06 高階君と白い犬(前編)
「どうしたの、マホ。なんか元気ないね」
昼休み。向かい合って弁当を食べている最中、幼馴染のキヨが話しかけてきた。
小学生からの付き合いであるキヨ――七瀬京美は、サンドイッチを一口飲み込み、ふわふわしたボブの髪を揺らす。
「……さては、失恋した?」
「っ、はぁ!? 何言って――」
唐突な言葉に、私は箸から齧りかけの玉子焼きを取り落としてしまった。幸い、玉子焼きは梅ちりめんの混ぜご飯の上に落下して無事であったが。
私の動揺に気づいているのかいないのか、キヨは言葉を続ける。
「ほら、この間話していた素敵な老紳士……メグさんだっけ? 何かあったの?」
「……」
鋭い。キヨにはお見通しのようである。
私は玉子焼きをつつきながら、小さく溜息をついた。
三週間前、祖父の見舞いに行った先に出会ったのは、メグさんと呼ばれる穏やかな男性だった。
祖父と同じ年頃ながら、細身ですらりとしていて、豊富な銀髪と伸びた背筋が幾分か彼を若く見せた。さらに知的な眼鏡姿に柔らかな物腰で、まさに老紳士と呼ぶにふさわしい素敵な人だったのだ。
そして、メグさんは一匹の犬を連れていた。
ただの犬ではない。犬の霊――犬神だ。
真っ白な毛並みの大きな白い犬神は、名前を『雪尾』と言うらしい。牛乳が好きで、それが縁で私は彼とも出会うことになった。
犬神――雪尾くんは、とても可愛かった。見た目は凛々しく格好いいのに、振る舞いはまるで子犬のそれで、見ているだけで和む。
そんな雪尾くんを、メグさんは見ることができた。……私と同じように。
私には、幼い頃から人には見えないものが見えていた。霊感が強かったのだ。僧侶であり、かつては霊感が強かった祖父のおかげで、家族には受け入れられ、霊への対処法も教えてもらって事なきを得ている。それでも、怖い目にたくさんあったし、理解されなくてつらく悲しい思いもした。
そんな中、自分と同じように見える人に出会えたのだ。
しかも、頼れる素敵な老紳士と、可愛くかっこいい犬神に。
嬉しかったし、安心した。
その日以来、私は放課後にできるだけ病院に通った。祖父の見舞いと言う名目もあり、帰りに病院に寄ってくると言う度に、母には「そんな毎日行かなくても大丈夫よ?」と不思議な顔をされたものだ。
病室に顔を出すと、祖父は「また来たのか」と言いつつも嬉しげだった。同室のメグさんも笑顔で迎えてくれて、そのベッドの後ろから雪尾くんが顔を覗かせる。
最初はなかなか近づいてこなかった雪尾くんも、三日が過ぎると、警戒心が薄れたらしい。お土産の牛乳も効果があったかもしれない。足元に遠慮がちに寄ってきた時には、内心で感動していたものだ。
面会時間はそれほど長くなかったし、時には検査などで不在のこともあったが、私は足しげく病院に通った。
しかし二週間前、メグさんが退院することになった。
大きな異常が無かったのは喜ばしいことだし、退院ならなおさらだ。だが、これでメグさんとも雪尾くんともお別れになるのかと思うと寂しかった。
そんな私に、メグさんは一枚の名刺をくれた。
『よかったら遊びに来てください。雪尾さんに牛乳をくれたお礼もしたいので』
深い藍色の紙には、銀色の文字で『喫茶シリウス』と書かれていた。
メグさんが喫茶店を営んでいることは話で聞いていた。
学校から一駅ほど離れた町にあるらしい。自分の志望している大学や、大きな市立図書館もある町なので、私も月に一、二度は訪れていた。
しかし、いざ喫茶店に行こうとなると――
何だか妙に緊張して、行けないのだ。病院には、祖父のお見舞いがあったから気負いなく行くことができたのだが、いざメグさんと雪尾くんに会いにとなると「お邪魔じゃないだろうか」「社交辞令だったんじゃ」と弱腰になってしまう。
退院した祖父からは「お前まだ行ってないのか」と呆れたように言われたものだ。
そうして、二週間も二人(一人と一匹?)に会えないのが、妙に寂しく、ロスになっている自分がいる。
ぽつぽつと事情を話すと、キヨは「あらら」と苦笑した。
「そんなに気負わなくていいんじゃないのかな。ほら、そのメグさんって、マホみたいに『みえる人』なんでしょ? 相談があるとか、口実いくらでもあるじゃない」
キヨは、私に霊感があることを家族以外で知る唯一の存在だ。
霊感があることを知っても、気味悪がらずに「そっか、マホちゃん家はお寺さんだから、幽霊さんが話しかけやすいのかもね」とあっさり受け入れてくれた奇特な少女でもある。
「……でも、相談とかはおじいちゃんにしているし、迷惑になるかもしれないし」
「もう、強気の真歩子はどうしたの? いつも弟君たち殴り飛ばしているのに」
「殴ってない! 拳骨くらいだよ」
二人で言い合っていると、ふいに教室内が騒がしくなった。女子たちが「え、嘘」「マジで」とひそひそ囁き合っているのが耳に届く。皆が見ているのは、教室の前方の扉だった。
いったい何事かと、キヨと一緒に視線を向けると――
「……藤井さん、いるかな? 藤井真歩子さん」
教室の前扉に手を掛けた学年一有名な少年は、なぜか私の名前を口にした。




