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縄の跡はクラヴァットに隠して  作者: アフタヌーン朝寝坊
24/25

アレンとデュランの新しい休日



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



鳴り響いたのは呼び鈴。


護衛ふたりが到着したようだ。


庭から玄関へ回る。


「おはようございます。少し待っていてくださいね。」


玄関に居たひとりに声を掛け、玄関から家に戻る。


捲り上げていたシャツの袖口を直しながら部屋へ戻る。


「出られますか?」


衣装部屋で着替えているデュランへ声を掛ける。


すると衣装部屋から声だけが届く。


「あぁ。」


声の元へと歩を進める。


スラックスにシャツとジレ。


普段の仕事着と大差がないような組み合わせだが、休日らしい軽めの生地のようだ。


まだシャツのボタンを留めている途中らしい。


「手伝いますね。」


そう言って正面に回り込み、シャツに手を添える。


「いや、要らないだろ。」


呆れながらも笑ってくれる。


そうですよね、と見上げ笑って返す。


踵を上げ、軽く口付けをする。


「手伝いの代わりです。」


見上げて微笑めば、鋭い眼差しでこつんと頭突きを返される。


「何の手伝いだよ。出掛けられなくなってもいいのか。」


おでことおでこでキスをしたまま問うてくる眼差しに背筋がざわりと粟立つ。


仕返しをされる前にと、さっと踵を返し衣装部屋を出る。


「馬車で待ってますね!」


背中に掛けられる悪態にさえ、口角が上がる。


冗談を言うことも、揶揄うことも、自分からキスを贈ることも、なんて贅沢なんだろう。


弾むような足取りを、拍子を取るような鼻歌を、緩みきった顔を隠さなくていい。


数えきれないほどの小さな幸せを両手いっぱいに抱えているような、そんな感覚。


ふわふわと浮き上がりそうな気持ちで馬車へとひとり向かう。


今日はどんな1日になるだろう。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



診療所がある街から、さらに街の外れへ。


街の賑わいがなくなり、人家を通り抜け、人の気配が乏しくなるにつれ濃くなる緑。


そんな森の入り口にも思えるような場所に教会はある。


この教会にはピアノがある。


こんな所に寂れた教会、もしかしたらもう使われていないのでは、と思い立ち寄ってみただけだった。


近寄ってみると、上等な資材を使ったことがわかる手の込んだ建物で、今にも朽ちそうに見えたのは錯覚だと知った。


中はどうなっているのか、扉を開けた。


外観からわかる通りにこじんまりとした広さの礼拝堂だった。


高い天井。


天井へと至る壁の至る所には明かり取り用の大小様々な大きさの窓。


その奥。


正面には鬱蒼とした森を望める大きなガラス窓。


石造りの床に、踏み入れた靴が微かに音を立てる。


通路の両側には、それぞれ10人くらい座れそうな木製の長椅子が5列ずつ。


森を切り取る窓の手前に置かれたピアノ。


もはや教会ではなく音楽堂。


その美しさに呼ばれ、踏み入れた足は自然とピアノを目指す。


鍵盤の蓋を開ける。


歴史を感じさせる教会に不似合いの真新しいピアノ。


光る鍵盤に傷は見当たらない。


中指が鍵盤を押し込む。


音に濁りも無く、まるで産まれたてのピアノのよう。


中指が押し込んだ鍵盤から弾かれた音は高い天井へと吸い込まれていった。


一音、また一音、音の消える先を確かめる。


その音に混ざる靴音。


靴音の主へと目を向けると、そこには若い神父が立っていた。


「勝手に触ってすみません。」


ピアノから手を離し、陳謝する。


「いえ、構いませんよ。絵の一部になるよりも、ピアノも本望でしょう。」


絵の一部?


「こちらの教会は音楽堂として使うこともあるのですか?」


それでも置かれていることに意味はあるのだろう。


「なるほど、音楽堂として場所の提供をする手もありますね。」


逆に興味を持たれてしまった。


「それでは、なぜピアノを?」


「先日、寄付された物なのですよ。教徒でもないのに。奇特な方でした。


もし良かったら、弾いてみますか?」


先程音の響きを確認されているようだったので、と若い神父は穏やかに笑って続けた。


それなら、と椅子に掛ける。


朝陽を浴びる森の美しさを表現できるような曲を選ぶ。


やはり響きがいい。


音楽堂として建てられたのではと思ってしまうほど。


そして礼拝堂に静寂が戻る。


「良かったら、また弾きに来てください。」


若い神父は嬉しそうに頷く。


「ありがとうございます。また来ます。」


呆気に取られたまま感謝の言葉を伝える僕にもう一度頷き掛け、神父は礼拝堂を出て行った。


そんな日から2年間、殆ど毎日足を運んではピアノを弾いた。


観客は森の木々と、建物のどこかにいる神父ひとりだけ。


この時間がとても好きだった。


街を離れることの心残りのひとつになるくらいに。


久しぶりに訪れる教会。


朝陽を浴びる森は靄を帯び鬱蒼としていることが多かったが、今日は強い陽射しのせいだろうか、そんな鬱々とした雰囲気は一切ない。


それでも開けた扉の先に見える景色に変化がないことに安堵した。


僕以外にも誰か弾く人が居たらいいのに。


ピアノに近い椅子に掛けるデュランと護衛ふたり。


鍵盤の蓋を開け、指先で話し掛ける。


ここで弾くピアノの音は一層綺麗に聞こえる。


だから、デュランに聞かせたかった。


絵のような景色に音を乗せて贈りたかった。


夢とも願望とも言えないほど小さな願いだったけれど。


次から次へと、この景色に似合いそうな綺麗で明るい曲ばかりを選び弾き続けた。


ヴァイオリンの演奏を聞いたことがある護衛ふたりには初披露のピアノ演奏だった。


その喜びように弾いているこちらまで嬉しくなり、さらに曲は増える。


心なしかピアノも嬉しそうだ。


思う存分楽しんだ、と鍵盤の蓋を閉める。


大喝采の護衛ふたり。


そんなふたりにデュランと視線で笑い合う。


そこへ響く靴音。


若い神父が珍しく顔を出した。


「お久しぶりです。」


立ち上がり、目礼する。


「これからも偶に来てくださると、私も嬉しいですよ。」


いつでも来てくださいね、と改めて伝えたくて顔を出しました。


そこで神父が観客となった3人へと顔を向ける。


その目がデュランを捉えると微笑みを深くし、ひとつ頷いた。


「皆さんも、是非また来てくださいね。」


軽く会釈してから神父は礼拝堂を出て行った。


「知り合いですか?」


先程の神父の視線が気にかかりデュランに訊ねる。


「いや。」


知り合いではない相手に向けるにはあまりにも意味深な視線。今夜はじっくり話し合う必要がありそうだ。


時間はお昼も近くなる頃。


「診療所に行くか。」


そう促され、教会を後にした。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



診療所へ向かう前に、馴染みの食堂に立ち寄り頼んでいた料理を大皿で大量に受け取る。


午後休診の今日は、診療所で皆でお昼ご飯を食べて過ごす。


街の停車場に馬車を預けた御者も連れ診療所へ入る。


出迎えてくれた姐さんに院長室の隣にある休憩室へと促される。


すでに用意されていたテーブルや椅子。


そこへ大皿を乗せる。


給湯室へ向かうと、他の姐さんが取り皿やカトラリーの用意をしていた。


それならばと、紅茶の用意を買って出る。


デュランたちは、掛けていてと椅子に押し込んでおく。


そこへ集まり始める姐さんたち。


淹れた冷たい紅茶を配り終え、直接行き来ができる院長室のドアをノックする。


「院長先生、お昼ご飯食べましょう。」


書類仕事をしていた院長先生の手を止めさせる。


「今日は向こうのおじさんのところの料理ですよ。」


この前はあっちのおばさんのところだったよねぇ、でも今日も間違いなく美味しいねぇ、と微笑みながら席に着く。


大皿から取り分けられ、胃に収められ、大量にあった料理が呆気なく消えて無くなる。


大食いな御者に足りたのかが心配になる。


食後のデザートは姐さんたちが用意してくれた手作りの焼き菓子。


それに持参した豆と道具で珈琲を淹れてくれるデュラン。


おじさんの料理も、姐さんの焼き菓子も、デュランの珈琲も、全部が美味しくてお腹も胸もいっぱいになる。


デュランと院長先生は、珈琲と焼き菓子を持って院長室へと逃げてしまった。


記念すべき第1回目、前回の昼食会で散々苛められたため今回は早めに距離を取ることにしたらしい。


「そういえば、アル君、商業ギルドで絡まれたんだって?災難だったわね。」


そんな情報が早速入っている姐さんの情報網を頼もしく思いつつも、少しだけ驚かされる。


「少し時間を取られたくらいですよ。」


災難という程の脅威は無かった。


「おい、聞いてないぞ。」


開け放っていた扉の奥、院長室からデュランの不機嫌な声が届く。


「報告するほどのことではなかったので、今まで忘れていました。」


道を歩いている時に踏み潰した蟻の数と同じ。


「それで、何があった。」


堪らずこちらの部屋へ戻って来てしまったらしい。


「若い男3人がかりでアル君を手籠めにしようとしたらしいわよ。」


姐さんが先に説明する。


それを聞いたデュランの視線が鋭く突き刺さる。


「それを返り討ちにし骨抜きにしました。」


御者が説明を引き継ぐ。


「どういうことだ。」


デュランの低く怒りを滲ませた声に、太腿の内側が痺れる。




ギルドの建物内で行く手を阻んだのは背の高い男。


にやにやと笑いながら見下ろしてくる下卑た顔つき。


さらに左右を取り囲むのは正面の男の仲間だろう。


相応しい下品さだった。


「お前だろ?ガルシャンの新しい秘書って。」


視線だけでその質問に答える。


「俺たちの相手もしてくれよ。」


正面の男の言葉に合わせて左右の男たちからも嘲笑が漏れる。


それに視線だけを返す。


「会長に飼われてんだろ?隠さなくていいぜ。俺たちも飼ってやるよって話だ。」


飼われる、か。悪くないな。


3人を足元から舐めるように見上げる。


腕を組み、その値を弾き出す。


「童貞か。1分と保たないな。それに、自前のそれじゃ話にもならない。」


3人の股間を見比べ、首を振り告げる。


スーツの内ポケットから手帳を出す。


そこに入れてあった店のカードを3枚抜き取る。


「隅々まで磨き上げてから行け。迷惑はかけるな。」


娼館の紹介カードを3人それぞれの胸ポケットに差し込む。


茫然と立ち尽くす男どものことなど、背を向けた瞬間に忘却の彼方へ。


会長に飼われている、という甘美な響きだけを残して。



「お相手の男性を探しているようだったので、娼館の紹介カードを渡しておきました。」


なんでそれで骨抜きになるんだ、と訝しげな目を向けられる。


「童貞だと断言された時点で、あいつらすでに泣きそうになってましたよ。更に役に立たないサイズだと……フロア中に知れ渡りましたからね。」


御者が代わりに答えてくれる。


だがそれは知らなかった。


蟻よりも小さい薄汚い矜持を指先で潰しただけ。


けれどもうデュランは怒ってはいなかった。


呆れながら頭を撫でてくれた。


「どこの店だ。持て成す必要がある。」


「別の商会の店です。男娼専門店で、苛烈な嗜虐性が評判の店です。骨抜きになるのはそちらに行ってからですね。」


頭を撫でる手が止まる。


これも修行の成果なのか、と小さい呟きが頭上から聞こえてくる。


「護衛を連れ歩けと言っただろうが。」


先程よりも一際力強く頭を撫で、そこで話の終わりを察し院長室へと戻っていった。


「誰の護衛なのよ。」


姐さんのひとりが堪らず吹き出す。


「アル君は体術も得意だからたとえ肉弾戦になっても負けないのにね。」


「本当、過保護よねぇ。」


「あんな話で嫉妬しちゃって。」


「会長って意外と小心者よね。」


「見掛け倒しよね。」


「アルのことになると必死すぎて笑えるわよね。」


姐さんたちはデュランに厳しい。


その厳しさが僕を大事に思ってくれている想いの強さだと理解しているから、詰る言葉をただ受け止める。


部屋の向こうからは小さな悪態が聞こえてくる。


また来月ね、と姐さんたちにぎゅうぎゅうと抱き締められ診療所を後にした。


護衛ふたりは今度の休みにも遊びに来て、一緒にお菓子作りをするらしい。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



浴槽に張ったお湯から微かに香り立つラベンダーの香り。


湯気の向こうで濡れた髪から水を滴らせるアレンを脚で引き寄せる。


バランスを崩し胸へ凭れかかったのをいいことに、太腿の上に浮力を使い乗せる。


「なんで言わなかった。」


「ギルドでの話ですか?」


視線で先を促す。


「……会長に飼われてるって言われたんです。」


アレンは顔を逸らし何もない水面を見ている。


そんな言葉で傷付けられたのか。


濡れた髪を手で後ろへと梳いてやる。


ギルドへ行けばどこの馬鹿野郎かはすぐに判明するだろう。


髪を梳いた手で今度は頬を撫でる。


馬鹿な奴らにお前が傷付けられる必要はないんだ。


その手にアレンがすりりと頬を寄せる。


「それが嬉しくて。その言葉しか覚えていませんでした。」


惰性で頬を撫で続ける。


「……は?」


その手に、より一層擦り寄るアレン。


「だってあなたのものだってことでしょう?」


たぶん違わない。


違わないけど、たぶん違う。


情緒だとか常識だとか、嗜好の問題とか。


どこから何をどう説明すればいいのかわからない。


「……そうだな。」


俺のものだと言われ喜ぶアレンが可愛かったからという理由を付け、悪い大人は努力も義務も放り投げた。


説教をしようとしていたことなぞすっかり忘れ、頬に添えた手を引き寄せ甘やかなキスをする。


徐々に深めようとした口付けはアレンによって意図的に止められた。


「なんで怒ってるんだ。」


さっきまではキスに夢中だったはずのアレンが詰るような目で見てくる。


「……あの神父、好みなんですか。」


「…………は?」


「デュランに色目を使ってました。」


底冷えのするような眼差しで見てくる。


「ふたりは目が合った時、何か視線でやりとりしてましたよね。」


その時のことを思い返して苛ついたのか、胸に付いていた手の指先が、爪が肌に食い込む。


「……してないだろ。」


その返事に満足していないことは目を見ればわかる。


「浮気は絶対に許しません。」


そう言いながら更に指先に力が加わる。


「……するかよ。」


まだ返事に満足できなかったらしく、爪先が食い込み始める。


嫉妬されていることに、喜びを見つけてしまう。


「あの人は好みですか?」


爪の先は食い込んだまま。


「……好みじゃない。」


ほんの少しだけ許してくれたらしく爪を押し込むのはやめてくれた。


「本当は知り合い?」


本当のことを話すべきか、逡巡していると返答が遅れる。


「もうあそこには行きません。」


一度は押し込むのをやめてくれた爪が再び食い込み始める。


「……それは、困る。」


それは教会の話?それとも抉れそうな皮膚?と視線で問われる。


徐々に加わる力も増してゆく。


本当に困る。


嫉妬に狂う顔までも可愛い。


「……知り合いだ。」


皮膚の奪還を優先させた。


なんとか抉られずに済んだが、話を続けてくださいと促される。


そこに言葉を選んでいる間があったことが気に食わなかってらしく、今度は首筋に齧り付かれる。


違う理由から言葉が出せなくなる。


説明はしたいが、できない。


我慢できずアレンに触れようと手を伸ばしたところをぴしゃりと叩き落とされる。


怒りを収められなければ触れてはいけないらしい。


説明は一言で済む。


けれど、一方的に好きにされることに優越感のような快感もある。


嫉妬に狂いそうなアレンをもっと見ていたい。


その気持ちが口を重くさせる。


痕がつきそうな程に噛み締めている。


噛まれた痛みから耳から後頭部へと快感が走る。


首筋を上へ下へと位置を変えながらがじがじと噛み締める。


先程叩き落とされ手を腰へ回し、引き寄せる。


それが気に食わなかったらしく噛む力が増す。


そして反対側の首筋も同じように蹂躙されてゆく。


可愛く怒るその背中をつつつと指でなぞってやる。


指先の動きに合わせて背中を反らせるも、噛みついた口は離れない。


頭を撫でてやると少しだけ噛む力が緩む。


その反応も可愛くてつい楽しんでしまう。


そろそろ首も奪還するか。


耳元へ口を寄せる。


「ピアノを寄付した時に一度会った。」


その言葉にアレンの身体から一気に力が抜け、首は無事に奪還できた。


「好みはお前だけだ。だからまた教会でも弾いてほしい。」


耳元で告げたその言葉に今度はきゅっと首に抱き着いてくる。


もういいだろう。


唇を寄越せと、アレンの耳朶を優しく齧る。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



お読みくださりありがとうございます。

次で最終話です。

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