第二十五話 暗躍する狸の尻尾
拍子抜けする程あっさりと、峰岸部長は見付かった。
こればかりは、『姫川舞衣を見守る会』のチームプレーが見事だった。
俺が巻き込まれた茶番劇に居合わせた会員が、メッセージアプリで全会員に「峰岸部長を探せ」と言う指令を送信した。
間もなく、俺から逃げた後の峰岸部長の目撃情報が寄せられ、目撃時間と場所を整理すると、運動部の部室方向へ逃走したと推測された。
峰岸部長捜査網の作戦本部となったこちら側の会員は、間髪入れずに、各運動部の部室が入っているプレハブ二階建ての建物、通称「部室棟」を包囲するよう指示を飛ばした。
俺達が部室棟に到着する頃には、部室棟の四方に五名ずつ、合計二十名の会員が部室棟を包囲していた。
まるで、籠城する犯人を包囲する機動部隊だった。
俺達の到着に気付いた機動部隊の一人が、駆け足で近付いて来た。
「副会長、やはり、峰岸部長は男子ラクロス部の部室に逃げ込んだ様子です」
本人達も気分が乗っているのか、敬礼してから現状報告を始める。
あまり興味が無かったが、今、俺の隣に居る同じクラスの男子生徒が、『姫川舞衣を見守る会』の副会長を担っているらしい。
「了解した。部室の鍵は?」
「副会長! 男子ラクロス部の部室の鍵を借りて来ました!」
校舎の方向から、一年生と思しき男子生徒が、鍵を持って走って来た。
副会長は鍵を受け取ると、大袈裟に頷いて見せる。
「よし! 準備は整った! では、八王子隊員!」
「お前の部下になった覚えはない」
「乗りが悪いな。ここは空気を読めよ」
真っ当な反論をしたのに、まるで俺が悪いような言い方をされた。
「こほん。では気を取り直して。八王子隊員! 峰岸先輩は、男子ラクロス部部室に立て籠もっていると思われる! 君の任務は、ネゴシエーションだ! 峰岸先輩に、無駄な抵抗は止めて、投降するように言って来てくれ!」
「何で俺が。他にも大勢居るんだから、俺じゃなくてもいいだろう」
「何言ってるんだよ。下手に刺激して、暴れられたら手に負えないだろう。そのために、八王子の協力が必要だったんだから。ほら、鍵!」
無理矢理に部室の鍵を押し付けてくる。
要するに、危ないかも知れないから、誰も行きたくないらしい。
ちなみに、各部室の鍵は職員室で保管している物の他に、各部長がスペアキーを一つ持つことになっている。峰岸部長は、そのスペアキーで部室に逃げ込んだのだろう。
「……まあ、峰岸部長には、聞きたい事があるしな」
当初の目的を思い出し、渋々、鍵を受け取ると、部室棟に向かって歩く。
「健闘を祈る!」
その場にいた副会長以下数人が、戦地に赴く隊員を見送るように、横一列に整列して敬礼をしてくれた。
その場の空気に馴染めていないため、恥ずかしいので止めて欲しかった。
事情を知らない一般生徒も大勢居て、何事かと奇異の視線を向けられるのも嫌だった。
部室棟は先に述べた通り、プレハブ二階建ての建物だ。一ブロック一部屋のプレハブを積木の要領で二段重ねにして、L字型に並べてある。
一階が男子運動部、二階が女子運動部に区分けされている。両端に外階段があり、L字の内側に外廊下がある。一応エアコンが完備されているが、断熱性能が脆弱なために、あまり効果は上がらないらしい。夏はサウナと化し、冬は冷蔵庫と化す。
時折、抜き打ちで部室の清掃状況や整理状況の点検が行われ、その度に、漫画本やら携帯ゲーム機やらが押収されていると聞いている。
男子ラクロス部の部室は、一階の、校舎から一番遠い部屋だった。
ドアの前で耳を澄ませても、中に人が居るかどうかは判別できなかった。本当に峰岸部長が居るのだろうかと、今頃疑い始めるが、直接確かめた方が早いかと考え直し、少し強めにドアをノックした。
「峰岸部長、そこに居るのは分かっているので、大人しく出て来てください!」
返答は無し。
ただし部屋の中で、人が動く物音がした。どうやら、本当に居るらしい。
「さて……。どうするか……」
手の中にある部室の鍵に視線を落とす。
この鍵を使ってドアを開けるのは簡単だ。その後、中から峰岸部長が躍り出て来ても、制圧は簡単だろう。
とは言え、事を荒立てる必要は無いので、峰岸部長が自主的に部屋の外に出て来てくれると有難いのだが。
「付け加えておくと、姫川のファンクラブの連中も峰岸部長に用があると言って、部室棟を包囲していますから、逃げられませんよ」
「なっ!? 寝返ったのか、アイツら!」
部室内から、峰岸部長の驚いた声が聞こえた。
「いや、詳しい事情は知りませんが、峰岸部長が、ラクロス部部長の地位を濫用しているとか言っていましたが」
「え、冤罪だ! 俺は別に、濫用なんかしていない! べ、弁護士を呼んでくれ!」
「乗りがいいな、どいつもこいつも……」
順応性の高さに感心してしまう。
それとも、普通はこういう乗りになるのだろうか。
「そっちの件は、俺には関係ないので、ファンクラブの連中に言ってください。俺が峰岸部長に聞きたいのは、今朝、俺の下駄箱に投函されていた脅迫文モドキの件です。
単刀直入に聞きますが、この手紙は峰岸部長が作った物で間違いないですね?」
「知らん!」
「筆跡を調べれば、すぐに分かりますよ?」
「何言ってんだ! 新聞の切り抜きだから、筆跡なんて調べられねぇだろ!」
「そうですね。まあ、峰岸部長が、手紙の内容を知っている事が分かったので、その必要もありませんが」
「……あ」
「毎度毎度、安い手に引っ掛かってくれて助かります」
「ゆ、誘導尋問なんて、卑怯だぞ! 八王子!」
「敵前逃亡は卑怯じゃないんですか?」
「…………」
そもそも、裏でコソコソと動き回る峰岸部長に、卑怯だと言われる筋合いはない。
しかし、沈黙するドアを眺めながら、少し追い詰め過ぎたかなと反省する。
そもそも、ネゴシエーターは、相手を追い詰めてはいけない。お互いの納得がいく、妥協点を探るのが役目なのだ。
思考が脇道に逸れてしまってから、俺も随分乗りが良いじゃないか、と自嘲気味な笑みが浮かぶ。
姫川の影響だろうか。
一つ、深く息を吸って吐き、当初の目的は何だったのか思い出す。
「峰岸部長。俺は別に、この手紙の内容はどうでもいいんです。峰岸部長に聞きたかった事は、別にあります」
「何だよ……」
「峰岸部長か、その共犯者は、俺と姫川、どっちを尾行しているんですか?」
「…………」
またしても沈黙するドア。
そう、問題は、峰岸部長なりその仲間が、俺を尾行しているのか、姫川を尾行してるのか。
俺を尾行している分には、姫川に直接被害は無いだろうから、そこまで問題視するつもりはない。
でも、もし、姫川を尾行しているのであれば、即刻止めさせようと考えている。
「峰岸部長、答えてもらいますよ。黙秘するなら、姫川に、峰岸部長がストーカーかも知れないと話します」
「な、ま、待ってくれ! 違う! 俺は、お前の監視役だ! 姫川のストーカーなんかしていない!」
「へえ……『俺は』?」
「うっ……」
「監視役と言うのは、どういう事ですか? 誰の差し金で、俺の監視役なんかやってるんですか?」
じわり、と嫌な予感が足元に這い回る。ここで、峰岸部長が姫川のストーカーをしていないと分かれば、一段落だと思っていた。
しかし、峰岸部長の不穏な発言で、今回の件は嫌な展開を見せるような気がする。
峰岸部長は、『俺は』八王子陸の監視役だと言った。
裏を返せば、『別な誰か』は、姫川の監視役をやっている事になる。
「俺だって、好き好んで監視役なんかやってる訳じゃない!」
「嫌なら断ればいいじゃないですか」
「そんな事、お前に言われなくても分かってる!」
「峰岸部長、俺の質問に答えていませんよ。誰の差し金ですか?」
そもそも、峰岸部長に俺を監視させて、得をする人物が思い当たらない。
それは、姫川に関しても同じことが言える。
突然、ガチャリ、と目の前のドアが開いたので、身構える。
中から顔を覗かせた峰岸部長は、左右に素早く視線を巡らせると、
「分かった。全部話すから、中に入ってくれ」
部室の中には、峰岸部長以外に誰も居ない様子だった。
一応、罠の可能性も警戒する。
「分かりました」
峰岸部長が先に奥へ進み、続いて俺も靴を脱いで部室に入る。
部室内は、意外にも整理整頓されていた。
空手部の部室は、体育館横の武道館にあるため、部室棟に足を踏み入れるのは初めてだった。
壁も床も天井も、白っぽい塗装で統一されているせいで、病室のような印象を受ける。
入り口の横と、奥の壁には腰高の引き違い窓があって、換気と採光の役割を担っている。
壁際には、縦四段の蓋の無い棚がずらりと並んで居て、各部員の私物が雑然と詰め込まれている。
「話をする前に、何人か呼びたいんだが、いいか?」
「それは、今回の件の関係者ってことですか?」
「ああ、そうだ。俺の話だけだと、信じてもらえるか分からんしな」
「分かりました。呼んでください」
「じゃあ、適当に座って待ってくれ」
言われたので、入り口付近の床に胡坐をかいた。
峰岸部長は立ったまま、スマートフォンで誰かにメッセージを送っていた。
仲間を呼んで、俺を袋叩きにするつもりだろうか。
と考えたが、峰岸部長の顔には、諦めの色が濃い。
メッセージを送り終えた峰岸部長が、俺の対面に、少し離れて座る。
「部活をやってる奴も居るから、全員が集まるか分からない」
話し掛けられたのか、独り言なのか分かりにくい峰岸部長の言葉に、とりあえず頷いておく。
「なあ、八王子。その手紙の事は、姫川にも話しているのか?」
「いや。今のところは、姫川には害が無いと思って話していません」
手紙の中で、『天使』と称される辺り、姫川に対しては好意的なのだろうと判断したからだ。
「そうか。頼める義理じゃないのは分かってるんだが……姫川には、内密にしていてほしい」
「それは約束できません。これから聞く話の内容次第です」
「そうか……」
ガックリと肩を落とす峰岸部長。
世間話をするような間柄ではないので、峰岸部長との会話はここで途切れてしまい、居心地の悪い沈黙だけが二人の間に転がる。
峰岸部長は、先程のメッセージの返事が来るのか、間の抜けた電子音を聞くと、時折、スマートフォンを操作していた。
十分程、そんな状態が続いて、本当に誰か来るのだろうかと心配になり始めた頃、俺の横にある部室のドアが、ガチャリと開いて、三人の生徒が入って来た。
「峰岸先輩、来ました……。ひっ、八王子先輩!?」
先頭で入って来たのは、一年生らしき男子生徒だった。男子生徒は峰岸部長に挨拶して、すぐに俺の存在に気付くと、遠慮なく怖がった。
「忙しいところ、悪い。入ってくれ」
峰岸部長が促すと、一年生男子を先頭に、女子生徒が二人、合計三人が部室に入って来た。
三人は、俺を避けるように足早に奥へ進むと、峰岸部長の後方に整列した。
「あと二人居るんだが、部活で来れないんだろうな。返事も来ない」
峰岸部長が言うには、これで役者が揃ったということになるのだろう。
交友関係の希薄な、と言うか無いに等しい俺では、後から来た三人が何年生の誰なのかさっぱり分からない。
いや、男子生徒だけは、俺を『八王子先輩』と呼んだので、一年生なのだろう。
「とりあえず、適当に座ってくれ。話は、俺がする」
後ろに立っている三人に座るよう言って、峰岸部長が居住まいを正す。
「あと二人、全部で六人。男子三人が八王子、女子三人が姫川の監視役として、基本は休日に、交代で監視をしている。まあ、監視と言ってもプロの探偵じゃないから、途中で見失う事も多いんだが……」
ここには、峰岸部長を含めて男子生徒が二人、女子生徒が二人居るので、来ていない生徒は男女一人ずつか。
「それで、八王子の質問への回答なんだが……」
「俺達は、冠木校長に言われて、八王子と姫川の監視をしている」
俺の脳裏に、丸っこい狸の尻尾が横切った。
峰岸部長は続けてこう言った。
「俺達は全員、冠木校長に弱みを握られていて逆らえないんだ」




