五つめの面接
がっくりと肩を落とし駅のベンチに腰掛けた。
五つめの面接が終わった。時間はだいたい40分ほどだったろうか。動き回ったわけではないのにどうしてこうも面接というのは疲れるものなのだろうか。せめて疲れに応じた結果が伴えばいいのに……今のところまだ結果が伴っていないからこうしているわけだが。
応募した求人はどれも書類選考は通るのに面接で落ちてしまう。四度同じことになっていればお世辞にも頭が良いとは言い難い私でも面接に原因がある事には容易に気が付ける。思い当たる原因はないか考えながら電車に乗る。
原因は身だしなみか?
服装はこのクソ暑い八月であるにも関わらずスーツをきちんと着用している。私が寒がりで汗をかきづらい体質であるのが救いだ。地下鉄は冷房が効きすぎて寒く、着込んで良かったとさえ思う。髪は黒い。高校生の頃からいつか青や緑に染めてみたいと思っていたのに一度もできないまま気づいたら今だ。やたら角ばって使い慣れない(慣れたくもないものだが)リクルートバックにもおかしな折れ目や汚れがないことは部屋を出る前に確認済みだ。顔…は朝起きてちゃんと洗顔もしたし…手帳型のスマホカバーについてる鏡に目をやる。クソッタレ、もともとこういう顔だ死ね。鏡に向かってイーッと表情を歪ませるがその半分は自作の布マスクで見えない。まぁ…身なりは誰がどう見ても、どこにでもいる就活生のはずだ。
では言葉遣いが問題だろうか?
学生の頃はずっと特に勉強しなくても国語だけは評価が良く、実力テストでも上位争いの常連だった。
敬語は多少怪しくても丁寧語を忘れることがなければどうにかなるだろうと思っているが、その甘さが命取りなのだろうか。話し言葉は普段からかなり注意深くしながら生活をしている。かつてはロクでもないご両親様のお陰でほんとうにひどい言葉づかいであったが、高校の時に仲良くなった友人にとんでもなく裕福な家の人が複数いたお陰でどうにか修正することができた。今ではひどい言葉づかいは腹がたってもこうして心の中で下品に罵る程度になった。
それに面接の時は必ずボイスレコーダーを忍ばせ後から聞き返せるようにしている。かつてのドイツ帝国宰相は愚者ですら自分の経験から学ぶと言ったそうだし、実際自分の経験からさえ学べまいのならもうその人はどうしょうもないだろう。反省点を見つけ出し次で同じ間違いをしないためにはこれが一番確実だ。
これらの点を考えると言葉遣いもそんなに不安に思う必要もない気がする。
ではやはり所作だろうか?
これがもっとも怪しい自覚がある。動画での会得は私が最も苦手とする学習の手段であるし、面接の時は流石に録画なんてできやしない。大学中退で面接のセミナーも受けていない、完全に独学で最も自信がない。
とまぁ、気が付いたところで改善の手段がどうにもわからないのだ。
どうにかして面接の所作を習得するのが次の面接までの急ぎの課題ではあるが考えても袋小路に入り、どうにも進めそうにない。
重い気持ちのまま帰宅した。