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王太子がオタクでいいと思ってるのか!〜隠れてロマンス小説書いてる公爵令嬢ワイ、婚約者の王太子が自作の読者だと知って草生える〜

作者: めめめ

 王宮で毎月行われる舞踏会が好きだ。


 綺麗なドレスを着るのも殿方と踊るのも嫌いだけれど、身分の高い貴族から小間使いの平民まで、いろんな人が集まるから。


 集まった人達は、初めて出会ったり、久々に再会したり、好いたり嫌ったり愛し合ったり憎み合ったりしながら関係を作っていく。


 その過程を輪の外から眺めるのが好き。


 そして、そこで見たものを参考に……私は紙にペンを走らせる。


 私の頭の中に住まうお姫様と王子様が、紆余曲折を経て結ばれる……幸せな物語を描くために。



「見て、今月も来たわよ。公爵家の『子豚ちゃん』!」

「あの醜いそばかす、白粉をはたいても隠せないんですって。汚らしい、適当に理由をつけて舞踏会を欠席してくれればよろしいのに」

「それにあのぼさぼさの赤茶けた頭! メイドに整えてもらってないのかしら?」

「いつも一人で背中を丸めて本を読んでぶつぶつ言って……アルベール公爵家のシルヴァン様はあんなに素敵なのに、どうして姉のイザベル様はああなのかしら!」


 わざと聞こえるように言っているとしか思えない声量の陰口が聞こえてくるけれど、全部無視してボールルームの壁に寄りかかった。


 子豚と呼ばれる太ましい体型も、汚れたようなそばかす顔も、赤茶けたぼさぼさの髪の毛も、背中を丸めてぶつぶつ言ってるのも本当のことだから、怒ったり悲しんだりする方がおかしい。


 でも、私がこういう扱いを受けていることに対してぷんぷんと怒る人物がいた。


「イザベル姉さん……なんでそんな端っこにいるんです! 今日は姉さんとナルシス王太子の婚約を祝うための催しでしょう!?」


 弟のシルヴァンは、私とは似ても似つかない精悍な顔を怒りに歪ませながら輪の外で人間観察に勤しむ私に近寄ってきた。


「そうよ。ナルシス王子がプロポーズしてくる時にはちゃんと真ん中にいるから気にしないで」

「気にしますって! もう! 姉さんがそんなんだからアルベール公爵家は僕の代で終わりだなんて言われるんですよっ!?」

「いいじゃない、終わっちまえば。世襲制によって馬鹿の煮凝りがトップに立つようになっちゃった国なんか遅かれ早かれ革命の波に飲まれるんだから、早いとこ没落して平民の暮らしに慣れた方が楽よ」

「姉さんには公爵令嬢としての誇りはないんですかっ!?」

「ないわよ」


 即答するといよいよシルヴァンが泣き出してしまった。


「姉さんに最初に本を渡した家庭教師を恨みますよ……女のくせに下手に知恵をつけるから、姉さんは愛嬌もなくなってしまったんだ……」

「褒めてるの?」

「貶してるんです! これ以上なく!」


 私はアルベール公爵家第一子、イザベル・フォン・アルベール。


 本来であればこの醜い容姿に似合わない公爵令嬢としての肩書を抱えて、さっき私の陰口を言いまくっていた令嬢方と肩を並べ、誰々の家柄がどうだ誰々の容姿がどうだという中身のない話で盛り上がったり、絢爛豪華な調度品に囲まれて高っけえ以外特に味の差もないような茶葉を訳知り顔で嗅ぎながらお茶会をしたり、王太子の婚約者として物理的にも心理的にもでっけえ顔して街を闊歩していたはずのご令嬢。


 では、なぜ私がそうならなかったかというと……初めてついた家庭教師、クラリス先生のおかげに他ならない。


 クラリス先生は平民でありながら公爵家お抱えの家庭教師にまで上り詰めた才女であり、世襲制により素質のないものまでが政治の現場に立つこのオールリア王国の将来を嘆く革命思想の持ち主でもあった。


 クラリス先生は公爵令嬢ということを鼻にかけたクソガキの私に何度も何度も言い聞かせた。「アルベールって苗字がなきゃ、あんたに見向きする人間なんかいないんだ」って。


 最初は反発した私だけど、クラリス先生の言うことは大体は正しかった。言い方が厳しすぎて心が凍りつくことはあったけど、概ね正しかった。


「クラリス先生……私が価値を身につけるためには、どうしたらいいの……?」


 自分の存在が揺るがされ続けた私は、10歳の頃、クラリス先生にそう尋ねた。


「……本を読みなさい。知識をつけなさい。誰に何を言われても、揺るがない自信をつけなさい。自信を持って喋れる言葉を身につけなさい。それしか方法はありませんよ」


 クラリス先生はそう言って、私にテーブルマナーの本を差し出した。それはただテーブルマナーが書かれているのではなく、なんでそう言ったマナーが生まれたのか、そういったマナーは現在必要なのかにまで言及した小難しい本で……当時の私には難しい内容だったけど、悔しくて齧り付くように読んだのを覚えている。


 そうすると案外読書って楽しくて、クラリス先生にこれを読んだから次の本をくれ、また読んだから次、また次……と、クラリス先生が革命家として活動しているのがバレて処刑されるその日まで、私はクラリス先生に本をせがみ続けた。


 そして、本をたくさん読んだ結果……私は気付いてしまった。


 本って……書くのも楽しそうじゃない?


 そう思ったらもう止められなかった。私は処女作である恋愛長編小説「エレオノーラの日記」を書き上げ、身分を隠して出版人に持っていき、大金を支払って大量に刊行してもらった。


 まあまったく売れずにいまだにあらゆる貸本屋に「エレオノーラの日記」は数十冊置かれている有様だし、天国のクラリス先生から散々知識つけといて書くのは低俗なロマンス小説かと嫌味を言われそうだけど、後悔はしていない!


 そういうわけで、舞踏会は好き。


 色んな人が出会って、いろんな感情を交わらせて別れていく様は……次回作の創作意欲をかきたてる!


 殿方と踊ってる暇なんかないのよこっちには! ナルシス殿下のプロポーズの暇だって正直惜しいんだから!


 ふんふん鼻を鳴らしながら夜会に出席した人々を舐めるように眺める私を見て、シルヴァンは深い深いため息をついた。


「ナルシス殿下も、いざ姉さんと会ったら嘆くに違いない……」

「ナルシス殿下もかわいそうよね。政略結婚とはいえ、顔も知らない女と結婚する羽目になってしかも妻が子豚ちゃんなんてねえ」

「そう思うなら少しは痩せてくださいよ……」


 ナルシス・デュ・オールリア。王家の嫡男であり、次期国王。暗殺防止のためのしきたりにより、18歳になる今日まで夜会への出席すら禁じられ王室で大切に大切に育てられていたお坊ちゃん。

 噂では銀髪赤目の美青年って聞いたけど、あくまで噂だし、引きこもりなら案外私と同じような体型をしてるかもね。王様の体型と禿げ頭の遺伝もありそうだし。


 そんな失礼なことを考えていると、「王太子殿下のおなり」とどでかい声がボールルームに響いて、そろそろ出番かと壁からお尻を離した。


 さて、どんな調子乗ったお馬鹿さんが出てくることやら。


 令嬢達の黄色い歓声を浴びながら、一番奥の赤いカーテンの隙間から現れたのは、なるほど。


「ナルシス殿下っ!」

「噂通りのハンサムだわ!」

「うそ、あの人があの『子豚ちゃん』の婚約者なの!?」


 噂に違わぬ、美しい銀色の髪と血のように赤い目が白磁の肌によく映える、浮世離れした美青年。

 中性的な雰囲気を持つその人は、長いまつ毛をはためかせるようにぱちぱちと瞬きをしながら、少し落ち着かない様子で辺りを見渡していた。


「落ち着きないわねえ、見た目はいいんだから堂々としてりゃいいのに」

「姉さんっ! ほら、もう婚姻の契約をする時間ですからっ!」


 シルヴァンに促されて渋々輪の中心に向かって歩く。皆がモーゼみたいに道を開けて、ナルシス殿下と私の目がばちりと合った。


「あ……あの……初めまして、ナルシス殿下……私は、イザベル・フォン・アルベールと申します……。その、踊りの、誘いを受けて下さいますか……?」


 絶対いらないマナーだろ、と思うけど、政略結婚であっても愛し合って結婚したのだというていを保つため、この国ではプロポーズ前には必ず踊るしきたりがある。ナルシス殿下は珍しいものでも見るように私を上から下まで見て、柔らかく微笑んだ。作り笑いにしてはうまいものだ。


「喜んで」


 少し少年じみた上擦った声。私より二つ年上とは思えない幼さを残したその人は、私の方に骨張った手を差し出した。


 宮廷音楽隊の奏でる音楽に合わせて、一番簡単なステップを踏む。まあ、大体この国の女は受け身だから……男に任せておけば問題はない。

 クラリス先生が夫の質で決まる人生なんか、死んでいるのも同然って言ってたっけ。私もそう思う。でもダンスに関しては男の質で決まる方が気が楽だ。


「……イザベル、って呼ぶのが正しいんだろうか……」


 だけど私のダンスの相手は質が悪く、優柔不断な性格が口調の端々からもたどたどしいステップからも滲み出ていた。

 間抜けな質問に思わず深いため息が出てしまう。


「さあ、お好きに呼んだらいいんじゃないですか」

「だって、婚約者の名前だろ。あ、俺のことは好きに呼んでいいからな。呼び捨てでも、様付けでもさん付けでも」

「では、王太子殿下と」

「……かたいな、俺の奥さんになるんだろ?」

「形式上は、ね」


 私の言葉にナルシス殿下は目を見開く。

 そんなにショックだったんだろうか。


「私のような醜い女は放っておいて、綺麗な愛人のもとに行けばいいじゃないですか。王家と貴族に流れてる青い血さえ繋げれば誰も何の文句も言わないんですから」


 そこまで言ったところで、ナルシス殿下の足が止まった。急に止まるもんだから、ヒールで足を踏んでしまう。痛いだろうに、ナルシス殿下は表情ひとつ変えず私の顔を見つめた。


「それ……」

「ちょっ……ちょっと、気が進まないのはわかりますけど、踊らないと、マナーなんですから!」

「あっ、ご、ごめん」


 頼りない王太子殿下は、踊るのを再開する。


 そして、曲が終わった時、私の足元に跪いて手の甲にキスを落とした。


「……親愛なるレディ・アルベール。あなたのその瞳の輝きは、きっと未来を見通す目。あなたが許しを与えてくれるのなら、私はあなたと国を作りたいのです」


 ……なんかどっかで聞いたことがあるプロポーズの言葉を吐いて、ナルシス殿下は微笑んだ。その微笑みにどこか恍惚としたものを感じ取って、首を傾げそうになるけど……いけないいけない、今は晒し者になってるんだからちゃんと最後まで役になりきらないと。


「はい、喜んで……あなたの妻として、王妃として、この国に永遠の栄光をもたらしましょう」


 当たり障りのないことを言って、私はそのプロポーズを受ける。立ち上がったナルシス殿下は、私の肩を掴んだかと思うと……なぜか熱い抱擁をかましてきた。


「えっ」


 令嬢達から悲鳴が上がる。

 そりゃそうだ。こんなのしきたりにはない。別にマナー違反ではないけど、私みたいなそばかす面の子豚ちゃんを抱きしめて何の得があるの?


「イザベル」


 耳に息がかかってくすぐったくて、思わず体がこわばった。


「今夜、俺の部屋に来て欲しい」


 ……正気か? こいつ。



 王太子殿下との婚約を無事に終えたこと、しかも熱い抱擁を受けるほど気に入られたこと……このことで、私は実に10年ぶりに両親とシルヴァンから褒められた。


「イザベル! 私はお前はやる時はやる子だと思っていたよ!」

「それに王太子殿下からお部屋に呼ばれたんですって!? すぐ行ってらっしゃい!」

「だめだめ! その格好じゃだめですよ姉さん! ほらっ、ちゃんと白粉はたいて、ドレスももっと洗練されたものに着替えて! メイド! メイドをいるだけ連れてこい!」

「ちょっ、待って、私も何が何だか」

「イザベルばんざーい! ばんざーい!」


 ……家族が喜ぶ理由はわかってる。


 アルベール家はここ数世代ぱっとしない功績や武勲しか残してない上に、長子である私は醜く太った本の虫。


 爵位剥奪なんて噂をたてられるくらい崖っぷちだった力関係が、今日の舞踏会……あの熱い抱擁でひっくり返ったのだ。


 王太子殿下が醜女好きだったおかげで、私の家族は救われたけど……私としては複雑だ。だって、王太子と結婚したら、王太子が愛人とよろしくやってる間ずっと王宮の中の人間観察をするような長閑な生活を送ろうと思ってたんだから。


 ナルシス殿下の相手なんかする暇ないと思ってたのに、まさか気に入られるとは……。


「イザベル様っ! 息を限界まで吐いてくださいまし!」

「内臓出ちゃう内臓出ちゃう!」

「イザベル様! ちょっと引っ張りますけどおすまし顔でいるんですよ!」

「髪の毛抜けちゃう髪の毛抜けちゃう!」

「イザベル様ぁ! 顔の筋肉をぴくりとも動かしてはなりませんよっ!」

「白粉が層になってるわよこれ」


 かくして私は不自然に作られたくびれ、無茶のある夜会巻き、白粉はたきすぎの真っ白な顔を携えて、家族の期待を一心に受けて……舞踏会の後、ナルシス殿下の部屋を訪ねる羽目になってしまった。


「ナルシス殿下のお部屋はこちらになります。私は席を外しておりますゆえ……」

「心配しなくても子豚と王子じゃそんな展開にはならないわよ……」


 王家の執事長に案内されて、ナルシス殿下の寝室の前に来る。


 寝るためだけの部屋のくせにやけに豪華絢爛な飾り扉を押して開くと、薄暗い部屋の中で、窓から差し込む月明かりを背に美青年が立っていた。


「……イザベル、どうした? 顔も、服も」


 舞踏会の時より少し砕けた服装をしたナルシス殿下は、私の格好を見るなり訝しげに眉を顰めた。


 まあ気持ちはわかる。私がナルシス殿下の立場だったら、婚約者に化けた怪物が来たのかと間違えると思う。


「メイド達にやられました。あなたがあんなことするから、私とあなたは今夜契りをかわすのだと誤解してるのですよ」

「ちっ……そんなこと婚約したばっかでするわけないだろ!?」


 ナルシスは顔を真っ赤にして否定する。子豚相手に何を恥じらっているのかこの男。


「そうですよね、こんな醜い女と契りを交わすほど物好きじゃないでしょう。なんで私を呼び出したんです?」


 ぎちぎちの夜会巻きが窮屈で嫌になって髪留めをほどくと、頭皮が開放感ですっきりする。ついでだからコルセットも外してしまいたいけど、ここで脱ぐとこの坊やは本当に動揺しそうだからやめておいた。


「そうそう……その感じ! 皮肉めいた喋りに諦めたような乾いた声! エレオノーラの真似だよな!?」


 ナルシス殿下は目を輝かせながら、私にずかずかと近付いてくる。その手には、見覚えのある本が握られていることに今気付いた。


「え」

「君も読んでるんだろ!? エレオノーラの日記!」


 エレオノーラの日記……私の処女作を持って、ナルシス殿下は無邪気な笑顔を向けてくる。


 思い出した。あのプロポーズの言葉は、エレオノーラに恋する王子がエレオノーラに向けて言った言葉。


 つまり、こいつは。


「俺も大好きなんだ、エレオノーラの日記!!」


 初めて会った、私の物語の……読者である。


 自分の書いた物語の読者なんて滅多に会う機会がない。私も一読者というていで、好奇心のまま話を聞いてみると、私が考えているよりずっと深く物語を読み込んでいた。


「エレオノーラの日記は本当に面白い! 貴族階級なのに皮肉屋で、本当は顔の傷のせいで強いコンプレックスを抱いていて……そんなエレオノーラの心がヴィクトル王子によって溶かされる展開で100回泣いた! 俺のプロポーズの言葉気付いたろ!? あのセリフ!」

「ああ……ヴィクトルがエレオノーラに言うやつ……」

「そう! エレオノーラがずっと危険思想って皮肉ってた革命の考えをヴィクトルだけが肯定するんだ!」


 きゃっきゃっと無邪気な笑顔でエレオノーラの日記を開くナルシス殿下。


 なんだ、つまり私の言動にエレオノーラの影を見て、同じ小説のファンだと思ったからこんなに気に入ったというわけだ。


 醜女好きとかそういう理由よりすんなりと納得出来た。同じ趣味、しかも誰も知らない小説のファンかもしれない相手ならなおさら逃したくないでしょうねえ。


「でもなんで王太子殿下がロマンス小説なんてお読みに? 王太子としてここに幽閉されていた日々はそんなに暇だったんですか」

「そう! 暇だったんだ!」


 めちゃくちゃ皮肉だったのに肯定されてしまった。


「俺はいわゆる天才でな、剣の修行も帝王学もその他諸々もかつてない速さで終わらせてしまって、そうなってくるとまあ毎日つまらんでつまらんでしゃーなくて!」

「はあ……」

「それで、たまに城を抜け出して貸本屋に行ってたんだ。大体が堅苦しい内容でつまんなかったんだが、ロマンス小説はすごい……めちゃくちゃ面白い! エレオノーラの日記が一番好きだが、お気に入りは他にもあるぞ! 教えるか!?」

「ちょ、布教の圧が強い! 王太子殿下がお読みのものは大体私も読んでいると思いますから結構ですよ」

「えっ、そうなのか? じゃあ、『マスカレイドパレード』も『伯爵令嬢は笑わない』も」

「『ドナ王子の夜明け』も『精霊の恋物語』も存じ上げてます」

「えっ……すごいな!?」


 ナルシス殿下はぱっと顔を輝かせた。


 どうやら私が本の虫ということはほぼ知らないで、エレオノーラの日記のファンであるということだけ確信して今日この部屋に呼んだらしい。


 婚約者のこともよく知らないまま部屋に招くような世間知らず。次期王がこんな馬鹿じゃあ革命の日も近い。


 ため息が出てくる。


「殿下はご存知ないかもしれませんけどねえ……私、貴族達から噂になってるんですよ」

「博識で賢いって?」

「違う! 醜い、本ばかり読んでる子豚ちゃん、って」


 自分が醜いと気付いたのはいつだったか。クラリス先生から、私はアルベールという苗字がなければ何の価値もないと言われた日? いや……本当はもっとずっと前から気付いていた。


 食べた分だけ、それどころかそれ以上に肉がつきやすい体。何をしたって消えなかった、黄ばんだ肌を汚す茶色の点々。梳かしても梳かしてもまっすぐになることはついぞなかった赤錆のような色の髪。


 まだ子供の頃、メイド達が庭で噂話をしていたのを聞いてしまった。


『シルヴァン様は愛らしいのに、姉のイザベル様は醜いったらないわ』

『最近は革命家もどんどん活動範囲を増やしてると言うし……この家が没落したら、一番最初に捨てられるでしょうね』

『そうしたらどうするのかしら? 娼婦にでもなるとか?』

『やだぁ、あんな醜い子豚、誰が抱くっていうのよ!』


 アルベール公爵令嬢という立場を面倒に感じているのに、それがなければ生きていることさえ許されない。


 せめて他の令嬢のように美しければ。せめて他の令嬢のように痩せていれば。せめて他の令嬢のように綺麗な髪を持っていれば。


 こんなに生きづらいこともなかったのかもしれない。


「殿下……私はね、子豚なりに人として生きるためだけにこの婚約を受けています。殿下が私なんかに見向きもしないことは分かっていますから、下手に優しくしないでください」


 ナルシス殿下の顔をみると、腑に落ちないような顔をして首を捻っていた。


「……イザベルは醜いのか?」


 それを私に聞きますか。


「醜いでしょう、そばかす面で太ってて癖っ毛で」


 ここまで説明してもいまだに殿下は要領を得ないような顔をして、私の顔を覗き込んだ。

 馬鹿だけど顔立ちは整っているせいで、柄にもなく心臓が跳ねる。後退りそうになる私の腰を、殿下がぐっと掴んでそばかすだらけの頬を撫でた。


「ああ、そばかすがコンプレックスなのか……星が散らばってるみたいな顔だなって思ってた。ふくよかなのも、痩せすぎてるよりずっといい。柔らかくて可愛いし! その癖っ毛だって俺は三つ編みができないくらい直毛だから、バランスとれてるだろ」


 世間知らずの馬鹿が、何も考えてない顔でつらつらと私の劣等感をなかったもののように溶かしていく。

 これ以上、こいつに何を言っても無駄だ。


「……殿下、馬鹿ですね」

「えっ、なんで」

「馬鹿だから馬鹿って言ったんですよ。離してください、今日はそういうことはしないんでしょう」

「あっ、ごめん! 近かったな!? ずっと王宮で暮らしてたから人との距離が分からないんだ!」


 ナルシス殿下は私の腰から手を離した。


 やることは大胆なのに、一応私の夫になるというのに、急に初心になる。


 馬鹿だし世間知らずだけど……まあ、扱いやすくていいかもしれない。そう、ただそれだけ。別に、こんな馬鹿に本気で懸想したりなんかしない。


 殿下だって私には読書仲間としての語らいを求めてるだけで、私なんかに恋愛として好かれたら迷惑だろうしね。


「……イヴ」

「え」

「一応、あなたの妻になるんです。愛称で呼ぶこともあるでしょう。私のことはイヴ、とお呼びください」

「……ああ、イヴ! うん、綺麗な響きの名前だな!」


 人を寄せ付けないような美貌に、子供みたいな笑みを浮かべる姿に不覚にも胸が締め付けられる。これが持っているものの無邪気な残酷さよね。


 かくして、私は婚約を結んだ王太子様と、たびたび二人で秘密の逢瀬……と見せかけた、単なる読書会をすることになったのである。



「ああ……愛……愛がすごい……」


 私のお勧めの本を読み終えたナルシス殿下は、頭を抱えて馬鹿みたいな感想を絞り出す。


 まあ、私も初めてそれを読んだ時には同じ感想を抱いたから何も言うまい。


「すごいでしょう、『鉄と心』。殿下ももっとこの作者の本、読むといいですよ」

「いやあ……なんか堅苦しい内容で敬遠してたがすっっっっっっっっっごくよかった……さすがイヴのお薦めだな……! こういうのどうやって見つけてくるんだ……」

「何でも敬遠せずに、片っ端から、最後まで読むんです。たまに最悪なものに当たることもありますけど、何も感じないなんてことはないですから」

「俺は何も感じないなんてことあるが……」

「それは感受性が死んでるんですよ」


 私の言葉に、ナルシス殿下が「手厳しい」と言いながらも笑っていた。


「舞踏会でももっと話せばいいのに。きっと君が一度でも口を開けば、君と話したくてたまらないやつらに囲まれるぞ」

「そんな物好き、殿下だけですよ」

「そうかな、でもその方がいいかもしれない」


 殿下が首を捻って考え込む。


「たしかに、イヴは俺の奥さんなのに俺以外とたくさん話してたら嫌だもんな!」


 反射的に本をぶん投げて顔面にぶつけてしまった。不敬罪で処されてもいいかなって思っちゃった。


「えっ、なんでぇ!?」

「馬鹿みたいなこと言ってるからですよ。殿下だってどこそこの伯爵令嬢とかどこそこの隣国の姫君とかと仲良くお話ししてたでしょう」


 舞踏会の場でナルシス殿下は私と行動を共にしたがるが、大体いつも他の偉い人たちに阻まれて引き離されていた。


 婚約者がいる男に迫るご令嬢やお姫様なんて下品極まりなく思えるけど、婚約者がこんな子豚ちゃんなら自分でも勝てると思うんだろう。


 でも、どんな女性の誘いも婚約者がいるからと断っているナルシス殿下を見て、私は少し見直した。


 馬鹿は馬鹿なりに政略結婚の意味を理解しているんだな、程度の気持ちでしかないけれど。


「えっ……イヴ、それってあれか? やきもち?」

「違います」

「なんで即答するんだ! やきもちだろ! やきもちって言え! 奥さんなんだから!」

「あーもううるさい、読書の邪魔ですよ坊や」

「なんでイヴはたまに俺のことを坊や呼ばわりする! 二つも年上なのに!」

「坊やみたいに駄々こねるからでしょうが。絵本でも読んで差し上げましょうか?」

「いらん!」


 この馬鹿といると、現実を見て冷静に振る舞っているはずの自分がひどく頑固なように思えてくる。


 うざったく拗ねてそっぽ向いてしまった子供を宥めるのに、最近私は醜女のくせに醜女らしからぬ仕草を覚えてしまった。


「……殿下、そんな拗ねないでください。ね?」


 鼻にかかった甘ったるい声を出すと、殿下ははぁ、と深いため息をつく。最初はこのため息、私の醜さに呆れ果てて出してるもんだと思ってたのだが。


「可愛いからって何しても許されると思うなよ……」


 こいつやっぱり醜女好きなんじゃないか?


 殿下と正式に婚約したこと、そして殿下からの寵愛を受けた(ように見えるが実際読書会の相手として適当だっただけ)ことで舞踏会における私の扱いは前とはまったく違うものに変化した。


 今までみたいに輪の外で人間観察に勤しむことが許されない。


 前は遠巻きにしていた貴族の中年オヤジ共が、王太子があれだけ入れ込むのだから何かあるに違いないとしつこく言い寄ってきたり、嫉妬を隠しきれていないご令嬢達から嫌味ったらしく声をかけられたり。


 返事もそこそこにその全てから逃げていると、大体バルコニーあたりで馬鹿もとい婚約者に捕まる。


「あっ、まーたこんなところにいた! イヴが消えたって皆言うから心配したんだぞ!」

「……殿下、伯爵令嬢に私と仲良くしてやってとか余計なこと言ったでしょう……」

「あっ……余計だったか……ごめん……」


 たくさん嫌味を言ってやろうと思ったのに、そうしょげた子犬みたいな顔をされるとどうにも調子が狂う。


「……仲良くなる人は私が自分で決めます。殿下に気遣ってもらう必要はありません。もちろん、社交に影響が出ない程度にはしますので」

「わかった……気をつける」


 ぺしょ、と眉毛を下げる表情は浮世離れした美貌とは似合わないのに、見慣れてしまったせいなのか変な感情に苛まれる。


 可愛いわけないでしょう、背丈が6フィートはありそうな男が。


「あのご令嬢は……君のよくない話ばかりするから、君とちゃんと話したことがないから知らないんだと思った。でも、自分に悪意がある人間を近付けられるのは、嫌だよな」

「……分かればよろしいんです、分かれば。ついでに私はそんな立派な人間じゃないことも分かってくだされば一番いいんですけれど」

「イヴは素敵だろ。じゃないと奥さんにしてない」


 政略結婚なのに、さも自分で選んだように言う。


 馬鹿に何言っても無駄なので、もう最近は反論もしていない。


「……はいはい、王太子殿下の奥さんは博識で賢い素敵な淑女ですよ」

「だろ? それに抜群にかわいいんだ!」

「それは目が腐ってますよ」

「なんでぇ!?」


 ナルシス殿下は可愛いのにとか馬鹿みたいなことぶつくさ言いながら私の髪の毛の毛先をくるくるいじる。女性の髪を触るのは失礼と習わなかったのかと聞いたら、奥さんだからいいんだとかなんとか言いやがってやめようとしなかった。


「……イヴは、物語を書いたりしないのか?」


 不意に、優しい声でナルシス殿下が聞いてきた。


「……なんでです?」


 少し声が上擦ってしまった気がする。


 エレオノーラの日記を書き上げてから、私は次回作の構想を練って、書いて、捨てて、練って書いて捨てて練って書いて捨ててを繰り返していた。


 理由は簡単。


 エレオノーラの日記が鳴かず飛ばずで、自信を失ってしまったのだ。


 書いたことを後悔はしていない。次回作の構想だってある。でも、また誰にも手に取ってもらえなかったら?


 クラリス先生は私の価値は私の苗字にあると言った。だから、価値ある人間になるために、知識をつけなさい、誰に何を言われても揺るがない、自分の言葉を身につけなさいと。


 その言葉を支えに書き切ったエレオノーラの日記は……ずっと貸本屋の一番奥で眠っていて、誰の目にも止まらない。


 それは、公爵令嬢イザベルじゃない場合の私を見ているようで心苦しかった。


 誰に何を言われても揺るがない自分の言葉を身につけたと思う。


 でも、誰にも何も言われなかったらどうしたらいいの? 自分の言葉は、誰に聞いて貰えばいいの?


 きっと答えを知っているであろうクラリス先生はもういない。


「イヴは本の感想言う時に自分ならこう書くとか、この表現が好きとか言うから。本当は書きたいんじゃないかと思った。君の本を読んで、君の言葉を知ればきっと皆、君を見直す。博識で賢くて可愛い俺の奥さんを……」

「……そんなことありえません、絶対に」


 私の価値は苗字だけ。


 エレオノーラの日記が誰にも読まれなかったことは、そのことを私に突きつけるようだった。


 もうあんな思いはしたくない。でも、心から堰き止める言葉を止められない。


「そうか……残念だなあ、イヴの本なら俺は毎日だって読むのに……」


 だから、この馬鹿になら……エレオノーラの日記の、唯一の愛読者になら。


「……結婚したら、寝物語程度に毎日お話をしてあげましょう。あなたがそれを書き留めたいならご自由に」

「……えっ、いいのか!?」

「坊やは絵本を読んであげないと寝ませんからね」

「だから坊やはやめろって……」


 私の、アルベール公爵令嬢じゃない、ただのイザベルの物語を語ってあげてもいい、そう思った。



 舞踏会の翌朝から、自分の部屋の机に向かって、紙にペンを走らせた。


 ナルシス殿下のためではない。自分の感情を整理するためだ。


 頭の中で奔る物語を必死で捕まえて、文字にして紙に落としていく。あの馬鹿にしか価値を見出されなかった自分の言葉で、必死に気持ちを書き留める。


 エレオノーラの日記みたいに、うまくあの馬鹿の琴線に触れるか分からない。


 でも、たった一人のために書かずにはいられない。


 その感情を私は紙の上では理解していたけど、見ないふりをして、ひたすら物語に向き合った。


 書いて書いて書いて書いて、ちゃんと物語が完結に向かおうとしていたある日のことである。


「姉さんっ! 大変ですっ!」


 シルヴァンが止めようとするメイド達を振り切りながら、私の部屋に入ってきた。


「何よ、ノックくらいしなさいよ。あなたいつも私には礼儀がどうとか言っておきながら」

「これっ、これ見てください!」


 シルヴァンの手には新聞が握られていて、大きな見出しに「反逆の令嬢イザベル」と書かれている。反逆? まあ確かに王太子を本で殴ったりしたことはあるけど……。


「姉さん、革命思想の本を出版したんですってね……!」

「……え?」


 新聞の記事には、公爵令嬢イザベル・フォン・アルベールは革命家の肩をもつ危険思想の持ち主で、身分を偽って書いたロマンス小説……もとい、反王政主義的な有害図書を数多の貸本屋においている、と書かれていた。


 エレオノーラの日記のことだ……!


 困惑している私のもとに、今度は両親がかけつけてくる。


「イザベル、伯爵家の娘から告発を受けた。お前は反王政主義の大罪人だ」


 お父様の後ろで、お母様が泣いていた。次に言われることが何なのか、察しがついてしまう。


「アルベール家は爵位を剥奪される。お前は……国家反逆罪で、死刑となる」


 クラリス先生の最期は凄惨なものだった。


 断頭台の上にあらわれたクラリス先生は、今にも倒れるんじゃないかというくらい青ざめて、最期まで処刑人に命乞いをしていた。


 誰から何を言われても揺るがない価値というものを私に教えた彼女のそんな情けないところは見たくはなくて、処刑の瞬間は目を逸らしていたのを今でもよく覚えている。


 今思うと、しっかり見ておけばよかったかもしれない。


 断頭台に上がる時はどんな顔をしておくのが正解なのか分からないまま、私は王宮の地下にある独房にぶち込まれた。


 自分の言葉が誰かに届いたことは素直に嬉しい。


 でもそのせいで命を失う羽目になるとは、まったくもって笑えない。


 せめて最期にあの馬鹿な婚約者に……爵位剥奪されてるんだから、もう婚約者でもないけれど、騙していたことを謝りたかった。


 エレオノーラの日記の作者は本当は私で、エレオノーラの性格や喋る言葉が私に似てるのは当たり前。だってあれは私なんだから。


 醜い傷を受けた顔でも前を向いて、誇り高く美しく生きる姿に、ヴィクトル王子が感銘を受けるところから始まるロマンス小説。


 あれは私の薄汚い欲望を煮詰めた妄想話を、あんな純粋な目で語らないで。それから、エレオノーラの日記は今すぐ燃やして捨ててしまって。あなたまで反逆罪に問われてしまいかねないから。


 季節が変わった頃、少しだけ痩せた私のもとに看守達がやってきた。


 こういう時のしきたりなんて聞いたこともないけど、なんとなく分かる。


「イザベル、処刑の時間だ」


 私の首が落とされる時が来た。


 まるで花嫁衣装のベールみたいにボロ布を被せられて、断頭台のある処刑場まで集まっていく。


 元貴族の処刑、それも国家反逆罪なんてのは歴代初というのもあって、私の処刑にはたくさんの人が見物に来ていた。


 周りの好奇の目に晒された時、急に足元がぐらりと、地面を失ったみたいにふらついた。


 怖い。


 この場の誰も私の生を望んでいないと錯覚するような喧騒。太陽の光が反射する断頭台の刃。私が逃げ出さないように腕を掴む処刑人の手の感触。


「言い残したことはあるか? イザベル・フォン・アルベール」


 言い残したことなんてあるわけないとこの瞬間まで思ってた。


 でも、いざ目の前にすると、言いたいことがたくさん溢れ出してくる。


「なんで私が処刑されなきゃいけないのよ……!」


 乾いた喉から、気持ちが溢れ出してきた。


「離してよ!! なんで私が処刑なの!? ただ物語を書いただけじゃない!!」

「おい、暴れるな!」

「私は革命家じゃないわ! ただのイザベル! 家名がなかったら何の価値もないただの女よ! だから揺るがない価値を身につけるために物語を紡いだの! っていうか、エレオノーラだって王家に一泡吹かせてやろうなんて一言も言ってないじゃない! あの話では」

「そうだな、エレオノーラはそんなんじゃない」


 何度も聞いた、年上のくせに少し上擦った幼い声。


 止めようとする看守達を振り払って、処刑台には不釣り合いな絢爛な服装で、見知った顔が上がってきた。


「エレオノーラはただ国をよくするために革命家の意見を政治に取り入れられないかって話をヴィクトルにしただけだ。原作ちゃんと読め!」


 周りの驚愕の目を受けても、顔を上げて堂々と、まっすぐ私の方を見た。


「……王太子、殿下……?」

「ああ! 君のナルシスだ!」


 見ない間にほんの少しだけ大人びたような気がするナルシス殿下は、太陽の光を背に受けて、罪人の私を見下ろした。


「なっ、なんで殿下がここに!?」


 処刑人の言葉にナルシス殿下が髪の毛をかきあげながら、少年じみた笑顔を見せる。


「奥さんの晴れ舞台なんだから来るに決まってるだろ」

「晴れ舞台って、何言ってるんです……」


 泣いてしまってがらがら声になった私から処刑人を引っ剥がすと、ナルシス殿下はたくさん文字の書かれた羊皮紙を取り出した。


「国家反逆罪は、王家の者の名誉を傷つけた時に問われる罪だ」

「で……ですからこの者は有害な書物を流通させることで、革命思想を蔓延させて王家の名誉を傷つけ……」

「そして、その罪に問われるのは王家の者以外。だから、王家の一員のイヴは違うな!」


 王家の一員? 私が?


 実は王の隠し子だったとか、そんな思いつきみたいな展開でこの場を切り抜けるつもりなの!?


 目をぱちくりさせる私に、顔だけはいい馬鹿がウインクしてみせる。


「イヴは俺の奥さんで、この国の王妃だ。王妃が革命家の意見を取り入れようと本の上で言うなんて、勇気ある試みじゃないか!」

「で……殿下! 婚約は破棄されたはずじゃ……」

「破棄する前にしてたんだなこれが! ほら、ちゃんと見ろ!」


 馬鹿の持っている羊皮紙には、よく見ると結婚の誓約が書かれていて、ナルシス殿下のサインと……私の書いた覚えのないサインが書かれていた。


 私の字なんて、この男に見せたことはない。手紙なんていつもメイドに書いてもらってたし。


 じゃあなんでこの男が私の字を知り得て、こんなもの偽造出来たのか。


「……写したのね、エレオノーラの日記……」

「さて、何のことか分からないな!」


 結婚の証……私が王妃である証を見て、処刑人達も民衆も絶句する。


 遠くから、馬鹿に懐かれた私を目の敵にしていた伯爵令嬢の悲鳴が聞こえた。


「さて、これ以上イヴを処刑しようと騒ぐなら、お前らは国家反逆罪に問われるが、どうする?」


 その言葉に、さっきまで私を乱暴に扱っていた処刑人達がおずおずと跪く。


「……失礼いたしました、王妃様……」


 国民から、わあっと歓声があがった。



 とんでもない1日を終えて疲れてるって言うのに、馬鹿は読書会がしたいと今日も私を寝室に呼び出した。


 執事長が「席を外しておりますので」と気を遣ってくれたけど、あいつは私のことが好きなんじゃなくて私の本が好きなのよ。


 まあ、命の恩人なんだから読書会くらいはしてやってもいいか。


 そう思って扉を開くと、私を見るなりぱあっと顔を輝かせた馬鹿がしおしおと笑顔を枯らしていく。


 久しぶりに顔を突き合わせて、改めてこいつ醜いななんて思ったんだろうか。


「ず……ずっと前から読んでました……ッ!」

「なんで泣いてるんです……」

「だってイヴが、エレオノーラの日記書いて……ッ、ひんっ……憧れの作家が目の前にいるのに泣かない奴がいるか!?」


 ナルシス殿下は私を隣に座らせると、サインくれ握手してくれとせがんでくる。


「サインならご自分で書けるでしょう。なんなんです、あの誓約書は」

「あれは……っ……イヴを処刑したくなくて、いろんなとこに根回ししてたら案外時間かかって……ごめん……」

「時間がかかったことに怒ってるんじゃないんです。王族がそんな汚いことに手を染めて……」

「そうそう、王族って汚いことしがちなんだ。エレオノーラが言う通り、革命家の……民衆の意見を取り入れた政治が必要なのかもな」


 へにゃ、と情けなく笑う顔に、気持ちが溶かされそうになるのを必死で堪えた。


「……じゃあ、革命家の愛人でも作ったらいかがですか。あなたが意見を求めたら、いくらでも言ってくれるでしょう」

「いや、俺は愛人なんかいらない。君だけがいい」


 何言ってるんですか、と返そうとした時。


 唇が、重ねられた。


「……は?」

「君がいない間、すごく寂しかったしよく眠れなかった……。イヴが前に言った通りかもしれないな、俺はイヴから絵本でも読んでもらわないと」

「ちょっ、ちょっと待って、距離が近いです! 殿下!」

「いいだろ、もう婚約者じゃなくて夫婦なんだから」

「政略結婚ですよ!?」


 愛のない政略結婚のはず、そのはずなのに、馬鹿な坊やはそれを分かっていないのか私を抱こうとする勢いで迫ってくる。


 何考えてるんだこいつ!


「政略結婚が始まりでも、俺はずっと君を愛してたし、これからだってそれは変わらない。それとも、イヴはこれが政略結婚で……俺のことなんか、眼中にないか?」


 殿下が、子犬みたいな顔で私の手を握ってきた。


 ずるい。あざとい。殿下には自分の顔がどんなものなのか、一度懇々と説教してやろうと思う。


「……結婚したら寝物語を語ってあげる、なんて前に言いましたね」

「言った! あっ、あれもしかして今日からやってくれるのか!?」

「あまり、期待に添えないかもしれません……しっかりと物語を書いたのなんて、エレオノーラの日記を書いたのが最初で最後だし」


 王宮の地下牢に入れられるより前、ナルシス殿下のために書いた物語のことを思い出す。


 エレオノーラの日記は売れなかったけど、我ながら主人公の台詞は皮肉めいてて、他のロマンス小説にはない尖りがあったと思う。


 でも、次回作だったあれはどうだ。


 ヒロインはエレオノーラと同じ、顔に傷跡がある姫君。内気で気弱で臆病な彼女が、想い人である王子への気持ちをつらつらと語るような物語。


 書いている間は夢中だったけど、推敲のために読み返すたび、その甘酸っぱくむず痒い気持ちの吐露に殺されそうになっていた。


 でも、あの姫君もエレオノーラと同じ……私の分身なのだ。


 だから、私もあの姫君の気持ちが痛いくらい分かる。私も今、同じ気持ちだから。


「あの時の私と今の私は、違います。あなたが、そんなんだから」

「……イヴ?」

「誰に何を言われても揺るがない、価値が欲しかったのに」


 あなたに救われて、あなたに愛されて、それだけで私は私の価値を、生きる理由を感じてしまう。


「あなたのことを好きになったせいで、私はもうあなたでいっぱいで、前の私じゃないから……あなたの期待通りの、エレオノーラの日記みたいなの書けない、かも」


 あんなに物語を紡ぐのが好きなのに、絞り出した言葉はロマンチックさも文学性も知的さも何もなかった。


 だけど、私の夫は馬鹿だった。


「……イヴ、今すぐ話してくれ。君の作った物語を聞きたい」

「話聞いてました!?」

「聞いてた。イヴが俺に向けた恋文だろ? 緊張するけど聞きたい! どんな話だ? 君の中で俺はどう描かれてる?」

「坊や……わがままいっちゃいけませんよ、もう寝る時間ですから」

「ええ!? そんなっ……」

「ちゃんと書いて、本にしたのをあげますから。一番に、ナルシス様に」


 ナルシス様はきょとんとしてから、それからだらしなく笑って私を抱きしめた。


 もう抵抗するのも馬鹿らしい。


「……次のは爆売れしたいです」

「王室御用達って表紙に書いとくか?」

「…………ふふ、それもいいかも」


 私が笑うと、ナルシス様の顔が真っ赤になった。


 なんでも、私が笑うのを初めて見たらしい。


 こんな全身で好きって言われちゃ、もう信じずにいられない。


 今度は私から、ナルシス様に口付けをした。

ここまで読んでいただきありがとうございました!


うっかり書くの忘れた後日談

イザベル(主人公):この後普通に王妃になり、夫からガンガン意見求められるのでガンガン意見した。革命家とか外国の要人の中には「イザベル様となら話してもいいけど〜」とか言い出す奴までいる始末。小説は鳴かず飛ばずでしたけど一部のオタク君に大受けした。

ナルシス(オタク君):割と慎重で真面目に政治に取り組むのでなんやかんや革命は起こされずに民衆に慕われる王様になった。

シルヴァンとか諸々(主人公の家族):爵位剥奪されて没落してたけど王妃の家族ってことで復活。また公爵の称号を得る。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 尊すぎるんですけどっ…(*T^T) 量産型超絶美人ヒロインに飽き飽きしていたからめちゃくちゃ良い…♡♡ 憧れの作家さんに会えたらって考えると、そりゃ泣くよねぇ(笑) 末永くお幸せにーーーっ…
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