デュランが買ったもの
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
鳴り響いたのは呼び鈴。
護衛ふたりが到着したようだ。
庭から玄関へ回る。
「少し待ってろ。」
玄関に居たひとりに声を掛け、玄関から家に戻る。
捲り上げていたシャツの袖口を直しながら部屋へ戻る。
「用意できたか?」
衣装部屋で着替えているアレンへ声を掛ける。
すると衣装部屋から半身を覗かせる。
「できました!」
スラックスにカジュアルな生地のシャツ。
街に買い物に出掛ける休日らしい軽快さと、アレンらしい清潔感を纏っている。
「……却下だ。」
衣装部屋へ向かい目当ての物を箪笥から探し出し、引っ張り出す。
「こっちに替えろ。」
押し付けたのは夏用セーター。
言われるがまま着ていたシャツを脱ぎ、ニットに袖を通す。
「どうですか?」
思った通り大きかったニットは手も腰も隠れそうなほど。
「……却下したいが、採用だ。」
だほりと身体に合わない大きなニットの袖口を2回捲り上げてやる。
亜麻色のタートルネックセーターを着たアレンを連れ、護衛ふたりが待つ馬車へ向かう。
「待たせたな。」
乗り込むとふたりはハンカチに刺繍をしているところだった。
「休みなのに悪いな。」
ふたりはそんな労いの言葉は軽く挨拶で受け流し、アレンに刺繍の進捗状況を説明し始めた。
走り出した馬車の中では早速審議会が始まる。
栗鼠とさくらんぼ。うさぎと白詰草。
使う糸の色味や、全体の構図のバランス確認をアレンに頼んでいる。
なんでだよ。
議論は活発に交わされる。
置き去りにされた俺はオブザーバーとして勝手な意見を胸の中で挙げる。
白熱した審議会の熱は、診療所に着くまで冷めることはなかった。
診療所が午後休診となる今日を狙って来たため、到着すると院長は既に診察の全てを終え
院長室でのんびりしているところだった。
診療所に入ってすぐ看護師ふたりに見つかったアレンは揉みくちゃにされた。
そこへ騒ぎを聞きつけた他の看護師たちが次から次へと殺到し、待合室は瞬く間に大騒ぎになった。
そこへ巻き込まれては生きて帰れる保障はない。
護衛ふたりに渦中のアレンを託し、ひとり院長室を訪れた。
「連絡もなしに来て悪かった。」
「いつでも来るといい。アル君はみんなのアイドルだからね。」
アル君が辞めてから、まだたった数日しか経ってないのに診療所も街も喪失感が大きくてねぇ、と院長は笑いながらソファを勧めてくれた。
院長と向かい合いソファに掛ける。
「随分と世話になったな。」
2年間。俺と過ごした時間はたったひと月。
馴染み深くなっていて当然だ。
「たまには顔を出せと言ったはずだよ?」
詰るような声と笑顔が心に痛い。
「来てただろうが。」
言いたいことはわかってるが、惚ける。
「私と会ってどうすんだい。全く。お前ってやつは馬鹿野郎だねぇ。」
深い溜め息と叱責。
一度も会いに来ない馬鹿野郎にも愛想を尽かさない、健気で可愛い子に感謝するんだね。
優しく静かに続いた言葉に、アレンに、頭が上がらない。
本当にその通りだ。
「会えば、我慢が効かなくなる。それだとわざわざ預けた意味がない。」
ただの言い訳だ。
一応、申し訳なさそうな顔で答えておく。
「そういうことにしておいてやるかねぇ。これは貸しだねぇ。」
もちろんだ、と着座のまま頭を下げた。
朗らかに微笑む院長にも、いつだって頭は上がらないのだ。
人手は足りてるか?そう聞こうと思ったところで部屋の外から歓声が上がる。
何事だと扉を見やるも、入室の気配はない。
眉を顰めたまま院長に向き直る。
院長の微笑みが一段と暗く深くなっているように見えるのは気のせいだろうか。
その微笑みの意味を探っていると、またも轟く歓声。
今度は雄叫びも混ざっていなかっただろうか。
すると院長は微笑みを崩し、殆ど見ることのない素の笑いを見える。
さっきまでの好々爺然とした院長は、渋く色めく男の顔でからからと笑っている。
「気になるだろう?行ってみればいい。」
そう促され、その笑顔に警戒しながら部屋を出る。
アル君、卒業おめでとう。
アル君、修行頑張ってたもんね。
アル、よく倒しましたね。
アル君、初めてで成功するなんて優秀ね!
アル君、飽きたら帰っておいでね。
アル、身体は辛くない?
廊下に出ると、激励や褒め称える声らしき歓声が聞こえてくる。
本当にあいつは皆に愛されてるな。
抱き締められ、頭を撫で回され、頬を揉みしだかれる姿に2年という歳月が見える。
ゆっくりと嵐へと歩み寄る。
外周よりも数歩下がった位置で立ち止まる。
徐に看護師たちがこちらを振り向く。
「なんだ。待ってるから好きにやってろ。」
続けていいぞ、と促すも誰も視線を外さない。言葉も発さない。
「なんだ。」
俺の威嚇が効くような相手じゃないが、怪訝さと不機嫌さを全面に押し出して問う。
「……感謝の言葉が聞こえないですね。」
静寂を破ったのは、アレンを背中からすっぽり抱き込んだ古参の看護師。
「あぁ、アルが世話になったな。」
腰は折らないが、帽子を持つ手を胸に当て感謝を述べる。
「……お世話になったのは会長でしょ?」
古参の看護師がにやりと笑う。それを合図に他の面々も生温い微笑みを向けてくる。
「……は?」
「悦かったでしょ?」
生温い微笑みに憐れみも加わる。
「は?」
話の通じない俺に更に呆れ果て、溜め息を吐きながらアレンの頭を撫で回す。
「初めてで屈服させられて偉かったですね、アル。」
褒められるアレンは顔を真っ赤にしてはいるが、大層誇らしげだ。
「気持ちよかったでしょう?」
もはや嘲笑っている。
だが、理解した。
院長室へ踵を返し、乱暴に扉を開ける。
「おい!!お前はアルに何教えてんだ!!」
投げ付けた帽子はソファに蹲る院長の背中に当たって落ちる。
困惑と羞恥で全身から火が吹き出そうだ。
こいつは何の騒ぎか分かった上で俺を投入したわけだ。
惚けるようなら胸ぐらを掴んで頭突きでもしてやろうかと思っていたが、すでに笑いすぎで死にそうになっている。
それで一気に気が抜ける。
黙ってソファに沈み込む。
くそっ。
悦かったよ。
買っていた娼館の女共よりよっぽどな。
あいつは何の修行をさせられてんだよ。
溜め息しか出ない。
あいつは何の免許を取ってんだよ。
感謝の溜め息しか出ない。
項垂れる俺に追い討ちを掛ける歓声。
すごい独占欲ねぇ。
病的な執着心よ、これ。
素敵にお世話されちゃったんだもの。
もう骨抜きよ。
こんなのただの内出血なのにねぇ。
やだ、こっちもすごいわよ。
がっつきすぎじゃない?
痕が消えやすくなるビタミン剤処方しようか?
このセーターだって会長のじゃない。
2年お預けだったんだもの。
むしゃぶりついて当然ね。
誰も買ってなかったらしいわよ。
お労しい。
一瞬だったでしょうねぇ。
体力もまだまだありそうで良かったじゃない。
それより、アル君も悦くしてもらえたの?
下手じゃなかった?
満足できるサイズだった?
不満があったら言うのよ?
下手なら会長に修行付けてやるからね。
今なら、羞恥で死ねる。
あれはいつまで続くんだ。
院長も本気でそろそろ死ぬぞ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
結局、院長室から出れたのは1時間近く経ってからだった。
その間中待合室からみんなで盛り上がっている声が聞こえていた。
なんで護衛ふたりも混ざってるんだよ。
特に野郎に聞かせるような話じゃないだろうが。
あいつは何で普通に話して聞かせてるんだよ。
誰か情操教育もしとけよ。
2年もあっただろうが。
あぁ、俺がすればいいのか。
まず俺以外に服を剥かれるな。
どこまで見られてるんだよ。
頭を抱えながらも、話の内容が気になって聞き耳を立ててしまう。
お前も興味津々に新しい技術を仕入れようとするなよ。
シーツの宣伝は大いにしてくれて構わない。
速乾性を伝えたかったんだな。
でも朝晩2回洗ってるとかは教えなくていいんだよ。
情緒を教えればいいのか。
常識を教えればいいのか。
頭を悩ませているうちに彼女たちの声が聞こえなくなっていることにも気付かずにいた。
それに気付いたのは院長室をノックする音が聞こえた時。
好々爺に戻った院長がそれに答えると、開いた扉からアレンが覗く。
「もういいのか?」
憔悴しきった俺にはお構いなしに、満面の笑みで頷く。
「じゃあ、また来る。」
院長に礼を重ねる気にはなれず、素っ気なく溜め息と共に挨拶を済ませ部屋を出る。
警戒していたが廊下にも待合室にも看護師たちの姿は見えなかった。
そのことに安堵し、息を吹き返す。
「部屋に行くか。」
その前に、と御者を連れて近くの食事処で昼食を済ませる。
荷物の回収はすぐ終わるとのことで御者には引き続き馬車で待ってもらう。
そしてあの日以来初めてのアレンの部屋へと4人で階段を登る。
あの真っ新だった部屋はどんな風に変化しているだろうか。
目を離すには2年はあまりにも長過ぎた。
今こうやって腕の中に帰って来たから持てる感傷だ。
もし帰って来なかったら。
どこへ、何へ向いているのかもわからない妬心のような焦燥感から、部屋に入るのが躊躇われた。
躊躇っているのはもちろん自分だけで、部屋の扉は開かれた。
途端、飛び込む榛色。
これは。
思考しそうになったことをぐっと飲み込んだ。
部屋の中は殆ど変わっていなかった。
護衛ふたりがカーテンを外しに掛かる。
アレンは台所で食器を取り出している。
何か手伝うか、と訊ねることもせず何の気なしにバスルームを、次に寝室を覗く。
バスルームには何も残っていなかった。
寝室にはベッドとサイドテーブルだけ。
ただ。
ベッドに近寄りマットレスを外し、リビングへ引き摺って戻る。
「紙とペンあるか?」
部屋で使っていた残りがあることを確かめる。
「少し出てくる。」
そう言い残しひとり街へ出る。
向かう先は家具を買った店。
相手は覚えていないだろうが、以前来た時に依頼した店員を捕まえる。
新しいマットレスを買い、運び込む先を指示する。
部屋にある使用済みのマットレスは別に配送を依頼する。
用事を済ませ部屋へ戻ると、そちらも荷物を纏め終えていた。
アレンは言っていた通り食器類と少しだけ残していた着替えとカーテン。
それで何でお前らの方が荷物が多いんだ。
食器、着替え、ぬいぐるみ。
何でだよ。
「……お前ら、泊まってたのか?」
ふたりは顔を見合わせ、照れながら頷く。
違う。照れるところじゃない。
顔さえ見ないようにしていた俺が馬鹿みたいだろうが。
いや、馬鹿野郎なんだった。
それ以上は突っ込んで聞くことはせず、アレンの手から一番嵩張っているカーテンを取り上げ部屋を後をする。
鍵を閉めるアレンを最後に残し部屋を出ようとした時。
シャツの裾を後ろから掴まれる。
振り返るとアレンが躊躇いがちに、こちらを見上げる。
その寂しそうな顔に胸が詰まる。
先に降りてろ、と護衛ふたりを先に行かせる。
部屋の中に留まり、一度扉を閉める。
「どうした?」
カーテンを片手に抱え、空いた手でアレンの頭を撫でてやる。
「たまの休みには、こっちに遊びに来ればいい。」
それにアレンは静かに頷き、徐に荷物を床に置く。
「……キス、してください。」
少し脚を開き、空いている手を腰に回す。
ぐっと引き寄せお腹とお腹をくっ付ける。
アレンはきゅっと胸にしがみつき、こちらを見上げる。
2年の間に会いに来ていたら。
この部屋でこうして過ごすことがあったのだろうか。
2年の間に愛想を尽かされていたら。
他の誰かとこうして過ごしていたのだろうか。
「……待たせて悪かった。」
低く抑えた声は少しだけ掠れてしまった。
もう一度強く引き寄せ、覆い被さるようにしてキスを贈る。
ただ優しく淡いキスを何度も、何度も。
それは、アレンのふくらはぎが悲鳴を上げるまで続いた。
それを合図に最後のキスを贈る。
「……帰るぞ。」
さっきまで切なさが滲んでいた琥珀色の瞳は、きらりと喜びに揺れた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
お読みくださりありがとうございます。