出会いと、跡
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おい、なんだあれは」
階下を見下ろした会長が顔を顰める。
開けた会場内、視線の先に居たのは少年。
上部に吊ったシャンデリアが灯すのは薄明かり。手元を淡く照らすのはランプの灯と煙草の火。紫煙がくゆる薄暗がり。
場違いな彼は、落ち着かない様子で辺りを伺い歩き回っている。
「連れは?」
連れていた部下を受付へ向かわせる。
賭場は受付から一階下がったところにある。
会長はこの場所から賭けに興じる客を眺めるのが好きだ。今も上階にある会長室へ向かう前に、と立ち止まったところだった。
「連れはなし。招待状も無かったようですが、貴族だったため通したと。」
確認してきた男が伝える。
「興が冷めるだろうが。追い出すぞ。」
先程の男を階下へ向かわせる。
だが相手は貴族であることに変わりはない。
部下は丁寧に頭を下げ説得している。そして少年がちらとこちらを見た気がした。
「あれでも貴族だ。俺が送る。」
会長はこの後の予定を取り止め彼を送りがてら帰宅することにしたようだ。
出口へ連れて来るようにと受付に部下への伝言を残す。
外は雨。会長用の馬車がロータリーに回るのを店先で待つ。
馬車が正面に回るのと時を同じくして例の少年が連れられてくる。
会長は彼を見ることもなく馬車へ向かう。それに付き従い傘を持った護衛2人と少年を乗せた馬車はゆっくりと走り去っていった。
会長室で待つ客にキャンセルを伝えなければならない。馬車に向け一礼した後、店へと踵を返した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あの店には当主になってから来るんだな。」
予定の変更と雨に足を取られゆっくりとしか進まない馬車に苛立ち、少年を突き放すための言葉を掛けた。
「当主になる予定はありません。店には情報を買うために入りました。」
商売の邪魔になったことを理解したらしく肩を竦ませてはいるが、しおらしさは無い。
「……情報だと?」
客を装い入店し機密情報の売買や密談をする輩は貴族にも平民にもいるが、少年からその類の臭いはしない。こいつを遣いに出した奴の危機管理能力の低さが伺える。
「はい。今思えば下のフロアに降りなくても商会職員らしい方に聞けばよかったと反省しています。」
今度はしおらしくしてみせる。謝罪する気はあったらしい。そしていかにも貴族のボンボンらしい。うちの職員が知っている程度の情報にでも金を出すつもりだったらしい。
「何の情報が欲しかったんだ?」
裏を探る気も削がれ、呆れついでに聞いてやった。
「男娼を買える娼館を教えて貰いたかったんです。」
できれば恥じらって欲しいところだったが、少年は当たり前のことのように淡々と告げた。
そこでやっと少年を視界に入れる気になった。
緩くウェーブのかかったダークブロンドは耳下ほど。前髪は長く鼻に掛かりそうなほど。
「男娼なら隣町の系列店だ。お前が使うのか?」
女に不便するような容姿ではない。
「はい。」
至って真面目に答える少年に、興味本位で聞いた申し訳なさが募る。嗜好は人それぞれだ。
「そうか。初めから愉しむつもりなら、ちゃんと慣らしてから行けよ。」
これ以上話を広げたくはないが、詫びの代わりだと気持ちを切り替え助言した。
律儀にお礼なぞ言われなくもなかったが受け取るしかあるまい。
重苦しい空気は、少年を送り届けた後も車内に残された。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おい、なんだあれは。」
会長が顔を顰める。
既視感を抱きながら向けた視線の先には、ひとりの少年。
「見覚えがあります。先日の貴族の少年ですね。まぁ、今回は店の外ですが。」
少年は明らかに誰かを待っていた。
「……追い払うぞ。」
会長はまっすぐ少年の元へ向かう。
こちらに気付いた少年が頭を下げる。
待っていた相手が会長で確定した。
そして次の予定の取り止めも恐らく確定だ。
「何しに来た。」
不機嫌の中に呆れを滲ませ会長が訊ねる。
「先日の御礼と謝罪に。」
少年はまっすぐに会長を見つめて返す。
「そんなものはいらん。ここはお前が来る場所じゃない。帰れ。」
「それと折り入って会長に依頼したいことがあります。2人で話す時間をいただけませんか。もちろんそちらも依頼料とは別に支払います。」
即座に突き放した会長に食い下がる少年。
「……それは前回話したことに関係するか?」
少しだけ狼狽える会長。
「はい。」
有無を言わせない勢いと姿勢でさらに圧す。
「……くそ。今日もキャンセルだ。馬車で送りがてら話は聞く。それでいいな?」
弱味を握られているわけはないのだが、なぜか弱った表情を見せる会長。いや、お預けを喰らったことに気を落としているだけか。
御者席では護衛2人に挟み込まれた御者が押し潰されそうになる。
そして会長と少年は馬車へと乗り込んだ。
少年には武器になる物を身に付けていないかボディチェックを受けて貰った。所持品も全て検分した。それに万が一襲いかかることがあってもあの細い身体付きでは体術を得意とする会長には敵わないだろう。
先日とは違い、今日は晴れていた。快調に走り出す馬車。今日もキャンセルを伝えにゆく。拭い切れない不安はあの雨雲のせいだろうか。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「それで、なんだ?」
早く話を終わらせて護衛を中に移動させなければ御者の身体が押し潰されてしまう。
ぶっきらぼうに訊ねる。
「すぐに愉しめるよう慣らして来ました。貴方を買わせてください。」
「……………は?」
「最後までをと強要するつもりはありません。」
「……………で?」
「途中までで構いません。会長が男相手ででも対応できるところまでで構いません。」
「………………。」
「娼館でお世話になる前に、一度だけ。貴方が欲しいんです。」
「お前が馬鹿だということがわかった。」
「男に抱かれるということを、私は貴方に教わりたい。」
「馬鹿に掛ける言葉が見つからん。」
「依頼料とこの時間接待して貰っている分と併せて、これを。」
「一年間、週一で娼館に通える額だな。馬鹿はお金の計算もできないらしい。」
「貴方を買うんです。安く見積らないでいただきたい。」
「そういうのは普通こっち側の台詞なんだよ。」
「どちらでも構いません。それでお返事をいただけますか?」
こいつから教わるだけでいいと言質は取ってある。それならばいくらでもやりようはある。懐は充分すぎるほどに潤っている。今更金が欲しいとも思わない。だが下手に懐いたこの馬鹿犬を徹底的に排除するにはいい機会だ。前回に引き続き今日もお預けを喰らった。その腹いせも加えてやろう。
御者席をノックし、行き先の変更を伝える。
目的地に着くまで煩わしい視線を遮るため中折れ帽を目深に被った。
到着したのは自邸。
何かあれば連絡すると告げ、御者と護衛には引き上げて貰った。
普段他人を招き入れることのない自邸に少年を入れることが悔しいらしく護衛たちはハンカチの端を噛み締めていた。
邸は然程広くはない。アプローチと庭の付いた二階建て。商会長には相応しくない家庭的なサイズだ。そして少年をゲストルームへと先導する。
「ゲストルームだ。俺は着替えてくる。お前はバスルームで身体をきれいにしておけ。部屋にあるものは好きに使え。」
扉を開き中へ通すも、彼を見ることもなくすぐに部屋を出た。そして自室へ向かい、自分も水を被るだけの雑な洗浄を済ませ、彼の支度が整うであろう頃合いまで待つ。どうすれば手酷く突き放せるだろうかと、降り出した雨を見ながら策を練る。どうせなら嵐になればいい。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
バスルームでひどく甘く鳴いている彼をひとり残し部屋を出た。
暫くひとりにしておいてやろう。
拵えた簡単な食事に冷たい紅茶を携え部屋を訪れる。
それらを綺麗にしたテーブルに置く。
バスルームを覗き彼が生きていることは確認済み。ただ目が覚めたらまた快感に襲われかねないが。
汚したシャツを回収する。
サイズは大きく彼に合わないだろうが自分の新品のシャツと、それを誤魔化すための小細工でクラヴァットもと、食事を載せたトレーの横に置いておく。
金は要らん。勝手に帰れ。
気に入ったものはくれてやる。
メモを残し部屋を出た。
自分の食事を済ませて自室に上がる頃にもまだ彼は帰っていないようだったが、朝起きた時には居なくなっていた。
部屋に残されていたのは、洗われたシーツと食器だけだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夢のようなひと時。
期待と羞恥であがる呼吸。
シャツ1枚にスラックス。
寛いだ服装になったあの人。
襟元に覗く首筋、下ろした前髪、街で見掛けたカラリと笑ったあの顔とは違う凍りつくような眼差し。
淡々と出される命令、男性性を象徴する反応はひとつも見えない。
猛烈な眩暈に世界が白くぼやける。
羞恥も、息苦しさも、痛みも、全てが昇華されてゆく。
甘く痺れる瀞みに溺れ、何も考えられない。
このまま死ねたらと思うほどの多幸感。
あの人は指先ひとつさえ触れてはくれなかった。
シャワーのお湯が、水圧が身体の至るところに鋭い痛みを与える。
テーブルには食事や服が用意されていた。
あの商店街で買ったもので作られたものなのだろうか、明らかに手作りなサンドイッチを頬張るたびに満足感を覚える。
今日与えられたものはこれからをひとり生きてゆくための御守り。
心と身体の隙間を埋めてくれる御守り。
用意してあったシャツは僕には大きく、襟元がだらしなくなるがその隙間をクラヴァットで埋める。
熱を持ちひりつく首元のこの赤い跡をふんわりと柔らかく隠してくれた。
どうやって家まで帰ったのか。
思い出せるのは雨に濡れたことだけ。
衣擦れで痛む身体中の跡。
この痛みがあの日の証。
それでも日々少しずつ引いてゆく、痛みと赤みに募る寂しさと焦燥感。
あの日の証が消えてしまう。
薄くなった跡を鏡に映し、鮮明な記憶で夢じゃないと慰める。
消えないほど強く深く跡を残したのは身体か、心か。
それでもこれ以上はいけない。
いつか偶然お店にいることに気付いてくれるかもしれない。
それに期待するだけが僕の限界。
僕のこの身体を作ったのはあの人。
見知らぬ客に与えられる刺激の中で、きっとまたあの人に会える。残された跡を見つけることができる。
クラヴァットで隠すものはもう残されていないけれど、焼き付けた記憶が擦り切れることがあっても、この優越感だけは消えてなくならない。
少しだけの着替えと日用品を抱えて娼館へと押しかける。
冗談で思い付いたことだったけれど、それが今となっては運命のように思えた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「会長、またあいつが」
またか、と促されて視線を向けた賭場の会場内。そこにいたのは彼ではなかった。
「……なんだ、イカサマか?」
「いえ、イカサマはさせません。あいつが負けたんですが、賭けたものは渡さないと騒いで……」
「イカサマを疑って難癖付けてくるくらいなら可愛いもんだで済ませていたが……渡せないものを賭けるような馬鹿は立ち入り禁止だ。あいつにはこれを叩きつけておけ。」
部下に渡したのは商会が携わる賭場と娼館の立ち入り禁止を伝える赤いカード。
それを客たちの前で渡すことで今日来ていない顧客の間でも噂を広げてもらう。
部下が銀のトレイに赤いカードを乗せ、渡しに行く。
それを最後まで見届けず会長室へと上がる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「会長、彼が……」
賭場を出ようとしたところで受付に声を掛けられる。
またか。外で出待ちしているであろう少年を探す。
「こちらに直接来てしまい申し訳ありません。どうしても今度の商品のことでなるべく早く直に会長と話したく……」
話し掛けてきたのは商品開発部門を任せている男だった。
「……不備か?改良か?」
「改良でしょうか。段階を踏ませることで初心者には扱いやすく、選択の幅を広げることで玄人には愉しみやすくなるかと思い、このような揃えではいかがかと思い……」
店を出たところだったが、彼を従え会長室へと逆戻りした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おい、……」
会長が賭場を見回し何か言い掛けた。
が、すぐに何でもないと手を振り立ち去る。
会長は日に数度、馬車で商会が経営する賭場や娼館、商会本部などを廻ることがある。それは以前から変わらず現場主義な会長が見せる行動だ。
しかし馬車が店に近づくたびにカーテンの隙間からちらりと店先を確認するのは最近加わった新しい行動だった。
そして毎回安堵の息を吐いている。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「突然申し訳ありません。相談したいことがありまして……」
そう切り出したのは、娼館部門を任せている女。
商品開発部門の男は閃きが冴えているうちにと会長に突撃を仕掛けることが多いが、娼館部門の女は今まで約束を取り付けずに尋ねて来たことは一度もない。
「何があった。」
会長もそれに気付かないわけがない。謝罪など要らんと手を振り、本題に入るよう彼女を促す。
「男娼希望の青年がうちに来たんですが、実はまだ成人前で。年齢を理由に断ったら今度は下働きで構わないと食い下がられまして……」
「……なんだ。雇ってやればいいだろ。」
よくある話だった。
「それが……本人は隠してるつもりなんですけど、どうやら貴族のようで。貴族のお客様も多いですから客なら構わないんですが、雇って顔見知りに会わないとも限りませんし……」
「別に本人の矜持が許すってんならうちは構わないが、起こり得る面倒事を考えると後味が悪い結果になりそうだなぁ。」
「それとなんだか危なっかしくて。なにか追い詰められているような切迫感があって。敢えてうちに居てもらってます。目を離すのがなんだか怖くって。」
「事件に巻き込まれてるとか追われてるとかじゃないなら構わない。少しの間だけ、裏方で客の目に触れないようにな。」
「ありがとうございます。これ、彼の履歴書です。念のために渡しておきますね。」
彼女は安心したようで、話を終えるとすぐに帰った。
会長は受け取った履歴書をちらと見やるだけですぐ端に避け、読むことなく他の書類に埋もれていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
最近ずっと苛ついている。
理由はわかってる。
あの光景が、あの声が、焼き付いて離れないから。
性的嗜好は男女問わずどちらでも。
それを自覚していても男には手を付けていなかった。
深みに嵌りそうで怖ったわけじゃない。
ただ女で事が足りるならそれで構わないから。
特定の誰かを、なんて望んでいないから。
必要になれば別の商会から女を買えばいい。
その時の嗜好に合わせて愉しむ相手を選ぶ。
それでこれまで満足していた。
不足を感じたこともない。
それなのに。
そこへ降って湧いた世間知らずなガキ。
今回は煩わしいガキを嬲って黙らせる。
それだけのつもりの戯れが、この様だ。
窓の外の雷鳴が。
反射するダークブロンドの鈍い光が。
琥珀色の輝きが。
吐息が、漏れる声が、目が、唇が。
鮮やかに、芳しく。
いつまでも見ていたいと、そう思った。
あいつがバスルームが鳴いている間に、自室で抜いた。
バスタブで気持ちよさそうに寝入る姿。
手紙を残し部屋を出る。
朝になると、あいつは居なかった。
使った道具は全て気に入ってくれたらしい。
残されたシーツはまるで芸術品のようで捨てることが躊躇われた。
その日から、よくある目立たないダークブロンドが眩しく感じられるようになった。
店や街で見かけるたびに息を潜めて確かめる。
それなのにまるっきり姿を現さなくなった。
本当に一度で満足だったらしい。
きっと今頃男娼でも買っているんだろう。
愉しめる身体になってよかったな。
いつまでも見えない姿に苛ついた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
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