第三話 セカンドコンタクト
第一印象から、変な奴だとしか思わなかった。
学内外に流布されている悪評で、生徒はおろか教師も寄り付かない俺に、第一声で「やっと見つけた」と宣い、積極的に交流を計ってくる変な奴。
姫川舞衣を説明するのであれば、こんな所だろう。
偶然居合わせた引っ手繰りの現場で、考えるより先に足が出てしまい、結果的に恩を売ってしまった。
そこまでは我慢する。俺にも落ち度はあった。しかし、だ。
「八王子先輩、おはようございます」
「…………」
翌朝、二年生の教室まで待ち伏せていた姫川に、満面の笑みで挨拶された時には度肝を抜かれた。
俺の悪評は、一年生にも伝播されているはずであり、俺と関わり合いになることが、学校生活でどれだけ深刻なマイナス要素になるかなど、誰にでも分かる。女子生徒なら尚更だ。
辛うじて、驚きを表情に出さずに、姫川の前を素通りした俺は、そのまま他人の振りをして廊下を突き進んだ。いや、昨日偶然顔見知りになっただけだから、他人そのものなのだが。
廊下を突き進み、屋上を目指して階段を上る。始業時間が近いので、擦れ違う生徒も疎らだが、その全員が俺に気付くと顔を背け、道を開ける。これが常識人の反応のはずだ。
今となっては感慨もない、無味無臭の光景を尻目に、最上階まで辿り着き、錆びて嫌な音のする鉄扉を開けて屋上へ出た。屋上は基本的に解放されているが、流石にこの時間に居る不良生徒は俺だけだった。
「はあ……。今日の一時限目は出るつもりだったんだが……まあ、仕方ないか」
「本当ですよ。私、これでも優等生で通ってるんですよ。先輩のせいで人生初のサボりになっちゃったじゃないですか」
「なっ!?」
背後から声がして、今度は心臓が口から飛び出すかと思った。
始業を知らせるチャイムが鳴る中、背後を振り返ると姫川が不機嫌な顔で立っていた。
「お前……何で居るんだ」
「何でって、先輩が私を無視してこんな場所まで来るのが悪いんじゃないですか。今日日、小学生だってきちんと挨拶出来ますよ。それなのに、私の顔を見るなり逃げ出すってどうゆうことですか」
「いや、そうじゃないだろ……お前、いいから自分の教室に戻れ。今ならまだ授業には間に合うだろ」
「お前じゃないです。姫川舞衣です。昨日、ちゃんと自己紹介しましたよね。先輩はお馬鹿さんですか。しかも、こんな美少女を覚えられないなんて、先輩、もしかしてゲイですか」
「自己評価の高い奴だな……。いや、お前に興味ないイコール、ゲイって。極端過ぎるだろ」
「私、中途半端って嫌いなんです。オールオアナッシングです」
「日本じゃ生きにくい人生観だな。いや、そうじゃない。姫川、俺の悪評は聞いているだろ。明るく楽しい高校生活を送りたいなら、俺には一切関わるな」
「お断りします。私、先輩に興味があります。なので、私の興味が尽きるまで先輩はモルモットになってもらいます。良かったですね、先輩。私みたいに可愛い後輩に興味持たれるなんて、先輩の高校生活は薔薇色ですね」
「モルモットって聞いて喜べるほど、俺は人間捨ててないんだ。悪いけど、お引き取り願う」
「それに、先輩と一緒に居るところを他の生徒に見付からなければ、私の高校生活に支障はありません。それを見越しての屋上ですから」
「……さっき、二年生の教室の前で俺に挨拶した時は、俺が他人の振りしなかったらアウトだったぞ?」
「え……あっ」
一瞬考えて、姫川が言葉に詰まる。どうやら、俺を捕まえる事優先で、その他の対応を考えていなかったらしい。
「そ、そこは、先輩に弱みを握られて仕方なく一緒に居たって言えば……」
「今更、俺の悪評が一つや二つ増えても気にしないが、出来ればやめてくれ」
「もう、いちいち細かいですね先輩は! とりあえず、現状は何とかなってるんだからいいじゃないですか。もうっ」
もう、が口癖らしく、口を尖らせる姫川。
あまり追及してやるのも可哀想か。姫川の用事を済ませてやって、早急に追い返そう。
「それで、ここまで追いかけて来た用事って何だ?」
「え、あ、いいんですか?」
俺が急に態度を変えたからか、不審がる姫川。わがままな奴だ。
「要件が済めば授業に戻れるだろ。それに、変に禍根を残しても嫌だしな」
「先輩、やっぱり私の魅力にメロメロですね?」
「それは無いから安心しろ」
「じゃあ、やっぱり先輩はゲ――――」
「その件はもういい。話が進まない」
手短に済ませたかったので、姫川のボケを先に潰しておく。不満げに膨れる姫川。
「もう。先輩はノリが悪いですね。まあ、いいでしょう。心の広い私が許してあげます」
いちいち先輩を見下す後輩である。俺は気にしないからいいものの、他の先輩に対しても同じ態度で反感買っていないといいのだが。
そんな俺の心配など露知らず、重大発表します、とでも言いたげに胸を張る姫川。
「私、先輩の悪評の真相を、先輩に直接聞きたいと思ったんです」
「……へえ」
姫川の発言を聞いて、その真意を測りかねる。姫川がそれを知って、一体どうしたいのか。姫川にどんなメリットがあって、俺にどんなデメリットがあるのか。
「あ、先輩のその顔、私に裏があると思ってますね。まあ、先輩が私を信じるか否かは、先輩の自由ですけど、私は純粋な疑問を解消したいと考えているだけですよ」
「と、言われてもな。信じる要素は何一つ無い訳だ」
「今まで、私みたいに先輩の悪評の真偽を確かめようとした人は居ませんでしたか?」
「何人か、居たな。全員が、俺が悪人の方向に賭けて、何人かで勝負している連中だったから、適当にあしらって追い返したけど。そして、今のところ、お前のその類だと思ってる」
「先輩ひどーい。こんな美少女が、そんな悪意を持って先輩に近付いて来るわけないじゃないですか」
「いや、悪意以外の理由で近寄って来る奴の方が珍しいと思うが……」
「とにかく、私は先輩の悪評が、ただの言い掛かりに思えて仕方がなかったので、その疑問を解消するために先輩を探しましたし、今日はここまで追いかけて来ました。これが唯一無二の真実です」
真剣な眼差しを向ける姫川と、しばし見つめ合う。
姫川のここまでの言動全てが芝居であると仮定して、何らかの悪意を持っていると仮定して、この学校で最底辺の地位を欲しいままにしている俺に、これ以上失う物があるだろうか。
金銭を要求されるなら、最悪の場合武力行使で対処出来るだろう。
新しい悪評を広められても、大勢に影響はないから放置しておけばいい。
それよりも、直感が、姫川が本心で俺と話していると告げる。嘘偽りで、この表情を作れるのであれば、姫川の演技力が一枚も二枚も上手だったのだと、諦められるだろう。
あとは、単純に、嬉しかった。
全てがでっち上げの噂話を聞いて、同級生は全員が俺から離れて行った。空手部の仲間や先輩も離れて行った。この学校に、俺の味方をしてくれる人は居なかった。
だから、誰にも一切の期待をせず、俺が周囲に距離を置いた。一人で、全校生徒と全職員に勝負を挑むことにした。噂話の発生源の人物の目的が、俺に空手を止めさせることか、あるいは退学に追い込むことだろうと見当をつけた。だから、孤立しても、空手も学校も継続する。
そんな孤独な勝負の中で、初めて味方になってくれるかも知れない人物が現れた。
実際には騙されているのかも知れない。それでも、俺にとっては嬉しいハプニングだった。だから、本当は柄にもなくはしゃいでしまっていたのかも知れない。
一つ、大きく深呼吸して、姫川から視線を外す。
「俺の話を聞いても、面白くもないし、姫川の期待外れかも知れないぞ」
「いいですよ。私は、先輩の本当の話が聞きたいだけですから」
姫川は、期待に瞳を輝かせて、嬉しそうに頷く。
「……本当に、お前は変な奴だな」
「こんな可愛い後輩を捕まえて、言うに事欠いて、変な奴とか言う先輩、サイテーです」
「まあ、俺のつまらない話でも、聞きたいって言うなら、話してやるよ」
そう前置きした俺は、本当につまらない噂話のネタ晴らしを始めた。
ここから、この小生意気な後輩との不思議な交友関係は始まった。