厨房へ来るように声を掛ける。
夜の営業まで時間はある。
その前の休憩にちょうど間に合ったようだ。
料理長おすすめの3点はもちろん、たこ焼きも人魚焼きも好評だった。
熊男にむんずと掴まれ、大きな口の中へと投げ込まれる小さな熊。
なるほど、これは非常に感慨深い。
と神妙に頷き少年と目配せをし合った。
少年は完全に笑ってしまっていた。
それに釣られこちらの頬も緩む。
次第に状況を察してくれる厨房の面々。
それに何も気付かず食べ続ける熊男。
小さな熊が気の毒に思われてきたのか、護衛ふたりに人形焼きを取り上げられていた。
護衛たちは泣きそうな顔で責める目つきだった。
それに堪えきれずに笑う。
他の皆も笑っていた。
出先で土産を買い差し入れをすることは時々あることだが、こんなに笑わせてもらったのは初めてだったかもしれない。
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