第十六話 先輩と後輩の休日(1)
話が延びると、キャラブレが心配です。
「先輩! 何してるんですか!」
突然背後から飛んできた怒声に、俺は驚いて振り返る。
私服姿の後輩が、目を三角にして、腰に手を当てて仁王立ちしている。周囲の通行人の視線を集める状況も、知った事かと言わんばかりに、真っ直ぐ俺を指さしてくる。
後輩が、何に怒っているのか不明だが、とりあえず挨拶しておく。
「……おはよう、姫川。早かったな」
「早かったな、じゃありません! 先輩は、私と待ち合わせしていながら、お姉さん二人組にホイホイ付いて行こうとするなんて、一体全体どういう了見ですか! 弁解があるなら聞きます! その後でお説教です!」
弁解があっても、説教は確定なのか。
「……ああ、そういう事か」
後輩が何に対して怒っているのか分かった。
『こちらの可愛いお嬢さんは、あなたの恋人ですか?』
女性二人組の内、背の高い女性が可笑しそうに笑いながら俺に尋ねてきた。英語で。
「……あ、あれ? 外国人さん?」
怒り心頭だった後輩も、俺と一緒に居た金髪碧眼の女性二人組に気付いた。
俺に話しかけてきた背の高い女性と、ガイドブックを回転させながら周囲を忙しく見回している小柄な女性。
『違います。彼女は、同じ学校の生徒で、私の友人です』
「せ、先輩も英語……」
クールダウンしていく後輩が、俺と背の高い女性の会話を聞いて驚いている。
背の高い女性は、訳知り顔で「ふうん……」と呟きながら、俺と後輩を見比べる。頼むから、妙な勘繰りは止めてほしい。
後輩の怒りも終息に向かっている様子に一安心し、俺は改めて女性二人組からの頼まれた道案内を遂行しようと、駅前のロータリーに設置されている大きな地図の前に移動する。
『現在地がここです。美術館は、大通りを三ブロック直進して、右にあります』
地図上を指で移動しながら、簡単に道案内を済ませる。
『分かったわ。ありがとう、親切な青年。可愛いお嬢さんとの約束に割り込んで、ごめんさない』
『どういたしまして。旅行、楽しんでください』
女性二人組を見送り、後輩の元へ戻る。
出会い頭の気勢を削がれた後輩が、所在なさ気に佇んでいた。
「姫川、待たせて悪い。機嫌は直ったか?」
「……すみません。ただの、道案内だったんですね。私はてっきり、万年発情期の先輩が、お姉さん二人に粗相をするものだと勘違いしてしまいました。先輩が逮捕されなくて良かったです」
「……姫川、それ謝ってない」
「あ、バレました?」
悪戯を成功させたような屈託のない笑顔で、小さく舌を出す後輩。
姫川らしい態度に、怒る気にもなれず、俺は諦めて笑うしかなかった。
「おはようございます、先輩。私の日頃の行いが良いので、お出掛け日和ですね。感謝してください」
「おはよう。まあ、そういう事にしておくか」
梅雨の時季の、貴重な晴れの日。
休日に、学校以外で後輩に会うのも初めてであれば、後輩の私服姿を見るのも初めてだった。見慣れない格好に、うっかり凝視してしまい、それに気付いた後輩が後ろ手を組んでニマニマ笑いながら詰め寄ってくる。
「あれ~? どうしたんですか、先輩。もしかして、可愛い後輩の素敵な私服姿に見惚れちゃいましたか? もう、しょうがない先輩ですね。じゃあ、サービスです」
一歩離れた後輩が、その場で華麗にターンする。澄まし顔で、片手を腰に当てて、もう一方で髪を押さえるポーズを決める。
「ほらほら、どうですか先輩。可愛い後輩に言うべきことがあるんじゃないですか? ありますよね? まあ、先輩の鼻の下が伸びた、だらしない顔を見れば一目瞭然ですけど、この場は特別に、言葉で聞いてあげないこともありませんよ」
謙虚さは日本人の美徳だと良く聞くが、この後輩に限っては、この過剰な自信も嫌味にならないから不思議だ。
珍しいものを見たな、と思って眺めていたのだが、どうやら服装を褒めろという趣旨らしい。主張が明確なので、後輩との会話は気を遣わなくて助かる。
「動き易そうな服装で、活発な姫川に丁度いいんじゃないか」
「……はぁ~……三十点です。百点満点中の三十点です。不合格です。追試しますから、顔を洗って出直してください」
深々と溜息を吐き、残念な生き物を見る目付きの姫川。
率直な感想を述べたのに、不合格にされるのも困ったものだ。
「姫川は元々がいいから、何着ても似合うぞ」
「なっ!? ~~~~っ!?」
目の前でクラッカーを鳴らされた猫のように、目を丸くして驚く姫川。
姫川には悪いが、今のは揶揄う目的で態とやった。いや、姫川の元々の容姿が良いと思っているのは事実なので、嘘は言っていない。
姫川に予想以上に効果があったのが面白くて、笑いが堪え切れずに漏れてしまう。
「はははっ。上手く意表を突けたみたいだな」
俺に揶揄われたことに気付いた姫川が、両手を振り被って攻撃してくる。
俺はそれを両手で受け止める。
「もう、もう、もう! せ、先輩が、私を揶揄うなんて生意気です! 大体、何なんですか今の! いつもは私に、自己評価が高いなって文句言うのに! どっちなんですか! はっきりしてください!」
「いや、悪い。悪かったって。でも俺は姫川に、自己評価高いなって言っても、否定したことはないだろ」
姫川が両手を振り下ろした状態で一時停止する。それを受け止めている俺を、真っ直ぐ見上げてくる。
「つまり……先輩は、私のこと、ちゃんと、本心から可愛いと思っているんですね? そういう回答でいいんですね? 男に二言は許しませんからね。嘘ついたら針千本飲ませますからね」
「改めて面と向かって聞かれると照れ臭いな…………まあ、そうだな」
姫川の表情が、じんわりと喜色に染まっていく。
ちょっと褒めたくらいで、大袈裟な奴だ。
「……うふふっ。うふふふふふふ。もう、先輩ってば、やっぱり私にメロメロなんですね。まあ、先輩にそんなこと言われても、ちっとも、これっぽっちも嬉しくないですけれど、一応覚えておいてあげます。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
くるりと反転した姫川が、スキップしそうなくらい軽やかな足取りで駅に向かう。小さく鼻歌みたいなものも聞こえる。
「ほらほら、先輩。可愛い後輩にちゃんと付いて来てください。置いてけ堀しちゃいますよ」
肩越しに振り返る上機嫌の姫川。
友達と休日に遊びに出掛けるのが一年振りなので、置いてけ堀は嫌だなと思い、姫川の後を追う。




