第二十話 後輩の小さな嘘(後輩談)
大分、間が空いてしまいました。
「ねえ、ちょっと! さっきの彼氏、大丈夫なの?」
「大丈夫です、先輩は強いですから」
先輩と別れて走ること五分。一緒に走りながら、女性の問いに答えます。
虚勢や見栄ではなく、先輩があんな噛ませ犬みたいな二人組に負ける訳がないと本心から思っています。
先輩は彼氏ではありません、と否定するのを忘れましたが、見ず知らずの人に誤解されても困る事はないので訂正しないことにします。
「ほんのちょっとしか見なかったけど、もしかして、さっきの彼氏、八王子陸?」
「えっ!?」
「ぅわっ!?」
私が急ブレーキをかけて振り返ったので、後ろの女性が危なく私に追突するところでした。紙一重の所で女性が立ち止まり、私達は至近距離でお互いを向き合います。
女性は、明るいブラウンのショートボブが似合う、快活そうな印象の方です。吊り目気味な瞳のせいか、とても気が強そうに見えます。
「急に立ち止まってどうしたの? 危なくぶつかるところだったじゃない」
「そんな事より、先輩の事知ってるんですか?」
私が思わず一歩詰め寄ると、女性が二歩後退して、
「え、あ、まあ。陸とは同じ中学だったし。陸のことを先輩って呼ぶなら……あなたは一年生ね」
「……はい、そうです。姫川舞衣と言います。お姉さんは、先輩とどういったご関係ですか」
「舞衣ちゃんね。私は、玉城千尋。陸の二年先輩だから、舞衣ちゃんとは三つも違うのかぁ」
玉城千尋と名乗った女性は、何故か少し落ち込みます。
三歳年上ということは、彼女は高校を卒業し、大学生か社会人になっているということになります。
「それで、千尋さん。まだ、私の質問に答えてもらっていません。先輩とはどういったご関係ですか」
質問を繰り返してから、何故、私が千尋さんと先輩の関係性に拘るのか疑問を抱きます。
千尋さんは先輩と同じ中学校の出身だと言いました。だから先輩を知っている。
改めて質問しなくても良かったと反省しますが、発言を撤回する程でもないので、そのまま答えてもらおうと思います。
私に先輩との関係を問われた千尋さんは、左手を腰に当て、右手を顎先に当て、まじまじと私の顔を見つめて来ます。
「ふむ……。私と陸の関係か……。簡単なようで難しい質問ね。中学の先輩後輩って言うのはさっき喋った通りで、付け加えるなら、私は空手部のマネージャーだった、くらいかな? 答えになってる?」
「あ……はい。ありがとうございます」
「じゃあ、今度は私の番ね。舞衣ちゃんは、陸とどういう関係? 私のことを警戒するってことは……もしかして、今の彼女?」
今の彼女、という単語がやけに耳に残ります。まるで、先輩に前の彼女が居るような言い方です。
千尋さんの表情には、私の反応を楽しむような色が見え隠れしています。
「私に鎌かけようとしているなら、無駄ですよ。先輩とは親しい友人です。それ以下はあっても、それ以上はありません」
私は、あなたの魂胆なんてお見通しです、と含み笑いを浮かべます。
「ふ~ん、友人ねぇ。休日に二人でデートしちゃうような相手に、特別な思い入れが無いなんて、嘘にしか聞こえないけど」
対して、千尋さんは、聞き分けの無い子供に困る母親のような苦笑でこちらを見ます。
それが妙に鼻持ちならない感じがして、
「千尋さんがどう考えようと自由です。それを言うなら、先輩と一緒に居た私に『今の彼女』なんてワードを使って探りを入れてくるなんて、千尋さんの方こそ、先輩に特別な思い入れがあるように見えますけど。もしかして、千尋さん、先輩の昔の彼女だったりするんでしょうか」
思わず、言い返してしまいました。
私に言い返された千尋さんの頬が、一瞬だけピクリと引き攣るのを、私は見逃しません。
「……へぇ。初対面のお姉さんに向かって、随分生意気な口の利き方するわね。正に、陸の後輩って感じ。後輩の後輩ってことは、要するに、私の後輩みたいなもんよね。じゃあ、これから社会に出る前途有望な小娘に、お姉さんが親切丁寧コテンパンに教育的指導してあげようかしら」
分かり易く喧嘩腰になり始める千尋さんは、腕組みをしてこちらに一歩踏み込んで来ました。
形だけの笑顔を貼り付けた表情には、怒りマークが浮かんで見えます。
「お気遣い、痛み入ります。でも、その小娘にいとも容易く図星を指されて、お姉さんの鍍金が剥がれるような方に教わるような事はありません」
私は両手を腰に当て、真正面から千尋さんを見返します。一歩も退きませんと、態度で示します。
「本当に口の減らない子ね。大体、昔の彼女だなんて勝手に決め付けないでくれる? 他人に対する配慮とか敬意とか、身に付けないと、高校卒業してから苦労するわよ」
「私だって、今の彼女だなんて決め付けてほしくありません」
「…………」
「…………」
無言で睨み合う私と千尋さん。
しかし、それも長くは続きませんでした。
「…………ぷっ」
「…………ふふっ」
「あはははっ」
「うふふふっ」
同時に耐えられなくなって、私達は吹き出してしまいました。
「あははは。あなた、面白い子ね、舞衣ちゃん。うん、気に入ったわ」
「ふふふっ。私も、千尋さんみたいにはっきり物を言える人、好きです」
お互いに本気で言い合っていた筈なのに、今はもう打ち合わせた漫才を繰り広げた気分です。
不思議なもので、今の短いやり取りの間に、お互いがどんな人物なのか、分かり合えた気がします。
それが妙に可笑しくて、ついつい笑ってしまいました。
「ねえ、舞衣ちゃん。この後、まだ時間ある? あなたとは、もっとゆっくり話したいわ。何なら、陸の中学時代の話を教えてあげる」
「私も、千尋さんともっと話したいです。先輩の中学時代の話も興味あります。でも、今日はすみません」
「あ、そうだった。舞衣ちゃんは、陸とデートしてた途中だったわね」
「この後、先輩と合流してランチの予定なんです。良ければ、千尋さんも一緒にどうですか?」
「いいわね。じゃあ――――」
と話がまとまりかけたところで、千尋さんのスマートフォンから呼び出し音が鳴り響きます。
慌ててスマートフォンを取り出した千尋さんは、ディスプレイに表示された文字を見て、小さく「やばっ」と漏らしました。
「仕事の途中で抜け出して来たの忘れてたわ。ごめん、今度、ゆっくり話しましょう」
「分かりました。じゃあ、連絡先の交換してもらえませんか?」
「いいわよ、ちょっと待ってね……」
慣れた手付きでスマートフォンを操作して電話の着信を沈黙させた千尋さんと、お互いの連絡先を手早く登録します。
間髪入れずに、また千尋さんのスマートフォンが電話の着信を知らせます。
「はいはいはいはい、戻るって。じゃあ、舞衣ちゃん、後で連絡するからね。あ、あと、陸が私に気付いてなかったら、私と舞衣ちゃんが友達になった事、まだ内緒にしてもらっていいかな?」
「……はい? まあ、いいですけど」
どうして内緒にするんだろうと、疑問に思いましたが、何か面白い事を考えているのかも知れません。
「よし。じゃあ、またね」
手を振りながら遠ざかる千尋さんに、私はお辞儀を返します。
数歩離れた所で、千尋さんが電話に応答し、怒鳴られたのか一度耳からスマートフォンを離しながら、脇目も振らずに雑踏に消えて行く姿を見送りました。
「……あっ!?」
私としたことが、根本的な問題を解決していないことに気付きます。
「千尋さんが追いかけられていた理由を聞き忘れました」
まあ、次回会った時に聞いて挽回すればいいでしょう。過ぎたことは悩みません。
ただ、先輩に千尋さんのことを隠しつつ、合流した時に質問されるであろうことを回避する方法を考えます。
一先ず、先輩と合流すべく、来た道を戻るために歩き始めたところで、鞄の中のスマートフォンが振動していることに気付きました。鞄からスマートフォンを取り出すと、画面には『先輩』の電話着信表示。
困りました。まだ対策を立てていない状態で先輩からの電話に出る訳にはいきません。
先輩には悪いと思いながら、少しだけ電話を放置します。
一時的にとは言え、先輩に嘘を言うのは嫌ですが、後日きちんと説明して許してもらうことにしましょう。
私は、安直ですが、千尋さんには途中で逃げられてしまったというストーリーを即興で組み立て、粘り強くコールを続ける先輩の電話に応答することにしました。
「あ、先輩――――」
『姫川! 大丈夫か!?』
「え、あ、は、はい。大丈夫ですけど……どうかしましたか?」
切羽詰まった先輩の声に、驚いてしまいました。
電話に出るのが遅くなったせいで、心配をかけてしまったかと思うと、胸が痛みます。
『あ……いや、悪い』
先輩が落ち着きを取り戻して、私も気持ちが落ち着きます。
「そっちは終わったみたいですね」
『ああ、とりあえず。姫川達は、今どこに居るんだ?』
「えっと……」
電話を片手に、目印になりそうな建物等を探しますが、目ぼしい目印が見当たらず。
と言うか、大通りから奥まった道路に入ってしまったため、間違ってラブホテルが立ち並ぶ一角に来てしまっていました。
「言いたくありません」
『……は?』
「それどころじゃないんです、先輩! 逃げられちゃったんです」
話題を強引に変更するために、私は即興で組み立てたストーリーを始めることにしました。
『逃げていたのは姫川達だろう』
「だから、その一緒に逃げてた子に逃げられちゃったんです! 探してる間に、方向を見失いました」
『……おい』
電話の向こうで、先輩が呆れ顔になっているのが目に浮かびます。
「先輩は、今どの辺りに居るんですか? 私がそっちに向かう方が早いと思います」
『俺はまださっきの場所から大して移動してないな。来れるか?』
「先輩も移動してしまったとなると……ちょっと面倒ですね。一旦、駅まで戻りましょう。それなら確実に合流できます」
『分かった。駅まで戻る』
「はい。少し予定が狂いましたが、ランチにしましょう。私、お腹空きました」
『……そうだな。じゃあ、後で』
「はい」
あっさり電話を切られてしまいました。
私は、待ち受け画面に戻ったスマートフォンのディスプレイを見ながら、
「どうして先輩の電話って、事務連絡みたいなんでしょうね。もっとこう、可愛い後輩の声を聞き続けたいとか思わないんですか。毎度毎度、あっさり切っちゃうし。これは、教育的指導が必要ですね」
何はともあれ、気を取り直し、ランチに向けて私は軽やかな足取りで駅へと戻ることにしました。




