第七話 日常の風景 其の二
セカンドコンタクトの一週間後まで戻ります。
2018.11.24 誤字訂正。
五月上旬のゴールデンウィーク初日。
自分で言うのも悲しいが、友人や部活仲間と遊ぶ計画なんて皆無なので、午前中は勉学に励み、午後からロードワークや空手の型の稽古に精励した。要するに、普通の休日と変わらない過ごし方をした。
夕食を済ませ、風呂から上がって自室に戻ると、ここ一年間は携帯している意味が丸でなかったのに、ここ一週間で一年分のブランクを取り戻そうと躍起になっているかのようなスマートフォンが、電話の着信を知らせていた。
俺に電話を架けて来る相手は一人しか居らず、作戦会議と称して毎晩のように電話して来る上に長電話になるので、正直応答したくない。
学校内は勿論、学校外でも、俺と一緒に居るところを誰かに見られれば、姫川も俺の悪評に巻き込まれる可能性がある。用件が済めば、俺に関わる理由も無くなるだろうと、セカンドコンタクトの屋上で、現在の俺の置かれている状況を掻い摘んで説明した。
下手に追い返して、付き纏われるよりも、俺に対する興味を無くさせる方が建設的だと判断したのだ。姫川の、俺に対する興味の源泉が、怖いもの見たさなのか、単なる好奇心なのかは知らないが、種明かしされれば、もう関わって来ないだろうと考えた。
結果的に、それは大きな見込み違いだった。
俺の話を聞いた姫川は、我が事のように憤慨し、母親を助けられた恩義も相俟って、頼んでもいないのに俺の抱えている問題解決に協力すると宣言した。
曰く、学校は友達と楽しい思い出を作るための場所であり、理不尽にその意義を奪われた事が許せないのだそうだ。姫川の持論の是非はともかく、俺に関わると姫川に不利益が発生するので止めるように忠告したのだが、姫川は頑として首を縦に振らなかった。
「先輩、私、座右の銘が、袖振り合うも多生の縁なんです。だから、交友関係の輪は積極的に広げて来ましたし、先輩とこうして知り合えたのも縁だと思っています。
先輩にはお母さんを助けてもらった恩義もありますし、私自身、友達が酷い目に遭っている時に手を拱いて見てるだけの、義理も人情もない人にはなりたくなんです。
あ、先輩に拒否権はありませんので」
妙に一生懸命話す姫川に、閉口してしまった。
学校内外で会って話すことが心配なら、連絡先を交換すれば問題ないと、姫川に押し切られる形で連絡先を交換した。
俺がこの一週間を回想している間も、根気強く電話は鳴り続けていた。長話を覚悟し、ベッドに腰掛けてから、電話の応答をした。
「あ! やっと出ましたね、先輩。可愛い後輩から電話が来たのに、何をのんびりしてたんですか。もしかして、私と電話するのに緊張して、心の準備に時間が掛かったんですか? 先輩は初心ですね」
少々電話に出るのが遅れたくらいで、第一声でここまで言われるとは思わなかった。
「いや、また長話に付き合わされるのかと思って、居留守を使おうか迷ってた」
「学校で話が出来ないんだから、仕方がないじゃないですか。あ、ご飯とかお風呂とかの時は言ってくださいね。中断してあげます」
「終了じゃなくて、中断なのか……。いや、夕飯も風呂も済ませたから、それは気にしなくていい」
正直に答えてから、失敗したと反省する。風呂に入ると言って中断させて、電源を切ってしまう方法があったじゃないか。
「よかった。私も、今お風呂入ってきたところです。あ、先輩、止めてください。私のお風呂上がり姿を想像して興奮しないでください。人格権の侵害で訴えます」
「被害妄想膨らませるのも大概にしとけよ」
「まさかとは思いますけど先輩、可愛い後輩に魅力を感じないとか、言いませんよね。思春期の男子高校生としては失格です。ちょっと病気です」
「どっちに転んでも俺が悪いのか。用がないなら電話切っていいか?」
「そんなに怒らないでくださいよ。ちょっとした冗談じゃないですか。お茶目なジョークです。こうゆう、一見意味のないやり取りを繰り返して、為人を知っていくものなんです。
ところで先輩、ゴールデンウィークは楽しんでますか?」
毎回感心するが、よくもこんなにテンポよく会話を繋げられるものだ。そして、相変わらず会話量が多くてしんどい。
「まあ、そこそこ」
「そこそこ、なんて中途半端な返事じゃ分かりません。今日は何してました? お出掛けですか?」
「いや、午前中は勉強して、午後は空手の稽古。俺が何をして過ごしていたか聞いたって、姫川は面白くないと思うけど」
「そんな事ありませんよ。休日の過ごし方を聞いて、先輩がどうゆう人なのか知るのも、私は楽しいです。先輩だって、私が休日に何をして過ごしているのか気になるでしょう? ちょっとは先輩の事考えていたのかなんて気になっちゃうでしょう?」
「いや、好きに過ごしていたらいいじゃないか。他人に迷惑をかけないなら、姫川の自由な訳だし」
「もう、先輩は本当に会話のキャッチボールが下手ですね。暴投です。やり直しです」
「これが野球なら、見逃し三振で退場したい」
「……ちょっと上手に切り返せたからって、調子に乗らないでください。それで、どうなんですか? 私が今日一日何をして過ごしていたか気になりますか? 気になりませんか? ちゃんと考えてハッキリ答えてください」
これはもう、姫川が今日何をして過ごしていたのか話したいという意思表示なのだろう。他人の心の機微に疎い俺でも、ここまで露骨に主張されれば嫌でも分かる。
ここで気にならないなんて答えようものなら、姫川の逆鱗に触れるのだろう。
「……姫川は、今日何してたんだ」
電話の向こうで、ニヤリと笑う姫川の表情が思い浮かぶ。
「先輩、やっぱり私の事が気になるんですね。そうですねぇ、今日は部活が休みだったので、クラスの友達三人と一緒に映画を見に行きました。あ、先輩は映画とかよく見ますか? やっぱりアクション映画とか好きですか?」
「俺の話は取り敢えずいいから、今は姫川の話を聞かせてくれ」
姫川の会話は、頻繁に脱線する。しかも、脱線して帰って来ない。それを嫌っての返答だったのに、姫川は何故か上機嫌だ。
「うふふ。そんなに私の話が聞きたいんですね。もう、先輩はしょうがないですね。
えっと、映画を見に行って、これが期待以上の感動作品で、思わず涙ぐんじゃいました。それから、駅前のファミレスでランチして、ちょっと奮発してデザートも食べました。あそこのファミレスのシフォンケーキ、とっても美味しかったですよ。
あとは、文房具屋さんとか服屋さんをウィンドウショッピングして、夕方家に帰って来て、ご飯食べて、お風呂入って、先輩に電話しました」
「そうか、楽しかったみたいでよかったな。結局、俺への電話の要件は何だったんだ?」
今の会話の中で、姫川が俺に電話してきた理由が一切不明だった。まさか、本当に今日の出来事を報告したかっただけとか言うのか。
「今日の出来事を話したかっただけです。あと、先輩がどんな休日を過ごしていたのか聞きたかったのと……あと……あとは……」
尻すぼみに小さくなる姫川の声。
出会って一週間の俺が言うのも烏滸がましいが、姫川らしくないなと思う。
「姫川、俺のせいで、何かあったか?」
「せ、先輩は関係ありません。関係ありませんけど……」
急にどうしたと言うのか。姫川の調子がおかしいのに、その原因が分からなくて狼狽えるしかない。
学校内でも、学校外でも、姫川と接点は持っていない。問題があるとすれば、出会って二日目の教室前の件しか考えられない。姫川が完全に俺の名前を呼んでいて、それに気付いた誰かに何かされたのだろうか。
「姫川、本当に、俺のせいで何かあった訳じゃないのか? 俺に対して意地張っても、姫川に得はないぞ」
「……………………」
沈黙する電話を持って、俺が原因で姫川が被る可能性のある不利益を考える。今の会話の中で、ヒントになりそうな情報がなかったか、必死に姫川の言葉を反芻する。
しかし、いくら思案しても姫川の不調の原因は分からない。焦る気持ちを、深呼吸一つで落ち着かせる。
「姫川、お前が協力してくれるって言ってくれたのはありがたいけど、やっぱり俺に関わらない方が――――」
「嫌です。私は……私のために、先輩が今抱えている問題を解決する手伝いがしたいんです」
静かに、電話が沈黙を破る。硬度のある声だった。
「私のためにって、どういう意味だ?」
俺の今抱えている問題を解決して、姫川に得する事などあるのだろうか。
「先輩、ちょっとだけ、私の……友達の話を聞いてもらえませんか」
「姫川の友達の話?」
「はい。あくまで、私の友達の話です。実在する人物、団体、事件等とは一切関係ありません」
「その姫川の友達、実在していないことになるだろ」
「もう、細かいことはいいんです。とにかく、私の友達を、仮にAちゃんとします。Aちゃんは、容姿端麗、頭脳明晰、性格も良くて器量好しな中学二年生です」
「容姿端麗と器量好しは、ほとんど同じ意味だ」
「……で、そのAちゃんが中学二年生になったばかりの頃の話です」
終には俺を無視して話し始めた。