第二話 ファーストコンタクトについて 後輩談
私は昔から、人の輪の中心に居ることが多かった。
人付き合いも得意だったし、自分の容姿を整える努力もしてきた。友好の輪は積極的に広げて来たし、聞き上手にも話し上手にもなれる持ち前の才能もあった。
周囲からチヤホヤされたかった訳ではなかったが、結果として、自然と私の周りには人が集まるようになってくれたし、それを私も嬉しく思った。
第一志望の高校に推薦入試で合格し、同じ中学校出身の友達も多く、高校生活は順調な滑り出しを見せた。クラスにも早々と馴染み、以前から興味を持っていたラクロス部に入部し、同学年や先輩にも友好の輪を広げていった。
そんなある日。
「ねえ、姫川さん。二年生の八王子先輩の噂、知ってる?」
部活動が終わって、一年生数人で道具の片付けをしている時に、一人の女子が尋ねて来た。
「ううん、知らない。どんな噂?」
「あ、その噂、昨日先輩から聞いた」
「私も、別なクラスの子から聞いたよ」
私以外の一年生は、部活の先輩や、同級生経由で別な部活の先輩などから噂話を聞いていた。
「二年生に、八王子陸って空手部の先輩が居て、中学生の頃から全国大会の準優勝とかするくらい強くて有名な人なんだって」
「でも、去年、別な学校の人に因縁付けて喧嘩して、五人大ケガさせたんだって」
「それから、駅前でサラリーマンをオヤジ狩りして、警察に捕まったっていう話も聞いたよ」
「私は、先生を買収して成績の底上げさせてるって噂を聞いたの」
「他にも色んな問題行動を起こして、停学になったり、大会の出場が出来なかったり、警察に補導されたり、とにかく悪い人なんだって」
「怖いよね。でも、先生達を買収しているから、退学にならないんだって」
「皆怖がって、誰も話し掛けないし、授業にも出たり出なかったりしてるらしいよ」
「そんなに怖い先輩が、二年生に居たんだ。誰か、直接会ったことあるの?」
「ううん。私達は誰も会った事ない。会ったら何されるか分からないし、姫川さんも気を付けてね」
「うん。そうだね」
その日は、帰り道でも八王子先輩の話題になり、私としても学校中に流布されている悪い噂話を知る一人になった。
後になって思い返せば、切っ掛けなんて、こんなにも些細な日常会話だった。
それから私は、他の同級生や先輩方が、八王子先輩の噂話をしていると、自分でも知らない間に聞き耳を立てるようになった。空手部の同級生に話を聞く機会もあったのだけれど、八王子先輩は四月以降部活動に来ていないとの事だった。
一週間も過ぎると、私は学校内の八王子先輩に関する噂話を網羅してしまった。
偉そうに網羅と言っても、そもそも八王子先輩の噂話は数える程しか存在していなかった。
噂話その一。
去年の四月下旬。八王子先輩が入学して早々、隣町で他校の男子生徒五人組に、肩がぶつかったと因縁をつけて暴行し、全員を病院送りにした。それが原因で、八王子先輩は自宅謹慎処分となり、目前に迫っていた高校最初の大会に出場することが出来なかった。
噂話その二。
去年の夏休み。午後九時頃に、駅前で頭から流血しているサラリーマンが付近の交番に駆け込んできた。それを追って交番に入って来たのが八王子先輩で、あろうことか、八王子先輩はそのサラリーマンの財布が入ったビジネスバッグを持っていた。警察官は、強盗の疑いで八王子先輩を補導した。
噂話その三。
去年の秋。この頃から授業を欠席することが増えて来た八王子先輩だったが、中間テストで学年八位の成績だった事実が判明。カンニング等の不正行為が疑われ、生徒の間では教師を買収して成績の底上げを行ったのではないかと噂になり、教育指導や学年主任の教師から事情聴取される事態に発展した。
噂話その四。
今年の一月。八王子先輩が一年生で出場する最後の大会。部活動も不参加になっていた八王子先輩だったが、大会の個人種目にはエントリー。決勝戦で我が校の当時の二年生で、空手部の現部長と対決することとなった。
しかし、決勝戦直前に、八王子先輩の対戦相手である二年生が、会場の階段から突き落とされて、足首を捻挫。決勝戦を棄権する事となった。
誰かに背後から突き落とされたが、顔は見ていない、と被害者の二年生は証言。目撃情報はなかったが、決勝戦で不戦勝した八王子先輩に嫌疑がかかったのは言うまでもない。
噂話を聞いていて、私は不思議に思うことが一つあった。
それは、噂話をする誰も彼もが、八王子先輩を悪人と信じていることだ。
噂話その一以外、八王子先輩は『疑われている』状態で、噂話その三と噂話その四に至っては言掛りに近い。証拠なんて何も無いのだ。
噂話その一についても、八王子先輩が見ず知らずの相手に喧嘩を吹っ掛けた理由を誰も知らない。目前の大会を出場停止になるリスクを抱えて、喧嘩をする理由なんて果たしてあったのだろうか。
そんな事を考えるようになった私は、どうしても八王子先輩に直接会いたくなった。
百聞は一見に如かず。妄想ばかり膨らませていても仕方がないので、本人に直接会って確かめるのが一番手っ取り早い。
私は、二年生の教室を何度か尋ねた。しかし、運悪く八王子先輩には会えなかった。それどころか、二年生の先輩方から、八王子先輩と関わることを強く止められてしまう始末だった。
顔も知らない私には、二年生の先輩の助け無しに、名前だけを頼りに八王子先輩を探すことは出来ない。やきもきする日が数日続いた。
そんな私に、幸運な巡り合わせが訪れたのは、四月下旬の平日だった。
家の用事で学校を早退し、ランチを一緒に食べようと待ち合わせたお母さんと駅前を歩いていた。平日のために人通りは少なく、昨日のうちに決めていたランチのお店にお母さんとお喋りしながら歩いていた。
後方から接近してきたスクーターに気付いたのは、追い抜き様にお母さんのショルダーバッグを引っ手繰られてからだった。
お母さんのショルダーバッグを持って逃げて行くスクーターが、スローモーションに見えた。
「ドロボー!」
数舜遅れて、私が叫んだ時には、既に手遅れだった。
何故なら、引っ手繰り犯は物理法則を無視して、真横に吹っ飛んだからだ。無人のスクーターが数メートル走行し、ガードレールに衝突して転がった。幸い、通行人にぶつかることはなかった。
走行中のスクーターの真横から、誰かが引っ手繰り犯を蹴り飛ばしたのだった。
スクーターから落ちた引っ手繰り犯は、駅前の通りに転がってから、痛む脇腹を抱えながら、ヨロヨロと立ち上がる。周囲の通行人が遠巻きに見る中、一人の人物が引っ手繰り犯に平然と近付いた。
その人物は、私の学校の制服を着た青年だった。
「ンだテメェ!」
引っ手繰り犯が、フルフェイスのヘルメット越しに喚く。
「誰でもいいだろ。大人しく、警察に捕まれ」
涼しい声で、男子生徒が言う。
「っざけんな!」
逆上した引っ手繰り犯が、男子生徒に殴りかかった。周囲が息を呑んだ瞬間、男子生徒の鋭い足刀蹴りが引っ手繰り犯の鳩尾に突き刺さり、走り込んできた距離をそのまま転げ戻った。遅れて、周囲が悲鳴を上げる。
「通して! 通してください!」
騒ぎを聞きつけてか誰かが呼んだのか、人垣を掻き分け、駅前交番のお巡りさんが二名、駆け付けた。
人垣の中央に立つ男子生徒と、地面に倒れたまま呻く引っ手繰り犯を見て、お巡りさんの動きが止まる。
「こいつが、あっちの女性の鞄を引っ手繰った犯人です。あとは任せます」
男子生徒が、地面に転がる犯人と、少し離れた場所の私達を順番に指さし、お巡りさんに必要最低限の説明をした。男子生徒はそのまま、涼しい顔でこちらに歩いて来た。
男子生徒が、挨拶も無く横を通過しようとした瞬間、私は思わず男子生徒の腕を掴んだ。
「やっと……」
思わず私の口からこんな言葉が漏れた。嬉しさと同じくらい、手間暇掛けさせられた、八つ当たり気味な悔しさが綯い交ぜになった感情で、どんな表情をしているのか自分でも分からない。
男子生徒の胸には『八王子』の名札が付いていたのだ。
突然の私の行動に、鳩が豆鉄砲くらったような顔をする八王子先輩に、私は宣言する。
「やっと見つけた」
これが、私と先輩のファーストコンタクト。
色々ツッコミどころはあると思いますが、作り話なのでご容赦ください。