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縄の跡はクラヴァットに隠して  作者: アフタヌーン朝寝坊
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選択と権利(アル視点)

デュラン視点と話は同じです。

お好きな方をお読みください。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



明日からの勤務に先立ち、今日顔合わせをさせてもらう、という体で賭場の会長室を訪れた。


この扉の向こうに、あの人がいる。


秘書が扉をノックする。


「入れ。」


久しぶりに聞いた声に耳がきゅんと聴覚を研ぎ澄まそうとする。


「明日から私の代理を務める者です。」


こちらは見ていない。


書類に目を通す真剣な眼差しに胸がきゅっと縮む。


目を通して終えてから徐に上げる顔。


向けられる榛色の瞳。


僕の大好きな色。


「よろしくお願いします。」


驚くその顔に拒絶がないことに安堵した。


「……診療所はどうした。辞めたのか?」


「追い出されました。」


「……なんでうちなんだ。」


「趣味と実益を兼ねて。」


「……どんな趣味だよ。」


趣味も実益も。心で答える。


「……お前ら、嵌めやがったな。」


「厨房に挨拶して来い。」


脱力した手を振って護衛ふたりと共に追い出された。


そして向かった厨房では予め戻ることを伝えていたので騒ぎにはならないだろうと思っていたのだが、甘かった。


顔を出した瞬間、料理長が飛び込んできて、気付いたら持ち上げられ、振り回されていた。


「よく帰ってきたなぁ!!」


熊のような優しい大男が、わははと笑う。


ようやく解放されたので、変わっていない面子に安堵しながらひとりひとりに挨拶した。


護衛ふたりは僕が料理長に突撃されたのを何故か反省し、次はないぞと背中にぴったり張り付いて護衛してくれているらしい。


そこにあの人と秘書も合流する。


あの人が視界に入る現実に胸にじんわりと喜びが沁み渡る。


料理長が、転職祝いの料理を作ってくれることになり会長の執務室に戻ることになった。


フレンチのフルコースのように順番に届けられた。


あまりにも量が多く途中で痩せの大食い御者も参戦することになった。


皆が帰還を祝ってくれている気持ちが本心からだと思えて嬉しかった。


捨てられたと思ったのも、それが悲しかったのも、その感情を向けた相手はあの人だけじゃなかったみたいだ。


護衛ふたりが、秘書が、御者が。


皆が喜んでくれて、ここに居ても良いんだってやっと信じられた。


厨房に立ち寄りお礼を伝え、馬車へ向かう。


秘書と護衛、御者が連絡事項の確認あるとかで先に中で待つ。


「……大きくなったな。」


やはりこの人は親心で接してくる。


「二十歳も超えました。もう大人です。」


でも帰ってきたからにはもう一度頑張ってみてもいいですか?


うまく会話が続けられず沈黙していた車内に、やっとで護衛ふたりが乗り込む。


最近レースのカギ編みにはまっているひとりが、その面白さと難しさを教えてくれる。


もうひとりは刺繍だそうだ。


つい先日会った時も教えてくれたけれど、すでにかなり上達したようだ。


僕も裁縫ができたほうが役に立つだろうか。


車内では護衛ふたりと話して過ごせたおかげで普段通りに緊張せずに済んだ。


けれど家に着いてしまった。


秘書から部屋が決まるまで会長の家に泊まるようにと言われたのはつい先程。


てっきりどこか部屋を見つけてくれているものだと思っていた。


部屋には当てがありますから安心して着の身着のまま来てくださいと言われていたが、思っていたのと意味が違っていた。


馬車から降りると護衛があの人に箱を渡している。


「料理長からです。」


あれはきっとまたお祝いのケーキだろう。


料理長のケーキを思い出し、口が甘くなる。


いつまでも一緒に居てくれるはずもなく、護衛ふたりは馬車で立ち去ってしまう。


頼みの綱の護衛ふたりはもう居ない。


緊張でどうしたらいいのかわからなくなる。


恐らくあの人も、家に泊めるようにと秘書に言われたのはつい先程だろう。


さすがに急すぎる。迷惑かもしれない。


そう悩み始めたら足が動かなかった。


「なんつう顔してんだ。」


呆れたあの人が戻ってきてくれる。


そしていつかの日のように担がれる。


背が小さいままは嫌だったけど、この人に担いでもらえる程度の身体の大きさというのは存外悪くない。


そして投げ落とされた場所がゲストルームではなくファミリーリビングだったことに密かに安堵し、嬉しくて泣きそうになる。


「向こうの部屋のことは聞いた。好きな部屋使え。」


荷物を置いて来いと促される。


好きな部屋……。


あの人の部屋に荷物を置いてきたら、気付いた時にどんな顔をするだろう。


拒絶されたら笑って冗談にしよう。


もし受け入れてくれたら、その時は。


覚悟を決めあの人の部屋の扉を開け、すぐ近くにあったサイドテーブルの上に荷物を置かせてもらった。


戻ると、ちょうどあの人もケーキと珈琲を持ちリビングへ来た。


テラりと光るチョコレートケーキ。


今回も一度では食べきれない大きさだっそうだ。


オペラケーキの中にはラズベリーのジャムが隠れていた。


甘酸っぱいラズベリージャム、リキュールの効いたシロップが染みたスポンジ、甘すぎないチョコレート。


「……それで、何で追い出された?」


徐に訊ねられた。


「……免許皆伝だそうです。」


嘘は言っていない。殆どの部分を端折っただけ。


「……………は?」


皆の優しさを思い出すと自然と頬が緩む。


「この程度できないと貴方の秘書は務まらないと聞きました。」


「……よくあの看護師たちがそれを許してくたな。」


「姐さんたちに、貴方を倒せなかったら即刻免許剥奪だとも言われました。」


「俺は死にたくない。他を当たれ。」


両手を挙げて降参だと言われた。


手解きを受けた体術は護身術や柔術で、ベッドの上でも応用が効くからと熱心に稽古を付けられた。


その技であなたを陥落させられなかったら、そんなやつは見限れ。すぐに帰って来いと言ってくれた。


「……良いところだったろ。」


院長も姐さんたちも、近所の人たちもみんなが温かかった。


「うちは客に享楽を売る。その享楽が客の家族を不幸にすることもある。客も家族も幸せにできる仕事はいくらでもある。この道を選ばなくてもいいんだ。」


「そうだとしても。私はもう選びました。気持ちは変わりません。ただ、どうしようもなく辛くなった時にはあちらに帰ります。」


「辞めたくなったら辞めればいい。それはお前の権利だ。」


商会に戻ることの意思の強さを伝えると降参してくれた。


そして徐にテーブルに出していた封筒を渡された。


封筒の中には紙が一枚。


「……貴族籍、抜かれたんですね。」


口頭で聞いただけで実物は見ていなかった。直に見ることで改めて安心できた。


それともうひとつ、封筒を渡される。


紙は2枚。


「……これは、貴方のものですね。」


あなたの戸籍。名前をなぞりたい衝動に駆られる。


それが何を意味するのか理解できず、首を傾げる。


「俺のファミリーネームを名乗る気はあるか。」


男女の仲ならばそれはプロポーズだろう。


そんなことがちらりと頭を過り、心臓が止まりそうになる。


期待してはいけない。


「……それは、私も家族に加えてくださると、そういうことですか?」


言葉を慎重に選び、訊ね返す。


「もう一枚がその申請用紙だ。」


家族。


以前、持っていると思っていた。


血の繋がりがあれば自然となれるものだと思っていた。


けれど本当はいなかった。


家族。


あなたの家族になれるのなら、もう私の想いは成就したも同然かもしれない。


家族。


何年も前に諦めたもの。


それでも、欲しいと思ってしまうもの。


追加で淹れてくれた珈琲のブランデーの匂いが優しく心を撫でる。


「今答えを出せとは言ってない。焦るな。」


答えは出ています。


私はあなたの家族になりたい。


「この申請で同時にファーストネームも変えられるようなので、変えます。」


どちらにするかで悩んでいたのを相談してもいいだろうか。


「候補は。」


「…………アランか、アレン。」


「アランは却下だ。」


あなたの名前がデュランだから。


響きが近いものにしたいという思いで候補に挙げた名前だったのに。


「では、アレンになります。」


大切なことだから、最初に確認します。


「……家族とは、息子ですか、弟ですか?」


息子だと言われたら、やはりと思えばいい。


弟だと言われても、期待してはいけない。


「好きにしろ。」


弟を選ぶに決まってます。


序列が同位であれば、男性同士が結婚する時の養子縁組と同じですから。


「……弟には、ここに住む権利は与えられますか?」


大切なこと。


好きにしろと伝えてくれる。


その微笑みが普段より随分と優しげで、泣きそうになる。


「……追い出されそうになったら、拒否する権利はありますか?」


もう捨てられたくない。


その時には、捨てないでと泣き縋りたい。


好きにしろと伝えてくれる。


安心で泣きそうになる。


「……兄の結婚に異議を申し立てる権利はありますか?」


「しないがな。」


結婚して欲しくない。


誰かじゃなく僕を好きになって欲しい。


そうやって笑っているけれど、この権利だって絶対に欲しい。


「……目玉焼きはいつでも作ってくれますか?」


いつでも作ってくれるって言ったくせに、一度も会いに来てくれなかったからお願いできなかったんですよ。


「……ハンバーグだけじゃなくて、貴方のレシピを全部教えてくれますか?」


あなたのことがもっと知りたい。


あなたの当たり前を私も一緒に大切にしたい。


そして、気持ちが緩んでいるらしい今に賭けたい。


「…………貴方を買わせてください。」


覚えているのは僕だけだと思う。


あの時の言葉は僕にとって奇跡を引き起こした魔法の呪文だったから。


もう一度、奇跡が起きたらいいのに。


首はゆっくりと横に振られる。


さっきまで笑って緩んでいたのに、もう付け入る隙がない。


「最後までをと強要するつもりはありません。」


奇跡は起きなかった。


それでも、最後まで魔法の呪文を唱えたくて続ける。


「途中までで構いません。貴方が男相手ででも対応できるところまでで構いません。」


悲しさよりも虚しさが心を冷たく覆い尽くしてゆく。


「……貴方が欲しいんです。」


あなたが欲しい。


「お前が馬鹿だということがわかった。」


あなたが好きすぎて馬鹿になったのに。


家族になれたならそれだけで幸せだとついさっきはそう思えたのに、それがどんなに残酷なことなのか思い知らされる。


もう耐えられない。


どうしようもなく辛い。


姐さんたちのところへ帰ろう。


涙が止まらない。


なぜか抱き上げられ、あやすように膝の上に座らされる。


拒絶し立ち去る気力もないのが悔しくて、さらに涙が溢れ出る。


「勘違いするな。」


痛い。


苦しい。


怖い。


そんな酷い言葉を掛けるくらいなら放って置いてほしい。


「…………………………だ。」


しゃくり上げる自分の声でうまく聞き取れない。


そして目を擦る手を取り上げられる。


涙で滲んで何も見えない。


「返事は。」


勘違いするなよ?への返事を求められているのかもしれない。


そう思うと余計に涙が込み上げる。


嫌だ。


返事なんてしたくない。


「……あなたが、ほしい。」


唇に柔らかいものを感じた。


優しくて柔らかいそれは。


はじめてのキス。


「好きなだけ、くれてやる。


ずっと目の届くところにいろ……アレン。」


悔しいのと嬉しいのとわけがわからないのとで感情は激しく渦巻く。


渦巻く底から嬉しいが溢れ出して止まらない。


涙も止まらない。


優しくて、気持ちいい。


デュランの顔を見て本当にキスしているのか確かめたい。


重い瞼を懸命に持ち上げる。


「キスする時は、目は開けておけ。」


靄がかかった視界のその先に見つけた榛色。


両手でしっかり腰を押さえてくれる。


両手でデュランの胸元にしがみつく。


今度は優しく噛み付かれた。


キスは初めてでわからないからデュランの真似をする。


嬉しい気持ちが伝わればいい。


「呼吸は鼻でも口でも好きな方でしろ。」


口の中にデュランの舌が入ってくる。


舌先で僕の舌の先を、舌の縁を。


唇で唇を。


どんどん湿ってゆく。


ずっと絡み合ったままの視線。


舌先を絡めとるキスように視線も絡め取られる。


その視線さえもキスのようで。


一気に駆け巡る痺れ。


甘く深く蕩けるような痺れ。


あの日にも感じた多幸感に吐息が漏れる。


昂りを高揚感を隠せない。


それに比例して重くなる瞼。


眠りたくない。


優しいキスがもっと欲しい。


これは夢だと言わないで。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



お読みくださりありがとうございます。

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