第十八話 先輩と後輩の休日(3)
根付という代物を初めて見た。
姫川が言うには、和服を着る際に帯に小物を吊り下げるために使う物らしい。種類も素材も千差万別で、値段も数千円から数万円までピンキリだった。
姫川が店の女将さんと楽し気に会話をしながら、気に入る根付を見付けるまで、手持無沙汰で店内を彷徨っていると、会話が一段落した女将さんが、休憩スペースでお茶を出してくれた。
「ありがとうございます。ご馳走になります」
「貴方が舞衣ちゃんの好い人なのね。うふふふ」
「いや、ご期待に添えなくて済みませんが、違います」
「照れちゃって。隠さなくてもいいのよ。うふふふふふ」
女将さんは、和装の良く似合う、良く笑う人だった。そして、怪しい含み笑いを残して、姫川の元へと戻って行った。
それから十分弱、お茶を飲みつつ、姫川の買い物が終わるまで、姫川と女将さんが何かの小競り合いをしている様子を遠目に眺めてから、買い物を済ませた姫川と一緒に呉服店を後にした。
「お待たせしてすみませんでした。じゃあ、そろそろ時間もいい感じなので、喫茶店に行きましょうか。その後で、先輩のお父さんへのプレゼントを買いに行きましょう」
「分かった。ああ、でも、俺の買い物に姫川が付き合う事も無いだろ。喫茶店で昼飯食ったら、解散でもいいんじゃないか?」
「……先輩、やっぱり変です。変態さんです。普通、私みたいな可愛い後輩とは、一分一秒でも長く一緒に過ごしたいと思うのが、思春期の男子高校生の在るべき姿だと思うんです。と言う事で、先輩の提案は却下します」
「相変わらず、凄い自信だな……」
「うふふ。でも、異論は無いんですよね?」
嬉しそうに言う姫川に、俺は溜息しか返せなかった。余計な事を教えてしまったかも知れないと、今更ながら後悔する。
姫川と並んで歩きながら、父親へのプレゼントの参考になるものが無いか、商店街を眺める。
「そう言えば、女将さん、先輩のこと褒めてましたよ。誠実そうで、礼儀正しい好青年だそうです。ちゃんと、違いますって否定しておきましたから感謝してください」
「何を感謝しろと?」
「それから、ちゃんと幸せにしてもらいなさいって、女将さんに言われました。…………ねえ、先輩。私とカップルに見られるのは先輩的にどうですか? どれくらい嬉しいですか?」
「嬉しい事前提なのか」
「当然です。万が一……いえ、無量大数が一、嬉しくないとか言ったら、その口縫い付けます。大丈夫です、私、裁縫も得意ですから。纏り縫いです。仕上がりの綺麗さは保証します」
「今日の後輩は、ちょっと物騒だな」
胃袋を鷲掴みされたり、針千本飲ませると言われたり、口を縫われたり、ここまで攻撃的な冗談は珍しい。
姫川も、休日に遊びに出掛けるのが楽しくて、少し燥いでいるのかも知れない。俺なんかと出掛ける事を楽しんでくれていると思うと、素直に嬉しいと感じる。
姫川の質問への回答を少しばかり先延ばして、ぼんやりと違うことを考えていたせいで、姫川が若干ご機嫌斜めになる。こちらの顔を見上げて、不満げに眉根を寄せる。
「先輩、はぐらかさないで私の質問にちゃんと答えてください。どうなんですか? 可愛くて頼りになる後輩と、曲がりなりにもカップルに見られるなんて、先輩の人生の中で上位何番目に嬉しいですか?」
「さっきと質問の内容変わってないか?」
「細かい事はいいんです。ちなみに、先輩には黙秘権も拒否権もありません」
容赦のない後輩だ。そして、何故か犯罪者扱いだった。
横目でじっとりと睨んでくる姫川に、何と返答したものが考える。
「……まあ、下手の考え休むに似たり、か」
正直に話したところで、問題がある訳でもない。俺は独り言ちると、正面を向いたまま答える。
「実際、俺にとって姫川は気が置けない相手だから、他人から見ても仲良く見える事は嬉しいと思う。まあ、その、カップルの件は別として」
横目で姫川を盗み見ると、ばっちり目が合ってしまう。姫川は、ニマニマと笑っていた。
「うふふ。もう、しょうがない先輩ですね。まあ、私だって容姿を整える努力は日々積み重ねている訳ですから、同然と言えば当然です。これは、先輩を私の虜にしちゃう日も近いですね」
言ってしまってから、随分と照れ臭い話だなと思う。しかし、姫川と知り合って二カ月で、親睦を深めているとは思っているし、姫川もその点については同意見だと信じている。
照れ臭さを誤魔化すために、姫川に水を向ける。
「姫川は嫌じゃないのか? 少なくとも、学校の中では妙な噂になっているんだろ?」
親しい間柄の男女が居れば、すぐに色恋沙汰に直結させるのが高校生の性分だ。
姫川と俺が親しい間柄であることは、学校内では周知の事実だ。俺は悪目立ちが過ぎるし、姫川は人気者で目立つので、噂話の格好の餌食だった。
少なくない数の生徒が、俺と姫川が恋人関係であるという噂を信じている。
人の噂も七十五日と言うし、悪評が消えたはずなのに、相変わらず生徒や教師から避けられている俺には実害が無いので放置しているが、姫川は不快に思っていないとも限らない。
「私ですか? そうですね……」
問われた姫川が、顎に手を当て、真剣な横顔で考える。
軽い気持ちで尋ねただけなのに、真剣に悩まれると悪い事をしてしまったような気がする。
「私も、先輩と同じ意見です。私にとっての先輩も、気が置けない相手ですから、自他共に認める仲良しってことで良いんじゃないですかね。…………でも、」
不意に、左腕に柔らかくて温かいものが触れた。
「……姫川?」
見れば、姫川が遠慮がちに俺の左腕に右手を引っ掛けていた。思わず立ち止まると、隣の姫川も立ち止まり、伏し目がちにこちらを見上げる。
熱量を感じる姫川の視線に、心臓が一拍だけ大きく胸を打った気がした。
「私は……先輩との関係が誤解で終わるのは嫌です」
小さな、でもはっきりと聞き取れる声で、姫川がこう言った。