正義にご用心
最近、何でもかんでも詐欺呼ばわりする案件が増えている気がする。
例えば短編詐欺。
短編を読むのが好きな読者さんが、好きな短編を読もうとして短編作品をクリックしたら、期待していたものと違った。
それが何度も何度も同じことがあった。
これに苛立つのは、すごくわかる話だ。
この件に関して「私が苛立った」という気持ちはまごうことなき本物で、尊重されるべきだと思う。
そういった種類の短編もどきを投稿する作者さんに対してムカつくというのも、これは分かる。
問題はその先。
そのように思った読者さんのエッセイを読んで、「なんてひどい作者がいるんだ! 許せない! 懲らしめてやらなければ!」ってなる人。
これがまずい。
もっと言うと、最初の感じ方をした短編好きの人も、行き過ぎるとまずい。
「私が苛立った」「ムカついた」までは正当な感情なんだけれども、その先。
「それをやるやつは悪だ! 許されてはならない!」
こうなってくると、非常に危険。
これは何が起こっているかっていうと、「個人の感情」から「社会的悪」にシフトしている。
「私がムカついた」から「あいつは悪だ」にいつの間にかすりかわる。
私がムカつくやつは社会悪として叩かれなければならない、懲らしめられなければならないという風に、人間の脳というのはどうも気づかぬうちにシフトさせてしまうようだ。
本来なら、本当にそれが社会悪であるかどうかは、個人の意見や感じ方だけではなく、いろいろな観点から様々な意見を踏まえて慎重に決められなければならない。
正義や悪という価値観は、慎重に取り扱わなければならない非常に危険なものだ。
なぜかと言えば、正義はすぐに「暴走」するからである。
例えば少し前に、女子プロレスラーの木村花さんという方が、ネット上の誹謗中傷を原因にして自殺したという報道があった。
木村花さんを悪だと思って好き放題叩いた善良な人々の行動が、この事件を引き起こしたのだと考えられる。
これはまさに、正義の暴走が引き起こした事件であろう。
自分を正義であり、相手のことを悪だと思っている人は、相手に対していくらでもひどいことをできる。それが人間だ。
だから正義は危険だ。
それは無論、僕だって例外ではないから、僕はなるべくそうならないように気を付けている。
でも気を付けていても、ときには自分が正義の暴走を起こしていることに気付かずに、それをやってしまう。
中世ヨーロッパの魔女狩りでは、善良な人々が魔女に仕立てられた人に石を投げつけ、火あぶりにして殺した。
魔女は邪悪な存在だから、石を投げるのも火あぶりにするのも正義の鉄槌であったから、善良な人々が罪悪感を抱かずにそれを行った。
人間にはそういうところがあるから、自分が正義の立場にいて、相手が悪であると思ったときには、注意しなければならない。
少なくとも、注意しなければならないと意識ぐらいはしていないと、危険だと思う。
僕が好きな『リーガルハイ』というドラマに、このようなセリフがある。
>本当の悪魔とは、巨大に膨れ上がったときの民意だよ。
>自分を善人だと信じて疑わず、薄汚い野良犬がドブに落ちると一斉に集まって袋だたきにしてしまう、そんな善良な市民たちだ。
善良な人ほど、正義にはご用心である。
例によって感想欄は開けておきますが、レスの有無はそのときの気分や余力次第です。
11/21/12:40
感想コメントを受けて「正義病」→「正義」に修正。