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04 老紳士と白い犬の秘密(中編)


 小さな頃から、変なものが見えた。


 最初にそれを自覚したのは、私がまだ幼稚園の頃だ。

 迎えに来た母に手を引かれ、寺の横にある自宅に入ろうとしたとき。黒い喪服を着た女性が一人、お寺の本堂の前に立っているのが目に入った。

 喪服姿の人は、別に珍しくはない。法事を行うために、亡くなった人の親族――黒い服を着た人達が集まる光景は、休日にはよく見かけるものだった。

 ただ一つ気になったのは、雨が降っているにもかかわらず、その女性が傘を差していなかったこと。

 雨の中に一人で佇む後ろ姿が、何だか寂しそうに見えた私は、入ったばかりの玄関で、傘立てから傘を一本取りだした。


『真歩子、どうしたの?』

『おねーさんに、かさ、あげてくる』


 不思議そうに尋ねてくる母に、私は答えた。

 黄色いレインコートを着たまま、大きな黒い傘を抱えて、私は女性の元へと駆け寄った。ぱしゃぱしゃと、石畳の上の水たまりの水が跳ねる。


『おねーさん、これ……』


 近づいて、傘を差し出すと。


『真歩子!』


 母が悲鳴のような声で私を呼んだ。

 どうしたのだろうと振り返る私の横で、何かが動いた。

 綺麗な黒いパンプスがすぐ横をすっと横切る。水たまりの上を歩くそれは、水に濡れることも、波紋を起こすことも無かった。

 変なの、と思って顔を上げた私の前に、顔があった。

 真っ黒な目が、私を覗き込んでいる。

 ……いや、それは目ではなかった。

 眼窩を抉られて、ぽかりと空いた黒い洞が、私を見ていた。

 色を無くしひび割れた唇が、ゆっくりと笑みの形をとった。


『――!!』


 上がった悲鳴は、誰のものだったのか。

 気づいたときには、私は座敷に寝かされていて、傍には両親と祖父がいた。

 そうして祖父から、私が見たものが人間ではなく、いわゆる霊と呼ばれるものであることを聞かされた。


 ……母には、喪服姿の女性が見えていなかった。

 私が誰もいないところに話しかけて傘を差し出す様子に、“何か”がいるとわかったらしい。慌てて呼び戻そうとしたときに、私が悲鳴を上げて倒れた。

 母は私を抱きかかえて家に逃げ込み、祖父に急いで連絡したそうだ。


 祖父も幼い頃に霊感があったそうだが、今は気配を感じることはあっても見る事はあまり無いと言う。両親や弟達にも霊感は無く、家族の中で見えるのは私だけだった。

 祖父は、私に数珠やらお札やらを持たせて、それらを見たときの対処の方法を教えた。両親や弟達も、私に霊感があることをあっさりと信じて受け入れた。おかげで、今まで何とか周囲に溶け込み生活ができている。


 それでも、一人だけ違うものが見えているということが、私の中に疎外感を生む。


 交差点の真ん中で、上半身だけでずるずると這いずっている老人も。

 マンションの前で、手足を違う方向に折れ曲がらせたまま笑っているサラリーマンも。

 古いデパートの階段の隅で、壁の方を向いたままぶつぶつと呟いている女性も。


 私にしか見えていなくて、恐かった。


 この怖さをわかってくれるのは、かつて見えていた祖父だけだ。それでも、今まさに感じている恐怖を共有できるわけではない。


 ……本当は、病院に来るのは嫌なのだ。

 清潔で綺麗なはずなのに、階段が妙に薄暗かったり、黒いシミのようなものが白い天井から滲み出ていたりするのを見るのが怖い。

 家族と一緒に来るならまだしも、今日のように一人で来るのは初めてで、病院に入るときは内心で少し怯えていた。


 だが――




(……きれい、なんだよね)


 一階の売店に行くために階段を下りながら、私は首を傾げる。

 そう。この病院、今日はやけに綺麗なのだ。妙な人や暗い影を見ることがない。前回、祖父の見舞いに来たときは、少なからず影があったような気がするのだが。

 疑問に思いながらも、そういったものがいないことに越したことはない。

 ほっとしながら、一階の廊下を歩き、角を曲がり――。


「!」


 私は思わず足を止めた。

 視線の先、売店の前に、白くて大きなものがいた。


 ――犬だ。

 大きな、白い犬。


 白い犬がおすわりして、売店の中をじっと見つめている。

 病院内に犬が入っていいのだろうか。盲導犬にしては大きすぎるし、首輪もリードも付いていない。飼い主の姿もない。

 というか……誰も、犬に気づいていないのだ。

 大きな犬の横をわんぱくそうな子供達が何もないように通り過ぎ、売店の店員は平然と棚の整理をしている。

 こんな大きな犬がいれば、何かしらリアクションはありそうなのに。

 それは、すなわち。


(犬の……霊?)


 霊にしては、嫌な感じの影は無い。

 むしろ、きらきらと毛並みが光っていて、神々しいと言うか、すごくきれいと言うか。


 思わず見とれていると、白い犬がついとこちらを向いた。

 私は慌てて視線を逸らす。霊と目を合わせるな、と祖父から言われていた。

 そうだ。いくら綺麗と言っても、あの犬は普通じゃない。

 私はできるだけ犬を視界に入れぬよう、俯きがちに歩いて売店の中に入った。何となく視線を感じる気もするが、気のせいだと素知らぬふりをする。

 とりあえず、自分の分のパウンドケーキ、それに祖父用のペットボトルのお茶を棚から取る。

 あとは……と、四面がガラスになっている冷蔵ショーケースの方を見た。中には小さな紙パックの牛乳やジュースが並んでいる。

 ――売店に来る前、祖父の同室の“メグさん”に、ついでだからと何か買うものはないかと尋ねた時、こう頼まれていた。


『それでは、牛乳を一つ、お願いできますか?』


 小銭を取り出そうとするメグさんに、祖父は『いいよメグさん、俺の奢りだ』と偉そうに言っていたものだ。


 ……私も牛乳にしようかな。ケーキに合うし。


 そんなことを考えながら、ショーケースの扉に手を掛けようとした時だった。

 ショーケースの向こう側。廊下に面したそこに、でかい犬の顔があった。

 青い目と、目が合う。


「っ……」


 息を呑んで飛びのいた私に、犬も驚いたようにぴんっと耳としっぽを立て、慌てて身を翻す。逃げた犬は廊下の端に置かれているソファの影に隠れてしまったようで、姿が見えなくなった。

 バクバクする心臓を押さえていると、後ろから店員が「大丈夫ですか?」と心配そうに声を掛けてくる。私は首を横に振って「大丈夫です」と答えた。

 訝しげな店員の視線から逃れるように、私はショーケースから牛乳を二本取り出して、会計を済ませて急いで売店を出た。




長くなってしまったので後編に続きます。

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