選択と権利(デュラン視点)
アル視点と内容は同じです。
お好きな方をお読みください。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
唐突に秘書が妊活宣言をしたのが今から1年半ほど前。
そして秘書は来週から産休と育休を取るため1年と1ヶ月ほど休職に入る。
その間、代理を任せる人材は秘書が見つけてきた。
秘書代理になる者との引き継ぎには1週間あれば足りると言っていた。
1週間で済むのならかなり優秀な人材なのだろう。
履歴書を渡されたような気もするが、内容は確かめたような気もするが、読んでいないような気もする。忘れてしまった。
そしてこの後本人を挨拶に連れて来るということだった。
そこに扉をノックする音。
「入れ。」
新商品の稟議書やその有用性を示す資料などの確認作業をしていた。
「明日から私の代理を務める者です。」
切りがいいところまで、と手を止めずに入室を許可してしまったことで反応が送れた。
顔を上げ、目に入ったのはダークブロンド。
いつからか、過敏に反応するようになってしまった色。
「よろしくお願いします。」
知っている声に精悍さが混じる。
「……診療所はどうした。辞めたのか?」
「追い出されました。」
「……なんでうちなんだ。」
「趣味と実益を兼ねて。」
「……どんな趣味だよ。」
くそっ!悪態を吐く気力もなく、椅子の背に凭れ掛かり天を仰ぐ。
「……お前ら、嵌めやがったな。」
この2年で少しだけ伸びた背。
力強くなった眼差し。
直視できないほどに目に沁みるダークブロンド。
「厨房に挨拶して来い。」
まだ衝撃から立ち直れそうにない。
手を振って彼と護衛を追い出す。
「仕事はやめだ。うまいもん食いに行くぞ。」
「彼、まだ部屋を決めてないのでまた会長のところに泊めてあげてくださいね。向こうの部屋は住まいが決まるまでってことで、そのままですから。」
「わかった。あと明日は休みだ。」
「そう思って引き継ぎのための1週間には余分を持たせてありますので、お構いなく。」
秘書のしたり顔に苛つきながら厨房へ向かう。
彼は料理長に持ち上げられ振り回されていた。
「よく帰ってきたな!!」
熊のような大男が、わっはっはと笑う。
料理長も随分と彼を可愛がっていたからな、帰還は嬉しいだろうな。
ようやく解放された彼は他の面々にもひとりひとり丁寧に挨拶して回っている。
秘書は料理長と何かを話している。
護衛ふたりは彼の背中にぴったり張り付いて回っている。
誰の護衛だよとひとりごちながら、周りに受け入れられている彼を微笑ましく思い眺めて過ごす。
じんわりと、現実なんだと受け入れはじめる。
迎えに行くより先に帰ってきやがって、と恨み言も胸の中でだけ言っておく。
一昨日ようやく戸籍を確認できたんだ。
もう我慢はしない。
初めての恋は死ぬまで大切にする。
院長の都合が良い日に迎えに行こうと思っていたのにな。
料理長が、転職祝いの料理なら俺に作らせろとせがむので、外に出るつもりだったが執務室へ戻り待つことにした。
そしてフレンチのフルコースのように順番に届けられる。
今日客に出す食材は足りるのかと心配になるほどの量で、途中で御者にも参加してもらう羽目になった。
酒は出していないはずなのに、皆が彼の帰還を心から祝い、喜びで酔っ払っているように見えた。
厨房に料理の礼を言いに行き、特別報酬を出すと伝えてやった。
そして馬車へ向かう。
秘書と護衛、御者が連絡事項の確認あるとかで先に中で待つ。
彼が抱えるものは、お馴染みの包みとヴァイオリンケース。
「……大きくなったな。」
親戚の叔父さんのような言葉しか出て来なかった。
「二十歳も超えました。もう大人です。」
はにかみながら答える彼はまだ幼なげに見えるが、そういう顔付きなのかも知らん。
親戚の叔父さんが次にどんな言葉を掛けるのか知らないせいで、会話はそこで終わってしまった。
護衛ふたりが乗り込みようやく馬車は動き出した。
車内での3人は以前よりも更に仲良くなっており2年という歳月を感じさせなかった。
少女趣味に彼を巻き込むんじゃない。
彼が引き込まれないよう注視しているうちに家に着く。
そして護衛からは料理長からです、と箱を渡される。
一度受け取ったことのある大きさと重さに中身を知る。
明日はゆっくり休めと告げ、玄関へ向かう。
しかし彼が付いて来ない。
既視感を覚える。
やはり彼は馬車を降りたところで佇んでいた。
先程までと全く違う頼りなさげな顔。
「なんつう顔してんだ。」
少し大きくなったがまだまだ担げるな、と確認しながら肩に担がれた彼の成長に負けない自分の肉体を褒める。
そのままリビングのソファに放り投げる。
「向こうの部屋のことは聞いた。好きな部屋使え。」
荷物を置いて来いと促す。
料理長から渡されたのはやはりケーキだった。
今回はオペラだ。
チョコレートならば、と珈琲を淹れる。
こんなに丁寧に淹れたのはいつぶりだろうか。
ふつふつ、と気持ちが揺れる。
2人分切り分けケーキと珈琲を持ちリビングへ行くと、ちょうど彼も戻ってきた。
そのケーキは中にラズベリーのジャムが隠れていた。
甘酸っぱいラズベリージャム、リキュールの効いたシロップが染みたスポンジ、甘すぎないチョコレート。
ラズベリーか。花言葉は知らん。
まさかまたこれにも何か意味を込めたんじゃないだろうな。
「……それで、何で追い出された?」
執務室での言葉が妙に気に掛かっていたことを思い出し訊ねる。
「……免許皆伝だそうです。」
「……………は?」
恥じらいながら言うことでないことは確かだ。
「この程度できないと貴方の秘書は務まらないと聞きました。」
「……よくあの看護師たちがそれを許してくたな。」
「姐さんたちに、貴方を倒せなかったら即刻免許剥奪だとも言われました。」
「俺は死にたくない。他を当たれ。」
両手を挙げて降参を主張する。
彼はそれを笑って受ける。
彼は随分と雰囲気が変わったな。
あの頃そこにあった陰は今では全く見えず、代わりに魅せるのは色気か。
「……良いところだったろ。」
はいと頷いた少年は少しだけ寂しそうだ。
「うちは客に享楽を売る。その享楽が客の家族を不幸にすることもある。客も家族も幸せにできる仕事はいくらでもある。こんな道選ばなくていいんだ。」
好きな道を進めと言いたかった。
「そうだとしても。私はもう選びました。気持ちは変わりません。ただ、どうしようもなく辛くなった時にはあちらに帰ります。」
「辞めたくなったら辞めればいい。それはお前の権利だからな。」
再び両手を挙げて降参と了承を伝える。
ただその、どうしようもなく辛くなることについては後で事情聴取だな。
そして徐にテーブルに出していた封筒を渡す。
彼が封筒の中から紙を一枚取り出し、ゆっくりと眺める。
「……貴族籍、抜かれたんですね。」
その表情と声からは何の感情も掴めない。
ふぅと息を吐き封筒へと紙を戻す。
そこにもうひとつ封筒を渡す。
取り出した紙は2枚。
「……これは、貴方のものですね。」
それが何を意味するのか理解できず、首を傾げる。
「俺のファミリーネームを名乗る気はあるか。」
求婚だと気付くだろうか。
「……それは、私も家族に加えてくださると、そういうことですか?」
言葉を慎重に選び、訊ね返す。
さすがに求婚だとは思わなかったらしい。
くそ、失敗した。
「もう一枚がその申請用紙だ。」
家族、と小さく呟いた彼は思案しているようだ。
考える時間を与えるために、珈琲を淹れて来るソファから立ち上がる。
今度は少しだけブランデーを垂らした珈琲を持ち、戻る。
決して酔わせて美味しく戴くつもりなんかじゃない。
身体を温めると心も温まり緩むと知ったから。
まだ悩んでいる彼の手元にカップを置く。
それをちびちびと飲んでいる。
「今答えを出せとは言ってない。焦るな。」
悩ましげな彼を眺めながら珈琲を愉しむ。
深くソファに腰掛け、脚を組む。
「この申請で同時にファーストネームも変えられるようなので、変えます。」
そんなことを考えていたのか。
「候補は。」
「…………アランか、アレン。」
「アランは却下だ。」
俺の名前とほぼ同じだろうが。
「では、アレンになります。」
名前を変えたいと思っているとは思わなかった。
「……家族とは、息子ですか、弟ですか?」
また神妙な顔付きで何を言うかと思えば。
「好きにしろ。」
神妙に頷く。
「……弟には、ここに住む権利は与えられますか?」
首肯。お好きにどうぞ、と膝に置いた手を振っておく。
「……追い出されそうになったら、拒否する権利はありますか?」
首肯し、またも手を振る。
「……兄の結婚に異議を申し立てる権利はありますか?」
首肯し、手を振る。
「しないがな。」
さっきは求婚に気付かなかったくせに、そんな権利が欲しいのかと可笑しくなる。
珈琲カップをテーブルに置く。
「……目玉焼きはいつでも作ってくれますか?」
笑いながら首肯する。
いつでも作ってやるよ。
でもお前が作ってくれる目玉焼きも好きなんだ。
「……ハンバーグだけじゃなくて、貴方のレシピを全部教えてくれますか?」
呆れながら首肯する。
そんなものいくらでも教えてやるよ。
「…………貴方を買わせてください。」
更に呆れ項垂れたが、きっぱりと否定する。
金は要らん。
「最後までをと強要するつもりはありません。」
変わらず否定。
こっちが最後までを強要したいくらいなんだが。
「途中までで構いません。貴方が男相手ででも対応できるところまでで構いません。」
否定。
途中までとかそんな勿体無いことするかよ。
丸ごと全部美味しくいただくんだよ。
「……貴方が欲しいんです。」
否定。否定。否定。
全然わかってないな。
鼻声になり始める彼。
「お前が馬鹿だということがわかった。」
泣き出す彼。
立ち上がりテーブルを退かす。
泣いている彼を持ち上げ、ソファに腰掛けた自分の膝の上に向かい合うよう乗せる。
両手で涙を拭う彼を眺める。
「勘違いするな。」
涙を拭うのを手伝ってやる。
「俺がお前を欲しいんだ。」
その眼が見たい。
手を目元から退ける。
吸い込まれそうな琥珀色。
透き通った部分と濃く深い部分とが混ざり合い、どこまでもきれいだ。
「返事は。」
綺麗な琥珀色がまた滲み出す。
眉もこれ以上ない程に下がっている。
「……貴方が、欲しい。」
返事ではなかったが、懸命にしゃくり上げながら言う。
こちらの話を聞いていないお前が悪い。
だから勝手に唇を奪う。
話を聞け。
「好きなだけ、くれてやる。
ずっと目の届くところにいろ……アレン。」
泣いている姿も美味しい。
流した涙の分、優しく喰む。
驚いたアレンが重そうな瞼を懸命に持ち上げる。
「キスする時は、目は開けておけ。」
両手でしっかり腰を押さえてやる。
優しく噛み付く。
答えようと頑張るアレンの唇が、たどたどしく喰み返してくる。
「呼吸は鼻でも口でも、好きな方でしろ。」
たどたどしいそれを唇で大きく開かせ舌を忍ばせる。
驚き硬直したアレンの唇を、舌を、外から内から湿らせてゆく。
薄く開かれた瞼の隙間から覗く琥珀色に熱が上がる。
なぞり合う舌先に、湿り始めた吐息に、太腿から背中までざわりと粟立つ。
湿った吐息さえもキスで交わる唾液のようにお互いの間を行き来する。
泣き止まないアレンを宥めようとしただけなのに。
躊躇わないと決めたそばから、隠す必要のなくなった昂りは高揚感を持って。
自身を宥めつつアレンの限界を探る。
恐らくキスだけで精一杯だ。
少しずつ優しいキスへと変えてゆく。
そして最後は啄む程度のものへ。
そこでアレンは眠気に耐えられなくなる。
唇を外し、俺の胸に凭れさせる。
静かな寝息を聞きながら髪を撫でる。
やっと。
やっとだ。
2年の間に積もり積もった想いは、どうしたら伝えられるだろうか。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
お読みくださりありがとうございます。