復讐者
その国は世界でも最低に位置するほど治安が悪く、殺人、強盗、臓器売買、拉致、それらが日常的に起こっていた。もちろん民衆の大半は貧しく、国として成り立っているのがやっとのレベルだった。環境問題や食糧問題も多発しており、餓死者は年々増加し、人々は今日生きていくのに必死で、他人のことなど考えている余裕はなかった。そんな中孤児であった彼は、当然ろくに食べるものもなく、毎日の食事はネズミであり、酷いときは泥を啜って飢えを凌いでいた。
「いつまで続くんだろうか......」
地面に座り路地裏の壁にもたれかかっていた彼は、灰のようなものが降り注いでいる薄暗い空を虚空の瞳で見つめながらそう呟いた。こんな地獄みたいな日常を終わらせたい。しかし具体的にどうすればいいのかなんて分からない。分かったところで行動する気力もない。結局自分は何も出来ないままろくな死に方をしないだろう。誰かがこの国を変えてくれたら良いと、他力本願でしか物事を見れないのは仕方がないかもしれない。そんな自分の非力さが心底嫌にはなるが、変える気も起きない。そして同時に、自分以外にもそう思っている人間は大勢いるのだろうと彼は思う。と、そんなことを考えているうちに、気付けば瞼が重くなり、意識が遠のいてきた。どうやら眠気が襲ってきたらしい。故に、自分を囲んでいる複数の覆面を被った男たちに気付くのが遅れてしまった――。
「ん......?何だ、あんたら......」
だがその異常に気付いた時にはもう遅い。銃の持ち手で顔面を殴られ、訳の分からぬまま、彼はそのまま気を失ってしまった。
「う......うぅ......こ、ここは......」
意識が覚醒し目が覚め、ゆっくりと痛む体を起こすと、そこは何かの施設のようだった。周りを見ると自分と同い年くらいの少年が集められていて、そんな自分達を取り囲む形で、銃を持った大人たちが何人も立っていた。しばらくすると入り口から二人の武装した男達を連れた指揮官のような風貌の男が入ってきて、壇上に上がり彼らの前に立つと、演説をし始めた。
「初めに、今日集まってくれた君たちに礼を言おうと思う。改めて、良く集まってくれた。感謝する!そして、手荒な真似をしてすまなかった。だが、そんな君たちも今から話すことを聞いてくれれば、きっと納得してくれるだろう。君たちを今日、ここに集めたのは他でもない、我が国の独立に貢献してもらうためである!!もちろん秘密裏にだ。知っての通り、我が国の治安は世界でも最底に位置している。これが意味するところ即ち、法改正や軍隊で治安を改善しようとすれば、民衆は簡単に革命を起こし国家を転覆させ、治安改善どころか悪化に繋がる。そこで我々は、今の状態で内側を改善することはもはや不可能だと判断し、ならば君たちをスパイに仕立て上げ、暗躍してもらい、未だ成し遂げておらず遠回しにしていた独立を先にしてしまおうというわけだ。そのプランも既に出来上がっている。上手くいけば国同士の関係や治安問題、発展途上問題などは我々の都合の良いように持っていけるだろう。それが実行できれば晴れて独立が成し遂げられるというわけだ。また、我が国を世界に認めてもらい、他国の知恵や力を借りた方が内政もしやすくなるかもしれない。もし、君たちのおかげで独立を成し遂げられた暁には、君たちのこの先一生の豊かな自由を保証しよう。以上だ。健闘を祈る!」
そう言うとその男はまた武装した二人の男を連れ、退出していく。
なるほど、どうやらこの施設は国を独立させるために、孤児達をスパイに仕立て上げるための場所らしい。集められた孤児たちは、目に光は宿っていないものの、自分の状況や立場、役目は理解した様子だった。取り乱したり泣き叫ぶ者はいない。彼らは受け入れることしか出来ない程の弱い立場であることを、自身で理解していたのか、それとも自分と同じようにそんな気力すら湧いてこないような環境にいたのか、はたまたどちらでもない別の理由でもあるのか。
「よし、じゃあ今日からさっそく訓練をしてもらう。まずは――」
こうして彼とその孤児たちは、国の独立のために、その日から過酷な訓練を始めていく。彼自身最初は過酷な訓練内容をこなせず倒れることもあったが、時間が経つにつれ自分にはこれしかない、いや、むしろチャンスだと考え、絶対に国を独立させ、大人たちが保証してくれた独立後の自分達の自由を実現させたいと思い、何とか毎日耐え続けることが出来た。しかし当然だがその訓練に自分達の人権はなく、大人たちによる暴力や暴言は日常で、少し意見をしただけでも生死を彷徨うほどのリンチにあうことも少なくない。そんな環境に耐えられず脱出を試みる者は、至る所で自分達を監視している大人たちに見つかっては容赦なく半殺しにされ、思い詰めて首を吊る人間だっている。彼らは政府の期待の星な上に、その内情まで知ってしまったので、逃げることは許されなかった。だがそんな環境でも彼は黙々と耐え抜いた。そしてその過酷な訓練が終わる頃には、もはや彼以外誰も残っていなかった――。
その後、彼は唯一にして完璧な政府の求めるスパイとして何年も暗躍し、苦難の末に見事独立を達成することが出来た。その任務は訓練を最後まで受けていなければ到底遂行出来ないほどの難易度の高さであり、想像を絶するものだった。それを成し遂げた彼は、これでようやく、ようやくこの生き地獄から解放されると思った。しかし――
「な......!??何をするんだ......!?こっちはあんたらの訓練を耐え抜いて国を独立させたっていうのに......!?話が違うじゃないか!!」
彼の目の前には、彼に向けて銃を構えた男二人とその指揮官が立っていた。
「君のおかげで無事、我が国は独立を成し遂げることが出来た。感謝する。しかしね――少し考えれば、暗躍した者を生かしておくくらい独立後において危険なことはないと分かるだろう?いつ君が公となりこの国に影響を与えるか分からない。最悪、独立が否定され、今までの苦労が水の泡になるなんてこともあるかもしれない。そしたら振り出しよりも前の状態になり、それこそ成すすべは無くなるだろう。だが確かに君の貢献は計り知れないというのも事実。ということで、我々からの情けというか、君に我が国の独立記念として建てた世界最高峰の刑務所に一生入ってもらい、死という残酷な対応をせず、君の貢献を最大限認めた上で配慮した結果という致し方のない事実として受け取ってもらいたい」
「は......はぁ......?何を言っているんだ?それじゃあの自由の保証は何だったんだ......?俺は、俺は一体何のために今までッッ!!それに俺には妻と子供もいるんだ!彼女らはどうするんだ......?なぁ、まさか、そんなことは、ないよな......?」
指揮官に掴みかかりたい衝動を抑え、家族に対する最悪の可能性を考える。そして思い返す数多の過酷な訓練、管理され人権すら奪われた日常、死んでいった仲間や廃人同然となった仲間。何度それらを目撃し取り乱しそうになったことか。国の独立なんて自分の中ではどうでもよかった。それを達成したことで幸せになれる自分を想像して何とかここまでやってこれたのだ。そして猛烈なプレッシャーの中で任務を遂行し独立を成し遂げた。全ては、自分が幸せになるためだったのに――。
「そうだねぇ。君の家族は残念だが――消えてもらうしかないだろう。君をスパイだと知っていようがいまいが、関係を持ってしまった以上それは仕方のないことだ」
余りにも無慈悲で冷酷に告げられる言葉の重み。彼はそれに言葉も出ず茫然とすることしか出来ない。目の前の男は自分の言った言葉を理解しているのだろうか。自分と関係を持ったからって、当然仕事内容や国家機密情報は話す訳がないし、そもそも自分の職業は偽っている。それに彼女らはこの独立に関して言えば何も関係がない。それなのに、家族だからという理由で殺されてしまうのか。何も罪はないのに――。いや、彼にとっては家族や友人など、呼び方なんてどうでもいいのだ。要は自分の愛した人間が無関係に殺されてしまうという事実に、彼は耐えられなかった。
「連行しろ」
「ま、待ってくれ!!せめて最後にもう一度家族に会わせてくれ!会いたいんだ!!これが一生の別れになるなんて、そんなの――」
だが、そんな想いも突如腹部に当てられた強力なスタンガンにより虚しく崩れ去る。
「あ......あ......」
意識が遠のいていく中、彼ははっきりと誓う。絶対に復讐してやると。その刑務所から脱獄して、この指揮官の息の根を確実に止めてやると。こんな世界、あってはならない。彼の胸の内は、ドス黒い憎悪で満たされていったのだった――。
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――時は近未来。世界の治安は悪化し、犯罪者の数は年々右肩上がりになっている。そんな中、この国の独立記念として建てられたのは、全世界の凶悪犯罪者が収監される超巨大刑務所だ。場所は太平洋のど真ん中、人工で作られた広大な島に建てられている。塀の高さはもちろん、AIによるセキュリティも厳重になっていて未だに脱獄者はいない。ありとあらゆるシミュレーションを行い検証し、最新鋭の設備を導入。まさに前代未聞の完璧な檻を各国の政府が協力して作り上げたのだ。そういった警備の面でこの刑務所の右に出るものはない。だがしかし、そんな完璧な檻もそのシステムが犯罪者によって逆手に取られてしまう可能性が一つだけある。それが刑務所内の中心部に位置する――タイムマシンの存在だ。牢に入れられた凶悪犯罪者を監視する見張り達の噂によると、それは過去にも未来にも自由に行けて事前に出来る限り犯罪件数を減らすため、世界のとある機関が庶民に極秘で作ったものであるらしい。そもそも見張り達自身、無許可で刑務所の中心部には決して近づいてはならないと通告されているようだ。そんな話が耳に入るくらい、凶悪犯罪者だろうと二度と外の世界に戻れない上に脱獄も不可能であるから、特に聞かれても問題はないと思っているのだろう。そんな中で、おぞましいほどの執念と復讐心を燃やす一人の男が、十数年もの間そこに囚われていた――。
「さて、ようやくこれで今夜、実行に移せる――」
彼は額ににじみ出た汗を拭うと、この先に起こる未来を思い浮かべ、光の宿っていない目を細め口元を歪ませるとそう言った。彼がここに来て、何年も何年もかけて練りあげた脱獄兼復讐計画が、ようやく完成したのだ。あとは今夜実行に移すのみとなった。
「しかしどいつもこいつもAIによるセキュリティを信頼しすぎだ。この世の中に完璧なものなんてない。絶対にそのタイムマシンに乗って現代から逃げ脱獄し、奴を殺す」
そう言って、彼は限界を迎え今にも爆発しそうな憎悪の感情を燃やしながら、夜になるのを今か今かと待った。そう、あの日から十数年の時が流れたのだ。しかし復讐心は消えることなく、むしろ年々強くなっていった。あの理不尽さ、不条理、残酷で無慈悲な現実。家族の死。いくら時が経とうとも、消えるわけがない。この十数年、夢に見ない日は無いと言っても過言ではないくらいあの指揮官と自分の家族について、脳が勝手に指揮官に打ち殺される家族という状況を作り、それが夢になって現れる。自分は何も出来ずただ眺めているだけで、指揮官が家族に引き金を引いた瞬間目が覚める。その繰り返し。いつまで続くのだろうか――こんなにも辛く苦しい精神状態に対し、そう思った事は何度もあった。だからといって辛いから、苦しいからもう考えるのはやめて忘れてしまおうとはならなかった。何故なら彼にとって唯一の生きる希望が復讐であり、それに一歩一歩近づくことで幸福感を得られるのだから。彼にとっての幸福は自分でも気が付かないうちに、いつの間にか歪んでしまっていた。しかし、どんな形であろうと、それが復讐の原動力になるならそれで構わない。そしてその辛い日々もいよいよ今夜で終わる。自分自身の力によって――。
夜になり、遂に計画を実行する時が来た。彼は今までに培った知識でベッドの一部であった木と針金を組み合わせて作ったカギを持つと、難なく牢のカギを開けた。深夜だからかAIによるセキュリティを過信しているからかは分からないが、見張りは全くいなかった。
「これくらいなら特殊工作の知識があれば誰でも出来る。というか何故パスワードではなく鍵なのだろうか?世界最高レベルのセキュリティを誇るこの刑務所がまさかアナログ式の牢だとは...。まあ簡単に開くならそれに越したことはない。問題は見張りと中心部に無数に張り巡らされている赤外線、防犯カメラ、それからタイムマシンを守っている扉の鍵かパスワードだが...まずは計画通りシステム管理室に向かうとしよう」
左右を見ると真っ暗闇の廊下を、遠くから懐中電灯を照らして歩いてくる一人の見張りを見つける。彼は取り敢えずソイツの首を折って変装しようと考えた。見張りが自分の牢の前を通り過ぎたタイミングで横から口を押さえ声が出せないような状態にし首を折る。それはわずか数秒の出来事であり彼にとっては造作もないことだった。牢の中に入れ所持品を探ると、幸運なことにソイツはAIによるセキュリティを動かしている管理者のようで、キーカードを沢山持っていた。彼が思うにおそらく見張りではなくそれらのシステムの管理者として持ち場に戻るための移動中にすぎなかったのだろう。暗闇でよく見えなかったが微妙に見張りとは違った制服を着ている。見張りであればそれに変装して上手く他の見張りと会話し情報を聞き出し、何らかの理由をつけてカギやキーカードを手に入れる事も考えたが、その手間が省けた。しかし何という緊張感の無さだ。そういう状況を見てもどれだけこの刑務所が人ではないAIに頼りきっているかがよく分かる。確かに人よりも正確で見落とすこともないだろうが、だからと言って何かの不具合でそれが故障した時はどうするのだ。まあ今思うとそういうのを加味して犯罪者の住まいである牢はパスワードではなくカギ仕様だったのかもしれない。そんなことを考えながら変装し終えると、彼は奪った懐中電灯で足元を照らしながらシステム管理室へと向かった。途中見張りと何回かすれ違ったが、変装と暗闇のせいで相手は全くこちらに気が付かなかったようだ。それに見張りと同じく帽子を被っていたおかげということもあるかもしれない。
「それにしても、ここら辺は移動で何度も見ているからな。暗闇だろうが地図は頭に入っている」
そしてシステム管理室に到着すると、先ほどの管理者がもっていたカギを使って中に入り、すべての防犯カメラと赤外線を切った。これで当分は安心して身動きが出来る。彼は室内の壁に貼り付けてあった地図を見て現在地、そして中心部への行き方を把握する。
「さあて、じゃあいよいよ中心部に向かうとするか」
彼はその部屋を出ると鍵を閉め、歩き出す。中心部が一体どのような形状になっていてどのようにタイムマシンが置かれているのかは地図には書かれていない。しかし赤外線も防犯カメラも切った今、怖いものは何もない。今の彼を止められる人間は誰もいないだろう。そうして、彼は無事中心部にたどり着くことが出来た。扉のロックを管理者が持っていたキーカードで開け、中に入るとそこには――
「あれが、タイムマシンか......?」
そこには、一本の橋が中心のタイムマシンらしき乗り物まで続いており、懐中電灯を使って見渡す限り、なにやらドーム状であることが分かった。多少不気味ではあるが、特別何か仕掛けがあるわけでもなく赤外線やカメラは切っておいたので不自由なくタイムマシンの前までたどり着いた。
「なるほど、これが噂によるタイムマシンか......。使い方は、あぁここに書いてあるな。左のメーターが速度を表していて右のメーターが未来の年代を表しているのか。――ん?未来のメーターがあるなら過去に行くためのメーターも当然あると思ったが......それははないのか?これじゃ過去に行きたい奴は行けないのか。どこを探しても見当たらないしな。どうやら噂と多少違っているようだが、あいにくと過去に用はないし、別に気にする必要もないか。で、ここで行きたい場所を設定するのか」
素人目にも分かりやすく説明が書かれていたので彼は簡単に使い方を理解出来た。
「いよいよだな...これで長かった刑務所生活も終わって、ようやく復讐をすることが出来る。それにしてもこれで脱獄不可能とは笑わせるな。結局こんなものか。どこが不可能なんだ。AIによる最新鋭のセキュリティに頼った結果がこの始末とはな。これを作った奴はきっと機械の事は詳しく分かっているんだろうが人間については何も分かっていないのだろう。だが脱獄はあくまでも過程にすぎない。その先に目的があるのだからな。故にそもそもこんなところで躓くわけはない。奴に復讐心の恐ろしさ、恨みの恐ろしさを嫌と言うほど分からせてやる」
そう言うと彼はタイムマシンに乗り込み、時代と場所を設定した。時代は今から十年後、場所は取り敢えず自分の家だ。そこで計画の確認と準備を整え近日中に実行する。
「必ず殺してやるさ。もう少しだ、待ってろよ」
彼は歪んだ笑みを浮かべ、遂にマシンを起動した。するとみるみるうちに自分の周りの世界が歪みだし白く色付いていく。そのあまりの非現実的な光景と慣れない負荷に、気付けば彼は気を失っていた。
――その後、意識が覚醒する。しかし目はまだ空かない。かろうじて耳は聞こえるが酷い耳鳴りでまともに機能していない。この状況を簡単に言うなら、肉体が今も何かに一定の力で打ちのめされて続けているような、終わりを知らない耐えがたい苦痛を全身が味わっている。ゆっくりとそのような状況を自分で認識したところで、ようやく自分の耳が正常に働きだし、声にならない声を彼は発する。
「――おぉようやく目覚めたかい?随分と眠ってたみたいじゃないか。しかし君ねぇ、まさかタイムマシンなんて本当にあると思ったの?しかもあんな刑務所のど真ん中に?流石に怪しいと思わなかったのかい?」
彼の耳に入った第一声は、そんな言葉だった。
「は......?こ、ここは......」
「あー起き上がっちゃだめだよ。まだ体が痺れてるだろう?」
半分ぼやけた目で室内を見渡すと、そこは病室のようで入り口に特殊部隊のような武装をした人間が二人立っていた。そして医者のような見た目の人物が落ち着いた口調でこちらに話しかけている。
「なあ......何であんたがタイムマシンについて知っている......?俺はあの瞬間たしかに――」
「まあねぇ、君がそう言うのも分かるよ。今まで君と同じような人間が何度もここに運ばれてきたからねぇ。みんな揃ってあのタイムマシンに乗ろうとしたみたいだよ」
「い、今まで......何度も......?」
理解が追い付かない。だが猛烈に嫌な予感がする。おそらく今背中に手を伸ばせば滝のような冷汗をかいていることだろう。そしてその冷汗の原因となっている、考えうる最悪の可能性を意識しかけた瞬間――
「そうそう、あんなよく分からない噂に流されて冷静に物事を考えられなくなる君みたいな凶悪犯罪者は多くてねぇ。特に復讐心とか執着とかそういう単純思考で動く人間の特徴とも言えるかな」
「ッ......!?じゃあ、やっぱり俺はッ......!!あの噂は全部ッ......!?」
まだ脳は完全に機能してないだろうがそれでも状況を理解するには十分すぎる言葉だった。痛む体を無理やり起こし吐き出すように彼は言う。
「そう、全くのデタラメ。あの一連のタイムマシンの話は君みたいな人間の思考と行動を政府が研究するため、良い実験になるんだ。分かりやすく言えば心理実験さ。おかげでまた良いサンプルが出来たよ。あーただ、もちろん全てがデタラメとかいうあまりに救いようがない無慈悲なオチではないよ。あの時、君は十年後にタイムスリップしようとしただろう?」
「くっ......あぁそうだ......!俺は確かに時代と場所を設定して、起動したんだ......!」
「ここがその十年後の世界だよ」
「――は......?どういう事だ......?」
耳から反対の耳へと言葉が出ていき、全く頭に入ってこない。
「簡単だよ、君はあの瞬間から十年間ぐっすり眠ってしまい、まさに十年経った今目が覚めた。場所は違えど、君にとってみれば全て一瞬の出来事。タイムリープ成功じゃあないか」
「は、はぁ......?」
冗談だろう。そんな屁理屈みたいな体験をするために今の今まで計画を練って実行したわけではない。脳がこの状況を拒絶し今にも失神しそうなほどの衝撃を受けている。だがその衝撃を意識するよりも先に嫌でも頭に浮かんでしまうことがある。つまり、あれだけ想いを馳せてきた復讐はどうなってしまうのか、何年も何年もかけて練った計画の意味は?自分は何のために今まで生きてきた?今までの――
「今までの俺の人生は、一体何だったんだ――」
独立のため?国を独立させるための人生だったのか?独立に貢献できたから良いのか?どんな残酷なことが起きようとも目的を達成し貢献出来たら、それで良いのか?否、そんなわけがない。自分は全く幸せではなかった。政府にとっては独立することが幸せなんだろうが、自分にとってはむしろ本当の意味で不幸の始まりだったのかもしれない。医者の言ってることは嫌でも理解できるが、それを受け入れたくはない。受け入れられるわけがない。こんな結末が待っているなんて。だがそんな彼の想いも容赦なく、医者の後に続く言葉の弾丸によって滅多打ちにされていく。
「あの機械は起動すると中の人間が電磁波を浴びて気絶し、ちょうどその設定した時代に目が覚める仕組みさ。本当は気絶させるだけで良かったんだけど、それに人生をかけて儚い希望を抱いた人間にとってはあまりに残酷でユーモアが足りないだろう?だから少しばかり政府は配慮したんだ。要は、お情けだよ」
医者のような人物は悪そうな笑みを浮かべると、語り掛けるようにそう言った。
「なっ......なんだ、それは。つまり、俺はずっと今まで、政府の掌で踊らされていただけだった、とあんたは言うのか......?あれだけ手薄だった警備も、俺みたいな人間の思考や感情、つまり復讐心を利用した上での実験計画の一部にすぎなかったという事か......?俺の、あの膨大な年月を費やして練った計画とその行動は、最初から全て無駄だったという事、か......?」
一言一言、震える唇から絞り出すように、それでいて何か、ありもしない最後の希望に縋りつくように彼は言葉を紡ぐ。それは決して医者への質問などではなく、自問自答のような口調だった。自分の置かれた状況、それに対する最後の確認。したがって、医者はそれに対し何かを言うことはない。独立のために自分を利用して家族まで殺した政府、それに復讐心を燃やすもその感情を逆手に取られ、あろうことか無意識にまたもや政府側に貢献してしまってるというこの状況。結局最初から最後まで自分は政府に利用され、掌で踊らされていたという事実。これでもかと言えるくらいの残酷な現実の終着点。もはや成すすべも気力も、残ってなどいない。
「ッッッッッッッ――!!!!」
全てを理解した瞬間、彼は言葉にならない感情を発して悶絶していた。一体何十年無駄にしたのだろうか。今までの彼の人生は何だったのか。この瞬間の彼の気持ちは誰にも分かるまい。いや、彼自身でさえも分かっていないかもしれない。
「まあでも君は、犯罪を犯してその上で脱獄するという、一見するとこれ以上ないくらいの極悪人だが、政府からすれば貴重な実験結果をこうやって収めてくれた貢献者だ。政府に貢献してくれてきっとお偉いさん方も喜んでいるだろうよ。良かったじゃないか、人の役に立てて。しかしこういうのを見ると、確かに人間の復讐心とは恐ろしいものだよねぇ」
遠のく意識の中で彼は微かに医者がそう言うのが聞こえたが、もはや彼にとって貢献や人の役に立つとか、そんなことはどうだっていいのだ。そんなことをしたって、自分は幸せになれなかったのだから――。