デュランと新しい日常
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
午後のティータイムの頃合いを見計らい、訪れた家の呼び鈴を鳴らす。
暫くすると聞こえてくる靴音。
徐に開く扉から顔を出したのは疲れを滲ませた顔の、私たちが孫子のように大事に思っている方。
「坊ちゃん、突然すみません。」
困惑しつつもふたりを中へと招き入れ、ダイニングへと促された。
「依頼が全く入らないので心配になって押しかけてしまいました。前回の依頼からもう半年近くになりますけど、手が回らないところはありませんか?」
私たちが言いたいことを理解したのだろう。
「こちらこそ悪かった。必要ないと連絡するべきだった。」
バツの悪そうな顔で謝る。
以前の坊ちゃんなら忘れないような報告連絡相談であり不安が募る。
「ではやはり坊ちゃんがあれやこれやを?」
「あぁ。秘書に強制的に休みを入れられるんだよ。休みって言われてもやることがなくてな。それで普段使ってない部屋の掃除とか、庭木の手入れとかしてたんだよ。心配かけて悪かったな。」
「今日この後のご予定は?」
「庭木と落ち葉の片付けだ。」
「わかりました。では宜しければ今日の夕飯を私に作らせて貰えませんか?」
「構わない。」
「では私たちは一度出て市場で買い物をして来ます。何か必要なものはありますか?」
それに首を振る坊ちゃん。
「では、庭のお手入れが終わる頃までには戻るようにしますね。」
旦那を促し一旦家を出た。
玄関を出たところで旦那の顔を伺うと、泣きそうな顔をしていた。
すっかり変わっちまったと嘆いている。
それを察し、敢えて連れ出した。
坊ちゃんの顔は見るからに艶がなく、声にも雰囲気にも覇気がなく、少し痩せたようにも見えました。
メイドの私でさえ家に入らずとも庭先を見るだけで家主の現状を察せるほどでした。
そして家に入ると、家が泣いていました。
寒い、寒いと私に訴えかけて来ました。
確かに落ち葉の積もる寒い季節になりましたが、家の中の暖炉に火は着いています。
やはりそういうことなのでしょう。
前回訪問した時とは打って変わって、嬉しい、温かいと誇らしげにしていた声は聞こえません。
坊ちゃんはおひとりであの家に半年も。
その日々を思うと涙が零れます。
身体に優しいものをたくさん食べさせなくては。
そう意気込み旦那を荷物持ちに連れて来たのですから、たくさん役に立って貰いましょう。
ふたりで紙袋を両手に抱えて家へと戻ります。
食べたいものはあるかと聞きましたが、ないとのこと。
恐らく食欲自体すっかりこの半年で落ちてしまったのでしょう。
そんな坊ちゃんには胃腸に優しいものから与えていかなければ。
私が料理を作る間、坊ちゃんはリビングで本を読んでいます。
旦那には料理の下拵えをして貰います。
「坊ちゃん、お待たせしました。」
ダイニングへと促した。
私たちふたりももちろん一緒にいただきます。
「まずは、かぼちゃのスープですよ。」
特に好き嫌いの無い坊ちゃんはスプーンを持ち飲み始めます。
もったりとした重たく濃厚なスープ。
もちろん熱々です。
「かぼちゃは身体を温めてくれる野菜ですが、どうでしょうか?」
「あぁ、温まりそうだ。美味いな。」
全てを飲み終わる頃ですね。
「温かい食べ物は身体だけではなく、心も温めてくれるんですよ。」
何とはなしにぽそりと呟いておく。
そんな呟きに少しだけ肩が揺れたが気付かない振りをする。
もう一杯いかがですか?と聞くとおかわりを所望された。
それを飲んでいるうちに、次の品を用意する。
飲み終わるのを確かめ手元へ差し出す。
「鶏ガラと卵を使ったお粥ですよ。」
柔らかく煮えたお米に染み込む鶏ガラから抜け出た旨味。
臭みを抑える目的と、身体を温める目的で生姜も入れてある。
そこに溶いた卵を流し込みふわふわとスープに泳がせる。
そこに塩胡椒で塩味と辛味を追加する。
「最近冷え込んで来ましたけど、体調はいかがですか?」
それに、少し食欲がない程度だと答えが返る。
そして次の料理を用意する。
「ポテトグラタンですよ。」
マッシュポテトに牛挽肉を混ぜてものに、ホワイトソースとチーズをたっぷりと。
チーズがぐつぐつと煮立つ。
そこにトマトの酸味と辛味の効いた油を、お好みでどうぞと添える。
口の中を火傷しないように伝えておく。
子どもじゃないんだから大丈夫だと、ふっと笑みも溢れました。
身体と心がやっとで温まってきたようです。
「まだ食べられそうですか?次はラムチョップですが、どうでしょう?」
先程の笑みのまま、貰うと仰りました。
香草と塩胡椒をしっかり効かせた肉を、食欲が唆られるよう匂いで煽ります。
そしてキャロットグラッセとブロッコリー、アスパラを添えます。
食べ終わったグラタンを下げ、ラムチョップを届けます。
そして今度は聞かずに玉ねぎを丸ごと煮込んだコンソメスープを添えます。
「羊肉も玉ねぎも、身体を温めてくれますからね。」
手を止めることなく食べ続ける坊ちゃんを見られた安心感で涙が滲んできます。
焼いたカンパーニュにバターを添えてテーブルへ。
「お腹の具合はいかがでしょう?足りなければどれでも追加で出せますよ。」
もう十分だよと、手を振りました。
それでは、と私も自分の分を片付けることに専念します。
先に食べ終わった旦那が紅茶を淹れてくれるようです。
そして少し遅れて食べ終わった私と坊ちゃんに紅茶を出してくれました。
そこに最後にデザートを添えます。
「これには身体を温める効果はないです。でも、これを食べると何故か心がほろりと緩むんです。私の独断と偏見です。」
そう言い添えて出したのは、卵が濃厚な、固めに仕上げたプリン。
そしてゆっくりとひとくち口へ運んだ坊ちゃんが、美味しいと褒めてくれました。
「なんだろうな、わかる気がする。」
そう言う坊ちゃんは確かに少し心が緩んでいるようです。
ただ疲れているだけだよ、という体を装うことをやめたようです。
切なげな顔でプリンを見つめます。
この期に及んで、このプリンを食べ終えてしまうのが勿体無くて、とか可愛いことを言うつもりではないでしょう。
なので少しずつ喝を入れていくことにします。
「可愛い坊やの名前、どうして呼んであげなかったんです?」
「……名前を付けると、愛着が湧いて手放せなくなるっていうだろ?」
それは犬や猫です、と咄嗟に突っ込みそうになったが続く言葉に何とか踏み止まる。
「名前を呼ぶかどうかなんて関係なかったけどな。」
坊やが居ないことが寂しいのだと自ら認めたのだ、褒めてあげなければ。
「初めてのことで、どうしたらいいのかわからないんだ。」
格好悪いだろ?と肩をすくめて見せた。
「私たちにとって坊ちゃんはいつまでも坊ちゃんです。本人が格好悪いと思っているようなことでも私たちにとってはただただ可愛いだけなんですよ。」
きっとそれは坊ちゃんにもわかる気持ちでしょう?と投げかける。
それに力無く微笑み項垂れる。
「迎えに行かないんです?」
弱く頭を横に振る。
「まだ貴族籍から抜かれてないんだ。」
「手を回しますか?」
「いや、だめだ。」
理解できないという顔をした私たちに坊ちゃんは優しく説明してくれました。
「それで逆に少年の利用価値を見出されでもして家に帰って来いなんてことになったら、今度こそ打つ手がない。少年の父親は一度殴ってやりたいとは思っているが、彼を家から追い出してくれたことには感謝してるんだ。」
だから、彼らが自らの意思で息子を捨ててくれないと困る。
もし貴族に戻られたら一緒に暮らすことも過ごすことも出来なくなる。
そうなれば、この国の王侯貴族共の力さえ及ばないどこか遠くの地へと連れ出すだろう。
その時には商会を守り育てる権利を捨てることになる。例え誰かに託すとしても。
そのどちらも選びたくないから、ただじっと待っている。
「ただ、少年が俺を選ばない可能性もあるがな。」
坊ちゃんに掛ける言葉が見つからない。
「外堀はもう掘ってあるんだ、あとは埋めるだけだろ。横から掻っ攫われないように脇を締めていけ。そうだ、ワンツー。しっかりジャブも入れておけ。脚も使えよ。そして出来た隙に付け込め、そこで右フックだ。」
それに笑いながら頷く坊ちゃん。
「ごめんなさい、要約すると?」
全く理解できずに堪らず割り込む。
「背中を見せた瞬間に迷わず喉笛掻っ切れ……だと死ぬか。喉元喰らい付け。」
「ごめんなさい、つまり?」
余計にわからなくなった。
「男なんて色事にはめっぽう弱いんだ。それも経験の浅いガキなら尚更。そこに付け込め。気持ちは後から追い付かせるとして、先にすべて美味しく戴いておけってことよ。」
え、これが最初のボクシングの段階で坊ちゃんには伝わったってこと?やだ、なんか怖い。
血の気がどんどん引いていく私を他所に、顔を赤らめ片手で目元を覆い隠す坊ちゃん。
坊ちゃんは初心なんですからそんな姑息な手は使いませんよ!正面切ってプロポーズしか有り得ません!勢の私と。
これはかなりの数の女を泣かせてるぞ?色事なら大得意だろ?勢の旦那。
やめてくれと小さく呟く坊ちゃん。
まだ顔は赤いようです。
今日作った料理は、まだまだ冷蔵庫に、鍋に、オーブンに残ってますからね、明日も食べてくださいねと伝え、お暇することにした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「次の休みにもきっとまた来ますね。」
「だめだった時には子犬を買ってやる。」
ふたりはそう言い残して帰って行った。
親の代からの付き合いで産まれた頃から面倒を見てくれていたふたりにだから弱音を吐けた。
不安を言葉に出してしまえば、思っていたよりは悪い状況じゃないと少しだけ前向きな気持ちになれた。
今日出してもらった夕飯はどれも少年が好みそうなものばかりだった。
作れるようになっておいたほうがいいかもな、そう思うとまた少し気持ちが軽くなった。
月に一度戸籍を管理している役所へ確認に出向いているが。
少年が平民に落ちるのは、俺の手中に堕ちるのはいつになるだろう。
美味しく戴くか、真正面からのプロポーズか。
どちらでも。
何でも構わない。
早くその日が来ればいい。
弾けないピアノの鍵盤を指先でなぞる。
出鱈目なメロディでも、届けばいいのに。
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お読みくださりありがとうございます。