第二十一話 身の回りの諸問題(1)
2019.8.18 誤字訂正
昨日は、忙しいなりに充実した休日だった。
あの後、姫川と合流し、当初の予定通りに昼食を済ませ、結局気が利いた父の日の贈り物を考え付かなかった俺は、ネクタイピンを買うことにして、姫川に選ぶのを手伝ってもらった。
夕食は母親と一緒に、父親の好物ばかりを作るのだと息巻いていた姫川。
午後四時には帰宅したいと言う姫川の希望通り、午後三時には帰路に着き、俺の方が先に電車を降りて解散となった。
そんな事をぼんやりと考えながら、俺は月曜日の通学路を歩いて居た。
小雨の降る月曜日ともなれば、憂鬱な気分になりそうなものだが、気分は随分晴れ晴れとしていた。
同じ方向へ歩く生徒達は、一様に雨模様の空を恨めしく見上げる。
そんな光景を尻目に、普段通り登校を済ませ、下駄箱を開けると、
「…………はあ、またか」
姫川と知り合って以降、不定期に下駄箱に投函されている茶封筒が上履きの上に鎮座しているのを発見してしまった。
ここ二カ月の間に、通算五通。
宛名も差出人も表示は無いが、俺の下駄箱に入っているので俺宛で間違いないだろう。
ついでに言えば、手紙の内容が『姫川と仲良くするな』と言う主旨で一貫している上、俺が姫川と何かしらの接触を持った翌日に投函されるのだから、気分の良いものでもない。
今日の内容は、十中八九、昨日姫川と出掛けた事に対する苦情だろう。
詳細は分からないが、この学校内には姫川を『天使』と崇拝する団体が居るらしい。手紙の中で、姫川は『我らの天使』と称されている。
姫川には言っていない。姫川だって気分が悪くなるだろうし、それ以上に、
「うふふ。先輩が私のこと大好きなのは知ってますけど、天使って……。そんな、自作自演の手紙まで作って……あははっ」
こんな感じに小馬鹿にされる光景が目に浮かぶ。
今の所は姫川に被害は無い様子だが、どうにもストーカーに発展しそうで無視できない。
何か手掛かりがあれば、早期に解決しておきたい問題の一つなのだが、現状としては打つ手が見付からないのが悩みの種だった。
興味は無いが、仕方が無いので、手紙の内容は昼休みに確認すると決めて、鞄に仕舞った。
念のために上履きに異物が仕込まれていない事を確認してから靴を履き替え、湿気で滑り易くなっている廊下に注意しながら自分の教室へと向かった。
「あっ!? おいっ! 八王子先輩だ! 整列!」
「「「「押忍!!!!」」」」
嫌な奴らに見付かった
空手部の一年生五人が、俺を見付けるや否や、壁際に一列に並ぶ。そして、俺に向けて、
「「「「「八王子先輩、おはようございます!!!」」」」」
周囲の一般生徒が驚いて振り返るくらいの気合の入った挨拶と共に礼をして、その体制で俺が通過するのを待つのだ。
「……はぁ」
周囲の一般生徒まで廊下の端に寄って通路を確保するものだから、俺が通過しないと悪いような雰囲気が漂う。
これも、早期に解決しておきたい問題の一つだった。
いや、先輩として後輩に挨拶してもらえる事自体は嬉しいのだが、ここまで大袈裟にやられると逆に困る。
これではまるで、恐怖政治ではないか。
一年生連中には止めろと言っているのに、一向に止める気配が無い。
「……おはよう、玉城、馬場崎、兵野、兵部、安杖」
この状況になってしまった場合は、早々に通過してやる以外に方法がない。
しかし、嫌だとしても、後輩に挨拶をされて無視するのは、先輩として恥ずべき行為だ。
整列した順番に挨拶を返しながら、足早に通過して、後方で解散する気配を感じて安堵するしかなかった。
こんな状況を日常的に作っていることが原因なのか、高城顧問の一件が落ち着いた今でも、学校内外で生徒や教師が俺に積極的に関わってくることは未だに無い。
それを悲しいと思うのは、友人一号を買って出てくれる姫川に失礼だろうかと考えながら、教室に向かった。
高城顧問の件以降、居心地の悪さが薄くなったので、授業全般に真面目に取り組むようになった。学生の本分なのだから、当然と言われればその通りだろう。
クラスメイト達の反応は、無関心から大きく動いていない。
校内放送をジャックした後の数日間は、好奇の目を向けられて居心地が悪かったが、熱し易いものは冷め易く、一週間も経てば落ち着いた。
予想外だったのは、数人、挨拶を交わすようになったクラスメイトが居る。
少しずつではあるが、自分自身が他人に受け入れられ始めている実感があるのは、嬉しかった。
それから、こちらはあまり実感したくなかった事だが、少し気を付けてみると、男子生徒の一部から敵愾心を含む視線を向けられている。
直接問い質した訳ではないので、予想の範疇を超えないが、俺が姫川と親しくしている事を面白く思わない連中なのだろう。
空手部の駒村主将が言っていた「姫川の人気」とやらか。
俺に敵愾心を向けている暇がるなら、そのエネルギーを姫川と仲良くなる努力に燃やす方が、燃費が良いんじゃないかと思うのだが。
これが、姫川が良く言う「健全な男子高校生」の姿なのだろうか。
お陰様で、男子生徒の一部からは一方的に毛嫌いされている。
では、それ以外の生徒はどうかと聞かれれば、現状としては避けられていると答えるのが正解だろう。
本当の原因は知らないが、思い当たる理由は二つある。
一つ目の理由。
空手部の一年生(仮称、一年坊ズ)が勝手にやっている、俺に対する大袈裟な挨拶だ。
俺は何度も止めるように言っているのだが、一向に聞き入れる様子はない。いや、挨拶してもらえる事自体に文句は無い。
しかし、今朝のような光景を見た、事情を知らない他の生徒は、恐らくこう思うだろう。
「八王子が、一年生に恐怖政治をしている」
俺が逆の立場なら、可能な限りお近づきになりたくないタイプの人間だ。だから、これが原因で距離を取られてしまっているのでれば、仕方が無いので諦めよう。
何かの弾みで誤解が解けてくれることを願うばかりだ。
そして、二つ目の理由。
これもまた、空手部に関係する問題だった。
こらはこちらで、相手側に悪気が一切無いので始末が悪い。世間ではこれを「有難迷惑」と言うのだろう。
タイミングが良ければ、いや、悪ければ、今日も昼休みが始まると襲来するはずだ。
四時限目の授業が終わり、昼休みの長閑な空気が教室を満たす。
教室で昼食を摂っていると、どうにも周囲に気を遣わせてしまうらしいので、人の少ない屋上や中庭に移動するようにしている。
そんな長閑な空気を蹴散らすような、ドスドスという大きな足音が廊下から響き、教室内に緊張が走る。
談笑していたクラスメイト達が静まり返り、それを合図にしたかのように、教室の黒板側のドアが乱暴に開け放たれた。
「頼もう!!!」
静かになった教室に、野太い大声が轟く。
ここは道場ではなく教室なので、襲来したのは勿論道場破りではない。
襲来したのは、空手部の主将、駒村和也だ。家来のように、副将と中堅の三年生を引き連れている。
「八王子、さあ、昼飯奢らせろ!!!」
教室中の注目が俺に集まる。
勝手に駒村主将に俺の居場所を教えるんじゃない、と心の中で文句を言う。
俺は大きく息を吸い、大きな溜息を吐いた。




