第二十三話 身の回りの諸問題(3)
日常生活にゆとりがないと、妄想が膨らまない。
迎えた放課後。
普段なら真っ直ぐ部活へ向かう所だが、今日は少しばかり用事が出来たので、三年生の教室に向かう。
昼食時に駒村主将から聞き出した情報は、思いがけずに有用だった。
男子ラクロス部の峰岸部長は、昨日の夜、駒村主将に対して「八王子と姫川が二人で出掛けているのを目撃した」という連絡をした。
誰かから、「八王子達を見た」と聞いたのではなく、本人が目撃したと語った。
そこで俺は、今朝、自分の下駄箱に投函されていた手紙を思い出す。
手紙の内容は、予想通り、姫川と一緒に居た事への抗議と、裁きを下すという脅迫染みたものだった。
この手紙を俺に送り付けて来た人物は、恐らく、昨日の段階で俺と姫川の行動を知り、手紙を作成し、今朝持って来たのだろう。
朝早く学校に来て、誰かから話を聞いて、手紙を作成したと考えると、いくら俺の登校時間が遅い方だとしても、時間的に無理がある。
第一、それだと文字を切り貼りするための雑誌やら新聞やらを準備出来ない。そんな物を、普段から持ち歩いている奴は、まず居ないだろう。
よって、峰岸部長がこの手紙を作成した張本人か、少なくとも関係者であると見込んだ俺は、真偽を確かめるために峰岸部長に話を聞きに行こうと決めたのだ。
気の短い峰岸部長が、正直に話してくれるかは分からないが、日常の諸問題の一つが解決するかも知れない好機だ。これを逃す手はない。
手荷物をまとめ、通学用鞄を持ち、教室内に残って談笑しているクラスメイト達を横目に眺めながら廊下に出る。
今日、ラクロス部は休みであることを、先に姫川から聞いている。
問題は、部活動が休みの場合の峰岸部長の行動パターンを一切知らない事と、駒村主将から昼休みの経緯を聞いている場合に何らかの対抗措置を準備されていると面倒な事だ。
「まあ、兎にも角にも、采は振ってみなければ分からないか」
そんな独り言を呟きながら、廊下を進む。
三年生の教室を尋ね、峰岸部長が既に帰路に着いているのであれば、追跡してみる。幸い、駒村主将の連絡先は聞いているので、空手部は休むと連絡できる。
部活動に向かう多くの生徒が、自然と自分を避けて歩くのを尻目に、階段を上り、三年生の教室へ到着した。
教室の入り口付近に居る見知らぬ上級生に声を掛けるか迷ったが、頼まれる上級生も気の毒かと思い、自分でやることにした。
三年一組の教室には、まだ多くの上級生が残っていた。
俺は教室の出入口に立ち、声を張った。
「ラクロス部の峰岸部長に用があるんですが!」
突然現れた俺に、教室に残っていた上級生全員の注目が集まる。
丁度良いので、こちらに向いた顔の中から、峰岸部長の顔を探す。
教室の隅で素早く動く物体に気付いたのは、多分、その可能性が一番高いと予測していたからだろう。
俺は、教室の反対側の出入口に向かって動いたが、それよりも相手が教室から廊下に転がり出て来る方が早かった。
「峰岸部長!」
「まずい、バレた!」
教室から転がり出た峰岸部長は、俺を一瞬だけ振り返ると、廊下を反対に向かって駆け出す。
一瞬遅れて、俺も峰岸部長の後を追う。
「峰岸部長! 逃げるって事は身に覚えがありますね!」
「知らない! 俺は何も知らない!」
「それなら、言動を一致させてください!」
「こ、これはただのランニングだ! 部活の練習だ!」
「秒でバレる嘘を言わないでください!」
騒ぎながら廊下を進み、階段に差し掛かったところで峰岸部長が一段飛ばしで下るのを、同じように追う。
突然、階段から転がり下りて来た俺達に、廊下を歩いて居た生徒達が驚いて道を開ける。
そして、二年生の教室が並ぶ二階の廊下を、峰岸部長を追って半分程進んだ辺りで、それは起こった。
「峰岸先輩!」
「ここは俺達が足止めします!」
「峰岸先輩は、逃げてください!」
二年生の教室の一つから、俺と峰岸部長の間に男子生徒が三人、割って入る。
広くない廊下に横一列に並ばれると、通り抜ける隙間が無いので、慌てて立ち止まる。
そして何故か、三人の向こう側で峰岸部長も立ち止まっていた。
「お前ら、プランAだ!」
峰岸部長が、壁になっている男子生徒達に指示を出す。意味不明だが、事前に打ち合わせ済みらしい。
俺はその様子を眺めながら、三人の男子生徒の顔に見覚えがある気がするので、自分の記憶を掘り返す。
「了解しました!」
「同志のピンチは、自分のピンチ!」
「コイツは俺達が食い止めます!」
「……出来れば、手荒な真似はしたくないから、退いてくれないか?」
感動的なシーンなのか、漫才なのか分からないが、状況整理のために四人の会話に割り込む。
自然な流れで悪者扱いされることには、悲しい事に慣れているので言及しない。
三人の男子生徒は、敵意を前面に押し出し、俺に向かって一歩踏み出した。
「八王子! 峰岸部長には手出しさせねえぞ!」
「お前がどんだけ強いか知らねえけど! 三対一で勝ち目なんか無いからな!」
「前からお前にはムカついてたしな!」
「大体、何でお前なんかが姫川さんと仲良いんだよ! ふざけんな!」
「そうだ! 学年も部活も違うくせに、どうやって接点持ちやがった!」
「俺達に断りもなく仲良くなりやがって! 調子乗ってんじゃねえよ!」
「俺なんか、姫川さんの通学路で待ち伏せて、やっと挨拶出来るんだぞ!」
「姫川さんに名前を覚えてもらっただけでも感動で震えるんだぞ!」
「お前には、あの天使のような尊さが分からないのか! 絶対不可侵が鉄則だろうが!」
「姫川さんの方が、教室の前でお前を待っているなんて、この罰当たりが!」
「平然と会話してんじゃねえよ! 少しは俺達に遠慮しろよ!」
「挙句の果てには、で、デートまでしやがって! 手回し早過ぎだろ!」
「峰岸先輩からその話を聞いた俺達のショック! お前に分かるか!」
「彼女は俺達の青春に残された唯一の希望なんだよ! 畜生!」
「積もり積もった恨み、今日ここで晴らしてやる!」
「全部、単なるやっかみだろう」
「「「うっ……」」」
一蹴する。
聞いて居て、情けなくなってきた。
「あと思い出した。見覚えがあると思えば、同じクラスの連中じゃないか。常日頃から俺に敵愾心向けているエネルギーがあるなら、姫川と仲良くなる方法に使った方が効率的だろう」
「それが出来たら苦労しねえよ! バーカ!」
「アイツ姫川さんを狙ってるぞって、噂になるだけで恥ずかしくて死ぬわ! 阿保!」
「そもそも、俺みたいな凡人が姫川さんに相手にされる訳ねえだろ! 間抜け!」
「姫川さんは疎か、他の女子からも相手にされねえよ!」
「部活も勉強も平均程度にしか出来ない俺達の苦悩が、お前なんかに分かるか!」
「せめて、見た目だけでも、もっと良く生まれて来たかったとか考えた事あるのかよ!」
「要するに、自分に自信が無いだけだろう」
「「「ぐっ……」」」
つくづく救いようの無い奴らだ。
三人揃って、俺に少し反論されただけで言葉に詰まる。
「俺が姫川と仲良くなるのは許せない。でも、自分達に自信が無いから、姫川と親睦を深める努力はしない。ただの我儘じゃないか」
俺は大きく溜息を吐き、それから、吐いた溜息以上に空気を吸い込んだ。
「甘ったれるのもいい加減にしろ!」
三人組に向かって怒鳴りつけた。
突然の大声に面食らった三人は、俺の声に驚いて一歩後退した中途半端な姿勢で硬直した。
怒鳴ってしまってから、果たして俺の怒りの源泉は何だったのかと、頭の片隅でもう一人の自分が考える。
目の前の三人が、余りにも情けないからか。あるいは、姫川を良く知りもしない人間から、知ったような事を言われたからか。
仮に後者だった場合、俺は相当に『痛い』言動をしているのかも知れないが、今となっては後の祭りだ。
兎に角、俺は目の前の三人組に対して腹が立った。
しかし、ただ怒鳴り散らしては伝わる話も伝わらないので、波立つ感情を抑えながら、言い聞かせるように俺は話した。
「黙って聞いていれば、さっきから何だ。姫川の事を、天使だとか持て囃すくせに、結局は、姫川の上っ面ばかり見て、勝手な想像押し付けているだけじゃないか」
俺の悪口や陰口なら、いくらでも聞き流せる。だが、姫川を悪く言う事は我慢ならない。あいつは、俺の大事な後輩かつ友人なのだから。
「一回でいい。きちんと姫川と話してみろ。あいつは、見てくれが良いとか悪いとか、頭が良いとか悪いとか、そんな狭い尺度で他人を判断する奴じゃない。
少なくともお前ら、俺と同じ位の期間は姫川のこと見ていたんだろう? それなのに、どうしてそんな事も分かってやれないんだ。お前らの勝手な思い込みで、姫川を低く見積もるな。
姫川は、学校中の誰も彼もが避けて通る俺を、他人から聞いた噂話で悪人と決め付けないで、きちんと面と向かって話に来てくれた。優しい上に、芯の通った良い奴だ。俺は、姫川の友人である事を誇りに思っている。
だから、姫川と真っ当な付き合いもしていない癖に、勝手に姫川の人間性を低く見積もるな。俺が許さない」
何を偉そうに語っているんだ俺は、と自嘲する脳内の自分の声を聞きながら、周囲に集まっていた野次馬連中に向き直る。
こうなれば半分は自棄だ。
「この際だから言っておく。お前らも同じだ。実害の無い噂話を広める程度なら大目に見てやる。俺について悪口を言おうが陰口を言おうが、好きにすればいい。ただし、度を越して姫川に迷惑をかけるような、下らない真似をする奴は、俺が許さない。覚えておけ!」
ぐるりと周囲の野次馬生徒を見回し、最後に三人組を向く。
「「「お……押忍!!!」」」
すっかり毒気を抜かれた三人組が、真面目なのか不真面目なのか分からない返事を寄越した。
周囲の野次馬からも、謎の拍手が鳴り始める。
そして、当然、峰岸部長を見失った。
何をやっているんだ、と脳内でもう一人の自分が呆れ返っていた。
「そうか……八王子。お前の気持ちはよく分かった」
「我ら、『姫川舞衣を見守る会』は、今日までお前を、姫川さんを毒牙にかけんとする不埒者だと思っていた」
「排除するべき害虫だと思っていた。でも、今の話を聞いて分かった。俺達は、誤解していたらしい」
「……は?」
三人組が、急に友好的な笑みを浮かべて歩み寄って来る。
後退して距離を取ろうと思ったのだが、野次馬の中からも複数人の男子生徒が近付いて来る。完全に挟み撃ちだった。
活路を開く方法は、武力行使しかないかと迷うが、前からも後ろからも敵意を感じない事に気付く。
手の届く距離で立ち止まった三人組の真ん中が、馴れ馴れしく俺の肩に手を置く。
「お前も、こっち側の人間だったんだな」
「……何の話だ?」
「今、お前が俺達に語った、姫川さんに対する愛。俺達は感動した」
反対側の肩にも、馴れ馴れしく手を置かれた。
「八王子。今日からお前も同志だ!」
最後には、勝手に腕を掴まれ、強制的に握手をさせられた。
駄目だ。話の展開に置き去りにされている。
「我ら『姫川舞衣を見守る会 会員番号二百番』として、お前を認めよう」
「新たな同士の誕生だ!」
両肩から手が離れたかと思えば、握手をさせられていた手を、今度は高々と掲げさせられた。まるで、ボクシングの判定勝ちを受けたような格好だった。
「「「「うおぉーっ!!!!」」」」
周囲から、謎の雄叫びと歓声が湧き上がる。
状況はいまいち飲み込めないが、面倒事が増えたことだけは理解した。
「諸君、この機会に、予てからの懸案事項『峰岸先輩はラクロス部部長の地位を濫用し過ぎ』案件について、峰岸先輩の追及を行いたいと思う」
俺の右腕を掲げている男子生徒が、周囲の仲間らしき男子生徒達に高らかに宣言する。
「「「「異議なし!」」」」
謎の盛り上がりを見せる男子生徒達が、ざっと二十人。いや、盛り上がるのは一向に構わないが、この構図だと俺も巻き込まれてしまう。
確かに俺は、峰岸部長には用事があるのだが、この謎の組織の一員としてではない。
「峰岸先輩には、我らの不文律『抜け駆け禁止』を、ラクロス部部長と言う立場を利用して違反している疑いがある!」
「今までは力関係で劣るために、追及出来なかった。だが!」
「この八王子が、こちら側に付いてくれるなら話は別だ!」
「いや、俺はお前らの仲間になるとは一言も……」
「善は急げだ! 峰岸先輩を捕まえるぞ!」
「「「「うおぉーっ!」」」」
民族大移動を彷彿させる、『姫川舞衣を見守る会』の移動。
俺は両腕をホールドされ、背中を押され、逃げる事も出来ずに巻き込まれてしまった。




